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14.早すぎるお別れ
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俺は大急ぎで帰り支度を済ませると、挨拶もそこそこに事務室を飛び出した。
時刻は終業時刻を大幅に回っている。本当は定時で上がりたかったのだが、今日中に片付けなければならない仕事があったのだ。
それでも今日は律希と一緒に帰ることができる。「今日は遅くなるから先に帰っていいよ」と連絡を入れたところ、「じゃあ俺も少し残業します」と返事が帰ってきたのだ。
律希と一緒に帰れると、ただそれだけのことで浮かれている自分がいる。
律希は社ビルの前に置かれたベンチに腰かけていた。赤らみ始めた太陽の光が、律希のモカブラウンの髪を照らしている。
「ごめん、遅くなった。結構待った?」
「いえ、少し前に来たところですよ」
俺と律希は肩を並べて歩き出す。黄昏の風が吹き抜けていく。
その日の話題はもっぱら俺の仕事に関すること。今日の午前中、情報システム部門に壮太がやって来た。なんでも会議資料の元データが行方不明になってしまったのだという。会議時間は迫っているというのに、どこのフォルダを探してもデータは見つからない。それで困り果てて俺の元を訪れたのだ。
「結局データはすぐに見つかったんだ。保存するときに、間違ってファイル名を変えちゃってたみたい。ソフトの履歴を辿れば一発だったんだけど、焦った壮太はそこまで思い至らなかったみたいで――律希、聞いてる?」
俺は歩みを止め、律希の顔を覗き込んだ。律希もまた歩みを止めた。
「……すみません、聞いていませんでした」
「ボーっとしてんの珍しいね。仕事で何かあった?」
俺は優しく問いかけるが、律希は何も語らずに、道の先にある小さな公園を指さした。
「ちょっと寄り道しませんか」
「……いいけど」
他人には聞かれたくないような話なのだろうか。俺は突然の提案を不思議に思いながらも、律希の背に続きその小さな公園を目指した。
*
夕暮れどきの公園に人の姿はなかった。子どもたちは自宅に帰り食卓を囲んでいる時間。塗装の剥げた滑り台が、寒々しい風景の中にぽっかりと浮いている。
「全部、なかったことにしてくれませんか」
夕焼け空を背に、律希は唐突にそう言った。
「ん……ごめん、何の話?」
「この関係をなかったことにしてほしいんです。明日からまた、ただの職場の後輩として俺に接してくれませんか」
「……俺と別れたいってこと?」
「一言で言えばそうです」
「何で?」
俺の質問に、律希は一瞬目を伏せた。
しかしすぐに何事もなかったかのように語り出した。別れの場に似つかわしくない明るい口調で。
「今日、総務部の人に『赤根さんと付き合ってるのか』って訊かれたんですよ。こうやって、たまに一緒に帰っているのを見られてたみたいで。そのときは適当にごまかしたんですけど、何か面倒くさくなっちゃって。職場内恋愛ってどうしても周りの目に留まるじゃないですか。面白半分であれこれ突っ込まれるの、好きじゃないんです。元々酒の勢いから始まった関係ですし、面倒な思いをしてまで続ける必要もないかなって。――だから、この関係をなかったことにしてほしいんです」
捲し立てるようにそう言った後、律希はまた目を伏せた。
そうして冷静に説明をされてしまえば、俺に別れを拒む理由はない。律希の言うとおり、元々は酒の勢いで始まった関係なのだ。
「律希がそう言うのなら仕方ない……か」
「俺の都合で振り回してすみません。じゃあ、今日はそれを伝えたかっただけなんで」
律希は俺に向けてさっと頭を下げると、小走りで公園を出て行った。
俺は遠ざかっていく律希の背中を随分と長いこと見つめていた。美緒に別れを告げられたときのような喪失感はない。元から好き合って恋人同士になったわけではないのだから、当然といえば当然か。
