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「いんもん、とは」
ゲーム中の人物にゲームの常識を語ったら、こういう反応になるのは当たり前だろう。
私はエロゲー中毒の人間だから、そんな場所にある文様を見たらこの答えしか思い浮かばない。
淫紋です。淫紋。
「呪い的なやつです。エッチな気持ちになってしまう、呪い」
当たり障りのない説明を模索しつつ、私はしみじみ感じ入る。
あのボタンを押したから淫紋が出来たのか、神様がボタンとセットで淫紋をプレゼントしてくれたのかはわからないけど、淫紋か……。
あの禁欲的で冷徹キャラのヴィンセントに、淫紋か……!
申し訳ないけど、たぎってしまう。
静かにわくわくを育てる私とは違い、ヴィンセントの目はギラリと光る。
「呪い……皇帝とは名ばかりのあの男、やはり邪教に手を出していたか」
ヴィンセント的にはそういう解釈らしい。
実際に、邪教的なことに手を出しているのは私だ。
私がもごもごしていると、ヴィンセントは服装を整えつつため息を吐いた。
息と同時に怒気を吐きだしたのか、私を見下ろした目は穏やかだ。
「とはいえ、呪いの力に抵抗しきれなかったのはわたしの弱さだ。殴りたければ殴るといい。殺してもらっても構わないが、できればもう少しだけ……この、邪悪なる宮廷からお前を逃がす間だけ、わたしを生かしておいて欲しい」
彼の声は優しかったけれど、同時にとても強かった。
確固たる意思があって、それを貫き通す胆力もある、と自然とわかった。
なんというか――いい男だなあ、と思ってしまう。
やってしまったことはやってしまったこととして、騒ぎ立てすぎずに筋は通す。
強い流れに流されることなく、ただひたすらに自分の信念に生きている。
転生前の世界で出会った人たちとは根っこから違う。もちろんあっちの世界にも誠実なひとはいたのだろうけれど、私の人生には関わってこなかった。
目の前にいなければ、存在しないのと同じ。
ヴィンセントは、目の前にいる。
私は、彼に近づいた。手を伸ばせば触れられる位置まで。
そして、はっきりと言う。
「私は、あなたに生きて欲しいです」
ヴィンセントは、少しつらそうな、まぶしそうな顔で私を見た。
「お前は優しい。明るく朗らかで、この世界の何もかもを愛した父に似ている」
絞り出した声には、苦しみと懐かしさが載っている気がする。
今までの話でよくわかった。
ヴィンセントは、私を通して死んだ親友を見ている。
私に謝罪しながら、エレナの父に、前代皇帝に謝罪している。
ひょっとしたら彼は、前代皇帝に断罪されたがっているのかもしれない。
でも、私はそのひととはなんの関係もない。
私は続けた。
「亡くなったひとはもう何も言いません。ここにいるのは、私だけです。ここにいる私は、あなたに生きて欲しいんです」
驚いたように、ヴィンセントの瞳が大きくなる。
そうしているとランプの光が入って、彼の目は宝石みたいに光った。
こんなきれいなものがなくなるのは、私は嫌だ。
私は少し躊躇ったのち、さらに本心をぶちまける。
「その……お恥ずかしながら、私はずっと、あなたが大好きでして」
「大好き。わたしが?」
ヴィンセントの声が、妙に高くなる。
こんなヴィンセントは初めて見た。ゲーム世界に入れたからこそ、見られた推しだ。
私は食い入るように彼を見つめて、何度もうなずく。
「はい。ひと目見たときから『めっちゃくちゃタイプ!』と思ってスクショ、もとい頭にお顔を焼き付けましたし、お言葉とお姿のすべてを完全に記憶しました」
「そんなに……」
あきれたような声音だけれど、私はひるまない。ひるんでる場合じゃない。
拳を握り、懸命に続ける。
「気持ち悪いのはわかってます。でも、本当なんです。本当だから、この機会にお礼を言わせてください。生まれてくれて、生きていてくれて、ありがとうございました」
最後には深々と頭を下げた。
「エレナ」
何度も呼ばれたその名前に、私はすでになじみ始めていた。
あなたが大事に呼んでくれるのからかもしれなかった。
ヴィンセント。
