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堪忍袋の緒
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「僕は君の仕打ちにはもう耐えられない」
バルモアは好き勝手に告げた。
マーレイの嘆きなど、ちっともわからずに。
「仕打ち? 何を言っているの? 」
マーレイの整った眉がぴくりと動く。
「フローレンスを知っているだろ? 」
知らない女性の名前が出て、ヒヤリと嫌な予感が掠める。
「フローレンス? どなた? 」
問いかけると、バルモアは心底嫌そうに顔をしかめた。
「惚けるな」
いつもの甘ったれた坊ちゃんは、怖い顔をして前のめりになる。
マーレイはそんな彼のつむじを冷ややかに見下ろした。
「フローレンスから話は聞いている。君はその美貌を使って、数多の男を誘惑しているそうじゃないか」
「な、何を言っているの? 」
「まだ白を切るつもりか? 」
「全く話が読めないわ」
「僕に隠れて、何人の男と一夜限りの火遊びをしてきた? して良いことと悪いことの区別もつかないのか? 」
「だから何のこと? 」
さっぱり話が読めなくて、マーレイは苛立ちを思い切り顔に出した。
アメジストのように輝く瞳が鋭くなる。
バルモアはビクリと肩を揺すったものの、またもや首を振って気を奮い立たせた。
「今や社交界では、僕は皆んなの笑われ者だ。男達の使い古しを娶ると」
それは近頃広がっている事実無根の悪評だ。
とうとうマーレイの堪忍袋の緒が切れた。
「いい加減にしてちょうだい! 」
あまりの声の大きさに室内はビリビラと振動し、テーブルが微かにずれた。
「証拠もないのに、よくもそんな一方的な話を信じられるものね! 」
ダン、と踵で絨毯を叩けば、ますますテーブルは位置をずらした。
マーレイは扇を閉じるや、仁王立ちになり、扇の先を彼の顎先に突きつける。
「根も葉もない噂を信じるなんて! 」
びくびく、とバルモアの全身が筋肉が揺れた。
「フローレンスが嘘をついているって言うのか? 」
「そうよ」
即答してやる。
「あなた、ご自分の立場をお忘れ? あなたの家に援助しているのは、我が伯爵家なのよ? 」
喉仏すれすれに扇の先で迫られ、バルモアは汗を浮かべ何やらモゴモゴと口中で文句を留める。
「私との婚約破棄をすると言う、その意味をわかっていて? 」
さらにマーレイは畳み掛けた。
バルモアの家は代々の浪費が嵩んで、今や家計は火の車。婚約者の実家であるヴィンセント伯爵家の援助がなければ、暮らしが成り立たない。
即ちバルモアは金で買われた身の上。
偉そうにマーレイに詰め寄る立場ではないのだ。
「残念だけど。マーレイ、君は用無しだ」
「何ですって? 」
「君の家の援助は必要なくなったってことだよ」
どうやら、ハッタリではないらしい。
いつもオドオドビクビクしているバルモアらしからぬ、強い口調だ。
「フローレンスはグリニッジ商会の一人娘。片や君は伯爵家令嬢といえど、次期伯爵はあなたの兄が継ぐ」
マーレイは、ぐっと顎を引いた。
マーレイは伯爵家の跡は継げない。
どの貴族もそうだが、娘しかいない家は婿を取るのが定石だが、嫡男のいる場合、その家の娘は他の貴族に嫁いだり、裕福な商家の嫁になったりと、外に出て行くのが昔からの習わし。時折、家庭教師やら手に職をつけて独身を貫く者もいたりしたが。
伯爵令嬢を気取るマーレイも例外ではない。
マーレイは伯爵家の庇護の下、バルモアの尻を叩いて商売をさせるか、伯爵領の分け与えられた領地管理をするか、いづれかしか選択肢はない。
「この意味がわかるか? マーレイ? 」
「よくわかったわ」
つまりバルモアには、いつまでたっても自由は与えられないということ。
「結局のところ、あなたはグリニッジ商会の入婿を選んだわけね」
貴族のぎちぎちに縛られたルールの中で、肩身の狭い思いを死ぬまで続けるのは、甘ったれ坊ちゃんには耐えられないだろう。
しかも、根も葉もない噂を妄信して、結婚を回避したいなんて。
そもそも婚姻を迫って来たのは、バルモアの方なのに。借金取りに追われる毎日は嫌だと、情けなくもマーレイの足に縋りついてまで、プロポーズしてきたのだ。
あんまり可哀想で、情けなくて、つい絆されてしまったのが、そもそもの間違いだった。
「そもそも私に直接告げるのは、無礼極まりないわ。ヴィンセント伯爵家に申し入れてちょうだい」
マーレイは扇で顔を隠す。
この情けない男に情など湧くわけがない。
眦に溜まるのは、プライドを傷つけられた悔し涙だ。
バルモアは好き勝手に告げた。
マーレイの嘆きなど、ちっともわからずに。
