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5話 コーヒーとお手紙
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こぢんまりとした店内にはふんわりとケーキのいい香りが漂っている。
雪斗と飛彦は、大通りの一角にある小さな喫茶店を訪れていた。どこか古めかしさを感じさせる喫茶わたゆきとは正反対の真新しい喫茶店だ。喫茶店、というよりはカフェ、という呼び方が正しいのだろうか。
洒落た椅子の背中にコートをかけながら、飛彦は嬉しそうだ。
「喫茶わたゆきへ通うようになってから、喫茶店巡りが趣味になってしまって。この喫茶店では少し珍しいお菓子を提供しているという噂を聞いて、一度きてみたいと思っていたんです」
雪斗もまた椅子の背にコートをかけながら言葉を返した。暖かな店内にも関わらず、もこもこの毛糸帽子はかぶったままだ。
「今更ですけど僕が連れでよかったんですか? どうせ喫茶店に立ち寄るのなら、さっきの女の人と一緒でもよかったんじゃ……」
「下心のある相手とお茶をしたって、楽しくもなんともないじゃないですか。変に誘いを受けて、脈があると勘違いされても面倒ですし」
「それはまあ、そうですね」
2人が喫茶店を訪れたのは飛彦の誘いだ。丁寧に会話を切り上げて、その場を立ち去ろうとする雪斗を、飛彦が呼び止めたから。「もしよろしければ一緒にお茶でもどうですか?」と。
特段ことわる理由も思いつかなかった雪斗は、深く考えることなくその誘いを受けた。
しかし雪斗は飛彦と友達というほど仲がいいわけではないし、こうしてプライベートで顔を合わせるのは初めてのこと。何を話していいのかわからず、雪斗は内心困惑していた。
注文を済ませたあと、たどたどしく質問した。
「飛彦さんは……ええと、今日は何を買ったんですか?」
「便箋と封筒です。手持ちの物を切らしてしまったので」
「へぇ、文通友達でもいるんですか?」
雪斗の質問に、飛彦はゆっくりと首を横に振った。
「手紙を送りたい相手がいるんです。でもうまく文章が書けなくて、四苦八苦しているうちに手持ちの便箋がなくなってしまって……」
「あー……確かにありますね、そういうこと」
雪斗の父母は月に1度、雪斗あてに手紙を送ってくる。祖父母の元で働く雪斗のことを心配し、そうして手紙を送ってくることはわかっているが、多少のわずらわしさを感じてしまう。
というのも手紙の返事を書くことが面倒だからだ。何を書けばいいのかわからなくて、いつも返事を先延ばしにしてしまう。大層なことを書く必要はない、と頭ではわかっているはずなのに。
(飛彦さんも僕と同じで手紙を書くことが苦手なのか……)
親近感を覚える雪斗の目の前に、書きかけの便箋が差し出された。
「ええと、これは?」
「昨日書きかけた手紙です。読んでみて、どう思いますか?」
つまり手紙の感想がほしい、ということらしい。
そういうことならと便箋を受け取り、視線を走らせた。シンプルなデザインの便箋にはくせのない綺麗な字が連なっている。
(……ん、んん?)
