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『カタストロフ・エンジェル』世界に飛ばされた私が最初にしたこと。
それは、自分の立ち位置を確認することだった。
生前に猛烈なやりこみをしたせいで、宮廷周辺、内部の地図はあらかた頭に入っている。組織図もわかるし、国の成り立ちも、産業も、キャラの顔もわかる。
「そんな私の見立てからすると、私は『冬の国』出身の近衛兵だな」
無駄に鏡張りの廊下で、自分の顔をまじまじと見る。
OL時代の私は二十八歳。見るからに内臓が死んでる肌荒れ女子で、目には隈が常駐だった。
それに引き換え、今はどうだ。
鏡に写るのは、長い黒髪をポニーテールにくくった、かわいすぎるくらいかわいい男の子だ。白い肌は若さで透き通るよう。シワもシミもひとつもないし、目はくりくりっとした茶色で愛嬌があるし、小柄だけれど華美な軍服が似合う華がある。
このゲーム世界は、かつて四つの国に支配されていた。
『春』『夏』『秋』『冬』の四つの国は、統一ののちも民の意識の中で生きている。
私が着ている白にグレーの縁取りとシルバーの刺繍がある軍服は、『冬の国』のもの。
この宮廷で『冬の国』出身の要人というと、やはり、ヴィンセントだ。
ということは私は、ヴィンセントの近衛兵なのではないだろうか。
ヴィンセントの。私の推しの。近衛兵……!
私は彼の近衛兵になって、ヴィンセントを救うんだ!
こんなときめきが過去にあっただろうか。
初めてカタエンでヴィンセントに会ったとき以来じゃないだろうか。
私が喜びのあまり鏡の前で静かに高まっていると、背後から声をかけられた。
「おい、早く来い! 招集だ!」
振り返ると、私と同じ軍服の青年がいる。
私は身を乗り出して聞く。
「招集ってことは、ヴィンセント様が私を呼んでるってことですか?」
「そうだよ。広間だ、急げ!」
青年は青い顔をして、とっとと先に立って歩き出した。
何やらただ事ではない気配が漂っている。
この調子だと、何かゲーム上のイベントが起こるのかもしれない。
私は同僚の青年に追いすがりながら、大急ぎでカタエンのストーリーを思い出した。
カタストロフ・エンジェルの物語は、統一帝国の前皇帝を『悪魔』である主人公が倒すところから始まる。主人公はその場で新たな皇帝に即位。早々に前皇帝の忠臣を広間に集めるのだ。
多分、これから始まるのはこのシーンなんじゃないだろうか。
私たちは薄暗くだだっ広い廊下を抜け、控え室のような場所に到着した。
「遅くなりました!」
同僚の青年が言う。
私は彼に続いて部屋に入り、そして、息を呑んだ。
……いる。
あのひとが、いる。
壁のタペストリーを見つめてたたずむ長身。
「あ……」
見間違えたりなんかしない。
後ろ姿でもすぐわかる。
彼だ。
上品な艶のある灰色のローブに、宗教者みたいな金糸銀糸の刺繍の帯を肩にかけた、ぐわっと肩幅の広い立ち姿。ゲームのイメージそのままのひとが存在している。現実並みの質感を持って。実際に触れられるものとして、そこにいる。
そのひとは、私たちの足音に気づいて振り返る。
白に近い金色の髪が揺れる。眉間の皺。苦いものをかみつぶしたかのような、精悍な顔。
完璧。完璧すぎるほど完璧にゲームのまんま。
眉間のシワの一本一本までが格好いい。
ヴィンセントだ、これは、間違いなくヴィンセントだ!
