はじまりの朝

さくら乃

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第三章

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(ヤバいヤバいヤバい)

(なんとかしなきゃなんとかしなきゃなんとかしなきゃ)

(いっくん!)


「いっくーーーん!!」
 

 混乱の末、僕は彼の名を呼びながら走りだしていた。 

が。


「来るなっ!」

 間髪入れず飛んできた声に、ぴたっと足を止める。

「逃げろーーーっっ!!」
「え……」

 すぐに理解出来ずにいると、五人のうち二人が樹から離れ、こちらに走って来る。
 それは目に入っている。
 でも、身体がすぐには動かない。樹の元に走るか、それとも、逃げるか。相反する選択肢に頭も身体も混乱する。

「ナナーーっっ!!」

 名を呼ばれ、はっとした時には二人に両側から腕を掴まれていた。

「ナナちゃんて、言うんだ~。可愛いね」
 片方がにやにやしながらそう言えば、
「可愛いって、小学生だろ。って言うか、男じゃん」
 そう怪訝な顔をして突っ込む。
「男だって可愛いだろ~。あんなヤツの友だちとは思えねぇーわ」
「それは、そうだ」
「キミ、ホントはイヤなんじゃないの~? ボクらがやっつけてやろうか~」
 軽い口調で口々に言いながら、少しずつ石碑の方へ引き摺られて行く。引き摺られて、というより、もう爪先が浮いているような感じだ。



 どっどっどっ。

 頭の中に心臓があるみたいに、物凄い音がしている。


(なに。なに。なに)

(こわい。こわい。こわい)


 初めて味わう恐怖だった。
 目の前がぐるぐるして見えないし、身体は思うように動かない。
 自分では懸命に身体を捩って振りほどいてるつもりが、実際はこれっぽっちも動いていない。


(どうしたら。どうしたら)


 頭の中もぐるぐるしてその言葉ばかりを繰り返す。



 その時。

「……ってぇーっっ! こいつ、噛みつきやがったっ」 

 進行方向で騒ぎが起きた。
 やっと神経が繋がったみたいに目の前がひらけた。

 樹を捕まえていた二人の内一人が手を離す。それと同時に自分の目の前にいる男子の急所に蹴りを入れる。
「いっ……!」
 蹴られた相手は言葉に出来ないくらいに痛いらしい。
 不意を突かれ、陣形は崩れた。
 もう一人の緩んだ手から樹は抜け出し、こちらに走って来る。


「ナナっ!」
「いっくん!」


 勇気を貰って僕も精一杯身体を捩る。この状況に気を取られていた二人の腕から、なんとか抜け出すことが出来た。

「ナナっ! 逃げるぞっ」
「うんっ」

 樹が早くも僕に並び、追い抜きがてら、僕の手を握った。
 
「追いかけろっ!」
「逃がすか」

 遅れて反応示す中学生たちの声が後ろから聞こえてくる。
「わー」と叫びながら走ってくる音。


 僕らは懸命に走る。


(でも。でもね)



 「あ……」
 

 樹もかなり焦っていたのだろう。
 いつもはある気遣いも忘れてしまうくらいに。
 僕が全力で走る樹と同じ早さで走れるわけがないことを。


 握っていた手が離れてしまっても、一瞬気がつかないくらい、樹にも余裕がなかったんだ。


 まず僕の傍にいた二人が追いつき、僕に覆い被さる。それから一人二人とそれに続き、僕は顔面から地面に倒れた。その後も更に重みが増していく。

 僕が最後の力を振り絞って顔を地面から少し上げ見えたのは、漸く気がついて立ち止まった樹の姿だった。

「ナナーーーー…………!」

 
(ああ……いっくんが、呼んでる……)


 ──それがその時の、最後の記憶。

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