「仕打ち? 何を言っているの? 」
マーレイの整った眉がぴくりと動く。
「フローレンスを知っているだろ? 」
知らない女性の名前が出て、ヒヤリと嫌な予感が掠める。
「フローレンス? どなた? 」
問いかけると、バルモアは心底嫌そうに顔をしかめた。
「惚けるな」
いつもの甘ったれた坊ちゃんは、怖い顔をして前のめりになる。
マーレイはそんな彼のつむじを冷ややかに見下ろした。
「フローレンスから話は聞いている。君はその美貌を使って、数多の男を誘惑しているそうじゃないか」
「な、何を言っているの? 」
「まだ白を切るつもりか? 」
「全く話が読めないわ」
「僕に隠れて、何人の男と一夜限りの火遊びをしてきた? して良いことと悪いことの区別もつかないのか? 」
「だから何のこと? 」
さっぱり話が読めなくて、マーレイは苛立ちを思い切り顔に出した。
アメジストのように輝く瞳が鋭くなる。
バルモアはビクリと肩を揺すったものの、またもや首を振って気を奮い立たせた。
「今や社交界では、僕は皆んなの笑われ者だ。男達の使い古しを娶ると」
それは近頃広がっている事実無根の悪評だ。
とうとうマーレイの堪忍袋の緒が切れた。
「いい加減にしてちょうだい! 」
あまりの声の大きさに室内はビリビラと振動し、テーブルが微かにずれた。
「証拠もないのに、よくもそんな一方的な話を信じられるものね! 」
ダン、と踵で絨毯を叩けば、ますますテーブルは位置をずらした。
マーレイは扇を閉じるや、仁王立ちになり、扇の先を彼の顎先に突きつける。
「根も葉もない噂を信じるなんて! 」
びくびく、とバルモアの全身が筋肉が揺れた。
「フローレンスが嘘をついているって言うのか? 」
「そうよ」
即答してやる。
「あなた、ご自分の立場をお忘れ? あなたの家に援助しているのは、我が伯爵家なのよ? 」
喉仏すれすれに扇の先で迫られ、バルモアは汗を浮かべ何やらモゴモゴと口中で文句を留める。
「私との婚約破棄をすると言う、その意味をわかっていて? 」
さらにマーレイは畳み掛けた。
バルモアの家は代々の浪費が嵩んで、今や家計は火の車。婚約者の実家であるヴィンセント伯爵家の援助がなければ、暮らしが成り立たない。
即ちバルモアは金で買われた身の上。
偉そうにマーレイに詰め寄る立場ではないのだ。
「残念だけど。マーレイ、君は用無しだ」
「何ですって? 」
「君の家の援助は必要なくなったってことだよ」
どうやら、ハッタリではないらしい。
いつもオドオドビクビクしているバルモアらしからぬ、強い口調だ。
「フローレンスはグリニッジ商会の一人娘。片や君は伯爵家令嬢といえど、次期伯爵はあなたの兄が継ぐ」
マーレイは、ぐっと顎を引いた。
マーレイは伯爵家の跡は継げない。
どの貴族もそうだが、娘しかいない家は婿を取るのが定石だが、嫡男のいる場合、その家の娘は他の貴族に嫁いだり、裕福な商家の嫁になったりと、外に出て行くのが昔からの習わし。時折、家庭教師やら手に職をつけて独身を貫く者もいたりしたが。
伯爵令嬢を気取るマーレイも例外ではない。
マーレイは伯爵家の庇護の下、バルモアの尻を叩いて商売をさせるか、伯爵領の分け与えられた領地管理をするか、いづれかしか選択肢はない。
「この意味がわかるか? マーレイ? 」
「よくわかったわ」
つまりバルモアには、いつまでたっても自由は与えられないということ。
「結局のところ、あなたはグリニッジ商会の入婿を選んだわけね」
貴族のぎちぎちに縛られたルールの中で、肩身の狭い思いを死ぬまで続けるのは、甘ったれ坊ちゃんには耐えられないだろう。
しかも、根も葉もない噂を妄信して、結婚を回避したいなんて。
そもそも婚姻を迫って来たのは、バルモアの方なのに。借金取りに追われる毎日は嫌だと、情けなくもマーレイの足に縋りついてまで、プロポーズしてきたのだ。
あんまり可哀想で、情けなくて、つい絆されてしまったのが、そもそもの間違いだった。
「そもそも私に直接告げるのは、無礼極まりないわ。ヴィンセント伯爵家に申し入れてちょうだい」
マーレイは扇で顔を隠す。
この情けない男に情など湧くわけがない。
眦に溜まるのは、プライドを傷つけられた悔し涙だ。
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❇❇❇❇❇❇❇❇❇
2024年12月追記
お読みいただき、ありがとうございます。
こちらの作品は完結しておりますが、番外編を追加投稿する際に、一旦、表記が連載中になります。ご了承ください。
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