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第一章:大英雄の産声《ルクス・ゲネシス》
23 回想:沼沢の館
しおりを挟む──数年前。
扉が開かれる。
そこに広がった空間に、一番手の男は口をあんぐりと開けた。
「なんっ……だ、これ」
そこには、誰も見たことのない光景が広がっていた。
がらんと広がるその場所には手前から長卓が二列伸びており、卓上には来客が思わず涎を滴らせてしまうほど魅力的な料理が並んでいる。
これが、序の口なのだから驚きだ。
空中にはふよふよと仄かな光を発する球体が浮かんでいて、空間全体を妖精の燐光のようにキラキラと眩い光を宿させる――……。
その下では、長卓を挟む形で貴顕紳士、淑女が何やら会話をしながら料理を嗜んでいた。
ゴブレットに始まる食器など、金銭的価値に疎い者が見ても「高価である」と分かるような装飾が施されており、それらが奥まで続いて途切れずに並んでいるのだ!
「なんっ……ちょ、立ち止まらない──デッ!? うええええっ!? さっきまではこんなんじゃなかったのに! こわっ!! こわ……こわいわ」
二番目に入ってきた赤髪の魔法使いは、汚れのない杖を震える手で握って叫ぶようにそう言った。
「こわい、こわい……えっ、なに、ほんと」
目の前で起きていることが呑み込めず、男性が好みそうな甘い顔立ちに恐怖が歪んでいた。
そっと宴会場の敷居を跨ぎ、
「ウ」
戻って、
「ウァ」
ぷるぷると体を震わせる度、胸部の穹窿が上下左右にたゆむ。
「……なぁにビビってんだよ、ルートス」
「ビ、ビビってるですって!? ふざ、ふざっ」
言いかけて、ヘルムのスリット越しに見えた冷たい目に冷静さを強引に取り戻した。
「――確かに、確かによ? 心拍数は、通常時よりも、多少は……多少はね? 上がってるわ。それでも、緊張、っていう言葉の方が正しいと思うのよ、これは、そう。そのはずよ」
「あぁ、そう」
「でも……モンスターもいないし、なんの気配もない。……ここ、最奥の場所……であってるわよね? ねっ? ヴァンド!?」
「ちっと黙ってろ」
「黙ってろって!? 酷くない!?」
尻上がりにボリュームが大きくなっていく金切り声に、ヴァンドと呼ばれた男性は不機嫌さを隠そうともせず。
「……深奥であるのは間違いねぇよ。あー、腹減ってきた」
自身の体よりも大きな盾を片手で握りながら、もう片方の手で鎧の上から腹を摩った。もう何日も食べていない。
女魔法使いよりも重厚な装備で固めている彼の装備は傷が目立ち、衣類や装備は草臥れているように見えた。一方、女魔法使いにはまったく傷がなく、新品の状態のようだった。
「うぅ……やべぇ、腹の中に虫がいるみてぇだ……叫んでやがる」
「――この前食ったろーが、良いから中に入れ」
後ろからやってきた男性に背中を押され、不機嫌そうに言い返す。
「モスカ、正気かよ。こんな場所に入りたくねぇよ、俺。腹減ってんだ。分かるだろ?――ぐぅぅぅ!――ほら、聞こえた! やっべぇだろ!? こんな状態で戦える訳もねぇっての」
「うるせぇ。入んだよ」
「腹減ると力が出ないの。分かってくれるかい?」
「分かると思うか?」
男は最後は語気を強める。
「……ようやく、ここら一帯の親玉と出会えるんだ。ここで潰す」
ヴァンドを軽く蹴ったのは、勇者のモスカ。
貴族のような顔立ちに横に流した金色の髪の毛で、すらりと伸びた肢体を覆うのは紅白の金属鎧。手にしているのは、蠱惑的に歪曲している刀で。それらの性能は四人の中で群を抜いて高いもの。
だというのに持前の防具は傷一つ付いていない。
いや、彼に戦闘を完全に任せているのだ。傷がつくはずもない。
「……へいへい。仲間の腹の具合よりも敵を倒すのが最優先ですってな。勇者さんの思し召しのままに~」
「……」
「けっ、無反応かよ。……ンにしても料理の数多くね? 確かに部屋数はアホみたいに多かったけどさぁ。あ、俺らの分もある? もしかして」
「多いどころじゃねぇよ……異様だ」
豪華という名にふさわしい光景だが、誰も席にはついていない。それに、前触れもなく登場をした彼らに興味すら示していない。
そもそも談笑をして、口が動いて声が聞こえているのに……何故か喋っていると感じない。
「まぁ、アレだな。お決まりのヤツ」
「魔法だな」
「《惑わしのことば》……でしょうね」
「そうだな。人だけじゃない、料理も……この煌びやかな装飾も」
「かーっ!! 庶民上がりの俺らへの当てつけかぁ? 魔族ってぇのはジョークのユーモアもあるらしいな」
「お前らへの当てつけな。めんどくさ……おい、エレ!! 仕事だぞ!!」
後ろに向かってモスカが吠えると、小さな影が現れた。
「殿の次は、最前線か。ずいぶんと人使いが荒いな」
部屋の明かりが彼の顔を照らす。
長いまつ毛、すっきりとした目鼻立ち。
それらを覆っている真っ黒い髪の毛。
「不満なら、帰国しろ。お前の代わりなんていくらでもいる」
小さな影はモスカを見上げながら、その横を猫のように通り過ぎていって、全体が光の元に晒された。
現れたのは、少年奴隷のような見た目をしている少年。
彼の名前は──ディエス・エレ。
「なんの不満もないさ。あぁ、ほんとに」
当時、齢十五歳になったばかりの『英傑』である。
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