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第一章
艶めかしい貴婦人
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大人しく控えめな乙女は、今や鍋底から溢れ返るくらいに盛り上がった泡のごとく、怒りをパンパンに膨らませている。弾けるのも時間の問題だ。
そんなふうに全身の血が沸騰寸前だったアメリアに、さらなる追い討ちをかけるような声が上がった。
「お子様を揶揄うんじゃないわよ」
野次馬は全員引き上げたはずなのに、まだ残っている者があった。
ふわりと盛った金色に染めた髪を真珠や珊瑚で飾り立てられている。豊満な胸を強調するように大きく襟ぐりの開いた真っ赤なドレスは、これでもかとダイヤモンドやルビーが散りばめられ、ふんだんなフリル、繊細なレースが細工されている。化粧も濃く、びっしりと重なった付け睫毛のせいで瞼が重そうなくらい。
ぬらぬらしたやけに真っ赤な唇が、ふふふといやらしく歪んだ。
「ジュリア。来ていたのか? 」
エデュアルトは不機嫌そうに鼻に皺を寄せた。
「あなたが招待したのではなくて? 」
ジュリアと名指しされた作り物のような美女は、失礼な物言いにも余裕で大人っぷりを見せつける。
「敢えて外しておいたはずだ」
「それなら執事が勝手に招待状を出したのね」
「あいつはクビだ」
エデュアルトは舌打ちし、爪先で小石を蹴った。
「あら。賢明な執事じゃない。横の繋がりを断とうなんて、愚かなことよ」
「鬱陶しい関係など、ない方がマシだ」
「仲良くしていた方が得策よ。私の夫は、あなたに引けを取らないくらいの財産持ちよ」
「まあな。ホイットマン氏といえば、肉屋から一代で成り上がった遣り手だ。誰だって知ってるさ」
「王宮にだって、山ほど寄付してるんだから」
「俺の方が金持ちだ」
「ええ。その通りよ」
ジュリアは頷くと、エデュアルトに近づいて、その右側の腕にはち切れんばかりの胸を押しつける。硬く張った筋肉質な腕が、豊満な谷間に埋め込まれた。
「それに、あの人よりも魅力的だわ」
ジュリアのそんな仕草に慣れているのか、エデュアルトは動揺一つしない。
傍観者となったアメリアの方が、何だか卑猥なものを見せられている気になって、赤面してしまう。
「ねえ。今夜、いかが? 」
ジュリアはエデュアルトの胸にしなだれかかり、耳に息を吹きかけた。
「駄目だ」
エデュアルトは表情も変えず、ピシャリだ。
「嫉妬深いお前の亭主に刺されるのは、勘弁してくれ。俺だって命は惜しいんだ」
「怖気づいたの? 」
「俺は亭主持ちには手を出さない主義だ」
ジュリアは会話を楽しんでいる。
アメリアのことは空気扱い。
無垢な乙女の前で、どんどん内容は淫猥になっていく。
「私と熱烈な夜を過ごしたくせに? 」
「あのとき、お前はまだ独り身だった」
「そうね。確かに。前夫を亡くしてすぐだったわ」
アメリアは聞き逃しはしなかった。
大嫌いな貴族の性質を目の前で直視させられて、黙ってはいられなかった。
いつものアメリアなら聞かないふりを決め込んでいただろうが、相手がエデュアルトとなると、何故だか我慢がきかない。
「夫を亡くしてすぐに別の男性と関係するなんて。最低」
唇を尖らせ、可愛らしい顔を思い切りしかめる。
「うるさいわね、このお子様は」
「向こうへ行っていろ。アメリア」
急に会話に入り込んだ子供を、大人二人はシッシと払った。
「また子供扱い! 失礼ね! 」
アメリアはキーッと猿のように叫んだが、大人達はもう彼女を意識の外に追いやっていた。
「ねえ、エディ? 夫では物足りないのよ」
お子様を無視して、二人は男女の駆け引きを続ける。