私は、あなたの名前も、大事に呼んできたと思う。
ノートパソコンの前で、布団に入って、半死半生の徹夜明けにエナジードリンクを飲みながら。
ゲームの中に生きるあなたのことを思って、名前を呼んだ。ゲームキャラでも、生きている人のように思って名前を呼べば、あなたがいつか会える場所にいるような気がした。
「あなたは、私を生かしてくれました。あなたのお声を聞くと、どれだけ心がぐちゃぐちゃになっていても、ほっとすることができました。あなたがいたから眠れた。あなたがいたから食べられた。あなたがいたから、私、少しは世界が好きになれた」
喋っているうちに、目の奥が熱くなる。涙がこぼれる。
恥ずかしいな、と思って目をこすりながら、私は笑う。
「だから私、いいんです。抱かれるのなんかご褒美の気持ちでした。そりゃ、少しは痛かったですけど。それはそういうものですし。あなたは、優しかったです。お気持ちはちゃんと伝わってます」
そう。そうだ。
だから、大丈夫。
私はなるべく明るい表情を作った。
「だから、気にしないで。私なんか今までの人生でもやばい扱いされてばっかりですし、それに比べたら軽いもんです。むしろヴィンセント様なら、もっと酷くしてくれてもいいですよ? これからも皇帝がやれって言ってくるなら、勢いよくやりましょう!」
「やりましょう、ではない! お前はもう少し、自分の体を大事にしろ……」
大真面目に叱り飛ばされて、ヴィンセントの温かい両手が肩に乗る。
私は自分が微笑むのを止められない。
「私、自分より、あなたのほうが大事です。あなたが殺されるなら、私が死ぬ」
「エレナ……お前は」
ヴィンセントが目を細める。
細めたのに、目が暗くならない。私を見つめて、静かに光っている。
ヴィンセントの視線と私の視線がからまりあう。直接ふれあっていないのに、触れた気がする。
なぜだか鼓動が大きくなる。
好き。好きだ。好き。
あなたが、好き。
「好きなんです。好き。やっと言えた」
気持ちが言葉になってこぼれた。
ヴィンセントの薄い唇が開く。
そして――彼が何か言う前に、扉がノックされた。
びくりとして扉を見る私。
ヴィンセントは真剣な面持ちで私を背後にかばい、扉に声をかける。
「何か用か」
「わたくし、宮廷付き聖女のリリアですぅ。ヴィンセント閣下はおいでですかあ?」
甘くてゆるゆるの声。
聞き間違えようがない。これもカタエンヒロインのひとり、リリアだ。
私は猛スピードでカタエンのリリア情報を思い出す。
リリアは自称のとおり、宮廷付きの聖女だ。外面はゆるふわの癒やし系、実際の能力も治癒魔法。ただし本人は結構サクッと闇オチするタイプで、カタエンヒロインの中では一番の『嫉妬キャラ』で知られている。
リリアルートのグッドエンドは、こうだ。
新しく皇帝になったプレイヤーに一目惚れしたリリアは、恋敵になりそうな相手を刺しまくる。文字通り、短剣で刺す。刺して刺して、皇帝を孤立させ、自分に依存させて暗黒のハッピーエンドを獲得する……。
カタエンを象徴するような物語だけど、リアルに体験したくはない。怖すぎる。
ヴィンセントは、扉をねめつけて返答する。
「ここに癒やしの力を欲する者は居ないが?」
淡々とした声にはとりつく島がない。普通のメンタルを持つ人間なら回れ右しそうだが、リリアは平然として答えた。
「そうですかぁ? エレナ様はここにいらっしゃいますよね?」
――私の居場所、ばれてる。
ぞわり、と、寒気がした。
なぜ知られているんだろう。なぜそんなことを気にするんだろう。
私はヴィンセントの背中にすがりつき、声をひそめる。
「ヴィンセント様。私、体は平気です。癒やしはいりません」
ヴィンセントが私を見下ろし、浅くうなずいてくれる。
その間にも、リリアは続ける。
「皇帝陛下が、エレナ様をことさらご心配されていらしゃるんですぅ。なんでそんなに気になさるのか、私もわからないんですけど。……ひょっとしたら陛下、エレナ様のこと、お気に召されたのかもしれないですねえ?」
リリアの甘い声に、毒がにじんだ気がした。
皇帝が、私を気に入った……?