文章を読み進めるうちに、雪斗はしだいに違和感を感じ始めた。
手紙の冒頭は当たり障りのない挨拶文だ。そしてその後は、十数行にわたり天気の話題が続いている。それも3日前にたくさん雪が降っただとか、2日前の早朝はいつもよりも冷え込んだとか、昨日は風が強かっただとか、そんな面白味のない文章が延々と書きつらねられているのだ。
「手紙というか、お天気報告書……」
思わず率直な意見を口にすれば、飛彦は悩ましげに頭を抱えた。
「やっぱりそう感じますよね……何度書き直してもそうなってしまうんです。食べ物の話題にすれば献立表になってしまうし、仕事のことを書けば業務日誌になってしまうし、もう本当にどうすればいいのかわからなくて……」
「具体的なエピソードを書くようにすればいいんじゃないですか? 例えばただ『昨日は風が強かったです』だけじゃなくて『風が強かったので1日自宅で本を読んで過ごしました』とか、そこから派生して本の話題にうつるとか……」
などともっともらしい助言をしてみたところで、雪斗もまた手紙が苦手であることに違いはなし。先週の初めに届いた父母からの手紙に、いまだに返事を返せずにいる。
飛彦の手紙は、便箋の中ほどで文章が途切れていた。末尾は何度も書き直した跡がある。飛彦は飛彦なりに悩んでこの手紙を書いたのだ――できあがった手紙がお天気報告書としか思えなくても。そう思えば少し、飛彦に同情してしまった。
「あの……飛彦さん。もしよければ僕と文通をしませんか?」
突然の提案に、飛彦は意外そうに声をあげた。
「え?」
「実は僕も手紙を書くのが苦手なんです。だから文通をしながらお互いの文章を添削するというのはどうでしょう。良いところも悪いところも遠慮せずに指摘する、という条件で」
この街の人々は手紙を書くことが好きだ。雪斗の祖父母も、何人かの友達と長年にわたり文通を続けている。喫茶わたゆきの常連客の中には、旅行先で顔をあわせただけの人と手紙のやりとりをしているという強者もいる。
この街の人々にとって、手紙は人と人とをつなぐ大切な手段のひとつだ。普段は言えないことでも、文章にならしたためることができる。遠方にすむ家族・友人と喜びや悲しみを共有することができる。だから人々は手紙を書く。日々たくさんの手紙を届ける郵便配達人は大忙しだ。
雪斗も飛彦も手紙を書くことが苦手。けれども苦手なことをいつまでも苦手にしておくわけにはいかない。先に述べたとおり、この街の人々にとって、手紙は人と人とをつなぐ大切な手段のひとつなのだから。
「本当にいいんですか? 私への手紙を書くことが、雪斗さんの負担になったりは……」
申し訳なさそうな表情の飛彦に、雪斗は微笑みを返した。
「お互い、負担にならない程度にやりとりをするんです。1週間に一度でもいいですし、何なら1ヶ月に一度でもいいですし。飛彦さんが喫茶店へやってきたときに手紙のやり取りをすれば、郵便料金もかからないですし、結構いい案だと思うんですよね。……どうでしょう?」
出過ぎた提案だっただろうか、と上目づかいで飛彦を見た。
飛彦は少し考え込んだあと、目を細めて表情をほころばせた。
「確かにとてもいい案です。雪斗さん、よろしくお願いします」
「はい、こちらこそ」
こうして雪斗と飛彦は文通友達になった。両親と手紙のやり取りをすることは億劫なのに、飛彦との文通はただただ楽しみで、不思議なこともあるものだと思った。
雪斗と飛彦は、大通りの一角にある小さな喫茶店を訪れていた。どこか古めかしさを感じさせる喫茶わたゆきとは正反対の真新しい喫茶店だ。喫茶店、というよりはカフェ、という呼び方が正しいのだろうか。
洒落た椅子の背中にコートをかけながら、飛彦は嬉しそうだ。
「喫茶わたゆきへ通うようになってから、喫茶店巡りが趣味になってしまって。この喫茶店では少し珍しいお菓子を提供しているという噂を聞いて、一度きてみたいと思っていたんです」
雪斗もまた椅子の背にコートをかけながら言葉を返した。暖かな店内にも関わらず、もこもこの毛糸帽子はかぶったままだ。
「今更ですけど僕が連れでよかったんですか? どうせ喫茶店に立ち寄るのなら、さっきの女の人と一緒でもよかったんじゃ……」
「下心のある相手とお茶をしたって、楽しくもなんともないじゃないですか。変に誘いを受けて、脈があると勘違いされても面倒ですし」
「それはまあ、そうですね」
2人が喫茶店を訪れたのは飛彦の誘いだ。丁寧に会話を切り上げて、その場を立ち去ろうとする雪斗を、飛彦が呼び止めたから。「もしよろしければ一緒にお茶でもどうですか?」と。
特段ことわる理由も思いつかなかった雪斗は、深く考えることなくその誘いを受けた。
しかし雪斗は飛彦と友達というほど仲がいいわけではないし、こうしてプライベートで顔を合わせるのは初めてのこと。何を話していいのかわからず、雪斗は内心困惑していた。
注文を済ませたあと、たどたどしく質問した。
「飛彦さんは……ええと、今日は何を買ったんですか?」
「便箋と封筒です。手持ちの物を切らしてしまったので」
「へぇ、文通友達でもいるんですか?」
雪斗の質問に、飛彦はゆっくりと首を横に振った。
「手紙を送りたい相手がいるんです。でもうまく文章が書けなくて、四苦八苦しているうちに手持ちの便箋がなくなってしまって……」
「あー……確かにありますね、そういうこと」
雪斗の父母は月に1度、雪斗あてに手紙を送ってくる。祖父母の元で働く雪斗のことを心配し、そうして手紙を送ってくることはわかっているが、多少のわずらわしさを感じてしまう。
というのも手紙の返事を書くことが面倒だからだ。何を書けばいいのかわからなくて、いつも返事を先延ばしにしてしまう。大層なことを書く必要はない、と頭ではわかっているはずなのに。
(飛彦さんも僕と同じで手紙を書くことが苦手なのか……)
親近感を覚える雪斗の目の前に、書きかけの便箋が差し出された。
「ええと、これは?」
「昨日書きかけた手紙です。読んでみて、どう思いますか?」
つまり手紙の感想がほしい、ということらしい。
そういうことならと便箋を受け取り、視線を走らせた。シンプルなデザインの便箋にはくせのない綺麗な字が連なっている。
(……ん、んん?)