「よく来た。……行くぞ」
ヴィンセントは私たちを見ると、震えるほど色っぽい低音で言った。
どう返事をしよう! などと浮かれているうちに、ヴィンセントは広間へ入っていく。
それはそうか、今はイベント中。私みたいなモブと話す暇はないはず。
気を取り直し、私はヴィンセントについて広間へ進む。両開きの扉を通ると、空間がぐうっと広がった感覚があった。頭上には壮麗な丸天井。とんでもなく高い天井のあちこちから鎖が垂れ下がり、金属製のランプが揺れている。
ランプの明かりだけで照らされたこの広間も、ゲームそっくり。
ここは元は皇帝の謁見の間。ゲーム内では、主人公が他のキャラと喋ったり、帝国の様子を知るために通う場所になる。案の定、広間の最奥には金属製の玉座があり、男が座っていた。
「いよう! よく来たな、えーっと? 誰だっけ?」
ふざけた調子で言い、乱れた黒髪の下で狡猾そうな猫目を光らせる男。
彼こそはカタストロフ・エンジェルのプレイヤーキャラ、鬼畜皇帝リベリオ。
……こんな顔だったんだな、と、私はまじまじ皇帝を眺めてしまった。
自分がプレイしている間は当然ながら自分の顔は見えない。資料集には載っていたけれど、あまり注目したことはなかった。二十代の若々しさと倦んだような雰囲気が同居する、どこか危うい魅力がある。
そのままじーっと観察していると、横から同僚に頭を押し下げられてしまった。
「おいっ、頭下げろ! 不敬罪!」
「あ、ごめんなさい!」
私は慌てて膝をつく。
私のすぐ前で、ヴィンセントも膝をつき、皇帝に一礼していた。
「ヴィンセント・ゴールディングであります、陛下。この国の宰相を務めております」
よどみなく流れ出すヴィンセントの声は、やっぱり最高だった。
知的で抑制が利いていて、どことなく品もいい。さらに声だけでなく、所作もいい。堂々としていて、力強いのと同時に優雅。骨格もいい。背中を丸めて一礼していても気品がある。威厳がある。肩から背中にしっかり筋肉がついているからだろうか、あらゆる曲線が色っぽい。
私がうっとりしているうちに、皇帝は面倒くさそうな声を上げた。
「あーつまらーん! そんなもん、わかってて言ってるに決まってるだろうがあ。嫌味だ、嫌味」
「さようでございますか」
平然と返すヴィンセントに、皇帝は身を乗り出す。
「さようだよ。お前、前の皇帝とは仲良しだったんだろ?」
イベントのシナリオをそのままなぞる台詞だったが、それでも私は顔をしかめそうになった。
皇帝の言うとおり、ヴィンセントは前の皇帝の親友だ。前の皇帝に頼みこまれて柄でもない宰相になり、あげく親友が殺された、という悲劇のひとだ。
プレイヤーである今の皇帝は、ヴィンセントの仇と言っていい。ヴィンセントはいくら冷静なふうを装っても、心の中では怒りが燃えさかっているのである。
おそるおそる様子を覗うと、ヴィンセントは皇帝の視線を冷徹に受け止めていた。
目を伏せることすらなく、堂々と答える。
「身に余るご寵愛を賜っておりました」
「だよなあ。で、その仲良しさんを殺した俺のこと、どう思う?」
皇帝はにんまりと笑った。
目の前で現実として展開されると、酷いな、これ……。
私は胸の奥に重く苦いものを抱えて、そっと斜め前にいるヴィンセントをうかがった。
ヴィンセントの横顔は相変わらず完璧に美しくて、冷徹に見える。
けれど、瞳だけが。
アイスブルーの瞳だけが……ぎらりと光った。
「陛下のことでしたら、底知れぬ力をお持ちの――クソ野郎だと存じております」
殺気に満ちたきれいな瞳で、ヴィンセントは言い放つ。
私は、息を呑んだ。
「うふ。ふ、は、ふはははははははは!」
皇帝は爆笑し、玉座の横に控えていた楽士たちを指さした。
「いいねえ! やっと面白い奴が来たじゃねーか! 行くぜ、音楽!」
楽士たちが、慌ててにぎやかな曲を始める。だだっ広い空間にわんわんと響く音楽。
皇帝を取り囲む新皇帝派の臣下たちは顔を見合わせて薄ら笑い、侍らせられた女達はわざとらしい歓声を上げる。辺りは一気に場末の酒場みたいな空気になった。
「お前が言うとおり、俺はクソ野郎だ! クソ野郎だが、俺なんかを呼びつけた奴らもクソだし、親友を助けられなかったお前もクソだ! クソ、クソ、クソ、ここにはクソしかいねえ! クソ同士仲良くやろうぜ、ヴィンセント!」
