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王子様の正体

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 マーレイは正体不明の彼に釘付けだ。
 ふと視線を感じたらしい男は、庭先へと続くドアの方に伶俐な目を向けるなり、眇めた。
 バチリと目が合う。
「おい。何故、ここに通した? 奥で待つようにと命じたはずだが? 」
 御者は命令をすっかり失念していたらしく、あっと声を上げた。
「まあ、良い。ヴィンセント伯爵令嬢を奥へ通せ。ここは血生臭さ過ぎる」
 男は忌々しそうに舌打ちしてから、改めて御者へ命じた。


 通された部屋は紺碧に統一されており、昼間の穏やかな海を想起させた。
 鮮やかな青のダマスク柄の壁紙。アラベスク紋様のペルシャ絨毯。蔓模様が彫られたマホガニー材のテーブルには、繊細なカットガラスの器に色とりどりのキャンディが盛られている。
 テーブルと同じデザインの三人掛けの布張りのソファに、促されるまま腰を下ろしたマーレイは、案内人を兼ねた御者に問いかけた。
「あ、あの。あの方は? シェカール公爵はどちらに? 」
 この屋敷で我が物顔で振る舞う不可思議な金貸しの男はいたが、肝心の年寄りの姿は見えない。大物は屋敷の奥に控えているのだろうか。
 御者はヒョイと眉を上げた。何を言っているのだ、と言わんばかりに。
「あの方がシェカール公爵サーフェス・ディアミッド・マクラバー様です」
 淡々と告げる。
 マーレイはポカンと口を開いた。
「う、嘘でしょう? 」
 ようやく喉から出た声は掠れてハスキーだ。
 公爵、しかも王太子の従兄弟という高貴な人物が商いをしているばかりか、しかもそれが高利貸など、前代未聞だ。
 その上、七十近い偏屈な老爺とばかり思っていたら、まだ二十代後半から三十代初めの美丈夫な青年だなんて。
 マーレイの脳は現実を処理し切れない。
「残念だが、私は正真正銘のサーフェス・ディアミッド・マクラバーだ」
 風がマーレイの前を横切った。
 彼は素早い仕草で一人掛けソファにどかっと座る。
 入れ替わるように、御者がそそくさと部屋から逃げた。
 ふかふかのベルベットの座面は本来なら居心地良いはずなのに、マーレイはもぞもぞと落ち着かない。
 目の前にいる公爵の、値踏みするような視線のせいだ。
 彼の琥珀の瞳の中に映る己の姿は、みっともないくらいそわそわと肩を揺すっていて、マーレイは慌てて扇で顔を隠した。
「な、何故、公爵ともあろう方が、高利貸しなどされているのですか? 」
 口をついて出たのは、自分でも呆れるくらいに動揺で掠れた声。
「今の世の中、貴族が商いをしていても何ら不思議ではない」
 サーフェスは不快を露わに鼻に皺を寄せた。
「で、ですが。高利貸しなど、野蛮な」
 芝居では高利貸しは悪役が相場だ。
「野蛮だと? 」
 ギロリと野生的な双眸で睨みつけられた。
「職業に優劣はない」
 きっぱりと彼は言い切る。
 そのあまりの堂々とした態度に、マーレイは尻を後ろにずらした。
 牙を剥いた相手から、頭を齧られてしまうのではないかと本気で思った。
「た、確かにそうですが」
「私はこの商いに誇りを持っている」
 決して興味本位で手を染めているわけではない。
「も、申し訳ありません。口が過ぎましたわ」
 彼の商いに対する本気度を見て、マーレイは素直に頭を下げた。
「ふん。成程な」
 顎を撫でながらしばらくマーレイを観ていたサーフェスは、ポツリと呟いた。
「噂とは当てにならないな」
「何がですか? 」
「ヴィンセントの悪役令嬢は、決して頭を下げない自尊心の高い、いけすかない女だと聞いていたが」
「なっ! 無礼な! 」
 カッとマーレイの頭に血が昇る。扇を閉じると、怒りで引き攣る顔を晒した。
「私が言ったのではない。あくまで社交界に出回る噂だ」
「あ、あなたはそのようなくだらない話を信用しているのですね! 」
 マーレイはキーッと歯を食い縛り、耳から湯気を吹かんばかりにだんだんと靴先を絨毯に打ちつけた。
「まあ、そういきり立つな。猿のように顔が真っ赤だぞ。せっかくの美貌が台無しだ」
 サーフェスは表情一つ動かさず、足を組み替える。
「レディに対して猿のようなどと。無礼にも程がありましてよ」
 猿のようだと揶揄しつつ、美貌が台無しだと平然と言ってのける男に、マーレイは奥歯を噛み締め、アーモンド型の目を尖らせた。

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