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元婚約者の襲来
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「よくも、この僕をコケにしてくれたな! 」
バルモアは顔を真っ赤にして、湯気を吹かんばかりにいきりたつ。
「バルモア! 何故ここに! 」
マーレイは声を裏返した。
仮面舞踏会の招待状がなければ、屋敷には入ることは出来ない。入り口で執事が丁寧に、一人一人差し出された招待状を確認している。
屋敷はぐるりと囲うように屈強な警備が配置され、目を光らせている。
不埒な輩が潜り込まない対策だ。
招待客はいづれも名のある貴族ばかり。不測の事態があってはならない。
サーフェスは苛立たしげに眉根を寄せた。警備には相応の自信があったようだ。
「どこから入り込んだ? 屋敷の周りはネズミ一匹たりとも入らせないように、厳重に警戒していたはずだ」
呆気なく突破され、腑に落ちない。
バルモアは、してやったりとニヤニヤと口を歪めた。
「仮面舞踏会が開催されると聞いたからな。業者の荷台に潜り込んで敷地に入って、何日も前からずっと物置に潜んでいたのさ」
つまり彼は何日も前から荷馬車に隠れて屋敷に侵入していたのだ。
「あ、あなた食事は? 」
何日も前から飲まず食わずでは生きていけない。
「そんなもの、台所から盗んだのさ」
「な、何てことを」
まさかバルモアが不法侵入の上、窃盗まで仕出かしていたなんて。
没落しても、バルモアは子爵家の令息。貴族だ。手本となるべき存在なのに。
「ふん。随分とよろしくやっているじゃないか。この淫乱が」
仮面をつけていてもわかる侮蔑の眼差しを向けられ、バルモアは不機嫌に口を尖らせた。
「僕と別れて、もう新しい男を捕まえたくせに」
などと、マーレイの背後にいるサーフェスを睨みつける。
「それとも、酷い振り方をした僕への当てつけか? 」
ニヤリ、とバルモアは以前と比べて格段にこけた頬を歪めた。目は落ち窪み、隈が酷い。いつも気にしていた唇の乾燥も頓着せず、ガサガサでひび割れている。髪もボサボサに伸び、髭も剃らず、身なりはくたびれて。
「だったら許してやっても良い」
不遜な笑みを向けるバルモア。
「何ですって? 」
マーレイは眉をひそめた。
「僕が恋しくなったのだろう? だから、てっとり早くそこら辺にいる男に声を掛けた。違うか? 」
彼の自信たっぷりの言葉が理解出来ない。
生気がなく、品もない。なのに自意識過剰な男の、どこに魅力があるというのか。
「随分とした自惚れね」
「な、何だと! 」
カッとバルモアが怒りで顔色を変えた。
「私はあなたになんて、ちっとも未練なんてないわ」
ピシャリと言ってのけると、マーレイは凍りつくほど冷ややかに彼を見やる。
「ふ、ふん。強がりを」
彼女の冷たい視線にたじろぎながら、バルモアは鼻を鳴らした。
「バルモア。あなた、酔っ払っているのね? 」
マーレイは、バルモアの妙な言動や、ふらふらと落ち着きない仕草、ぼんやりした目つきに、疑りを向ける。炊事場から、酒も拝借したのだろうか。
「いや。あれは薬物中毒だ」
それまで黙っていたサーフェスが割って入った。
彼はマーレイの前に出て、その逞しい体でマーレイをバルモアの視界から阻んだ。
「この男からは、妙に甘ったるい匂いがぷんぷんしている。阿片中毒だ」
確信を持って、サーフェスは口にする。高利貸しを営む彼は、時折、闇深い連中を相手にすることもあり、こういったことは熟知している。
「ま、まあ! 」
「彼の噂は私の耳にも届いていた。おそらく、悪い仲間に勧められるまま、手を染めたのだろう」
「そ、そんな! 何てこと! 」
よもやバルモアがそこまで堕ちていたなんて。
フローレンスという金蔓を失くした彼は、一体どこまで転落していくのか。
「ああ! つまらない女に引っ掛かって、マーレイを手放してしまったことを後悔している。僕は何て浅はかなことを! 」
バルモアはまるで三文芝居のような大袈裟な身振りで、マーレイへと手を差し出す。自業自得なのに、それを己の身に降りかかった悲劇へと転化して、マーレイの情に訴えてきた。
「フローレンスを選んだことや、お前との婚約を破棄した責任を負わされて、僕は父に勘当されたんだ。もう、僕には何も残っていない! 」
バルモアの父、ウィルソン子爵の怒りは計り知れない。たった一人の跡取りを追い出すくらいなのだから。
尤も、ウィルソン家がどれくらい保つかはわからないが。
マーレイは舞踏会での紳士らの噂話を思い出す。
バルモアは窪んだ目をカッと見開くと、マーレイを睨みつけてきた。
「せめて、お前だけでも手元に! 」
サーフェスに隠れたマーレイへと、勢いつけてバルモアが手を伸ばした。
涎を垂らし、顔は青ざめ、目は落ち窪み、ギロリと鋭く睨んでくる。袖から覗いた手は土色で骨が出っ張っていた。以前から痩せ気味だったが、今は異常だ。まさに、死神に取り憑かれた男だ。
「きゃあああああ! 」
恐怖がマーレイを支配する。
自分まで死神の餌食になりそうな錯覚。
咄嗟に叫んでいた。
「大丈夫だ! 」
サーフェスは体を反転させると、その逞しい胸に彼女を引き寄せ、強く抱きしめた。
