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華麗な美女
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仮面舞踏会は、いつになく賑やかだ。
館の正面には紋章の描かれたラッカーや漆塗りの馬車が順序良く並んでいる。
高位貴族から続き、ようやくかすみ草の紋章が描かれた黒塗りのラッカー車が停止した。
その馬車がから降りた、純白のドレスを着こなす乙女に、周辺にいた人々は貴族、使用人関係なく、一様にほう、と感嘆の息を漏らす。
「相変わらず物凄いお屋敷だこと」
当のマーレイは、その屋敷のあまりの豪勢っぷりに慄くばかりで、周囲の反応には微塵も気付いていない。
銀糸で薔薇の花が刺繍され、ふんだんにフリルの重なった膨らみのあるドレス。それを纏ったマーレイは、ふわりと地上に迷い込んだ妖精のようだ。
いつもは腰まで垂らした亜麻色の髪は、今夜は丁寧に結い上げられ、かすみ草のアクセサリーと対になった髪飾りが余計にそれを想起させる。
しずやかに広間へと入るその姿を、老若男女問わず人々は目で追った。
豪奢なシャンデリアが、淡くオレンジの光を注いでいる。
マーレイは人の多さに圧倒されるのを誤魔化すように、扇を広げるや口元を覆った。
そんな彼女の脇で、若い娘がひそひそと話している。
「ねえ、ご存知? 」
「何かしら? 」
「早朝に物凄い形相で馬を駆っていた男のことを」
「ああ。存じておりますわ。何でも目を血走らせて、鼻息荒く、一心不乱に馬の尻に鞭を打っていたとか」
「嫌だわ。王都もようやく治安が良くなってきたと言うのに」
王都は貧富の差が激しく、大通りを挟めば様相は一変する。
貧民街では酔っ払いが一日中怒鳴り、諍いを繰り返して、スリや誘拐、強姦が後を絶たない。
貴族がこうして優雅に踊っている最中にも、どこかで貧しさの余り野垂れ死んでいく者がいる。
女王に代替わりしたことで、数々の政策が打ち出され、貧富の差を縮めようとの動きがあり、治安は改善へと向かっている。
「ウィルソン家も、もう終わりだな」
ふと、どこからか聞こえてきた紳士の呟きに、マーレイはビクリと肩を揺すった。
ウィルソンとはバルモアの家だ。
「跡取り息子があれじゃあな」
「廃嫡も時間の問題だな」
紳士らはワイン片手に評している。
愛人のフローレンスが極秘裏に他国の王の愛玩となったことで、必然的に婚約は解消されて、バルモアへの援助は途切れた。マーレイと婚約中の頃から財産が底をついていたから、今更、どうにもならない。
ヤケになって酒に溺れるバルモアを想像し、マーレイは溜め息をついた。すでに彼に対して何の感情も起きない。
楽団の奏でる音がワルツとなる。
「レディ。是非とも私とダンスを」
「いや、私と」
「私の方が先だ」
「君達は遠慮したまえ。レディ、どうぞ私と一曲」
マーレイは慄いた。
このような事態は初めてだ。
いつもなら怜悧な雰囲気に周りの男らは圧倒され、あからさまに避けられていたというのに。たとえ仮面をつけようとも、隠せない。
それなのに、今夜は奇妙だ。
男らは羽蟻のようにマーレイに群がり、ダンスの順番を競っている。
戸惑っていると、また新たな手が差し出された。
見覚えのある、日焼けして浅黒い、節の張った手。
マーレイの体を優しく包み込んだ手だ。
「レディ。どうぞ私と」
仮面をつけたサーフェスは、他の男らより頭二つ分ほど抜きん出て背が高い。鳶色の髪。琥珀色の双眸。
サーフェスに間違いはない。
「ええ」
マーレイは迷いなく彼の手を取っていた。
ハッとしたときには、手遅れ。