「あなただって、私の体が忘れられないのでしょう? 」
「決めつけるな」
「あら。私にはわかるわ。あなたはきっと近いうちに私を求める」
「そんなわけあるか」
「この髪の色を私が戻さない限り、あなたは私が恋しくて堪らないの。違って? エディ? 」
「……やめろ、ジュリア」
「私は誰かさんの身代わりでも構わないのよ」
「……それ以上、言うな」
その段になって、ようやくエデュアルトはアメリアに注意を払った。
「そうね。これ以上は禁句だわ」
ジュリアも意味ありげに頷く。
「今夜はこの屋敷に泊まるわ。夫とは寝室は別よ」
気を取り直したように、ジュリアはエデュアルトの肩に身を寄せた。ますますエデュアルトの腕が胸の谷間に沈む。
「可哀想に」
「あの人は私の言いなりよ」
「よく躾けられた犬だな」
二人して意地悪くほくそ笑む。
エデュアルトの放蕩具合が具体的に示され、アメリアは嫌な気分になった。まだほんの少し、微かに残されていた淡い恋心が、完全に消し炭となった。
「エディ、待ってるわ」
ジュリアは彼にキスをすると、暗がりの中へ溶け込むように去って行った。
他人の前であるし、人妻でありながら、ジュリアは何ら臆することなくエデュアルトの唇に己の唇を重ねた。
これには、さすがのアメリアも呆然となった。
エデュアルトにつけた刻印が、早々に上書きされてしまったから。
別に好いてはないし、むしろ憎たらしい相手だが、それでも一世一代の決心のキスを、いともあっさり覆されるなんて。
アメリアはショックのあまり顔から血の気が引いていくのがわかり、唇が戦慄いてガチガチと歯の根が鳴った。
「あの女の人のところへ行くつもり? 」
「悪いか? 」
悪びれもせず言ってのける。
「わ、私にキスしておきながら、もう別の女性と! 最低だわ! 」
ついにアメリアの怒りの泡がバチンと弾けた。
頭のてっぺんから湯気を吹く勢いで、エデュアルトを怒鳴りつける。
「そうだ。俺は最低の男なんだよ、お嬢さん? 」
エデュアルトはさも当たり前のようにニヤリと笑って応じた。
そんなふうに全身の血が沸騰寸前だったアメリアに、さらなる追い討ちをかけるような声が上がった。
「お子様を揶揄うんじゃないわよ」
野次馬は全員引き上げたはずなのに、まだ残っている者があった。
ふわりと盛った金色に染めた髪を真珠や珊瑚で飾り立てられている。豊満な胸を強調するように大きく襟ぐりの開いた真っ赤なドレスは、これでもかとダイヤモンドやルビーが散りばめられ、ふんだんなフリル、繊細なレースが細工されている。化粧も濃く、びっしりと重なった付け睫毛のせいで瞼が重そうなくらい。
ぬらぬらしたやけに真っ赤な唇が、ふふふといやらしく歪んだ。
「ジュリア。来ていたのか? 」
エデュアルトは不機嫌そうに鼻に皺を寄せた。
「あなたが招待したのではなくて? 」
ジュリアと名指しされた作り物のような美女は、失礼な物言いにも余裕で大人っぷりを見せつける。
「敢えて外しておいたはずだ」
「それなら執事が勝手に招待状を出したのね」
「あいつはクビだ」
エデュアルトは舌打ちし、爪先で小石を蹴った。
「あら。賢明な執事じゃない。横の繋がりを断とうなんて、愚かなことよ」
「鬱陶しい関係など、ない方がマシだ」
「仲良くしていた方が得策よ。私の夫は、あなたに引けを取らないくらいの財産持ちよ」
「まあな。ホイットマン氏といえば、肉屋から一代で成り上がった遣り手だ。誰だって知ってるさ」
「王宮にだって、山ほど寄付してるんだから」
「俺の方が金持ちだ」
「ええ。その通りよ」
ジュリアは頷くと、エデュアルトに近づいて、その右側の腕にはち切れんばかりの胸を押しつける。硬く張った筋肉質な腕が、豊満な谷間に埋め込まれた。
「それに、あの人よりも魅力的だわ」
