【完結】婚約破棄された悪役令嬢は童貞公爵様の恋愛指南役となる

晴 菜葉

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公爵からの呼び出し

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「マーレイ! マーレイ! 」
 朝っぱらから父のキンキンとやかましい声に、マーレイはもう何度目になるかわからない溜め息をついた。
 今朝は朝食を待たずして父が騒がしい。
 ロカイユ装飾の大きな姿見に映っているのは、薄紫の飾り気のないドレスに袖を通す自分と、背中のボタンを嵌めていくレディーズメイドのケアランの半笑い。
「マーレイ! 」
 どんどんどんどんと、やかましくドアを叩く。
「お待ちになって。もうドレスのボタンが留まりますから」
「そんなもの待っていられるか! 」
「お父様。幾ら親子といえど、いけません」
 父といえど、異性に肌を晒すなど言語道断。
 ピシャリと言ってのけた娘に、ようやく父は大人しくなった。
「旦那様ったら。今朝は一段と騒がしいですね」
 最後のボタンを留め終えてから、ケアランは不思議そうに首を傾げた。
 レディーズメイドとは、レディの衣装選びから着付け、髪結といった全ての身の回りを任された上級使用人だ。主に若い女性が選ばれて、ケアランもマーレイの二つ上だ。
「また、うるさいお説教かしらね」
 鏡越しにマーレイはケアランに苦笑いで答える。
 年が近いゆえ、マーレイはケアランに対して心を砕いている。まるで姉のように。
 兄はマーレイとは一回り歳が違うし、物心ついた頃にはすでに寄宿学校に入り、卒業後は子爵位を得て、口うるさい父と自尊心の塊の妹を毛嫌いして別宅に入り浸っているので、ほとんど顔を合わせたことがない。
 母の葬儀で久々に会った兄は、少々前髪の寂しくなった中年男性になっていた。
 そんなわけで、ほぼ一人っ子同然のマーレイが、距離の近いケアランを姉のように慕うのはごく自然の成り行きだった。
「お父様。お入りになってもよろしくてよ」
 言い終わらないうちにドアが開いた。
 いつにも増して興奮気味の父は、鼻息荒く頬を紅潮させている。ヅカヅカと靴音を鳴らしながら大股でマーレイに歩み寄った。
「朗報だ! 」
 父は真っ白の封筒を突き出す。
 アイリスの花が金箔で描かれた高級な代物。
「シェカール公爵からだ! 」
 父の鼻息で、化粧台に置かれていた白粉が飛んだ。
 シェカール公爵とは、先日の仮面舞踏会の主催者だ。
 確か、王太子とは従兄弟にあたる、由緒正しい方。
 どのような容貌なのかは、わからない。王族に近しい方とは、伯爵家といえどおいそれと近づけたりは出来ないから。
 公爵に関するマーレイの知識といえばそれくらいで、接点など全くない。
「その公爵様が、どうなさいまして? 」
「お前に、すぐに屋敷に来いとの通達だ! 」
「私、何か気に障るようなこといたしましたかしら? 」
 公爵に呼びつけられる謂れはない。
「逆だ! 」
 興奮して父は目をカッと見開いた。ただでさえ怖い顔が、さらに震え上がるくらいの形相となる。
「お前でなければならない用らしい! 」
 マーレイでなければならないこととは、如何に? 
「何だか怖いわ」
 ぶるっと身を震わせる。
 悪い予感はしないものの、公爵の意図が読めないのは不気味だ。
「馬鹿者! これは神が使わした好機だ! 」
 熱心な崇拝者でもあるまいし、父は天を仰いで十字を切る。
「きっと、お前を見初めたんだ! 」
「まさか」
 マーレイはつい鼻で笑ってしまった。
「いや。そうとしか考えられない」
「いつ見初める機会がありまして? 」
「仮面舞踏会でだ」
「公爵様とは顔すら合わせていないのに? 」
「お前を遠巻きに見ておったのだ、きっと」
「大広間には入っておりませんのよ、私」
「到着した馬車から降りたばかりを」
「無理がありましてよ」
 この国の貴族は王族公爵を始め、公爵、侯爵、子爵、男爵の他、一代男爵や騎士を合わせて軽く七百を越える。
 仮面舞踏会に招待されていたのがそのうちの三分の一といえど、数多いる貴族の令嬢の中からマーレイに的を絞るなど、どう考えてもあり得ない。
 都合の良い父の思考回路に、マーレイは溜め息しか出ない。
「と、とにかく! これは起死回生、汚名挽回の最後の好機だからな! 」
 マーレイの冷めた視線には挫けず、父は声を張り上げた。
「大袈裟な」
 サラサラの亜麻色の髪にケアランが櫛を通すのを鏡の中で見ながら、その背後で息巻く父へ素っ気ない一言。
「マーレイ! 愚図愚図してはいられないぞ! このままでは、あっという間に適齢期を越えてしまうぞ! 」
 父はどうあっても己の意見を貫きたいらしい。
「良いか、マーレイ! 何としてでもシェカール公爵を競り落とせ! 」
「お父様。公爵は馬ではありませんのよ」
「馬だろうと何だろうと、他の女に横から掻っ攫われるようなことがあってはならん! 」
 父は公爵のことを、娘を孕ませる種馬としか見ていないのだろうか。
「お前はエイスティンに似て、かなりの美貌だ。胸が小さいのは置いておいて」 
「余計なお世話です」
「エイスティンは社交界の薔薇と渾名されるほど、匂い立つ色香を放ち、お前を産んでも求婚が耐えなかった。お前もその血を受け継いでいるはずだ。何としてでも、公爵をその匂いで誘え」
「人をハエ取り草のように」
 マーレイの母であるヴィンセント伯爵夫人エイスティンの美貌は、未だに父の口から語られる。薔薇のような芳醇な香りが老若男女問わず人を惑わせ、彼女が微笑む相手は誰しもが腰砕けになったとか。
 多分に父の誇張であるのはわかるが、腰砕けになりながらも必死にアピールして、砂漠の薔薇を射止めた父の愛は果てしなく深く、後を絶たない後妻の話を蹴って、亡くなって八年を経ようと一途に愛を貫き通している。
 そんな父の母への妄執は、マーレイを余計に冷ややかにさせた。
 両親が特殊なだけであり、現実は世知辛いと。
 物心つく頃には、自分には母のようななど現れないのだと、マーレイはすっかり諦めていた。
「良いか、マーレイ! これは命令だ! 何としてでも公爵を堕とせ! 」
 娘だけのの存在を何としてでも探し出すために、ヴィンセント伯爵は今日も必死だ。
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