彼はまるでマーレイに魔法をかけたかのごとく、意のままに操る。彼の低音は、抗うことすら忘れさせる。
館の正面には紋章の描かれたラッカーや漆塗りの馬車が順序良く並んでいる。
高位貴族から続き、ようやくかすみ草の紋章が描かれた黒塗りのラッカー車が停止した。
その馬車がから降りた、純白のドレスを着こなす乙女に、周辺にいた人々は貴族、使用人関係なく、一様にほう、と感嘆の息を漏らす。
「相変わらず物凄いお屋敷だこと」
当のマーレイは、その屋敷のあまりの豪勢っぷりに慄くばかりで、周囲の反応には微塵も気付いていない。
銀糸で薔薇の花が刺繍され、ふんだんにフリルの重なった膨らみのあるドレス。それを纏ったマーレイは、ふわりと地上に迷い込んだ妖精のようだ。
いつもは腰まで垂らした亜麻色の髪は、今夜は丁寧に結い上げられ、かすみ草のアクセサリーと対になった髪飾りが余計にそれを想起させる。
しずやかに広間へと入るその姿を、老若男女問わず人々は目で追った。
豪奢なシャンデリアが、淡くオレンジの光を注いでいる。
マーレイは人の多さに圧倒されるのを誤魔化すように、扇を広げるや口元を覆った。
そんな彼女の脇で、若い娘がひそひそと話している。
「ねえ、ご存知? 」
「何かしら? 」
「早朝に物凄い形相で馬を駆っていた男のことを」
「ああ。存じておりますわ。何でも目を血走らせて、鼻息荒く、一心不乱に馬の尻に鞭を打っていたとか」
「嫌だわ。王都もようやく治安が良くなってきたと言うのに」
王都は貧富の差が激しく、大通りを挟めば様相は一変する。
貧民街では酔っ払いが一日中怒鳴り、諍いを繰り返して、スリや誘拐、強姦が後を絶たない。
貴族がこうして優雅に踊っている最中にも、どこかで貧しさの余り野垂れ死んでいく者がいる。
女王に代替わりしたことで、数々の政策が打ち出され、貧富の差を縮めようとの動きがあり、治安は改善へと向かっている。
「ウィルソン家も、もう終わりだな」
ふと、どこからか聞こえてきた紳士の呟きに、マーレイはビクリと肩を揺すった。
ウィルソンとはバルモアの家だ。
「跡取り息子があれじゃあな」
「廃嫡も時間の問題だな」
紳士らはワイン片手に評している。
愛人のフローレンスが極秘裏に他国の王の愛玩となったことで、必然的に婚約は解消されて、バルモアへの援助は途切れた。マーレイと婚約中の頃から財産が底をついていたから、今更、どうにもならない。
ヤケになって酒に溺れるバルモアを想像し、マーレイは溜め息をついた。すでに彼に対して何の感情も起きない。
楽団の奏でる音がワルツとなる。
「レディ。是非とも私とダンスを」
「いや、私と」
「私の方が先だ」
「君達は遠慮したまえ。レディ、どうぞ私と一曲」
マーレイは慄いた。
このような事態は初めてだ。
いつもなら怜悧な雰囲気に周りの男らは圧倒され、あからさまに避けられていたというのに。たとえ仮面をつけようとも、隠せない。
それなのに、今夜は奇妙だ。
男らは羽蟻のようにマーレイに群がり、ダンスの順番を競っている。
戸惑っていると、また新たな手が差し出された。
見覚えのある、日焼けして浅黒い、節の張った手。
マーレイの体を優しく包み込んだ手だ。
「レディ。どうぞ私と」
仮面をつけたサーフェスは、他の男らより頭二つ分ほど抜きん出て背が高い。鳶色の髪。琥珀色の双眸。
サーフェスに間違いはない。
「ええ」
マーレイは迷いなく彼の手を取っていた。
ハッとしたときには、手遅れ。
彼はまるでマーレイに魔法をかけたかのごとく、意のままに操る。彼の低音は、抗うことすら忘れさせる。
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