本当だったらかなりまずい。リリアは皇帝が大好きなのだ。その皇帝が私のことを好きになったら――リリアの嫉妬が私に向く。
つまり、私が、刺される。
どうする。どうしたらいい。
私は必死に考え、部屋中を見渡す。
最終的に、私の視線は衣装チェストにすえられた。
私はヴィンセントのもとを離れ、できるかぎり素早くチェストを開ける。
そこには私が着ていた軍服が吊り下げられている。
慌てて軍服のポケットを探ると……あった!!
♥のマークのボタン。
ヴィンセントには申し訳ないけれど、これをもう一度使わせてもらおう。
ヴィンセントにもう一度私を襲ってもらい、それをリリアに見せつける。そうすれば、「エレナはヴィンセントの女だな、皇帝には絡まないな」とリリアに認識してもらえるかもしれない。
リリアの殺害リストからは逃れられる、はずだ。
そう思ったところで、脳裏を先ほどのヴィンセントの顔がよぎった。
彼の苦悩と、彼の悲しみ。
あれを、もう一度、彼に背負わせるの?
私が、この手で……?
私が迷っていると、ヴィンセントが私を抱き上げる。
「ひゃ!?」
急なことで、素っ頓狂な声が出た。
ヴィンセントは私を寝台に放り出す。寝台がぎしり、と盛大にきしんだ。続いてヴィンセント本人も寝台にあがって、私の頭の両側に手を突く。
私はカチコチになってヴィンセントを見上げることしかできない。
「あらあ? ヴィンセント閣下? なんの音ですのぉ? 何やら、女性らしいお声が聞こえましたけれど? やっぱりいらっしゃったんですね、エレナ様?」
扉の向こうで、リリアが言う。声にどんどん毒が沁みてくる。
ヴィンセントは私の上に四つん這いになったまま、リリアに返した。
「察しが悪いようだが――取り込み中だ」
そして、私にそっと目配せ。
なるほど、そういうこと。
すっと腑に落ちた。
ヴィンセントは私と同じことを考えたのだ。セックスのふりをしてリリアを追い返そう作戦。ただし、彼の作戦はもちろん♥ボタン抜きだ。寝台をきしませる程度のつもりだろう。
彼は紳士だ、私と違って。
私はそっと自分の計画を反省し――ぎょっとした。
ボタンがない。手の中にも、ポケットにも。
寝台に放られた拍子に、ボタンも投げ出されたのだ!
どこ、どこだ?
私はさりげなく寝台の上を探る。
「あらあ、そういうことでしたの?」
リリアの声が楽しそうになる。
「ヴィンセント様ってば、急に盛ってしまわれて。先代陛下の弱みにならないように自分は純潔を保つ、と常々おっしゃっていたのに……新しい皇帝陛下にすーっかり心酔してしまわれましたのですねぇ?」
う、わ。
うわ……。
そんなこと、あるわけない!
ヴィンセントは皇帝を憎んでいる!
リリアが踏んだのは地雷も地雷、大型地雷だ……!!
上からギリ、と、歯を食いしばる音がして、私はおそるおそるヴィンセントを見上げる。
うつむていてもわかる。ヴィンセントの瞳が燃えている。今は青い炎のようだ。
高温の怒りで瞳を燃やして、ヴィンセントは立ち上がろうとする。
「ヴィンセント様……!」
私は枕の横に手をついて、飛び起きた。
その手に、ポチッ、という感触が伝わってくる。
「あっ」
私は慌てて手を離し、枕の横を見た。
そこにあったのは……♥のマークのまぐわえボタン!
