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7.つぐない温泉旅行
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かぽ~ん。とは、かの有名漫画家が創り出した秀逸な擬音語であったはず。
滑らかなお湯に顎先まで浸かり込み、俺は「はふぅ」と息を吐く。
「人気の温泉なだけあるねぇ。気持ちよくって足先から蕩けそう……」
「卑猥な物言いは止めてください。公共の場ですよ」
「何で温泉の感想を述べただけで責められんの?」
2人きりのお買い物から1か月が経った今日、俺と律希はとある温泉街を訪れていた。
俺たちの住む都市から電車で2時間ほどの場所にあるその温泉街は、国内からも国外からも多くの観光客が訪れる。
朝一の電車で温泉街へと赴いた俺と律希は、思いつく限りの観光地を巡り、本日の宿泊地である旅館にチェックインを済ませた。夕食の前に入浴を済ませてしまおうと、そろって浴場を訪れたところである。
並んで露天風呂に浸かり込む俺と律希の周囲に、他の入浴客の姿はない。
「春臣さん。今更ですけれど一緒に来てくれてありがとうございます。ここの温泉、一度来てみたかったんですよ」
「お礼を言わなきゃいけないのは俺の方でしょ。まさか温泉旅行に同行すればセクハラ罪が許されるなんてなぁ。一瞬本気でクビも覚悟したからね、俺」
目隠し塀の向こうに夕焼け空を臨みながら、俺はまた「はふぅ……」と息を吐く。
俺と律希が2人で温泉街を訪れたのは、律希がそれを望んだからだ。「飲み会後に起きた出来事については、誰にも言わないと約束します。その代わり一緒に温泉旅行に行ってください」と。
不可解な頼みに初めこそ首をかしげた俺であるが、説明を聞けば事情はすぐに理解した。
律希はネット懸賞であてた旅行券を持て余しているらしい。1人旅行を楽しめる質でもないし、他人に譲り渡して金銭トラブルに巻き込まれても困る。だから旅行券を使い切ってしまうための温泉旅行に同行してほしい。そう言うのである。
そこで往復の電車代と宿泊費については律希が、滞在にかかるその他の費用については俺が持つということで事前に話し合いが済んでいる。
俺は滞在費という名目で慰謝料を支払うことができ、律希は現金の手出しなく旅行に行ける。互いに悪くない条件だ。
「明日はどこに行きましょうか。観光雑誌に載っているような場所は、大方周ったと思いますけれど」
「九頭竜神社に行ってみよーよ。俺、ちょっと気になってんだよね」
「どんな神社ですか?」
「あまり大きな神社じゃないんだけど、縁結びの神様がいるらしいよ。女性に人気のパワースポットなんだって」
律希は1拍置いて質問した。
「……春臣さんは恋人が欲しいんですか?」
「欲しいかと訊かれたら欲しいよ。いつまでも美緒のことを引きずってても仕方ないしさ」
俺は手のひらでパチャパチャと水面を揺らす。木の葉の小舟が揺らぎ、律希の胸元へと押し流されていく。
「次に恋人にするならどんな人がいいですか?」
「そだねぇ……第1条件は俺の頼りなさを受け入れてくれる人だよね。デートの予定とか積極的に立ててくれてさ、俺が店員相手にへこへこしても怒らない人」
「確かにそれは重要ですね」
律希は声を立てて笑った。
決断力のない俺は、デートや旅行の予定を立てることがトコトン苦手。「たまには春臣君が行先を考えてよ」と美緒にはよく怒られた。
今回の旅のスケジューリングも律希に丸投げしたのだから情けない話だ。本来ならば、先輩の俺が積極的にスケジューリングをすべきだったのだ。
そうはわかっていても苦手なものは苦手。こればっかりは仕方がない。
「あと……結婚にこだわらない人かな。ありふれた結婚関係に囚われず、色んな選択肢を受け入れられる人がいいよ」
それは俺の切実な願い。
律希はそうですか、とだけつぶやいた。
*
露天風呂で身も心も温まった俺と律希は、その足で旅館の食事処へと向かった。
小さいながらも上品な食事処でいただく夕食は、季節色ゆたかな懐石料理。肉厚の蒸しアワビを箸でつつきながら、俺は小声で律希に問いかけた。
「そ、想像の3倍は豪華な夕食だね……。今更だけどココの宿泊費って相当高かった?」
「高かったですよ。電車代を差し引いた旅行券、全部宿代に突っ込みましたから」
「……ちなみに1人おいくら?」
「内緒です。ちびりたくなければウェブ検索はしないでください」
俺はゴクリと生唾を飲み込むと、蒸しアワビをひとかけ口へと運んだ。プリプリのジュワジュワだ。噛み締めるたびに旨味が滲む。
アワビを飲み込んだ後は一度箸を置き、蟹のほぐし身がたっぷりのった茶碗蒸しをスプーンですくい上げ、また律希を見た。
「ねね、律希。今更だけど本当にこんなお詫びの仕方でよかったの? 俺、あんまり罪を償えてる気がしないんだよね。無理して使い切らなくても、旅行券ってそこそこの換金率で売れたんじゃねぇの?」
「旅行券やギフト券を換金するのはナンセンスでしょう。こういうのは多少無理して使った方が面白いんですよ。自分の金じゃ、こんな高級宿に泊まろうと思わないですし」
「んん、確かにね。使い道が限定されているからこその面白さってあるよねぇ」
律希がそう言うのなら、高級宿への滞在を存分に楽しんでも罰はあたらなさそうだ。
