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第8章:目覚めの兆し

第3話:愛が冷める瞬間

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 彼女が笑顔に対して、ロック=イートの表情は何とも言い難い苦渋に満ちた表情であった。本来なら、彼女を幸せにする役目を担っていたのはロック=イート自身であった。だが、自分と一緒にならなくて良かったと言われては、ロック=イートの立つ瀬が無い。そして、そう言われたからといって、自分は自分の夢を裏切ることなど到底できない。リリー=フルールとヨーコ=タマモが自分を慕ってくれているのは十分理解しているが、彼女たちに対して、リターンできるものと言えば、いったい何だろう? と考え込んでしまう。

「じゃあ、伝えたいことも伝えたから、あたしは退散させてもらうわね。このまま試合開始まで、ここにいたら、実は気にしいのあんたの心をかき乱しちゃうもの」

 サラ=ローランは右手を軽く振って、じゃあとばかりに彼女のトレーナたちと共に控室から歩いて出ていってしまう。そんな彼女の背中に対して、ロック=イートはかける言葉が見つからなかった。すでにサラ=ローランとロック=イートが共に歩む道はとうの昔に閉ざされていたのだ。だからこそ、ロック=イートは彼女にかける言葉など何ひとつなかったのである。

(サラ姐、ごめん……。俺があの時、誰にも負けないほど強かったら、サラ姐にも他に選択肢があったはずだったのに)

 ロック=イートは誰の眼から見ても明らかに落ち込んでいるように見えた。とっくにサラ=ローランがいなくなったというのに、自分の試合に向けての調整を再開できずにいたのだ。そんなロック=イートに対して、リリー=フルールは何かを言わなければならぬ気がしたが、なかなかに喉から声が出てこない。

(ロック……。わたくしにサラ=ローランさんのことをしゃべってくれていた時は、今はもう気にしてないって言ってたのに。やっぱり本人を前にすると色々と思い出しちゃうこともあるわよね)

 リリー=フルールも何だか悲しい気持ちになっていた。ロック=イートの側にいつでも居ようと決心していたが、彼の元・婚約者が現れたことで、ロック=イートの心がかき乱されていることは自明の理である。そんな彼に対して、なぐさめの言葉が喉にひっかかってしまい、言葉にならない。負い目を感じる必要などリリー=フルールにはないというのに、それでも何かを言ってしまってはいけない気がして、たまらないのであった。

「なんじゃ? ロック、リリー嬢。何でこの世の終わりのような顔をしているのじゃ。元・婚約者が兄弟子に寝取られただけじゃろ? リリー嬢にとってはこれで気兼ねなくロックに構ってもらえるようになったので、万々歳じゃろうが」

「タマモっ! あんたも少しくらいロックの気持ちを考えてほしいところなのですわっ! いくらどうしようもない事情があったからといって、自分の元・婚約者が兄弟子にさらわれてしまったのよ!」

 リリー=フルールは気が利かぬヨーコ=タマモに呆れたと言った感じで、やや怒りを言葉に乗せて、ヨーコ=タマモを説教する形となる。だが、説教されている側のヨーコ=タマモは頭にクエスチョンマークを浮かべ、首を傾げるのであった。そして、火に油を注ぐような発言を繰り返す。

「まったくもって、わらわには理解できぬのじゃが。愛し合う男女のえにしなど、切れぬように見えて、存外、あっさりと切れるモノなのじゃ。それこそ、おならを男の前でかましただけでも、切れる時は切れるんじゃぞ?」

「えっ!? そうなの!? そんなことくらいで、殿方は愛が冷めてしまうのです?」

「そうじゃそうじゃ。昔、わらわへと言い寄る男の前で、ぼぶんっ! と盛大におならをかましたら、次の瞬間からは、眼もあわせなくなったのじゃ。まったくもって失礼な話じゃろ?」

 リリー=フルールは親から貴人の前でおならをするのは無礼に値する行為だと教えられていたために、そういったヒトの前ではなるべくしないように気をつけている。だが、屋敷で自分の世話をしてくれる使用人たちの前では存外、気にせずにぶぼんっ! とかましてしまうことがあった。彼女がロック=イートの前でおならをかましてなかったのは、ただ単にそういったタイミングが訪れていなかっただけである。

 リリー=フルールはおそるおそるロック=イートの顔に視線を移す。もしかすると、ヨーコ=タマモの言う通り、愛しのロック=イートも自分のおならであきれ果ててしまう部類なのかと心配になってしまう。しかしながら、ロック=イートは彼女の視線を受けて、ぼりぼりと右手で頭を掻きだし

「俺は別に女性のおならなんて気にしたことなんてないよ。てか、珍しく思い悩んでいるところをおならの話で上書きするのはやめてくれないか?」

「そ、そう? 本当にわたくしがロックの前でぼぶんとかましてしまっても、ロックはわたくしのことを呆れた女だと言わないでくれますの?」

 リリー=フルールが泣きそうな顔でそう訴えかけてくる。ロック=イートとしては、サラ=ローランのことで頭の中がいっぱいになっていたが、そんなおならくらいで、泣きそうになっている彼女を見ていると、今まで悩んでいた自分が馬鹿らしく感じてきてしまう。

 サラ=ローランとのえにしが切れてしまったことなど、監獄:東の果てイースト・エンドに放り込まれた時点でわかりきっていたことだ。そして、自分は彼女のことよりも夢を追い続けることを選んだ男なのである。今更、贖罪を胸に抱え込んでどうするというのだ。ロック=イートはうんうんと頷き、彼女への想いを胸の深いところに押し込む。

「俺が育ったタイガー・ホールでは、女性たちは平気で男の前でおならをぶちかましてたんだ。だから、そんなことはとっくに慣れているよ。リリー様が俺の前でかましたところで、俺の気持ちが冷めるとか、そんなことは一切無いよ」

「本当に本当ですの?」

 ロック=イートは気にしないと言うのであるが、それでもリリー=フルールは重ねて、ロック=イートに質問をする。やはり16歳の年頃の少女となれば、そういったことに敏感になってしまうのは仕方がないと言えた。ロック=イートは彼女の金色に染まる頭を優しくぽんぽんと軽く叩き

「なんなら、リリー様が俺の顔にお尻をぐりぐりと押し当てて、おならをぶちかましてくれたって良いんだぜ? 俺はそれでも動じるつもりはないからな?」

 ロック=イートが白い歯をキラリと光らせて、そう言いのける。だが、ヨーコ=タマモとリリー=フルールはいきなり怪訝な表情になる……。
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