ゲーム中の人物にゲームの常識を語ったら、こういう反応になるのは当たり前だろう。
私はエロゲー中毒の人間だから、そんな場所にある文様を見たらこの答えしか思い浮かばない。
淫紋です。淫紋。
「呪い的なやつです。エッチな気持ちになってしまう、呪い」
当たり障りのない説明を模索しつつ、私はしみじみ感じ入る。
あのボタンを押したから淫紋が出来たのか、神様がボタンとセットで淫紋をプレゼントしてくれたのかはわからないけど、淫紋か……。
あの禁欲的で冷徹キャラのヴィンセントに、淫紋か……!
申し訳ないけど、たぎってしまう。
静かにわくわくを育てる私とは違い、ヴィンセントの目はギラリと光る。
「呪い……皇帝とは名ばかりのあの男、やはり邪教に手を出していたか」
ヴィンセント的にはそういう解釈らしい。
実際に、邪教的なことに手を出しているのは私だ。
私がもごもごしていると、ヴィンセントは服装を整えつつため息を吐いた。
息と同時に怒気を吐きだしたのか、私を見下ろした目は穏やかだ。
「とはいえ、呪いの力に抵抗しきれなかったのはわたしの弱さだ。殴りたければ殴るといい。殺してもらっても構わないが、できればもう少しだけ……この、邪悪なる宮廷からお前を逃がす間だけ、わたしを生かしておいて欲しい」
彼の声は優しかったけれど、同時にとても強かった。
確固たる意思があって、それを貫き通す胆力もある、と自然とわかった。
なんというか――いい男だなあ、と思ってしまう。
やってしまったことはやってしまったこととして、騒ぎ立てすぎずに筋は通す。
強い流れに流されることなく、ただひたすらに自分の信念に生きている。
転生前の世界で出会った人たちとは根っこから違う。もちろんあっちの世界にも誠実なひとはいたのだろうけれど、私の人生には関わってこなかった。
目の前にいなければ、存在しないのと同じ。
ヴィンセントは、目の前にいる。
私は、彼に近づいた。手を伸ばせば触れられる位置まで。
そして、はっきりと言う。
「私は、あなたに生きて欲しいです」
ヴィンセントは、少しつらそうな、まぶしそうな顔で私を見た。
「お前は優しい。明るく朗らかで、この世界の何もかもを愛した父に似ている」
絞り出した声には、苦しみと懐かしさが載っている気がする。
今までの話でよくわかった。
ヴィンセントは、私を通して死んだ親友を見ている。
私に謝罪しながら、エレナの父に、前代皇帝に謝罪している。
ひょっとしたら彼は、前代皇帝に断罪されたがっているのかもしれない。
でも、私はそのひととはなんの関係もない。
私は続けた。
「亡くなったひとはもう何も言いません。ここにいるのは、私だけです。ここにいる私は、あなたに生きて欲しいんです」
驚いたように、ヴィンセントの瞳が大きくなる。
そうしているとランプの光が入って、彼の目は宝石みたいに光った。
こんなきれいなものがなくなるのは、私は嫌だ。
私は少し躊躇ったのち、さらに本心をぶちまける。
「その……お恥ずかしながら、私はずっと、あなたが大好きでして」
「大好き。わたしが?」
ヴィンセントの声が、妙に高くなる。
こんなヴィンセントは初めて見た。ゲーム世界に入れたからこそ、見られた推しだ。
私は食い入るように彼を見つめて、何度もうなずく。
「はい。ひと目見たときから『めっちゃくちゃタイプ!』と思ってスクショ、もとい頭にお顔を焼き付けましたし、お言葉とお姿のすべてを完全に記憶しました」
「そんなに……」
あきれたような声音だけれど、私はひるまない。ひるんでる場合じゃない。
拳を握り、懸命に続ける。
「気持ち悪いのはわかってます。でも、本当なんです。本当だから、この機会にお礼を言わせてください。生まれてくれて、生きていてくれて、ありがとうございました」
最後には深々と頭を下げた。
「エレナ」
何度も呼ばれたその名前に、私はすでになじみ始めていた。
あなたが大事に呼んでくれるのからかもしれなかった。
ヴィンセント。
私は、あなたの名前も、大事に呼んできたと思う。
