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野蛮な金貸し
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間を置かず公爵からまたもやの呼び出しがあった。
ディアミッド商会の看板を横目に、広々とした玄関に入った途端、空気がピリッと変わった。
「おやおや。どちらへ旅行ですか? ワイズマンさん? 」
向かって左側のドアが半分開いている。
先日見た執務室があった。
がりがりに痩せた男の両脇を屈強な男二人が掴み上げ、彼らの正面には腕組みしたサーフェスが、胡乱に首をこきこき鳴らしている。
「羽を伸ばすのは結構ですがね。うちの借金を綺麗にしてからにしてくださいよ」
昏く翳る微笑を口元に張り付かせながら、サーフェスは淡々と述べた。
「み、見逃してくれ! 」
ワインズマンと呼ばれた男は胸元で手を組み、祈るようなポーズを取る。
それを冷ややかに一瞥するサーフェス。
「おや? 鼻に虫が止まっていますね? 」
言うなり、鼻面に拳を見舞った。
たちまちワイズマンの顔面が陥没し、鼻血が床に飛び散った。
真っ赤な飛沫を頬に浴びたサーフェスは、顔色一つ変えずに手の甲でそれを拭うと、フンと鼻を鳴らした。
「この世には神などいない」
サーフェスへ無表情で、ワインズマンの脛を蹴った。
「軽々しく神に縋るやつは、大嫌いだ」
がくりと崩れたワインズマンは、屈強なサーフェスの部下に支えてもらわなければ、立つことすらままならない。殴られた拍子に、大半の意識を飛ばしてしまっている。
「ひっ! ひいいい! 」
ドアに凭れて、マーレイは喉をひくつかせた。
箱入り娘の貴族令嬢にとって、暴力的な場面は日常から切り離されている。
マーレイの知る世界は、穏やかに、退屈に繰り返される日々のみ。女夫人として恥じない教育、趣味の刺繍、小腹を満たすためのティータイムの甘い菓子。
そこに血生臭さは存在しない。
「あ、悪魔だわ! 」
絵本の挿絵で見た悪魔が、サーフェスと被った。
堕天した悪魔ルシファ。天使達の中で最も美しかったが、想像主である神への謀反により地に堕ちた。
彼こそまさにルシファの化身。
マーレイは、ガタガタと小刻みに震えるものの、悪魔に魅了されて目が離せない。
「裏で少しばかり可愛がってやれ。二度と逃げようなど思わないようにな。その後は、奴隷船にでも売っ払え。今、あっちでは疫病が流行って人手が足りていないようだからな」
残酷な台詞を澱みなく口にする男は、ワインズマンを拘束した部下らが庭へと続くドアを開けて出ていく後ろ姿を見送ってから、鬱陶しそうに髪を掻き上げた。
その横顔がまさに芝居の案内の挿絵のようで、うっかり見惚れてしまい、劇場の新たな演目を思い返した。次の芝居見物が待ち遠しい。
「さて。お嬢さん」
そんなふうに、劇場の看板俳優を思い起こしていたから、サーフェスが目の前に来ていることに気づくのが遅れた。
「私のどこが悪魔だ? 」
マーレイの体に影が落ちる。マーレイは貴族の腑抜けらより背が高い方であるが、サーフェスは彼女を遥かに凌ぐほど大きい。
「き、聞こえていたのですか」
「丸聞こえだ」
気怠げにドアに寄りかかりながら、サーフェスはくっと喉を鳴らした。
しっかり呟きを拾われていたことに、最早、言い訳の仕様がない。
「ひ、人を貶めて。ぼ、暴力で組み敷くなど」
「失敬な。私は正当な応酬をしたまでだ」
心外だと、サーフェスは鼻に皺を寄せた。
「だ、だからといって」
「踏み倒そうとする輩をみすみす逃していたら、歯を食い縛って真面目に返済している者がバカを見るだろう? 」
「い、いつか恨みを買って刺されるわ」
「忠告は胸に留めておこう」
悪魔はせせら笑う。
「あ、あなた。本当に公爵? 」
思わずマーレイは溢してしまった。
本来なら身分ある者に対して、決して口にしてはいけない言葉だ。
だが、目の前にいる男には、貴族としての奥ゆかしさは見当たらない。
喋り方こそ慇懃だが、態度は中産階級の、しかも悪どい商売人だ。
「うん? 私はれっきとしたシェカール家の筆頭だ」