文章を読み進めるうちに、雪斗はしだいに違和感を感じ始めた。
手紙の冒頭は当たり障りのない挨拶文だ。そしてその後は、十数行にわたり天気の話題が続いている。それも3日前にたくさん雪が降っただとか、2日前の早朝はいつもよりも冷え込んだとか、昨日は風が強かっただとか、そんな面白味のない文章が延々と書きつらねられているのだ。
「手紙というか、お天気報告書……」
思わず率直な意見を口にすれば、飛彦は悩ましげに頭を抱えた。
「やっぱりそう感じますよね……何度書き直してもそうなってしまうんです。食べ物の話題にすれば献立表になってしまうし、仕事のことを書けば業務日誌になってしまうし、もう本当にどうすればいいのかわからなくて……」
「具体的なエピソードを書くようにすればいいんじゃないですか? 例えばただ『昨日は風が強かったです』だけじゃなくて『風が強かったので1日自宅で本を読んで過ごしました』とか、そこから派生して本の話題にうつるとか……」
などともっともらしい助言をしてみたところで、雪斗もまた手紙が苦手であることに違いはなし。先週の初めに届いた父母からの手紙に、いまだに返事を返せずにいる。
飛彦の手紙は、便箋の中ほどで文章が途切れていた。末尾は何度も書き直した跡がある。飛彦は飛彦なりに悩んでこの手紙を書いたのだ――できあがった手紙がお天気報告書としか思えなくても。そう思えば少し、飛彦に同情してしまった。
「あの……飛彦さん。もしよければ僕と文通をしませんか?」
突然の提案に、飛彦は意外そうに声をあげた。
「え?」
「実は僕も手紙を書くのが苦手なんです。だから文通をしながらお互いの文章を添削するというのはどうでしょう。良いところも悪いところも遠慮せずに指摘する、という条件で」
この街の人々は手紙を書くことが好きだ。雪斗の祖父母も、何人かの友達と長年にわたり文通を続けている。喫茶わたゆきの常連客の中には、旅行先で顔をあわせただけの人と手紙のやりとりをしているという強者もいる。
この街の人々にとって、手紙は人と人とをつなぐ大切な手段のひとつだ。普段は言えないことでも、文章にならしたためることができる。遠方にすむ家族・友人と喜びや悲しみを共有することができる。だから人々は手紙を書く。日々たくさんの手紙を届ける郵便配達人は大忙しだ。
雪斗も飛彦も手紙を書くことが苦手。けれども苦手なことをいつまでも苦手にしておくわけにはいかない。先に述べたとおり、この街の人々にとって、手紙は人と人とをつなぐ大切な手段のひとつなのだから。
「本当にいいんですか? 私への手紙を書くことが、雪斗さんの負担になったりは……」
申し訳なさそうな表情の飛彦に、雪斗は微笑みを返した。
「お互い、負担にならない程度にやりとりをするんです。1週間に一度でもいいですし、何なら1ヶ月に一度でもいいですし。飛彦さんが喫茶店へやってきたときに手紙のやり取りをすれば、郵便料金もかからないですし、結構いい案だと思うんですよね。……どうでしょう?」
出過ぎた提案だっただろうか、と上目づかいで飛彦を見た。
飛彦は少し考え込んだあと、目を細めて表情をほころばせた。
「確かにとてもいい案です。雪斗さん、よろしくお願いします」
「はい、こちらこそ」
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