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至上最悪な日
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ヴィンセント伯爵令嬢マーレイは、このまま気絶すればどんなに楽だろうと思ったが、生憎と自分の神経は肝心なところでかなり図太いようだ。
「あの? もう一度言ってくださる? 」
半笑いの不気味な笑顔になっていようが、この際、構っていられない。
仮面舞踏会が執り行われている大広間が、渡り廊下を挟んだ隣の建屋だということが、せめてもの救いだ。
大勢の前で大恥をかかされるよりは、よっぽどマシ。
そんなことを思いながら、マーレイは婚約者であるハミルトン子爵家次男のバルモアを見据えた。
仮面から覗く濃い紫の瞳が鋭く尖る。
バルモアは栗色のくせのある髪をしきりに撫で付けながら、マーレイの視線を居心地悪そうに受け止めた。
「だから、君との婚約破棄を願いたい」
やはりバルモアの口から出て来たのは、先程と同じ台詞。
空耳ではない。
「な、何故かしら? 」
動揺を悟られぬようレースの扇子で口元を隠しながら、背筋を正す。
マーレイが背筋をピンと伸ばせば、バルモアの身長を余裕で五センチは越す。今はヒールの高い靴を履いているから、十センチは上だ。
界隈では悪し様に「大女」だと男女問わず陰口を叩かれているのは知っているが。
決してマーレイが大きいわけではない。
この国の貴族ときたら、贅沢三昧で体を鍛えることもせず自堕落な生活を送っているから、栄養が偏って成長を著しく阻害して、背が低くて肥満気味なのだ。
バルモアは痩せてはいるが、偏食がひどくて体は薄っぺらい。肌の色も病的に青白く、いつも目の下に大きな隈を作っている。
「答えなさい。バルモア」
マーレイは低めの声で詰問する。
それがバルモアを怯ませるとわかっていながら。
虚勢を張っていないと、今にも泣き出してしまいかねないから。
「貴族の婚姻は当人同士のものではなくてよ? 両家の強い結びつきの上に成り立っているのよ? あなたも子爵家の次男ならわかっているのではなくて? 」
我ながら高飛車な言い方だが、今やマーレイに残されているのは気位の高さしかない。
破棄は嫌だと泣いて縋り付くくらいの可愛らしさがあれば、きっとこのような展開にはなっていない。
「それを踏まえた上で、あなたはこの私……いいえ、ヴィンセント伯爵家に喧嘩を売るおつもり? 」
口をついて出てくるのは、バルモアを押さえつけるようなものばかり。
バルモアは怯んで踵を引いたものの、ぶるぶると首を横に振ると、拳を握って発奮すると、ガッと髪と同じ色の目を見開いた。
「あ、相変わらず高飛車な女だな。君は」
「何ですって? 」
「そうやって威圧的に人を抑えようとして」
「私は常識的な話をしているだけよ」
ツンとそっぽを向く。バサバサと長い睫毛を揺らして瞼を伏せる。
バルモアは靴先を鳴らした。
「この僕が非常識だって言いたいのか? 」
「ええ。そうよ」
「バカなことを言うな。常識がないのは君じゃないか、マーレイ」
目を閉じているのでハッキリしないが、指を差されているのはわかる。
人に指先を突き出すなんて、非常識はどちらだろう。
マーレイはムカムカする。
バルモアの子供じみた仕草が気に食わないことが多々あったが、今夜も例外ではない。
とても、マーレイより五歳上とは思えない。まるで寄宿学校に入る前の子供を相手しているようだ。
ああ、なんて至上最悪な日だろう。
マーレイは扇で隠した口元を血が滲みかねないほどきつく噛み締めた。
「あの? もう一度言ってくださる? 」
半笑いの不気味な笑顔になっていようが、この際、構っていられない。
仮面舞踏会が執り行われている大広間が、渡り廊下を挟んだ隣の建屋だということが、せめてもの救いだ。
大勢の前で大恥をかかされるよりは、よっぽどマシ。
そんなことを思いながら、マーレイは婚約者であるハミルトン子爵家次男のバルモアを見据えた。
仮面から覗く濃い紫の瞳が鋭く尖る。
バルモアは栗色のくせのある髪をしきりに撫で付けながら、マーレイの視線を居心地悪そうに受け止めた。
「だから、君との婚約破棄を願いたい」
やはりバルモアの口から出て来たのは、先程と同じ台詞。
空耳ではない。
「な、何故かしら? 」
動揺を悟られぬようレースの扇子で口元を隠しながら、背筋を正す。
マーレイが背筋をピンと伸ばせば、バルモアの身長を余裕で五センチは越す。今はヒールの高い靴を履いているから、十センチは上だ。
界隈では悪し様に「大女」だと男女問わず陰口を叩かれているのは知っているが。
決してマーレイが大きいわけではない。
この国の貴族ときたら、贅沢三昧で体を鍛えることもせず自堕落な生活を送っているから、栄養が偏って成長を著しく阻害して、背が低くて肥満気味なのだ。
バルモアは痩せてはいるが、偏食がひどくて体は薄っぺらい。肌の色も病的に青白く、いつも目の下に大きな隈を作っている。
「答えなさい。バルモア」
マーレイは低めの声で詰問する。
それがバルモアを怯ませるとわかっていながら。
虚勢を張っていないと、今にも泣き出してしまいかねないから。
「貴族の婚姻は当人同士のものではなくてよ? 両家の強い結びつきの上に成り立っているのよ? あなたも子爵家の次男ならわかっているのではなくて? 」
我ながら高飛車な言い方だが、今やマーレイに残されているのは気位の高さしかない。
破棄は嫌だと泣いて縋り付くくらいの可愛らしさがあれば、きっとこのような展開にはなっていない。
「それを踏まえた上で、あなたはこの私……いいえ、ヴィンセント伯爵家に喧嘩を売るおつもり? 」
口をついて出てくるのは、バルモアを押さえつけるようなものばかり。
バルモアは怯んで踵を引いたものの、ぶるぶると首を横に振ると、拳を握って発奮すると、ガッと髪と同じ色の目を見開いた。
「あ、相変わらず高飛車な女だな。君は」
「何ですって? 」
「そうやって威圧的に人を抑えようとして」
「私は常識的な話をしているだけよ」
ツンとそっぽを向く。バサバサと長い睫毛を揺らして瞼を伏せる。
バルモアは靴先を鳴らした。
「この僕が非常識だって言いたいのか? 」
「ええ。そうよ」
「バカなことを言うな。常識がないのは君じゃないか、マーレイ」
目を閉じているのでハッキリしないが、指を差されているのはわかる。
人に指先を突き出すなんて、非常識はどちらだろう。
マーレイはムカムカする。
バルモアの子供じみた仕草が気に食わないことが多々あったが、今夜も例外ではない。
とても、マーレイより五歳上とは思えない。まるで寄宿学校に入る前の子供を相手しているようだ。
ああ、なんて至上最悪な日だろう。
マーレイは扇で隠した口元を血が滲みかねないほどきつく噛み締めた。
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