失礼なマーレイの問いかけに対しては怒る素振りもなく、むしろ可笑しそうに悪魔は皮肉っぽく頬を歪めた。
ディアミッド商会の看板を横目に、広々とした玄関に入った途端、空気がピリッと変わった。
「おやおや。どちらへ旅行ですか? ワイズマンさん? 」
向かって左側のドアが半分開いている。
先日見た執務室があった。
がりがりに痩せた男の両脇を屈強な男二人が掴み上げ、彼らの正面には腕組みしたサーフェスが、胡乱に首をこきこき鳴らしている。
「羽を伸ばすのは結構ですがね。うちの借金を綺麗にしてからにしてくださいよ」
昏く翳る微笑を口元に張り付かせながら、サーフェスは淡々と述べた。
「み、見逃してくれ! 」
ワインズマンと呼ばれた男は胸元で手を組み、祈るようなポーズを取る。
それを冷ややかに一瞥するサーフェス。
「おや? 鼻に虫が止まっていますね? 」
言うなり、鼻面に拳を見舞った。
たちまちワイズマンの顔面が陥没し、鼻血が床に飛び散った。
真っ赤な飛沫を頬に浴びたサーフェスは、顔色一つ変えずに手の甲でそれを拭うと、フンと鼻を鳴らした。
「この世には神などいない」
サーフェスへ無表情で、ワインズマンの脛を蹴った。
「軽々しく神に縋るやつは、大嫌いだ」
がくりと崩れたワインズマンは、屈強なサーフェスの部下に支えてもらわなければ、立つことすらままならない。殴られた拍子に、大半の意識を飛ばしてしまっている。
「ひっ! ひいいい! 」
ドアに凭れて、マーレイは喉をひくつかせた。
箱入り娘の貴族令嬢にとって、暴力的な場面は日常から切り離されている。
マーレイの知る世界は、穏やかに、退屈に繰り返される日々のみ。女夫人として恥じない教育、趣味の刺繍、小腹を満たすためのティータイムの甘い菓子。
そこに血生臭さは存在しない。
「あ、悪魔だわ! 」
絵本の挿絵で見た悪魔が、サーフェスと被った。
堕天した悪魔ルシファ。天使達の中で最も美しかったが、想像主である神への謀反により地に堕ちた。
彼こそまさにルシファの化身。
マーレイは、ガタガタと小刻みに震えるものの、悪魔に魅了されて目が離せない。
「裏で少しばかり可愛がってやれ。二度と逃げようなど思わないようにな。その後は、奴隷船にでも売っ払え。今、あっちでは疫病が流行って人手が足りていないようだからな」
残酷な台詞を澱みなく口にする男は、ワインズマンを拘束した部下らが庭へと続くドアを開けて出ていく後ろ姿を見送ってから、鬱陶しそうに髪を掻き上げた。
その横顔がまさに芝居の案内の挿絵のようで、うっかり見惚れてしまい、劇場の新たな演目を思い返した。次の芝居見物が待ち遠しい。
「さて。お嬢さん」
そんなふうに、劇場の看板俳優を思い起こしていたから、サーフェスが目の前に来ていることに気づくのが遅れた。
「私のどこが悪魔だ? 」
マーレイの体に影が落ちる。マーレイは貴族の腑抜けらより背が高い方であるが、サーフェスは彼女を遥かに凌ぐほど大きい。
「き、聞こえていたのですか」
「丸聞こえだ」
気怠げにドアに寄りかかりながら、サーフェスはくっと喉を鳴らした。
しっかり呟きを拾われていたことに、最早、言い訳の仕様がない。
「ひ、人を貶めて。ぼ、暴力で組み敷くなど」
「失敬な。私は正当な応酬をしたまでだ」
心外だと、サーフェスは鼻に皺を寄せた。
「だ、だからといって」
「踏み倒そうとする輩をみすみす逃していたら、歯を食い縛って真面目に返済している者がバカを見るだろう? 」
「い、いつか恨みを買って刺されるわ」
「忠告は胸に留めておこう」
悪魔はせせら笑う。
「あ、あなた。本当に公爵? 」
思わずマーレイは溢してしまった。
本来なら身分ある者に対して、決して口にしてはいけない言葉だ。
だが、目の前にいる男には、貴族としての奥ゆかしさは見当たらない。
喋り方こそ慇懃だが、態度は中産階級の、しかも悪どい商売人だ。
「うん? 私はれっきとしたシェカール家の筆頭だ」
失礼なマーレイの問いかけに対しては怒る素振りもなく、むしろ可笑しそうに悪魔は皮肉っぽく頬を歪めた。
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