途端に上機嫌の俺は、ほどよく冷めた茶碗蒸しをつるりと吸い込んだ。うん、美味い。
滑らかなお湯に顎先まで浸かり込み、俺は「はふぅ」と息を吐く。
「人気の温泉なだけあるねぇ。気持ちよくって足先から蕩けそう……」
「卑猥な物言いは止めてください。公共の場ですよ」
「何で温泉の感想を述べただけで責められんの?」
2人きりのお買い物から1か月が経った今日、俺と律希はとある温泉街を訪れていた。
俺たちの住む都市から電車で2時間ほどの場所にあるその温泉街は、国内からも国外からも多くの観光客が訪れる。
朝一の電車で温泉街へと赴いた俺と律希は、思いつく限りの観光地を巡り、本日の宿泊地である旅館にチェックインを済ませた。夕食の前に入浴を済ませてしまおうと、そろって浴場を訪れたところである。
並んで露天風呂に浸かり込む俺と律希の周囲に、他の入浴客の姿はない。
「春臣さん。今更ですけれど一緒に来てくれてありがとうございます。ここの温泉、一度来てみたかったんですよ」
「お礼を言わなきゃいけないのは俺の方でしょ。まさか温泉旅行に同行すればセクハラ罪が許されるなんてなぁ。一瞬本気でクビも覚悟したからね、俺」
目隠し塀の向こうに夕焼け空を臨みながら、俺はまた「はふぅ……」と息を吐く。
俺と律希が2人で温泉街を訪れたのは、律希がそれを望んだからだ。「飲み会後に起きた出来事については、誰にも言わないと約束します。その代わり一緒に温泉旅行に行ってください」と。
不可解な頼みに初めこそ首をかしげた俺であるが、説明を聞けば事情はすぐに理解した。
律希はネット懸賞であてた旅行券を持て余しているらしい。1人旅行を楽しめる質でもないし、他人に譲り渡して金銭トラブルに巻き込まれても困る。だから旅行券を使い切ってしまうための温泉旅行に同行してほしい。そう言うのである。
そこで往復の電車代と宿泊費については律希が、滞在にかかるその他の費用については俺が持つということで事前に話し合いが済んでいる。
俺は滞在費という名目で慰謝料を支払うことができ、律希は現金の手出しなく旅行に行ける。互いに悪くない条件だ。
「明日はどこに行きましょうか。観光雑誌に載っているような場所は、大方周ったと思いますけれど」
「九頭竜神社に行ってみよーよ。俺、ちょっと気になってんだよね」
「どんな神社ですか?」
「あまり大きな神社じゃないんだけど、縁結びの神様がいるらしいよ。女性に人気のパワースポットなんだって」
律希は1拍置いて質問した。
「……春臣さんは恋人が欲しいんですか?」
「欲しいかと訊かれたら欲しいよ。いつまでも美緒のことを引きずってても仕方ないしさ」
俺は手のひらでパチャパチャと水面を揺らす。木の葉の小舟が揺らぎ、律希の胸元へと押し流されていく。
「次に恋人にするならどんな人がいいですか?」
「そだねぇ……第1条件は俺の頼りなさを受け入れてくれる人だよね。デートの予定とか積極的に立ててくれてさ、俺が店員相手にへこへこしても怒らない人」
「確かにそれは重要ですね」
律希は声を立てて笑った。
決断力のない俺は、デートや旅行の予定を立てることがトコトン苦手。「たまには春臣君が行先を考えてよ」と美緒にはよく怒られた。
今回の旅のスケジューリングも律希に丸投げしたのだから情けない話だ。本来ならば、先輩の俺が積極的にスケジューリングをすべきだったのだ。
そうはわかっていても苦手なものは苦手。こればっかりは仕方がない。
「あと……結婚にこだわらない人かな。ありふれた結婚関係に囚われず、色んな選択肢を受け入れられる人がいいよ」
それは俺の切実な願い。
律希はそうですか、とだけつぶやいた。
*
露天風呂で身も心も温まった俺と律希は、その足で旅館の食事処へと向かった。
小さいながらも上品な食事処でいただく夕食は、季節色ゆたかな懐石料理。肉厚の蒸しアワビを箸でつつきながら、俺は小声で律希に問いかけた。
「そ、想像の3倍は豪華な夕食だね……。今更だけどココの宿泊費って相当高かった?」
「高かったですよ。電車代を差し引いた旅行券、全部宿代に突っ込みましたから」
「……ちなみに1人おいくら?」
「内緒です。ちびりたくなければウェブ検索はしないでください」
俺はゴクリと生唾を飲み込むと、蒸しアワビをひとかけ口へと運んだ。プリプリのジュワジュワだ。噛み締めるたびに旨味が滲む。
アワビを飲み込んだ後は一度箸を置き、蟹のほぐし身がたっぷりのった茶碗蒸しをスプーンですくい上げ、また律希を見た。
「ねね、律希。今更だけど本当にこんなお詫びの仕方でよかったの? 俺、あんまり罪を償えてる気がしないんだよね。無理して使い切らなくても、旅行券ってそこそこの換金率で売れたんじゃねぇの?」
「旅行券やギフト券を換金するのはナンセンスでしょう。こういうのは多少無理して使った方が面白いんですよ。自分の金じゃ、こんな高級宿に泊まろうと思わないですし」
「んん、確かにね。使い道が限定されているからこその面白さってあるよねぇ」
律希がそう言うのなら、高級宿への滞在を存分に楽しんでも罰はあたらなさそうだ。
途端に上機嫌の俺は、ほどよく冷めた茶碗蒸しをつるりと吸い込んだ。うん、美味い。
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