ノートパソコンの前で、布団に入って、半死半生の徹夜明けにエナジードリンクを飲みながら。
ゲームの中に生きるあなたのことを思って、名前を呼んだ。ゲームキャラでも、生きている人のように思って名前を呼べば、あなたがいつか会える場所にいるような気がした。
「あなたは、私を生かしてくれました。あなたのお声を聞くと、どれだけ心がぐちゃぐちゃになっていても、ほっとすることができました。あなたがいたから眠れた。あなたがいたから食べられた。あなたがいたから、私、少しは世界が好きになれた」
喋っているうちに、目の奥が熱くなる。涙がこぼれる。
恥ずかしいな、と思って目をこすりながら、私は笑う。
「だから私、いいんです。抱かれるのなんかご褒美の気持ちでした。そりゃ、少しは痛かったですけど。それはそういうものですし。あなたは、優しかったです。お気持ちはちゃんと伝わってます」
そう。そうだ。
だから、大丈夫。
私はなるべく明るい表情を作った。
「だから、気にしないで。私なんか今までの人生でもやばい扱いされてばっかりですし、それに比べたら軽いもんです。むしろヴィンセント様なら、もっと酷くしてくれてもいいですよ? これからも皇帝がやれって言ってくるなら、勢いよくやりましょう!」
「やりましょう、ではない! お前はもう少し、自分の体を大事にしろ……」
大真面目に叱り飛ばされて、ヴィンセントの温かい両手が肩に乗る。
私は自分が微笑むのを止められない。
「私、自分より、あなたのほうが大事です。あなたが殺されるなら、私が死ぬ」
「エレナ……お前は」
ヴィンセントが目を細める。
細めたのに、目が暗くならない。私を見つめて、静かに光っている。
ヴィンセントの視線と私の視線がからまりあう。直接ふれあっていないのに、触れた気がする。
なぜだか鼓動が大きくなる。
好き。好きだ。好き。
あなたが、好き。
「好きなんです。好き。やっと言えた」
気持ちが言葉になってこぼれた。
ヴィンセントの薄い唇が開く。
そして――彼が何か言う前に、扉がノックされた。
びくりとして扉を見る私。
ヴィンセントは真剣な面持ちで私を背後にかばい、扉に声をかける。
「何か用か」
「わたくし、宮廷付き聖女のリリアですぅ。ヴィンセント閣下はおいでですかあ?」
甘くてゆるゆるの声。
聞き間違えようがない。これもカタエンヒロインのひとり、リリアだ。
私は猛スピードでカタエンのリリア情報を思い出す。
リリアは自称のとおり、宮廷付きの聖女だ。外面はゆるふわの癒やし系、実際の能力も治癒魔法。ただし本人は結構サクッと闇オチするタイプで、カタエンヒロインの中では一番の『嫉妬キャラ』で知られている。
リリアルートのグッドエンドは、こうだ。
新しく皇帝になったプレイヤーに一目惚れしたリリアは、恋敵になりそうな相手を刺しまくる。文字通り、短剣で刺す。刺して刺して、皇帝を孤立させ、自分に依存させて暗黒のハッピーエンドを獲得する……。
カタエンを象徴するような物語だけど、リアルに体験したくはない。怖すぎる。
ヴィンセントは、扉をねめつけて返答する。
「ここに癒やしの力を欲する者は居ないが?」
淡々とした声にはとりつく島がない。普通のメンタルを持つ人間なら回れ右しそうだが、リリアは平然として答えた。
「そうですかぁ? エレナ様はここにいらっしゃいますよね?」
――私の居場所、ばれてる。
ぞわり、と、寒気がした。
なぜ知られているんだろう。なぜそんなことを気にするんだろう。
私はヴィンセントの背中にすがりつき、声をひそめる。
「ヴィンセント様。私、体は平気です。癒やしはいりません」
ヴィンセントが私を見下ろし、浅くうなずいてくれる。
その間にも、リリアは続ける。
「皇帝陛下が、エレナ様をことさらご心配されていらしゃるんですぅ。なんでそんなに気になさるのか、私もわからないんですけど。……ひょっとしたら陛下、エレナ様のこと、お気に召されたのかもしれないですねえ?」
リリアの甘い声に、毒がにじんだ気がした。
皇帝が、私を気に入った……?