ジュリアのそんな仕草に慣れているのか、エデュアルトは動揺一つしない。
傍観者となったアメリアの方が、何だか卑猥なものを見せられている気になって、赤面してしまう。
「ねえ。今夜、いかが? 」
ジュリアはエデュアルトの胸にしなだれかかり、耳に息を吹きかけた。
「駄目だ」
エデュアルトは表情も変えず、ピシャリだ。
「嫉妬深いお前の亭主に刺されるのは、勘弁してくれ。俺だって命は惜しいんだ」
「怖気づいたの? 」
「俺は亭主持ちには手を出さない主義だ」
ジュリアは会話を楽しんでいる。
アメリアのことは空気扱い。
無垢な乙女の前で、どんどん内容は淫猥になっていく。
「私と熱烈な夜を過ごしたくせに? 」
「あのとき、お前はまだ独り身だった」
「そうね。確かに。前夫を亡くしてすぐだったわ」
アメリアは聞き逃しはしなかった。
大嫌いな貴族の性質を目の前で直視させられて、黙ってはいられなかった。
いつものアメリアなら聞かないふりを決め込んでいただろうが、相手がエデュアルトとなると、何故だか我慢がきかない。
「夫を亡くしてすぐに別の男性と関係するなんて。最低」
唇を尖らせ、可愛らしい顔を思い切りしかめる。
「うるさいわね、このお子様は」
「向こうへ行っていろ。アメリア」
急に会話に入り込んだ子供を、大人二人はシッシと払った。
「また子供扱い! 失礼ね! 」
アメリアはキーッと猿のように叫んだが、大人達はもう彼女を意識の外に追いやっていた。
「ねえ、エディ? 夫では物足りないのよ」
お子様を無視して、二人は男女の駆け引きを続ける。
「あなただって、私の体が忘れられないのでしょう? 」
「決めつけるな」
「あら。私にはわかるわ。あなたはきっと近いうちに私を求める」
「そんなわけあるか」
「この髪の色を私が戻さない限り、あなたは私が恋しくて堪らないの。違って? エディ? 」
「……やめろ、ジュリア」
「私は誰かさんの身代わりでも構わないのよ」
「……それ以上、言うな」
その段になって、ようやくエデュアルトはアメリアに注意を払った。
「そうね。これ以上は禁句だわ」
ジュリアも意味ありげに頷く。
「今夜はこの屋敷に泊まるわ。夫とは寝室は別よ」
気を取り直したように、ジュリアはエデュアルトの肩に身を寄せた。ますますエデュアルトの腕が胸の谷間に沈む。
「可哀想に」
「あの人は私の言いなりよ」
「よく躾けられた犬だな」
二人して意地悪くほくそ笑む。
エデュアルトの放蕩具合が具体的に示され、アメリアは嫌な気分になった。まだほんの少し、微かに残されていた淡い恋心が、完全に消し炭となった。
「エディ、待ってるわ」
ジュリアは彼にキスをすると、暗がりの中へ溶け込むように去って行った。
他人の前であるし、人妻でありながら、ジュリアは何ら臆することなくエデュアルトの唇に己の唇を重ねた。
これには、さすがのアメリアも呆然となった。
エデュアルトにつけた刻印が、早々に上書きされてしまったから。
別に好いてはないし、むしろ憎たらしい相手だが、それでも一世一代の決心のキスを、いともあっさり覆されるなんて。
アメリアはショックのあまり顔から血の気が引いていくのがわかり、唇が戦慄いてガチガチと歯の根が鳴った。
「あの女の人のところへ行くつもり? 」
「悪いか? 」
悪びれもせず言ってのける。
「わ、私にキスしておきながら、もう別の女性と! 最低だわ! 」
ついにアメリアの怒りの泡がバチンと弾けた。
頭のてっぺんから湯気を吹く勢いで、エデュアルトを怒鳴りつける。
「そうだ。俺は最低の男なんだよ、お嬢さん? 」
エデュアルトはさも当たり前のようにニヤリと笑って応じた。
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