上 下
76 / 112

心の底

しおりを挟む
「マーレイは? 」
 聞いてはいけない。
 きっと後悔するから。
 脳が警告音を発していたが、それでもマーレイは聞かずにはいられない。
「マーレイのことは? 」
 マーレイの問いかけに、サーフェスは緩く笑った。
「大切だよ。壊したくないと思う」
 それは彼なりの優しさだ。
 とても残酷な。
 彼はマーレイを愛しているとも愛していないとも言わない。
「マーレイを愛する可能性はないのですか? 」
 聞いてはいけないと、頭がわんわんと騒ぎ立てる。だが、マーレイはさらに詰め寄った。
「そうしたら、と同じになってしまう」
 サーフェスは瞼を閉じたままで、唇だけ吊り上げた。
? 」
「私を産んだ母だ」
 マーレイの頭に、あの強烈な母親が過る。
「母は恋にのめり込む性質でね。王女でありながら、騎士や商人、宰相、関わる男らと常に浮き名を流していた」
 派手な身なりや振る舞いは、だいぶと年季が入っている。おそらく、若い頃からあの調子なのだろうとは容易に想像出来た。
「第五王女という、後継から遠い存在だったからこそ、奔放に振る舞えたのだろうな」
 サーフェスは丸切り他人事のように、実母を評する。
「ある夏の日、彼女は一年ばかり田舎で療養することとなった。療養とは表向きで、母の振る舞いによって、女王陛下の婚姻話に水を差すことのないようにと、城から追い出されたんだ」
 急に語り始めたサーフェスに、マーレイは居住いを正した。
「その田舎で出会ったのが、高利貸しをしていた私の父だ」
 いつものサーフェスなら絶対に語ろうとしない内容。熱で朦朧としている今は、一度口を開けば自制がきかないらしい。
「私が言うのも何だが、父は王都の舞台俳優にも負けないハンサムでな。商人にしておくには勿体無いくらいの」
 マーレイは新しいタオルを絞ると、彼の額に乗っているものと取り替える。サーフェスを冷やしていたタオルは随分と温くなってしまっていた。
「浮ついた母が夢中にならないわけがない」
 軽蔑そのものといったように、声が沈む。
「父も王族らしくない、自由奔放な母にどんどん惹かれて」
 彼の言葉通り、淑女の嗜みなどおおよそ持ち合わせていなさそうなマルガリータは、見方を変えれば自由で生き生きと人の目には映るだろう。その都会的な快活さは、きっとどんな男も魅了されたはず。
「すぐに母の腹に私が宿った」
 サーフェスの顎が震える。
「許されるわけがない。だが、恋に溺れている母は産むといって聞かない。そうして私は闇に葬られず、この世に生み落とされてしまった」
 サーフェスは辛そうに奥歯を噛んだ。
 マーレイは思わず彼の右手を握りしめてしまった。
 熱を帯びた彼の手は、燃えるようだ。
「やがて母は王宮に戻り、私は母のいない子供として、父に育てられた」
 氷水に浸されたマーレイの手に心地良さを感じたのか。幾分、サーフェスの顔が和らぐ。
「お、お母様はその後は? 」
「すっかり熱が冷めて、私達のことは忘れていたよ。あの女は何事もなかったように、公爵家に嫁いだ」
 サーフェスは母に捨てられたようなものだ。
 そして彼はその事実を諦めを持って受け入れている。
 同じように母のいない子供としても、マーレイとサーフェスは随分と違う。
 マーレイの胸がぎゅう、と絞られた。
「女性に失望したから、今まで誰とも付き合わなかったのですね? 」
「そうだ」
 彼は断言する。
「付き合っても、すぐに心変わりするからな。女というやつは」
「全ての女性がそうであるとは限りませんわ」
「少なくとも、私の周りにいる女はそうだ」
 彼は女性に失望していた。
 だからこそ、ジゼルという幻影を愛した。幻影は彼を裏切ったりしない。君を利用した、と彼はに謝罪した意味がわかった気がする。
「マーレイは違います」
 握りしめた彼の手に力を込める。
 マーレイは彼の唇すれすれになるくらいに身を乗り出した。
「マーレイは、ずっとあなたを愛しますわ」
 それは一時の感情ではない。
 彼の過去を知り、ますます愛が強まったことを自覚する。
 少女のような淡い恋から、慈しみのあるより深いものへと。
「彼女の口からそれが聞けたならな」
 サーフェスは、あくまで彼女をジゼルと捉えている。
「だが、私は彼女には応えられない」
 今にも口付けしそうな距離を彼は拒み、顔を背けた。
「ジゼル、君を愛すると口にした以上、心変わりは許されない。そうなれば、私もと同類になってしまう」
 サーフェスは、何が何でもジゼルへの気持ちを貫き通すつもりだ。
 それは愛ではない。
 最早、意地だ。
「愚かだわ。つまらない枷を自分で嵌めて」
 彼は母と同じように、ふらふらとあちこち気持ちを傾けるようにはならないと、頑なだった。
「ああ。私が一番良くわかっている」
 まるで全てを放り出したように、ヤケクソ気味でサーフェスは頷く。
「もしジゼルが、あなたと付き合えないと言えば」
「私は独身を貫くよ」
 彼を覆う殻は硬い。
 そこにヒビを入れることすら出来ない。
 それほど彼の心の底は深く抉られていた。
 


しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

愛人がいらっしゃるようですし、私は故郷へ帰ります。

hana
恋愛
結婚三年目。 庭の木の下では、旦那と愛人が逢瀬を繰り広げていた。 私は二階の窓からそれを眺め、愛が冷めていくのを感じていた……

ある公爵の後悔

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
王女に嵌められて冤罪をかけられた婚約者に会うため、公爵令息のチェーザレは北の修道院に向かう。 そこで知った真実とは・・・ 主人公はクズです。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

【完結】第三王子殿下とは知らずに無礼を働いた婚約者は、もう終わりかもしれませんね

白草まる
恋愛
パーティーに参加したというのに婚約者のドミニクに放置され壁の花になっていた公爵令嬢エレオノーレ。 そこに普段社交の場に顔を出さない第三王子コンスタンティンが話しかけてきた。 それを見たドミニクがコンスタンティンに無礼なことを言ってしまった。 ドミニクはコンスタンティンの身分を知らなかったのだ。

そんなに妹が好きなら家出してあげます

新野乃花(大舟)
恋愛
エレーナとエーリッヒ伯爵が婚約を発表した時、時の第一王子であるクレスはやや複雑そうな表情を浮かべていた。伯爵は、それは第一王子の社交辞令に過ぎないものであると思い、特に深く考えてはいなかった。その後、エーリッヒの妹であるナタリーの暗躍により、エレーナは一方的に婚約破棄を告げられてしまうこととなる。第一王子のエレーナに対する思いは社交辞令に過ぎないものだと思っていて、婚約破棄はなんら問題のない事だと考えている伯爵だったが、クレスのエレーナに対する思いが本物だったと明らかになった時、事態は一変するのだった…。

処理中です...