皇帝は上機嫌に言い、玉座の横に座りこんでいた少女を引きずり立たせる。
「来いよ、アイ」
「お心のままに、皇帝陛下」
答えた少女はひどく幼く見えるけれど、ゲーム内での設定は十八歳だったはずだ。
黒のショートカットに赤い瞳、無表情で子どもっぽい顔と、露出度の高い真っ赤なドレス。首輪みたいなアクセサリ。
この子のことはよく知っている。
なにせ、カタエンの攻略キャラだから。
「アイはかわいいね?」
皇帝はねちっこく言い、アイのまとった透け透けの赤いドレスを剥ぎ取った。
「あ……」
皇帝に薄っぺらな胸に吸いつかれ、アイの顔がうっすらと赤く染まる。
「神聖なる広間で、魔法族を……?」
同僚が、信じられない、というようにつぶやいている。
私はまたもゲーム知識をひっくり返す。
ここでアイが出てくる、ということは。
この皇帝は、アイルートでゲームを始めたんだ。
アイはかつては魔法を使った一族だけれど、魔法を脅威と思う者たちに一族ごと狩られてしまった。魔法族は、現在は魔法を封じられて愛玩用に飼われる種族だ。
マインドコントロールを受けていて、最初から皇帝に反抗することもないし、滅多なことでは好感度も下がらない。いわゆるイージーモードの攻略キャラ。
彼女とのルートを進めると、宮廷の治安は一気に悪化する。
この後は臣下を巻きこんで、酒池肉林の大騒ぎを始めるはずだ。
正直、まずい。
何がまずいって……。
「おそれながら、陛下。こちらは宮廷内でも最も神聖なる広間です。もはや酒を飲むなとは申しませんが、地下の者を呼びつけてかような行為をなさるというのは、いかにも冒涜的ではございませんでしょうか」
ほら。ヴィンセントの眉間に、めちゃくちゃ深いシワが寄っている……。
ヴィンセントはこのゲーム一禁欲的なキャラなので、酒池肉林など許せるわけもないのだ。本当に彼はどうしてこんなゲームに出演させられているのか。わからない。多分シナリオライターの性格が悪いか、萌えが偏っているんだと思う。
「あーもー、またそうやってつまらんことを言う~。んなこと言ってないで、お前もやれ」
皇帝はうざそうに言い、アイの体をなでさすっている。
ひく、と、ヴィンセントの口の端が引きつったのが見えた。
「やれ、とは、何をでございましょう」
「まぐわえ、って言ってんの」
にんまり笑う皇帝。
どっ、どっ、と、私の心臓が派手な音を立てる。
来た。来てしまった。
これは、このルートのヴィンセントの死亡フラグだ。
アイルートのヴィンセントは、ここできっぱり皇帝の誘いを断ってしまう。その時点で『叛意あり』ということになり、皇帝に断罪されてしまう。
どうしよう。どうしたらいい。
彼を救いにゲーム世界に来たものの、あまりに展開が早すぎる。
私は何をすればいい。私には何ができるんだ。
私は自分の腰をまさぐる。
武器は、ない。皇帝に謁見するときに武器は持てない。それはそうだ。
だったら、どうする?
どうやってヴィンセントを生かせばいい?
『私はあなたの望みを叶えます』
神様のセリフが、耳の奥で蘇る。
神様は、確かに望みは叶うと言った。
『ヴィンセントを救うのは、あなただ。彼のもとに行きなさい』
あなたに言われたとおり、ここまで来ました。
次はどうしたらいいの?
記憶の中の神様に問う。ゲーム世界に転生なんて無茶が通ったんだ。もうひとつくらい、奇跡が起こってもいいはずだ。
何か、運命を覆す方法があってもいいはずだ。
虫のいい願いだけれど、私は願う。心から、心の底から、願う。
『私からあなたにひとつ贈り物をします。大事にするんですよ』
贈り物――そうだ、贈り物があると言われていた。
きっとそれが、運命を覆すアイテム。
すごい魔法が使える魔石とか、魔法の杖とか、そういうものに違いない!
私は急いでポケットを探った。
その間にも、ヴィンセントはゆっくりと立ち上がる。
後ろ姿を見ていても、彼の中に怒りが満ちているのがよくわかる。
ダメ。ダメだよ、今、そこでキレちゃいけない。
毅然と皇帝に逆らって殺されるあなたは、いつだって最高にきれいだけれど。
私はそのきれいな死に様を知っているけれど。
いくらきれいでも、死んだら終わりだ。
ゲームの中だからって、死んだら終わりなのだ。
「……!」
そのとき、私の指先が何かに触れた。
あった、奇跡のアイテム!!
