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1話 雪の日の出会い
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しんしんと。
雪が降り積もる街の片隅に、小さな喫茶店があった。無垢材の壁に赤い屋根をのせたその建物は、さながら雪景色に立つサンタクロースのよう。
ききぃ、と古びた扉を開けば、香ばしいコーヒーの香りは胸いっぱいに流れ込んでくる。客人を出迎える老店主の声、ぱちぱちと音を立てて燃える煉瓦造りの暖炉。暖かな空気が冷えた指先を溶かしてくれる。
「いらっしゃいませ、お席にご案内しますね。どうぞこちらへ」
温かな室内で、奇妙にも毛糸帽子を頭にのせた青年が、客人にそう声をかけた。くりくりとした黒い瞳が印象的な、愛らしい容姿の青年だ。
客人が席につくと、青年はテーブルにおしぼりとお冷をのせ、人懐こい笑顔でにこりと微笑んだ。
「注文が決まったら声をかけてくださいね」
胸の前におぼんを抱え、去っていく青年の襟足には、ちょろりと白いおくれ毛があった。
○○○
「雪斗くん。悪いんだけど、倉庫からまきを運んできてくれるかしら」
エプロン姿の祖母にそう声をかけられて、雪斗はこくりとうなずいた。
あまり大きくはない街の片隅で、雪斗の祖父母は小さな喫茶店を営んでいる。古びて使われたなくなったログハウスを、祖父みずから改装した洒落た喫茶店だ。
提供されるメニューは数種類の飲物と日替わりのケーキ、それから祖母特製のサンドイッチとオムライス、それだけ。それでも日々の喧騒を忘れさせるような暖かな雰囲気に魅了され、足しげく通う客人は多い。知る人ぞ知る隠れ家的な喫茶店、というところだろうか。
雪斗はその小さな喫茶店で店員として働いていた。
「すぐ運んでくるよ。焚きつけはまだあるの?」
「まだあったと思うけど……でもついでに運んできてもらえると助かるわ。明日も冷えるみたいだから、焚きつけを切らしてしまったら困るもの」
「ん、わかった」
雪斗は手に持っていたおぼんを置き、厚手の上着にそでを通した。頭にのせた帽子をかぶりなおし、もこもこのマフラーを巻き、手袋をはめて外へ出る。
赤らみ始めた西の空が、白銀の大地に反射して、まぶしさに目を細めてしまう。
この街は、冬になるとたくさんの雪が降る。緑の山野も、彩り鮮やかな街並みも、すっぽり覆い隠してしまうくらい。だから街の家々には暖かさを保つための暖炉と、まきを保管しておくための倉庫が欠かせない。
春先に林から丸太を切り出す人の姿も、庭先に積み上げられた丸太山も、まき割りに精を出す人の姿も、この街ではありふれた光景だ。
「うわぁ……さっむ……」
雪斗はもこもこのマフラーに顔をうずめ、雪道を歩き出した。
まきを保管してある倉庫は、喫茶店からは少し離れた場所に建てられている。祖父手製の木そりに山盛りのまきを乗せ、踏み鳴らされていない雪道を運搬するといういうのは、かなりの重労働だ。
そのような力仕事を高齢の祖父母に任せられるはずもなく、冬場のまき運びはいつも雪斗の仕事。それでもその仕事を面倒だと思ったことは一度もなかった。
木そりに山盛りのまきを乗せ、喫茶店へと続く道を黙々と引き返していたときのことだ。西の空に1羽の鳥が姿を現した。オジロワシだ。
黒茶色の大きな羽を悠々とはためかせるオジロワシ。旋回しながら喫茶店の店先へと下りてくる。
そして雪化粧の大地に両足をつけたかと思うと、しゅるりと音を立てて青年へと姿を変えた。
(わ、すごい。オジロワシの鳥獣人だ……)
雪斗の暮らす街は鳥獣人の街だ。住人はみな鳥の血を引いていて、普段は人間の姿で生活をしながらも、自由自在に鳥へと姿を変えることができる。
ハト、カラス、ヒヨドリ、ツグミ。鳥の種類は様々だが、オジロワシの鳥獣人は珍しい。雪斗は胸がドキドキしてしまった。
「あ、あの。喫茶店のご利用ですか……?」
店先に立ち尽くしたままの青年に、雪斗はおそるおそる声をかけた。
オジロワシの名を体現したかのような凛々しい容姿の青年だ。歳は雪斗よりも少し上――20代中盤というところだろうか。背は雪斗よりもこぶしを3つ分は高く、顔立ちも身体つきも整ってはいるがどこか堅苦しい印象を抱かせる。
青年は見た目の印象に違いなく、堅苦しい口調で雪斗の質問に答えた。
「郵便です。喫茶わたゆきの銀次様あてにお手紙を預かっています」
『喫茶わたゆき』は雪斗が働く喫茶店の名前。そして『銀次』は雪斗の祖父の名前だ。
改めて見つめてみれば、オジロワシの青年の衣服には、郵便配達員であることを示す名札が縫い付けられていた。そして肩には革製の郵便かばん。
「配達ありがとうございます」
