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第2章:オベール家の窮地

2:さらなる窮地

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――ポメラニア帝国歴257年 6月1日 火の国:イズモにて――

 この日、火の国:イズモの名物といっては失礼にあたるのだが、梅雨の季節がやってくる。5月の中頃から、火の国:イズモは一気に気温が上昇する。そして、そこに追い打ちをかけるように1日中、雨が降るような梅雨の季節にはいってくるのだ。

 この梅雨が終われば、いよいよ火の国:イズモは太陽の光が肌に突き刺さるのかと錯覚してしまうほどの暑い夏がやってくる。

「ごほごほっ! げほげほっ!」

 しかし、長い寒い時期を越えて、ようやく暑くなってくる季節であるのに、オルタンシア=オベールの咳は止むどころか、悪化の一途を辿っていた。

「ママ! 咳がひどくなってるじゃないの……。ちゃんと、お医者さまからいただいた咳止めの薬を飲んでいるの?」

「ごほごほっ! ロージー。心配をかけてごめんなさいね? あなたが町医者から買ってきてくれている咳止めは毎晩、しっかり飲んでいるわよ。げほげほっ! でも、なかなか効きづらいみたい……」

 オルタンシアはしゃべろうとしても、咳がそれを邪魔をするのであった。オルタンシア自身にはわかっていたのだ。このままでは、火の国:イズモの今年の夏を越せないであろうことを。自分の体調は悪化の一途を辿っていた。冬から春にかけては、寒い気候がわざわいしているだけだと思っていたが、すっかり暖かくなった6月に入っても、咳は一向に収まることがなかったのである。

 ロージーは一軒家に備わっていた庭の手入れも終わり、やっと軌道に乗り始めた生花作りも中断し、チワ=ワコールと共に、献身的にオルタンシアの世話をしていたのである。

 当主を失ったオベール家はいよいよ追い詰められていた。生活費の足しにしようとしていた、生花作りは中断され、オベール家に残されていた蓄財は、オルタンシアが町医者にかかることで、どんどん目減りしていた。

 去年の秋先から冬前の間に、クロード=サインが魔物狩りをすることで稼いでいた金にもいよいよ手をつけなければならないほど、オベール家は困窮しようとしていた。オルタンシアとしては、それだけはどうしても避けたいと思っていた。しかし、オルタンシアの意に反して、身体が言うことを聞いてくれない。

 およそ9カ月間に及ぶ慣れぬ土地での生活が、オルタンシアの身体をまるで病魔のように蝕む。6月半ばに入る頃になると、オルタンシアはベッドから出ることさえ難しいほどに体調を崩してしまう結果となってしまったのであった。

「俺……。ハジュン=ド・レイさまに懇願してくる!」

 クロード=サインは、このオベール家の窮状をみかねて、ある決断を下そうとしていた。火の国:イズモの実質的支配者である四大貴族の一家であるド・レイ家の当主:ハジュン=ド・レイに、オベール家の窮状を訴えてくると言い出したのである。

「クロ……。ハジュンさまに会えるわけがないじゃないの……。ド・レイ家が、わたしたちをこの土地で暮らさせているだけでも、御の字なのかもしれないよの?」

 オルタンシアが臥せる部屋とはまた別の部屋で、クロードとローズマリーは話し合っていた。ローズマリーはほとほとに参ったという表情になっており、生気もその可愛らしい顔からすっかり抜け落ちていた。

 ローズマリーにもわかっていたのだ。このままでは母親が今年の夏を越せるかどうか怪しいことくらい。それゆえに、彼女は身体だけでなく心もまた憔悴しつつあったのだ。

「ロージー……。俺を信じてほしい。俺がハジュンさまに会ってきて、ロージーのお母さんを救ってくれって頼みこんでくる!」

「だけど……、ハジュンさまは、浮島に住んでいるのよ? 浮島に行くには大神殿で転移門ワープ・ゲートを使わせてもらわないといけないのよ? 流刑人のわたしたちの付き人であるクロードに、高司祭ハイ・プリーストさまから転移門ワープ・ゲートを使用する許可なんて、下りるとはとても思えないわ……」

――転移門ワープ・ゲート。各地の神殿や大神殿に設置されている、読んで字の如く、神殿から神殿へ、そして大神殿へと移動できる装置である。さらには大神殿からは四大貴族たちが住まう浮島に移動できる装置がある。

 しかし、罪人及びその家族がそれを使用できる道理などポメラニア帝国には存在しなかった。それゆえ、ローズマリーは、いったいどうやって、わたしたちがその大神殿で転移門ワープ・ゲートを使わせてもらうんだと、眼の前のクロードを問い詰めたのである。

「いや、ロージー。別に俺が転移門ワープ・ゲートをくぐる必要なんてないんだよ。その転移門ワープ・ゲートを通って、下界に降りてくるハジュンさまに会おうって話なんだよ」

「クロっ! そもそもとして、あなた、いったい、自分が何を言っているのかわかっているの!? ただの庶民が上級貴族に直接、何かを頼み込むのは法で罰せられることになるのよ!? しかも、相手は四大貴族なのよ!? その場で同行している騎士に斬られても文句は言えないのよ!!」

 ポメラニア帝国では、庶民が子爵以上の貴族に直訴することは法で禁じられている。まずは男爵位の貴族に掛け合い、その男爵が訴状の内容を吟味した後に、上の身分の貴族ににその訴状をあげる必要性がある。

「ああ、それくらいわかっているさ……。でも、何とかしないと、オルタンシアさまが……」

 ロージーは母親の名前を出されてしまい、これ以上、クロードに言うことは何もなくなってしまう。男爵位の貴族に掛け合っていては、いつ沙汰が下されるかはわかったことではない。その前に母親の身体がもたない可能性のほうが高かったのであった。

「クロ……。決して無茶はしないで……。わたし、ママだけじゃなくて、クロにも何かあったら、生きていけなくなる……」

 ロージーは今にも泣き出しそうになっていた。そんな彼女をクロードは優しく抱きしめる。ロージーはクロードに抱きしめられたことにより、堰を切ったかのように声を出し、涙を流して泣いてしまう。

「大丈夫だ。ロージー。俺は絶対に生きて戻ってくる……。もし、ハジュンさま付きの騎士に斬られそうになったら、逆に俺が切り伏せてやるからっ」

「クロの馬鹿っ! そんなことしたら、クロは確実に打ち首の刑にされるわよっ!」

 クロードは、ははっと小さく笑ったあと、涙を流すロージーの頬に軽く接吻せっぷんをする。ロージーの頬からクロードの唇にロージーの涙が伝い、さらには舌にその涙が少し流れ込んでくる。

 ヤオヨロズ=ゴッドは2人の口吸いを『誓約』の下に禁止したが、愛する女性の涙を男が唇で拭うことは禁止しなかった。これは、ヤオヨロズ=ゴッドが死地に向かう男をおめこぼししてくれた結果なのだろうか?

まさに『ヤオヨロズ=ゴッドのみぞ知る』だったのかもしれない。
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