必死につかんで、ポケットから取り出した、それは――。
……ボタン?
それは、自分の立ち位置を確認することだった。
生前に猛烈なやりこみをしたせいで、宮廷周辺、内部の地図はあらかた頭に入っている。組織図もわかるし、国の成り立ちも、産業も、キャラの顔もわかる。
「そんな私の見立てからすると、私は『冬の国』出身の近衛兵だな」
無駄に鏡張りの廊下で、自分の顔をまじまじと見る。
OL時代の私は二十八歳。見るからに内臓が死んでる肌荒れ女子で、目には隈が常駐だった。
それに引き換え、今はどうだ。
鏡に写るのは、長い黒髪をポニーテールにくくった、かわいすぎるくらいかわいい男の子だ。白い肌は若さで透き通るよう。シワもシミもひとつもないし、目はくりくりっとした茶色で愛嬌があるし、小柄だけれど華美な軍服が似合う華がある。
このゲーム世界は、かつて四つの国に支配されていた。
『春』『夏』『秋』『冬』の四つの国は、統一ののちも民の意識の中で生きている。
私が着ている白にグレーの縁取りとシルバーの刺繍がある軍服は、『冬の国』のもの。
この宮廷で『冬の国』出身の要人というと、やはり、ヴィンセントだ。
ということは私は、ヴィンセントの近衛兵なのではないだろうか。
ヴィンセントの。私の推しの。近衛兵……!
私は彼の近衛兵になって、ヴィンセントを救うんだ!
こんなときめきが過去にあっただろうか。
初めてカタエンでヴィンセントに会ったとき以来じゃないだろうか。
私が喜びのあまり鏡の前で静かに高まっていると、背後から声をかけられた。
「おい、早く来い! 招集だ!」
振り返ると、私と同じ軍服の青年がいる。
私は身を乗り出して聞く。
「招集ってことは、ヴィンセント様が私を呼んでるってことですか?」
「そうだよ。広間だ、急げ!」
青年は青い顔をして、とっとと先に立って歩き出した。
何やらただ事ではない気配が漂っている。
この調子だと、何かゲーム上のイベントが起こるのかもしれない。
私は同僚の青年に追いすがりながら、大急ぎでカタエンのストーリーを思い出した。
カタストロフ・エンジェルの物語は、統一帝国の前皇帝を『悪魔』である主人公が倒すところから始まる。主人公はその場で新たな皇帝に即位。早々に前皇帝の忠臣を広間に集めるのだ。
多分、これから始まるのはこのシーンなんじゃないだろうか。
私たちは薄暗くだだっ広い廊下を抜け、控え室のような場所に到着した。
「遅くなりました!」
同僚の青年が言う。
私は彼に続いて部屋に入り、そして、息を呑んだ。
……いる。
あのひとが、いる。
壁のタペストリーを見つめてたたずむ長身。
「あ……」
見間違えたりなんかしない。
後ろ姿でもすぐわかる。
彼だ。
上品な艶のある灰色のローブに、宗教者みたいな金糸銀糸の刺繍の帯を肩にかけた、ぐわっと肩幅の広い立ち姿。ゲームのイメージそのままのひとが存在している。現実並みの質感を持って。実際に触れられるものとして、そこにいる。
そのひとは、私たちの足音に気づいて振り返る。
白に近い金色の髪が揺れる。眉間の皺。苦いものをかみつぶしたかのような、精悍な顔。
完璧。完璧すぎるほど完璧にゲームのまんま。
眉間のシワの一本一本までが格好いい。
ヴィンセントだ、これは、間違いなくヴィンセントだ!
