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17.再・居酒屋鳥八
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気分も華やぐ金曜日。居酒屋鳥八には今日も多くの人々が集まっていた。
俺と律希、壮太と真理愛、それに20代の若手社員が数名。居酒屋自慢の料理を頬張りながら、1週間の疲れを癒すように酒を飲む。
「春臣君。突然の誘いにのってくれてありがとね」
とカクテルグラスを掲げる者は真理愛。俺はビールジョッキを持ち上げ乾杯に応じた。
「こちらこそ誘ってくれてありがとね。俺、もう別部署の人間なのにさ」
「春臣君も誘いたいって意見が多かったんだよ。私たち皆、なんだかんだ春臣君のお世話になってるからさ」
情報システム部門への異動が決まったとき、俺は後輩たちにひとつずつ置き土産を残した。置き土産、それすなわち「日々の業務を少しだけ便利にするITツール」のこと。
この土産のお陰で、部署内の平均残業時間は大幅に削減されたらしい。ライフワークバランスを重視する若手社員らはいたく喜んでいるのだとか。
さらに情報システム部門へと異動した後も、俺はなんだかんだと彼らの業務を助けている。例えばソフトの使い方でわからないことがあったり、ネットワークに問題が生じたりすると、彼らはこぞって俺の元を訪れる。「パソコン専門のお助け係」というところだ。
「会社を興したって話は本当? 何日か前、そんな噂話を聞いたんだけど」
「本当だよ。といっても実際に稼ぎが出るのはまだ先だよ。1 か月くらい前にようやく法人登記が済んだばかりだからさ」
「へぇ……それにしたって凄いよ。春臣君は凄い人だったんだね」
「俺はパソコンのソフトと一緒だよ。上手く使ってくれる人が傍にいれば良いけど、1人じゃ何もできない」
真理愛は少し考えたあと、「そうかもね」と言ってうなずいた。
その時、尻ポケットで振動を感じた。スマホの着信だ。誰だろうと画面を見てみれば、顔写真とともに映し出される「美緒」の文字。
俺は懐かしい2文字をしばし見つめた後、席を外すことはせずに通話ボタンを押した。
「もしもし」
『もしもし春臣君。突然ごめんね。今、忙しいかな?』
「飲み会の途中だけど少しなら大丈夫だよ。どうしたの?」
『あのね。近いうちに会えないかなと思って』
おや、と俺は思う。以前、美緒は「とある男性から結婚を前提にお付き合いを申し込まれている」と話していたはずだ。
「彼氏、いるんでしょ? 俺と会うのはよくないと思うよ」
『……彼とは別れたの。男らしい性格だと思ってたら、ちょっとしたことで店員さんを怒鳴りつけるような人だったんだよ。それでお付き合いするの、怖くなっちゃって』
「あー……そうだったんだ」
『春臣君は絶対にそんなことしなかったよね。だからその……少し話を聞いてもらえないかなと思って』
電話越しに美緒の思惑が伝わってくる。
あなたと会って話をして、あわよくばヨリを戻したい。
別れた今でも美緒のことは大切だ。幸せになって欲しいと思う。でも美緒を幸せにするのはもう俺の役目ではない。俺が幸せにしなければならないのは――
「ごめん、美緒とは会えない。俺、付き合ってる人がいるんだ。その人を不安にさせるようなことはしたくない」
『……そっか』
美緒はそれ以上食い下がることはしなかった。短い別れの挨拶を済ませた後、電話を切る。
隣に座る真理愛が、目をまん丸にして俺を見つめていた。
「あの春臣君が、人の頼みを断ってる」
「そりゃ断るでしょ。この場合はさすがにさ」
俺は座敷の隅を見やった。その場所には律希がいる。壮太を含む数名の男性社員と額を突き合わせ、含み笑いを零しながら楽しそうだ。
ふわふわと揺れる律希のくせっ毛を見て、ほんわりと幸せな気持ちになる俺。真理愛はそんな俺の横顔をじっと見つめている。
「……春臣君のお相手って、もしかしてりっちゃん?」
俺は驚いて飛び上がった。
「うえ⁉ 何でわかったの⁉」
「だって乙女の顔でりっちゃんのこと見てるんだもん。そりゃわかるよ」
とのことだ。
俺と律希は1か月前に恋人関係へと復帰した。以前のような曖昧な気持ちでのお付き合いではない。互いに好意を伝えた上での、しっかりとした形でのお付き合いだ。
しかし両想いであることを認めてしまった以上、俺の心には一抹の不安があるわけで。
「あのぉ……毒舌兵器の真理愛さん」
「なにさ」
「ぶっちゃけどう思います? 男同士のお付き合いって」
「それをあたしに訊く? 恋人にプロポーズを受け入れられて幸せ気分のあたしにさ」
一瞬、真理愛の言葉の意味がわからなかった。
真理愛は以前、飲み会の最中に「長年の片思いを実らせた」のだと告白した。しかしその後、誰がどう尋ねても恋人に関する情報は漏らさなかった。名前すら、かたくなに。
真理愛の黙秘が、俺が感じている後ろめたさと同じ理由からくるものだったとしたら――?
