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12話 捕まえた
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寒さは幾分和らぐ時期だが、その日は朝からよく冷えていた。一度溶けかけた雪はきらきらの氷粒となって、楓の木には何本ものつららがぶら下がっている。
季節は急には変わらない。春の雪解けと、冬の寒さを繰り返しながら、徐々に徐々に移り変わっていくものだ。
喫茶わたゆきの開店時間が目前に迫った頃、雪斗は1人雪道を歩いていた。右手で祖父手作りの木そりを引き、倉庫を目指して黙々と進む。
ここ数日は暖かかったから早朝にしか暖炉を炊かなかった。しかし久しぶりに冬の寒さが戻ってきた今日は、1日を通してたくさんの薪が必要になるだろう。
木そりに山盛りの薪をのせた雪斗が、喫茶店へと続く道をえっちらおっちら引き返していたときのことだ。ふと遠くの空に影が見えた。鳥の影だ。巨大な翼を悠々と広げたその鳥は、喫茶わたゆきを目指して一直線に飛んでくる。流れ星と見まごうばかりのスピードだ。
「……げ」
雪斗は木そりの綱を放り出し、大慌てで雪道を駆けだした。一刻も早く建物に逃げ込まなければと思うけれど、雪に足をとられて思うように進めない。ばたばたと足掻くあいだに鳥影は雪斗の頭上へと迫り、しゅるりと音を立てて青年へと姿を変えた。雪斗のよく知る黒茶髪のイケメン青年へと。
「捕まえた」
イケメン青年――飛彦は雪斗の手首をつかみ、勝ち誇ったかのように言った。
「ちょ……放してください! 飛彦さん!」
「放しません。放したらまた逃げるでしょう」
「逃げ……逃……逃げるけどぉ……」
「きちんと理由を説明してもらえれば放しますから。どうして私のことを避けるんですか?」
飛彦の口調にいつもの優しさはない。本気で雪斗のことを逃がすつもりはないようだ。開店時間前を狙って喫茶店を訪れたのは、その時間ならば雪斗が油断していると踏んだためか。
雪斗は拘束から逃れようと抵抗するが、飛彦との体格差を考えれば敵うはずもなし。やがて渋々観念した。
「……飛彦さんが悪いんじゃないんです。僕が気持ちの整理をつけられていないだけで……」
「整理って何ですか? 気持ちの整理が必要なほどつらいことがあったんですか?」
「え、ええと……」
(何て説明すればいいんだろう。飛彦さんが若葉さんに手紙を送ろうとしたことが嫌だった? でもそんなことを言ったら、まるで僕が飛彦さんのこと――……)
鼓動が跳ねた。外気にさらされた指先は急速に冷えていくのに、飛彦に掴まれた場所だけが異様に熱い。このまま掴まれていたら鼓動の高鳴りが伝わってしまうのではないだろうか。
「『若葉』宛の手紙を届けてもらった日からですよね。雪斗くんが私を避け始めたのは。あの日、何があったんですか?」
確信を突く質問に、雪斗はすぐに答えられなかった。一つ言葉を紡げば感情が雪崩を起こしてしまう。胸のうちにある想いを伝えずにはいられなくなってしまう。
のどまで出かかった言葉を何度も飲み込もうとしたけれど、膨れ上がった想いを治めることは困難で、嗚咽と一緒に溢れ出した。
「と、飛彦さんのことが好きだから。それなのに、飛彦さんが若葉さんにラブレターを送ろうとするからぁ……」
とさり。
と音を立てて楓の木から雪が落ちた。
雪斗はうつむいたまま飛彦の顔を見ることができなかった。
(さ、最悪最悪最悪! こんな勢いだけの告白、するつもりじゃなかったのに……しかも飛彦さんを責めるような言葉で……)
しかしどれだけ後悔したところで、一度伝えてしまった想いを取り消すことなどできはしない。
