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猛勉強する乙女

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「まあ、何て愚かな真似を」
 開口一番のケアランの呆れた声に、マーレイは項垂れたきり頭が上げられない。
「お嬢様。よくも、そのような馬鹿馬鹿しいお話をお受けされましたね」
 シェカール公爵邸から帰って早々に、マーレイはケアランに助けを求めた。 
 公爵は恋愛経験ゼロと暴露したが、マーレイも同様だ。悪役令嬢として異性から遠ざけられている。
 そんな自分が恋愛指南など。
「愚かだとは、百も承知よ」
 夕食前の召替えで、髪を整えるために鏡台の前に座っていたマーレイは、鏡越しに盛大な溜め息をつくケアランをムッと睨みつけた。
「だけど、断れるはずないじゃない。ヴィンセント家を叩き潰すなどと脅されてしまっては」
 マーレイの亜麻色の直毛に櫛を通すケアランに向かって、子供っぽく口を尖らせる。
「公爵はお嬢様を百戦錬磨の恋愛の達人だと誤解なさっておいででしょう? 」
「そうよ」
「閨のあれこれもお聞きしたいと? 」
「ええ」
「男性と手すら握ったことのないお嬢様に」
「悪かったわね」
 幾ら本当のことといえど、言葉にされては厳しいものがある。
「そのようなお方が、恋愛の手解きなど」
 ケアランは、仕方なさそうに肩で息をついた。
「どうすれば良いかしら。ねえ、ケアラン」
 一掬いした髪を器用に三つ編みにする指先を見つめながら、マーレイは長い睫毛を伏せる。
 ケアランにまで強がる必要はない。
 マーレイは素直に不安を口にする。
「お任せください、お嬢様」
 三つ編みを終えたケアランは、拳でどんと胸を叩いた。彼女のふくよかな胸がぷるんと揺れた。
「このケアランが、お嬢様を一流の恋愛達人者にしてみせます」
 自信満々に胸を反らすと、肉付きの良い頬がたわんだ。
 マーレイのレディーズメイドになって以来、伯爵家の食事が良いからか、ケアランはどんどん肥えていき、今やマーレイの一.五倍は幅がある。
 肉感的な容姿が男性を惹きつけるのか、はたまた巧みな経験からか、彼女は男性との情事に事欠かない。
 マーレイの知らない世界をよく知っている頼もしい女性だ。


 夕食を終えたマーレイは、ダンスのレッスンに使う一室にいた。
 赤いベルベットの絨毯が敷き詰められ、家具といえば三人掛けの布張りソファ一つだけ。他は一切片付けられている。
 まさに縦横無尽に動き回れる、ダンスをするためだけの部屋だ。
「まずは、殿方に慣れなくては」
 ケアランは片目を瞑って言い聞かせた。
 取り敢えず知識の豊富な彼女に従うのが賢明だ。マーレイは神妙に頷く。
「まずはダンスのレッスンという名目で、殿方と触れ合いましょう」
 男性の手に触れるたびに、いちいち「きゃっ」と悲鳴をあげていられない。
「ケアラン。私、ダンスのレッスン相手は女性の先生だったのよ」
「それがどうなさいましたか? 」
「そ、そんな。唐突に男性相手なんて」
「ですが、仮面舞踏会で公爵と踊られたのでしょう? 」
「そ、それは。あのときは何故か心が寛いで」
「バルモア様とは? 」
 いきなり名前を持ち出され、マーレイは顎を引いた。
 涙を流すほど悔しい思いをしたというのに、記憶からすっかり彼の存在が抜け落ちてしまっていたことに、今になって気づく。
「理由をつけて私と踊ることを拒否されたわ」
 さすがに口にこそ出さなかったものの、悪役令嬢に求婚していることを大勢の貴族に晒されるのをバルモアが厭っていたのは明らかだった。
 代わりに、他所の令嬢とダンスを楽しんでいた。
 思い返せば、その令嬢の中でもフローレンスと踊っていた頻度が高い。
 初めから彼はフローレンスに狙いをつけていたのだ。
 即ち自分こそが予備だったのだ。
 忘れていたはずの怒りが沸々蘇る。
 マーレイは固く拳を握り締めた。
「でしたら尚更、殿方の体に慣れなくては」
 そんなマーレイの内心など気にする素振りも見せず、ケアランは話を進めた。

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