「……もしかして真理愛のお相手って女性?」
「そうだよ。来週、市役所にパートナーシップ宣誓書を出しに行くの。宣誓書が受理されれば、結婚関係に準ずる関係として社会的に認められるんだ。うちの会社はその辺りの仕組みが整っててさ。パートナーになれば家族として色んな福利厚生が使えるようになるの。結婚休暇や、家族の看護休暇もとれるんだよ」
「へぇ……そうなんだ」
「同性同士じゃ法的な家族にはなれないけどね。社会的に家族として認められることはできるんだよ。一歩踏み出す勇気があれば」
真理愛の力強い言葉は、一体誰に向けたものだったのだろう。
俺と律希、壮太と真理愛、それに20代の若手社員が数名。居酒屋自慢の料理を頬張りながら、1週間の疲れを癒すように酒を飲む。
「春臣君。突然の誘いにのってくれてありがとね」
とカクテルグラスを掲げる者は真理愛。俺はビールジョッキを持ち上げ乾杯に応じた。
「こちらこそ誘ってくれてありがとね。俺、もう別部署の人間なのにさ」
「春臣君も誘いたいって意見が多かったんだよ。私たち皆、なんだかんだ春臣君のお世話になってるからさ」
情報システム部門への異動が決まったとき、俺は後輩たちにひとつずつ置き土産を残した。置き土産、それすなわち「日々の業務を少しだけ便利にするITツール」のこと。
この土産のお陰で、部署内の平均残業時間は大幅に削減されたらしい。ライフワークバランスを重視する若手社員らはいたく喜んでいるのだとか。
さらに情報システム部門へと異動した後も、俺はなんだかんだと彼らの業務を助けている。例えばソフトの使い方でわからないことがあったり、ネットワークに問題が生じたりすると、彼らはこぞって俺の元を訪れる。「パソコン専門のお助け係」というところだ。
「会社を興したって話は本当? 何日か前、そんな噂話を聞いたんだけど」
「本当だよ。といっても実際に稼ぎが出るのはまだ先だよ。1 か月くらい前にようやく法人登記が済んだばかりだからさ」
「へぇ……それにしたって凄いよ。春臣君は凄い人だったんだね」
「俺はパソコンのソフトと一緒だよ。上手く使ってくれる人が傍にいれば良いけど、1人じゃ何もできない」
真理愛は少し考えたあと、「そうかもね」と言ってうなずいた。
その時、尻ポケットで振動を感じた。スマホの着信だ。誰だろうと画面を見てみれば、顔写真とともに映し出される「美緒」の文字。
俺は懐かしい2文字をしばし見つめた後、席を外すことはせずに通話ボタンを押した。
「もしもし」
『もしもし春臣君。突然ごめんね。今、忙しいかな?』
「飲み会の途中だけど少しなら大丈夫だよ。どうしたの?」
『あのね。近いうちに会えないかなと思って』
おや、と俺は思う。以前、美緒は「とある男性から結婚を前提にお付き合いを申し込まれている」と話していたはずだ。
「彼氏、いるんでしょ? 俺と会うのはよくないと思うよ」
『……彼とは別れたの。男らしい性格だと思ってたら、ちょっとしたことで店員さんを怒鳴りつけるような人だったんだよ。それでお付き合いするの、怖くなっちゃって』
「あー……そうだったんだ」
『春臣君は絶対にそんなことしなかったよね。だからその……少し話を聞いてもらえないかなと思って』
電話越しに美緒の思惑が伝わってくる。
あなたと会って話をして、あわよくばヨリを戻したい。
別れた今でも美緒のことは大切だ。幸せになって欲しいと思う。でも美緒を幸せにするのはもう俺の役目ではない。俺が幸せにしなければならないのは――
「ごめん、美緒とは会えない。俺、付き合ってる人がいるんだ。その人を不安にさせるようなことはしたくない」
『……そっか』
美緒はそれ以上食い下がることはしなかった。短い別れの挨拶を済ませた後、電話を切る。
隣に座る真理愛が、目をまん丸にして俺を見つめていた。
「あの春臣君が、人の頼みを断ってる」
「そりゃ断るでしょ。この場合はさすがにさ」
俺は座敷の隅を見やった。その場所には律希がいる。壮太を含む数名の男性社員と額を突き合わせ、含み笑いを零しながら楽しそうだ。
ふわふわと揺れる律希のくせっ毛を見て、ほんわりと幸せな気持ちになる俺。真理愛はそんな俺の横顔をじっと見つめている。
「……春臣君のお相手って、もしかしてりっちゃん?」
俺は驚いて飛び上がった。
「うえ⁉ 何でわかったの⁉」
「だって乙女の顔でりっちゃんのこと見てるんだもん。そりゃわかるよ」
とのことだ。
俺と律希は1か月前に恋人関係へと復帰した。以前のような曖昧な気持ちでのお付き合いではない。互いに好意を伝えた上での、しっかりとした形でのお付き合いだ。
しかし両想いであることを認めてしまった以上、俺の心には一抹の不安があるわけで。
「あのぉ……毒舌兵器の真理愛さん」
「なにさ」
「ぶっちゃけどう思います? 男同士のお付き合いって」
「それをあたしに訊く? 恋人にプロポーズを受け入れられて幸せ気分のあたしにさ」
一瞬、真理愛の言葉の意味がわからなかった。
真理愛は以前、飲み会の最中に「長年の片思いを実らせた」のだと告白した。しかしその後、誰がどう尋ねても恋人に関する情報は漏らさなかった。名前すら、かたくなに。
真理愛の黙秘が、俺が感じている後ろめたさと同じ理由からくるものだったとしたら――?
「……もしかして真理愛のお相手って女性?」
「そうだよ。来週、市役所にパートナーシップ宣誓書を出しに行くの。宣誓書が受理されれば、結婚関係に準ずる関係として社会的に認められるんだ。うちの会社はその辺りの仕組みが整っててさ。パートナーになれば家族として色んな福利厚生が使えるようになるの。結婚休暇や、家族の看護休暇もとれるんだよ」
「へぇ……そうなんだ」
「同性同士じゃ法的な家族にはなれないけどね。社会的に家族として認められることはできるんだよ。一歩踏み出す勇気があれば」
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