ふいに手首をつかむ力が緩んだ。その一瞬をついて、雪斗はするりと飛彦の拘束から逃れ、迷うことなく鳥へと姿を変えた。小さくて愛らしいシマエナガの姿へと。
「雪斗くん! 待って!」
飛彦が叫ぶ。しかし雪斗は脇目も振らずに空へと舞い上がった。身勝手な告白をしたことが恥ずかしくて、もう飛彦から逃げることしか考えていなかった。
鳥の姿になった雪斗は、林の中を全速力で飛んだ。
もふもふと愛らしいシマエナガは呑気な印象を抱かれることが多いけれど、実はとても俊敏だ。手のひらにのるくらい小さな身体と、雪のように真っ白な体毛もあいまって、雪景色に紛れればいとも簡単に見失ってしまう。飛彦といえども見つけ出すことは簡単ではないだろう。
(逃げたって何の解決にもならないんだけどさ。そんなことはわかってるけどさ。でもあのまま話をするなんて無理だよ。だって完全に僕の片思いだもん)
どれだけの距離を飛んだのだろう。雪斗は手近な木の枝で羽を休めることにした。
林の木々のあいだに人影は見えず、辺りはしんと静まり返っている。雪化粧の大地にはあちらこちらから木漏れ日が射し、氷の粒がきらきらと輝いてとても綺麗だ。しかし美しい景色を楽しむ気分になどなれるはずもなく、雪斗は小さなくちばしから溜息を吐く。
「見つけた。もう逃がしませんからね」
尾っぽの後ろから飛彦の声を聞いたのは、そんな最中のことであった。
(な、何で!? 何で追いつかれたの!? あんなに頑張って逃げたのに!)
飛彦の両手のひらにすっぽりと包まれて、雪斗は大慌てだ。チリチリと鳴き声を上げ、両羽をばたつかせて抵抗するけれど、今度こそ本当に逃げられない。
「オジロワシは目がいいんですよ。猛禽類の中には、数キロメートル先の獲物を見つけられるものもいるんですって。知ってました?」
(し、知らなかった……)
「どこへ行っても、どれだけ速く飛んでも逃げられませんよ。観念して人間の姿に戻ってください。雪斗くんと話がしたいんです」
強い口調で言い含められて、雪斗はチュル……と鳴き声をあげてうなだれた。
季節は急には変わらない。春の雪解けと、冬の寒さを繰り返しながら、徐々に徐々に移り変わっていくものだ。
喫茶わたゆきの開店時間が目前に迫った頃、雪斗は1人雪道を歩いていた。右手で祖父手作りの木そりを引き、倉庫を目指して黙々と進む。
ここ数日は暖かかったから早朝にしか暖炉を炊かなかった。しかし久しぶりに冬の寒さが戻ってきた今日は、1日を通してたくさんの薪が必要になるだろう。
木そりに山盛りの薪をのせた雪斗が、喫茶店へと続く道をえっちらおっちら引き返していたときのことだ。ふと遠くの空に影が見えた。鳥の影だ。巨大な翼を悠々と広げたその鳥は、喫茶わたゆきを目指して一直線に飛んでくる。流れ星と見まごうばかりのスピードだ。
「……げ」
雪斗は木そりの綱を放り出し、大慌てで雪道を駆けだした。一刻も早く建物に逃げ込まなければと思うけれど、雪に足をとられて思うように進めない。ばたばたと足掻くあいだに鳥影は雪斗の頭上へと迫り、しゅるりと音を立てて青年へと姿を変えた。雪斗のよく知る黒茶髪のイケメン青年へと。
「捕まえた」
イケメン青年――飛彦は雪斗の手首をつかみ、勝ち誇ったかのように言った。
「ちょ……放してください! 飛彦さん!」
「放しません。放したらまた逃げるでしょう」
「逃げ……逃……逃げるけどぉ……」
「きちんと理由を説明してもらえれば放しますから。どうして私のことを避けるんですか?」
飛彦の口調にいつもの優しさはない。本気で雪斗のことを逃がすつもりはないようだ。開店時間前を狙って喫茶店を訪れたのは、その時間ならば雪斗が油断していると踏んだためか。