雪斗は青年に向けて軽く頭を下げたあと、少し間をおいて質問した。
「あの……郵便配達員さんが変わられたんですか? 以前は別の方がこの地区を担当されていましたよね」
この街では、郵便配達は人の手――ならぬ鳥の翼で行われる。鳥の姿となった郵便配達員が、街中を飛び回り手紙や荷物を届けるのだ。
雪斗の働いている喫茶店にも、週に1、2回ほど手紙が届けられる。そして雪斗の知る限り、喫茶店へとやって来る郵便配達員は、いつも決まってハヤブサのお爺さんだったわけなのだが。
「数日前に局内の配置替えがあって、私がこの地区の配達を任されることになったんです。以前この地区を担当していた配達員は、今は別の地区の担当になりました」
「そうだったんですね、祖父母にはそう伝えておきます」
青年は革手袋を脱ぐと、郵便かばんの中から白い封筒を取り出し、雪斗の胸の前に差し出した。封筒の表面には『喫茶わたゆき 銀次様』の文字。
雪斗はその封筒を受け取ると、青年に向かってまた軽く頭を下げた。
「確かに受け取りました。寒い中ありがとうございます」
「いえ、仕事ですから。では私はこれで」
青年は雪斗の顔を一瞥すると、革手袋をはめその場を立ち去ろうとする。雪斗は慌てて青年の背中に呼びかけた。
「あ、あの……よろしければ中で少し休んでいきませんか?」
「え?」
疑わしげな視線に見据えられて、雪斗はたどたどしく説明した。
「以前この地区を担当されていた配達員さんは、よく喫茶店に立ち寄っていたんです。うちへの配達を一番最後にして、早めの夕食を食べていくこともありました。だからその……もし立ち寄っていただけるのなら、コーヒーくらいはサービスできますけど」
青年は少し考えたあと、申し訳なさそうに目線を下げた。
「嬉しいお話ですが、みません。まだこの地区の配達に慣れていなくて、今日中に届けなければならない手紙がたくさん残っているんです」
「そ、そうですよね。忙しいのに引き留めてしまってごめんなさい……」
雪斗の謝罪に、青年はかすかな微笑みを返した。
「でも次回の配達時には、ぜひ喫茶店に立ち寄らせてください。助言をいただいたとおり、ここへの配達を一番最後にしますから」
それから雪道を1歩、2歩と歩いたかと思うと、しゅるりと音を立ててオジロワシへと姿を変えた。黒茶色の翼を数度はためかせ、大空へと舞い上がっていく。
雪斗は届けられたばかりの封筒を握りしめ、林の向こう側へと消えていくオジロワシの影を見つめていた。
(オジロワシの鳥獣人か……かっこいいなぁ。僕とは大違い)
雪が降り積もる街の片隅に、小さな喫茶店があった。無垢材の壁に赤い屋根をのせたその建物は、さながら雪景色に立つサンタクロースのよう。
ききぃ、と古びた扉を開けば、香ばしいコーヒーの香りは胸いっぱいに流れ込んでくる。客人を出迎える老店主の声、ぱちぱちと音を立てて燃える煉瓦造りの暖炉。暖かな空気が冷えた指先を溶かしてくれる。
「いらっしゃいませ、お席にご案内しますね。どうぞこちらへ」
温かな室内で、奇妙にも毛糸帽子を頭にのせた青年が、客人にそう声をかけた。くりくりとした黒い瞳が印象的な、愛らしい容姿の青年だ。
客人が席につくと、青年はテーブルにおしぼりとお冷をのせ、人懐こい笑顔でにこりと微笑んだ。
「注文が決まったら声をかけてくださいね」
胸の前におぼんを抱え、去っていく青年の襟足には、ちょろりと白いおくれ毛があった。
○○○
「雪斗くん。悪いんだけど、倉庫からまきを運んできてくれるかしら」
エプロン姿の祖母にそう声をかけられて、雪斗はこくりとうなずいた。
あまり大きくはない街の片隅で、雪斗の祖父母は小さな喫茶店を営んでいる。古びて使われたなくなったログハウスを、祖父みずから改装した洒落た喫茶店だ。
提供されるメニューは数種類の飲物と日替わりのケーキ、それから祖母特製のサンドイッチとオムライス、それだけ。それでも日々の喧騒を忘れさせるような暖かな雰囲気に魅了され、足しげく通う客人は多い。知る人ぞ知る隠れ家的な喫茶店、というところだろうか。
雪斗はその小さな喫茶店で店員として働いていた。
「すぐ運んでくるよ。焚きつけはまだあるの?」
「まだあったと思うけど……でもついでに運んできてもらえると助かるわ。明日も冷えるみたいだから、焚きつけを切らしてしまったら困るもの」
「ん、わかった」
雪斗は手に持っていたおぼんを置き、厚手の上着にそでを通した。頭にのせた帽子をかぶりなおし、もこもこのマフラーを巻き、手袋をはめて外へ出る。
赤らみ始めた西の空が、白銀の大地に反射して、まぶしさに目を細めてしまう。
この街は、冬になるとたくさんの雪が降る。緑の山野も、彩り鮮やかな街並みも、すっぽり覆い隠してしまうくらい。だから街の家々には暖かさを保つための暖炉と、まきを保管しておくための倉庫が欠かせない。