「よく来た。……行くぞ」
ヴィンセントは私たちを見ると、震えるほど色っぽい低音で言った。
どう返事をしよう! などと浮かれているうちに、ヴィンセントは広間へ入っていく。
それはそうか、今はイベント中。私みたいなモブと話す暇はないはず。
気を取り直し、私はヴィンセントについて広間へ進む。両開きの扉を通ると、空間がぐうっと広がった感覚があった。頭上には壮麗な丸天井。とんでもなく高い天井のあちこちから鎖が垂れ下がり、金属製のランプが揺れている。
ランプの明かりだけで照らされたこの広間も、ゲームそっくり。
ここは元は皇帝の謁見の間。ゲーム内では、主人公が他のキャラと喋ったり、帝国の様子を知るために通う場所になる。案の定、広間の最奥には金属製の玉座があり、男が座っていた。
「いよう! よく来たな、えーっと? 誰だっけ?」
ふざけた調子で言い、乱れた黒髪の下で狡猾そうな猫目を光らせる男。
彼こそはカタストロフ・エンジェルのプレイヤーキャラ、鬼畜皇帝リベリオ。
……こんな顔だったんだな、と、私はまじまじ皇帝を眺めてしまった。
自分がプレイしている間は当然ながら自分の顔は見えない。資料集には載っていたけれど、あまり注目したことはなかった。二十代の若々しさと倦んだような雰囲気が同居する、どこか危うい魅力がある。
そのままじーっと観察していると、横から同僚に頭を押し下げられてしまった。
「おいっ、頭下げろ! 不敬罪!」
「あ、ごめんなさい!」
私は慌てて膝をつく。
私のすぐ前で、ヴィンセントも膝をつき、皇帝に一礼していた。
「ヴィンセント・ゴールディングであります、陛下。この国の宰相を務めております」
よどみなく流れ出すヴィンセントの声は、やっぱり最高だった。
知的で抑制が利いていて、どことなく品もいい。さらに声だけでなく、所作もいい。堂々としていて、力強いのと同時に優雅。骨格もいい。背中を丸めて一礼していても気品がある。威厳がある。肩から背中にしっかり筋肉がついているからだろうか、あらゆる曲線が色っぽい。
私がうっとりしているうちに、皇帝は面倒くさそうな声を上げた。
「あーつまらーん! そんなもん、わかってて言ってるに決まってるだろうがあ。嫌味だ、嫌味」
「さようでございますか」
平然と返すヴィンセントに、皇帝は身を乗り出す。
「さようだよ。お前、前の皇帝とは仲良しだったんだろ?」
イベントのシナリオをそのままなぞる台詞だったが、それでも私は顔をしかめそうになった。
皇帝の言うとおり、ヴィンセントは前の皇帝の親友だ。前の皇帝に頼みこまれて柄でもない宰相になり、あげく親友が殺された、という悲劇のひとだ。
プレイヤーである今の皇帝は、ヴィンセントの仇と言っていい。ヴィンセントはいくら冷静なふうを装っても、心の中では怒りが燃えさかっているのである。
おそるおそる様子を覗うと、ヴィンセントは皇帝の視線を冷徹に受け止めていた。
目を伏せることすらなく、堂々と答える。
「身に余るご寵愛を賜っておりました」
「だよなあ。で、その仲良しさんを殺した俺のこと、どう思う?」
皇帝はにんまりと笑った。
目の前で現実として展開されると、酷いな、これ……。
私は胸の奥に重く苦いものを抱えて、そっと斜め前にいるヴィンセントをうかがった。
ヴィンセントの横顔は相変わらず完璧に美しくて、冷徹に見える。
けれど、瞳だけが。
アイスブルーの瞳だけが……ぎらりと光った。
「陛下のことでしたら、底知れぬ力をお持ちの――クソ野郎だと存じております」
殺気に満ちたきれいな瞳で、ヴィンセントは言い放つ。
私は、息を呑んだ。
「うふ。ふ、は、ふはははははははは!」
皇帝は爆笑し、玉座の横に控えていた楽士たちを指さした。
「いいねえ! やっと面白い奴が来たじゃねーか! 行くぜ、音楽!」
楽士たちが、慌ててにぎやかな曲を始める。だだっ広い空間にわんわんと響く音楽。
皇帝を取り囲む新皇帝派の臣下たちは顔を見合わせて薄ら笑い、侍らせられた女達はわざとらしい歓声を上げる。辺りは一気に場末の酒場みたいな空気になった。
「お前が言うとおり、俺はクソ野郎だ! クソ野郎だが、俺なんかを呼びつけた奴らもクソだし、親友を助けられなかったお前もクソだ! クソ、クソ、クソ、ここにはクソしかいねえ! クソ同士仲良くやろうぜ、ヴィンセント!」
皇帝は上機嫌に言い、玉座の横に座りこんでいた少女を引きずり立たせる。