雪斗は拘束から逃れようと抵抗するが、飛彦との体格差を考えれば敵うはずもなし。やがて渋々観念した。
「……飛彦さんが悪いんじゃないんです。僕が気持ちの整理をつけられていないだけで……」
「整理って何ですか? 気持ちの整理が必要なほどつらいことがあったんですか?」
「え、ええと……」
(何て説明すればいいんだろう。飛彦さんが若葉さんに手紙を送ろうとしたことが嫌だった? でもそんなことを言ったら、まるで僕が飛彦さんのこと――……)
鼓動が跳ねた。外気にさらされた指先は急速に冷えていくのに、飛彦に掴まれた場所だけが異様に熱い。このまま掴まれていたら鼓動の高鳴りが伝わってしまうのではないだろうか。
「『若葉』宛の手紙を届けてもらった日からですよね。雪斗くんが私を避け始めたのは。あの日、何があったんですか?」
確信を突く質問に、雪斗はすぐに答えられなかった。一つ言葉を紡げば感情が雪崩を起こしてしまう。胸のうちにある想いを伝えずにはいられなくなってしまう。
のどまで出かかった言葉を何度も飲み込もうとしたけれど、膨れ上がった想いを治めることは困難で、嗚咽と一緒に溢れ出した。
「と、飛彦さんのことが好きだから。それなのに、飛彦さんが若葉さんにラブレターを送ろうとするからぁ……」
とさり。
と音を立てて楓の木から雪が落ちた。
雪斗はうつむいたまま飛彦の顔を見ることができなかった。
(さ、最悪最悪最悪! こんな勢いだけの告白、するつもりじゃなかったのに……しかも飛彦さんを責めるような言葉で……)
しかしどれだけ後悔したところで、一度伝えてしまった想いを取り消すことなどできはしない。
ふいに手首をつかむ力が緩んだ。その一瞬をついて、雪斗はするりと飛彦の拘束から逃れ、迷うことなく鳥へと姿を変えた。小さくて愛らしいシマエナガの姿へと。
「雪斗くん! 待って!」
飛彦が叫ぶ。しかし雪斗は脇目も振らずに空へと舞い上がった。身勝手な告白をしたことが恥ずかしくて、もう飛彦から逃げることしか考えていなかった。
鳥の姿になった雪斗は、林の中を全速力で飛んだ。
もふもふと愛らしいシマエナガは呑気な印象を抱かれることが多いけれど、実はとても俊敏だ。手のひらにのるくらい小さな身体と、雪のように真っ白な体毛もあいまって、雪景色に紛れればいとも簡単に見失ってしまう。飛彦といえども見つけ出すことは簡単ではないだろう。
(逃げたって何の解決にもならないんだけどさ。そんなことはわかってるけどさ。でもあのまま話をするなんて無理だよ。だって完全に僕の片思いだもん)
どれだけの距離を飛んだのだろう。雪斗は手近な木の枝で羽を休めることにした。
林の木々のあいだに人影は見えず、辺りはしんと静まり返っている。雪化粧の大地にはあちらこちらから木漏れ日が射し、氷の粒がきらきらと輝いてとても綺麗だ。しかし美しい景色を楽しむ気分になどなれるはずもなく、雪斗は小さなくちばしから溜息を吐く。
「見つけた。もう逃がしませんからね」
尾っぽの後ろから飛彦の声を聞いたのは、そんな最中のことであった。
(な、何で!? 何で追いつかれたの!? あんなに頑張って逃げたのに!)
飛彦の両手のひらにすっぽりと包まれて、雪斗は大慌てだ。チリチリと鳴き声を上げ、両羽をばたつかせて抵抗するけれど、今度こそ本当に逃げられない。
「オジロワシは目がいいんですよ。猛禽類の中には、数キロメートル先の獲物を見つけられるものもいるんですって。知ってました?」
(し、知らなかった……)
「どこへ行っても、どれだけ速く飛んでも逃げられませんよ。観念して人間の姿に戻ってください。雪斗くんと話がしたいんです」
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