お付き合いの期間もたったの1か月。浸るほどの思い出もない。
それでもやっぱり少し残念だ。
俺は律希と並んで歩く時間が好きだった。
時刻は終業時刻を大幅に回っている。本当は定時で上がりたかったのだが、今日中に片付けなければならない仕事があったのだ。
それでも今日は律希と一緒に帰ることができる。「今日は遅くなるから先に帰っていいよ」と連絡を入れたところ、「じゃあ俺も少し残業します」と返事が帰ってきたのだ。
律希と一緒に帰れると、ただそれだけのことで浮かれている自分がいる。
律希は社ビルの前に置かれたベンチに腰かけていた。赤らみ始めた太陽の光が、律希のモカブラウンの髪を照らしている。
「ごめん、遅くなった。結構待った?」
「いえ、少し前に来たところですよ」
俺と律希は肩を並べて歩き出す。黄昏の風が吹き抜けていく。
その日の話題はもっぱら俺の仕事に関すること。今日の午前中、情報システム部門に壮太がやって来た。なんでも会議資料の元データが行方不明になってしまったのだという。会議時間は迫っているというのに、どこのフォルダを探してもデータは見つからない。それで困り果てて俺の元を訪れたのだ。
「結局データはすぐに見つかったんだ。保存するときに、間違ってファイル名を変えちゃってたみたい。ソフトの履歴を辿れば一発だったんだけど、焦った壮太はそこまで思い至らなかったみたいで――律希、聞いてる?」
俺は歩みを止め、律希の顔を覗き込んだ。律希もまた歩みを止めた。
「……すみません、聞いていませんでした」
「ボーっとしてんの珍しいね。仕事で何かあった?」
俺は優しく問いかけるが、律希は何も語らずに、道の先にある小さな公園を指さした。
「ちょっと寄り道しませんか」
「……いいけど」
他人には聞かれたくないような話なのだろうか。俺は突然の提案を不思議に思いながらも、律希の背に続きその小さな公園を目指した。
*
夕暮れどきの公園に人の姿はなかった。子どもたちは自宅に帰り食卓を囲んでいる時間。塗装の剥げた滑り台が、寒々しい風景の中にぽっかりと浮いている。
「全部、なかったことにしてくれませんか」
夕焼け空を背に、律希は唐突にそう言った。
「ん……ごめん、何の話?」
「この関係をなかったことにしてほしいんです。明日からまた、ただの職場の後輩として俺に接してくれませんか」
「……俺と別れたいってこと?」
「一言で言えばそうです」
「何で?」
俺の質問に、律希は一瞬目を伏せた。
しかしすぐに何事もなかったかのように語り出した。別れの場に似つかわしくない明るい口調で。
「今日、総務部の人に『赤根さんと付き合ってるのか』って訊かれたんですよ。こうやって、たまに一緒に帰っているのを見られてたみたいで。そのときは適当にごまかしたんですけど、何か面倒くさくなっちゃって。職場内恋愛ってどうしても周りの目に留まるじゃないですか。面白半分であれこれ突っ込まれるの、好きじゃないんです。元々酒の勢いから始まった関係ですし、面倒な思いをしてまで続ける必要もないかなって。――だから、この関係をなかったことにしてほしいんです」
捲し立てるようにそう言った後、律希はまた目を伏せた。
そうして冷静に説明をされてしまえば、俺に別れを拒む理由はない。律希の言うとおり、元々は酒の勢いで始まった関係なのだ。
「律希がそう言うのなら仕方ない……か」
「俺の都合で振り回してすみません。じゃあ、今日はそれを伝えたかっただけなんで」
律希は俺に向けてさっと頭を下げると、小走りで公園を出て行った。
俺は遠ざかっていく律希の背中を随分と長いこと見つめていた。美緒に別れを告げられたときのような喪失感はない。元から好き合って恋人同士になったわけではないのだから、当然といえば当然か。
お付き合いの期間もたったの1か月。浸るほどの思い出もない。
それでもやっぱり少し残念だ。
俺は律希と並んで歩く時間が好きだった。
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