「来いよ、アイ」
「お心のままに、皇帝陛下」
答えた少女はひどく幼く見えるけれど、ゲーム内での設定は十八歳だったはずだ。
黒のショートカットに赤い瞳、無表情で子どもっぽい顔と、露出度の高い真っ赤なドレス。首輪みたいなアクセサリ。
この子のことはよく知っている。
なにせ、カタエンの攻略キャラだから。
「アイはかわいいね?」
皇帝はねちっこく言い、アイのまとった透け透けの赤いドレスを剥ぎ取った。
「あ……」
皇帝に薄っぺらな胸に吸いつかれ、アイの顔がうっすらと赤く染まる。
「神聖なる広間で、魔法族を……?」
同僚が、信じられない、というようにつぶやいている。
私はまたもゲーム知識をひっくり返す。
ここでアイが出てくる、ということは。
この皇帝は、アイルートでゲームを始めたんだ。
アイはかつては魔法を使った一族だけれど、魔法を脅威と思う者たちに一族ごと狩られてしまった。魔法族は、現在は魔法を封じられて愛玩用に飼われる種族だ。
マインドコントロールを受けていて、最初から皇帝に反抗することもないし、滅多なことでは好感度も下がらない。いわゆるイージーモードの攻略キャラ。
彼女とのルートを進めると、宮廷の治安は一気に悪化する。
この後は臣下を巻きこんで、酒池肉林の大騒ぎを始めるはずだ。
正直、まずい。
何がまずいって……。
「おそれながら、陛下。こちらは宮廷内でも最も神聖なる広間です。もはや酒を飲むなとは申しませんが、地下の者を呼びつけてかような行為をなさるというのは、いかにも冒涜的ではございませんでしょうか」
ほら。ヴィンセントの眉間に、めちゃくちゃ深いシワが寄っている……。
ヴィンセントはこのゲーム一禁欲的なキャラなので、酒池肉林など許せるわけもないのだ。本当に彼はどうしてこんなゲームに出演させられているのか。わからない。多分シナリオライターの性格が悪いか、萌えが偏っているんだと思う。
「あーもー、またそうやってつまらんことを言う~。んなこと言ってないで、お前もやれ」
皇帝はうざそうに言い、アイの体をなでさすっている。
ひく、と、ヴィンセントの口の端が引きつったのが見えた。
「やれ、とは、何をでございましょう」
「まぐわえ、って言ってんの」
にんまり笑う皇帝。
どっ、どっ、と、私の心臓が派手な音を立てる。
来た。来てしまった。
これは、このルートのヴィンセントの死亡フラグだ。
アイルートのヴィンセントは、ここできっぱり皇帝の誘いを断ってしまう。その時点で『叛意あり』ということになり、皇帝に断罪されてしまう。
どうしよう。どうしたらいい。
彼を救いにゲーム世界に来たものの、あまりに展開が早すぎる。
私は何をすればいい。私には何ができるんだ。
私は自分の腰をまさぐる。
武器は、ない。皇帝に謁見するときに武器は持てない。それはそうだ。
だったら、どうする?
どうやってヴィンセントを生かせばいい?
『私はあなたの望みを叶えます』
神様のセリフが、耳の奥で蘇る。
神様は、確かに望みは叶うと言った。
『ヴィンセントを救うのは、あなただ。彼のもとに行きなさい』
あなたに言われたとおり、ここまで来ました。
次はどうしたらいいの?
記憶の中の神様に問う。ゲーム世界に転生なんて無茶が通ったんだ。もうひとつくらい、奇跡が起こってもいいはずだ。
何か、運命を覆す方法があってもいいはずだ。
虫のいい願いだけれど、私は願う。心から、心の底から、願う。
『私からあなたにひとつ贈り物をします。大事にするんですよ』
贈り物――そうだ、贈り物があると言われていた。
きっとそれが、運命を覆すアイテム。
すごい魔法が使える魔石とか、魔法の杖とか、そういうものに違いない!
私は急いでポケットを探った。
その間にも、ヴィンセントはゆっくりと立ち上がる。
後ろ姿を見ていても、彼の中に怒りが満ちているのがよくわかる。
ダメ。ダメだよ、今、そこでキレちゃいけない。
毅然と皇帝に逆らって殺されるあなたは、いつだって最高にきれいだけれど。
私はそのきれいな死に様を知っているけれど。
いくらきれいでも、死んだら終わりだ。
ゲームの中だからって、死んだら終わりなのだ。
「……!」
そのとき、私の指先が何かに触れた。
あった、奇跡のアイテム!!
必死につかんで、ポケットから取り出した、それは――。
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