本当だったらかなりまずい。リリアは皇帝が大好きなのだ。その皇帝が私のことを好きになったら――リリアの嫉妬が私に向く。
つまり、私が、刺される。
どうする。どうしたらいい。
私は必死に考え、部屋中を見渡す。
最終的に、私の視線は衣装チェストにすえられた。
私はヴィンセントのもとを離れ、できるかぎり素早くチェストを開ける。
そこには私が着ていた軍服が吊り下げられている。
慌てて軍服のポケットを探ると……あった!!
♥のマークのボタン。
ヴィンセントには申し訳ないけれど、これをもう一度使わせてもらおう。
ヴィンセントにもう一度私を襲ってもらい、それをリリアに見せつける。そうすれば、「エレナはヴィンセントの女だな、皇帝には絡まないな」とリリアに認識してもらえるかもしれない。
リリアの殺害リストからは逃れられる、はずだ。
そう思ったところで、脳裏を先ほどのヴィンセントの顔がよぎった。
彼の苦悩と、彼の悲しみ。
あれを、もう一度、彼に背負わせるの?
私が、この手で……?
私が迷っていると、ヴィンセントが私を抱き上げる。
「ひゃ!?」
急なことで、素っ頓狂な声が出た。
ヴィンセントは私を寝台に放り出す。寝台がぎしり、と盛大にきしんだ。続いてヴィンセント本人も寝台にあがって、私の頭の両側に手を突く。
私はカチコチになってヴィンセントを見上げることしかできない。
「あらあ? ヴィンセント閣下? なんの音ですのぉ? 何やら、女性らしいお声が聞こえましたけれど? やっぱりいらっしゃったんですね、エレナ様?」
扉の向こうで、リリアが言う。声にどんどん毒が沁みてくる。
ヴィンセントは私の上に四つん這いになったまま、リリアに返した。
「察しが悪いようだが――取り込み中だ」
そして、私にそっと目配せ。
なるほど、そういうこと。
すっと腑に落ちた。
ヴィンセントは私と同じことを考えたのだ。セックスのふりをしてリリアを追い返そう作戦。ただし、彼の作戦はもちろん♥ボタン抜きだ。寝台をきしませる程度のつもりだろう。
彼は紳士だ、私と違って。
私はそっと自分の計画を反省し――ぎょっとした。
ボタンがない。手の中にも、ポケットにも。
寝台に放られた拍子に、ボタンも投げ出されたのだ!
どこ、どこだ?
私はさりげなく寝台の上を探る。
「あらあ、そういうことでしたの?」
リリアの声が楽しそうになる。
「ヴィンセント様ってば、急に盛ってしまわれて。先代陛下の弱みにならないように自分は純潔を保つ、と常々おっしゃっていたのに……新しい皇帝陛下にすーっかり心酔してしまわれましたのですねぇ?」
う、わ。
うわ……。
そんなこと、あるわけない!
ヴィンセントは皇帝を憎んでいる!
リリアが踏んだのは地雷も地雷、大型地雷だ……!!
上からギリ、と、歯を食いしばる音がして、私はおそるおそるヴィンセントを見上げる。
うつむていてもわかる。ヴィンセントの瞳が燃えている。今は青い炎のようだ。
高温の怒りで瞳を燃やして、ヴィンセントは立ち上がろうとする。
「ヴィンセント様……!」
私は枕の横に手をついて、飛び起きた。
その手に、ポチッ、という感触が伝わってくる。
「あっ」
私は慌てて手を離し、枕の横を見た。
そこにあったのは……♥のマークのまぐわえボタン!
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