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13.彼がNOと言えない理由

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 律希がその人物から「2人きりで話がしたい」と呼び出されたのは、とある日の正午過ぎ。事務室は昼休みの賑わいに包まれていた。
 
 律希は壮太に「先、社食に行ってて」と断りを入れた後、その人物とともに事務室を出た。向かった先は、普段は空き部屋となっている会議室。机も椅子も並べられていない室内はガラリと広い。
 
「突然呼び出して悪かったな。俺が誰かわかるか?」
「〇×テクノロジーの黒瀬さんですよね。春臣さんの大学時代のご旧友だと伺っています」
 
 律希を呼び出した人物は、1か月前に赴任してきたばかりの黒瀬だ。
 
 面と向かって話をするのは今日が初めてのことだが、できれば敵には回したくない人物だという漠然とした認識はある。
 課長相手に堂々と意見を述べ、部署内での春臣の評価を一変させて見せた。春臣が実力を最大限に発揮できる情報システム部門へと異動になったのは、一見無謀とも思える黒瀬の発言があってのことだ。
 
 例え春臣のエンジニアとしての才能を知っていたとしても、律希に同じことはできなかった。
 
「白浜律希。回りくどいのは嫌いだから単刀直入に言うけどさ。お前、赤根と別れろよ」
 
 突然の、そしてあまりも無遠慮な要望だ。律希は眉をひそめて聞き返した。
 
「は?」
「酔っぱらった勢いでセックスして、そのままなぁなぁで付き合ってるんだろ。赤根のことを好きでも何でもないのなら、とっとと別れてくんねぇかな。迷惑だから」
「迷惑って……部外者のあなたに、なぜそこまで言われなくちゃならないんですか」
「部外者じゃないから言ってんだろ。お前、赤根から何か聞いてねぇの?」
「何か、って何ですか?」
 
 律希は素直に尋ねてみるが、黒瀬はこれ見よがしに肩を竦めるだけ。
 
「……その話は別にいーや。お前には関係ないし。何にせよさ、気持ちイイことしたいだけなら他をあたってくれよ。その顔なら相手探しには苦労しねぇだろ。赤根を巻き込むな」
「身体目当てで春臣さんと付き合っている、みたいな言い方をするのは止めてくれませんか。俺、ちゃんと春臣さんのこと好きですよ」
 
 律希の声は、がらんどうの会議室に大きく響いた。
 その場しのぎの冗談などではない。律希はずっと春臣が好きだった。新入社員時代、春臣に仕事を教わるうちに、その穏やかな人柄に好意を抱いた。
 
 春臣への好意を自覚した後も、告白はしなかった。美緒の存在があったからだ。彼女がいる男性に告白したところで、受け入れてもらえる可能性は万にひとつもなかったから。
 だから日々膨れ上がる気持ちを必死で抑え込んでいた――あの夜までは。
 
 黒瀬は少し気まずそうな顔をしたが、声の調子は変えずに続けた。
 
「ああ……そうなのか。そりゃ誤解していて悪かったな。だがしつこく迫って赤根を恋人にしたことには違いがないんだろ?」
「しつこくって……春臣さんがそう言ったんですか?」
「いや、赤根の話を聞いて俺がそうだろうなと思っただけ。赤根は頼まれたらNOとは言えない性格だからな」

 黒瀬の指摘が真実であるだけに、律希は居心地の悪さを感じた。
 
「……多少強引に迫ったことは認めます。でも俺、春臣さんを脅すような真似はしていませんから。何度も繰り返し『付き合ってほしい』と伝えただけ」
「ふぅん……じゃあ赤根と別れるつもりはない?」

 この質問には、律希はきっぱりと答えた。
 
「ありません」
 
 2人きりの会議室にはしばし沈黙が落ちた。律希は唇を引き結んだまま黒瀬を見据え、黒瀬もまた無言のまま律希を見つめ返す。永遠とも思われる時間だ。
 
 唐突に黒瀬は語り出した。
 
「大学生の頃に赤根から聞いた話なんだけどさ。赤根の両親、赤根が中学生の頃に離婚してんだよ。この話、聞いたことあるか?」
「いえ……」
「両親が離婚したらさ、子どもはどっちに付いていくかって話になるじゃん。赤根は自分の意志で父親と暮らすことを選んだんだって。中学生といえば思春期真っ盛りだろ。母親よりも父親を選ぶ気持ちはわからないでもない」
「それは、そうですね」
 
 この話は一体どこへと向かうのだろう。疑問を感じながらも、律希は黒瀬の語りに耳を澄ませる。
 
「でも赤根の母親はさ、赤根が当然自分の方にくるもんだと思ってたらしいんだよ。赤根が父親の方に行ったことで、精神を病んじまったみたいでさ。毎日のように『一緒に暮らそう』とメールが来て、ひどいときには朝も夜も関係なしに電話が鳴りっぱなしだったんだって。赤根は母親を避け始めた。メールも電話も無視した。面会交流にも応じなかった。そうしたらある時、母親が自宅で死んでいると警察から連絡があった」

 律希は息を呑んだ。
 
「……まさか自殺ですか?」
「そう、病院で処方された睡眠薬を大量に飲んだらしい。明らかな自殺さ」
「そう……ですか」
 
 律希は春臣から家族の話を聞いた経験がない。両親がどこに住んでいるのだとか、兄弟が何人いるのだとか、そんなささいな話さえもだ。
 もしかしたら春臣自身が家族に関する話題を避けていたのかもしれない。つらい記憶にふたをしたいがために。

 黒瀬は苛立った口調で話を続けた。
 
「なんかしんみりと聞いてるけどさ。俺が何でこんな話をしたかわかってる? 赤根は、母親が自分のせいで自殺したと思ってんだよ。母親ではなく父親と暮らす『決断をした』から、一緒に暮らそうという母親の『頼みを断った』から。あいつにとって『決断すること』と『断ること』は、誰かを不幸にするってことなんだ」
「……あ」
 
 ――俺を頼ってくれる人がいるのに、断るのも悪いだろ……俺がNOと言えば誰かが不幸になるんだ……。
 
 いつかの春臣の言葉が、律希の脳裏にありありと思い出された。あの言葉は冗談などではなかったのだ。
 春臣は頼まれた仕事を断れない。飲み会の店すら1人では決められない。決断と拒絶を恐れている。母親を死なせてしまった過去ゆえに。
 
 ――春臣さんが頼まれた仕事を断ったり、乾杯の酒を辞退したりすると、誰かに迷惑がかかるんですか?
 ――そういう事もあるかもしれないでしょ。
 
「強引に迫れば赤根と付き合えると思っただろ。何度も繰り返し『付き合ってほしい』と伝えたと、さっき自分で言ってたもんな。それ最悪。赤根が断れるわけねぇじゃん」
「お、俺は――」
 
 声が震えた。黒瀬は律希の困惑を見逃さなかった。
 
「白浜律希。お前は他人のトラウマを利用して願望を叶えようとする最低野郎だ」
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