春先に林から丸太を切り出す人の姿も、庭先に積み上げられた丸太山も、まき割りに精を出す人の姿も、この街ではありふれた光景だ。
「うわぁ……さっむ……」
雪斗はもこもこのマフラーに顔をうずめ、雪道を歩き出した。
まきを保管してある倉庫は、喫茶店からは少し離れた場所に建てられている。祖父手製の木そりに山盛りのまきを乗せ、踏み鳴らされていない雪道を運搬するといういうのは、かなりの重労働だ。
そのような力仕事を高齢の祖父母に任せられるはずもなく、冬場のまき運びはいつも雪斗の仕事。それでもその仕事を面倒だと思ったことは一度もなかった。
木そりに山盛りのまきを乗せ、喫茶店へと続く道を黙々と引き返していたときのことだ。西の空に1羽の鳥が姿を現した。オジロワシだ。
黒茶色の大きな羽を悠々とはためかせるオジロワシ。旋回しながら喫茶店の店先へと下りてくる。
そして雪化粧の大地に両足をつけたかと思うと、しゅるりと音を立てて青年へと姿を変えた。
(わ、すごい。オジロワシの鳥獣人だ……)
雪斗の暮らす街は鳥獣人の街だ。住人はみな鳥の血を引いていて、普段は人間の姿で生活をしながらも、自由自在に鳥へと姿を変えることができる。
ハト、カラス、ヒヨドリ、ツグミ。鳥の種類は様々だが、オジロワシの鳥獣人は珍しい。雪斗は胸がドキドキしてしまった。
「あ、あの。喫茶店のご利用ですか……?」
店先に立ち尽くしたままの青年に、雪斗はおそるおそる声をかけた。
オジロワシの名を体現したかのような凛々しい容姿の青年だ。歳は雪斗よりも少し上――20代中盤というところだろうか。背は雪斗よりもこぶしを3つ分は高く、顔立ちも身体つきも整ってはいるがどこか堅苦しい印象を抱かせる。
青年は見た目の印象に違いなく、堅苦しい口調で雪斗の質問に答えた。
「郵便です。喫茶わたゆきの銀次様あてにお手紙を預かっています」
『喫茶わたゆき』は雪斗が働く喫茶店の名前。そして『銀次』は雪斗の祖父の名前だ。
改めて見つめてみれば、オジロワシの青年の衣服には、郵便配達員であることを示す名札が縫い付けられていた。そして肩には革製の郵便かばん。
「配達ありがとうございます」
雪斗は青年に向けて軽く頭を下げたあと、少し間をおいて質問した。
「あの……郵便配達員さんが変わられたんですか? 以前は別の方がこの地区を担当されていましたよね」
この街では、郵便配達は人の手――ならぬ鳥の翼で行われる。鳥の姿となった郵便配達員が、街中を飛び回り手紙や荷物を届けるのだ。
雪斗の働いている喫茶店にも、週に1、2回ほど手紙が届けられる。そして雪斗の知る限り、喫茶店へとやって来る郵便配達員は、いつも決まってハヤブサのお爺さんだったわけなのだが。
「数日前に局内の配置替えがあって、私がこの地区の配達を任されることになったんです。以前この地区を担当していた配達員は、今は別の地区の担当になりました」
「そうだったんですね、祖父母にはそう伝えておきます」
青年は革手袋を脱ぐと、郵便かばんの中から白い封筒を取り出し、雪斗の胸の前に差し出した。封筒の表面には『喫茶わたゆき 銀次様』の文字。
雪斗はその封筒を受け取ると、青年に向かってまた軽く頭を下げた。
「確かに受け取りました。寒い中ありがとうございます」
「いえ、仕事ですから。では私はこれで」
青年は雪斗の顔を一瞥すると、革手袋をはめその場を立ち去ろうとする。雪斗は慌てて青年の背中に呼びかけた。
「あ、あの……よろしければ中で少し休んでいきませんか?」
「え?」
疑わしげな視線に見据えられて、雪斗はたどたどしく説明した。
「以前この地区を担当されていた配達員さんは、よく喫茶店に立ち寄っていたんです。うちへの配達を一番最後にして、早めの夕食を食べていくこともありました。だからその……もし立ち寄っていただけるのなら、コーヒーくらいはサービスできますけど」
青年は少し考えたあと、申し訳なさそうに目線を下げた。
「嬉しいお話ですが、みません。まだこの地区の配達に慣れていなくて、今日中に届けなければならない手紙がたくさん残っているんです」
「そ、そうですよね。忙しいのに引き留めてしまってごめんなさい……」
雪斗の謝罪に、青年はかすかな微笑みを返した。
「でも次回の配達時には、ぜひ喫茶店に立ち寄らせてください。助言をいただいたとおり、ここへの配達を一番最後にしますから」
それから雪道を1歩、2歩と歩いたかと思うと、しゅるりと音を立ててオジロワシへと姿を変えた。黒茶色の翼を数度はためかせ、大空へと舞い上がっていく。
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