「マーレイ! 」
サーフェスは彼女の名を呼んだ。
バルモアは顔を真っ赤にして、湯気を吹かんばかりにいきりたつ。
「バルモア! 何故ここに! 」
マーレイは声を裏返した。
仮面舞踏会の招待状がなければ、屋敷には入ることは出来ない。入り口で執事が丁寧に、一人一人差し出された招待状を確認している。
屋敷はぐるりと囲うように屈強な警備が配置され、目を光らせている。
不埒な輩が潜り込まない対策だ。
招待客はいづれも名のある貴族ばかり。不測の事態があってはならない。
サーフェスは苛立たしげに眉根を寄せた。警備には相応の自信があったようだ。
「どこから入り込んだ? 屋敷の周りはネズミ一匹たりとも入らせないように、厳重に警戒していたはずだ」
呆気なく突破され、腑に落ちない。
バルモアは、してやったりとニヤニヤと口を歪めた。
「仮面舞踏会が開催されると聞いたからな。業者の荷台に潜り込んで敷地に入って、何日も前からずっと物置に潜んでいたのさ」
つまり彼は何日も前から荷馬車に隠れて屋敷に侵入していたのだ。
「あ、あなた食事は? 」
何日も前から飲まず食わずでは生きていけない。
「そんなもの、台所から盗んだのさ」
「な、何てことを」
まさかバルモアが不法侵入の上、窃盗まで仕出かしていたなんて。
没落しても、バルモアは子爵家の令息。貴族だ。手本となるべき存在なのに。
「ふん。随分とよろしくやっているじゃないか。この淫乱が」
仮面をつけていてもわかる侮蔑の眼差しを向けられ、バルモアは不機嫌に口を尖らせた。
「僕と別れて、もう新しい男を捕まえたくせに」
などと、マーレイの背後にいるサーフェスを睨みつける。
「それとも、酷い振り方をした僕への当てつけか? 」
ニヤリ、とバルモアは以前と比べて格段にこけた頬を歪めた。目は落ち窪み、隈が酷い。いつも気にしていた唇の乾燥も頓着せず、ガサガサでひび割れている。髪もボサボサに伸び、髭も剃らず、身なりはくたびれて。
「だったら許してやっても良い」
不遜な笑みを向けるバルモア。
「何ですって? 」
マーレイは眉をひそめた。
「僕が恋しくなったのだろう? だから、てっとり早くそこら辺にいる男に声を掛けた。違うか? 」
彼の自信たっぷりの言葉が理解出来ない。
生気がなく、品もない。なのに自意識過剰な男の、どこに魅力があるというのか。
「随分とした自惚れね」
「な、何だと! 」
カッとバルモアが怒りで顔色を変えた。
「私はあなたになんて、ちっとも未練なんてないわ」
ピシャリと言ってのけると、マーレイは凍りつくほど冷ややかに彼を見やる。
「ふ、ふん。強がりを」
彼女の冷たい視線にたじろぎながら、バルモアは鼻を鳴らした。
「バルモア。あなた、酔っ払っているのね? 」
マーレイは、バルモアの妙な言動や、ふらふらと落ち着きない仕草、ぼんやりした目つきに、疑りを向ける。炊事場から、酒も拝借したのだろうか。
「いや。あれは薬物中毒だ」
それまで黙っていたサーフェスが割って入った。
彼はマーレイの前に出て、その逞しい体でマーレイをバルモアの視界から阻んだ。
「この男からは、妙に甘ったるい匂いがぷんぷんしている。阿片中毒だ」
確信を持って、サーフェスは口にする。高利貸しを営む彼は、時折、闇深い連中を相手にすることもあり、こういったことは熟知している。
「ま、まあ! 」
「彼の噂は私の耳にも届いていた。おそらく、悪い仲間に勧められるまま、手を染めたのだろう」
「そ、そんな! 何てこと! 」
よもやバルモアがそこまで堕ちていたなんて。
フローレンスという金蔓を失くした彼は、一体どこまで転落していくのか。
「ああ! つまらない女に引っ掛かって、マーレイを手放してしまったことを後悔している。僕は何て浅はかなことを! 」
バルモアはまるで三文芝居のような大袈裟な身振りで、マーレイへと手を差し出す。自業自得なのに、それを己の身に降りかかった悲劇へと転化して、マーレイの情に訴えてきた。
「フローレンスを選んだことや、お前との婚約を破棄した責任を負わされて、僕は父に勘当されたんだ。もう、僕には何も残っていない! 」
バルモアの父、ウィルソン子爵の怒りは計り知れない。たった一人の跡取りを追い出すくらいなのだから。
尤も、ウィルソン家がどれくらい保つかはわからないが。
マーレイは舞踏会での紳士らの噂話を思い出す。
バルモアは窪んだ目をカッと見開くと、マーレイを睨みつけてきた。
「せめて、お前だけでも手元に! 」
サーフェスに隠れたマーレイへと、勢いつけてバルモアが手を伸ばした。
涎を垂らし、顔は青ざめ、目は落ち窪み、ギロリと鋭く睨んでくる。袖から覗いた手は土色で骨が出っ張っていた。以前から痩せ気味だったが、今は異常だ。まさに、死神に取り憑かれた男だ。
「きゃあああああ! 」
恐怖がマーレイを支配する。
自分まで死神の餌食になりそうな錯覚。
咄嗟に叫んでいた。
「大丈夫だ! 」
サーフェスは体を反転させると、その逞しい胸に彼女を引き寄せ、強く抱きしめた。
「マーレイ! 」
サーフェスは彼女の名を呼んだ。
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