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2.居酒屋鳥八にて

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 あれこれと雑務をこなすうちに時刻は午後5時15分を迎え、俺は欠伸をしながらパソコンの電源を落とした。

 心痛に寝不足、そして引っ切りなしに舞い込む雑務。自分の仕事は何ひとつ終わっていないが、本日水曜日は会社で定められたノー残業デー。定時後はすぐに帰宅しないと、課長からネチネチと嫌味を言われる羽目になる。
 
 俺が上着の袖に腕を通したとき、背後から真理愛の声がした。
 
「春臣君。今日、皆で飲みにいかない?」
「別にいいけど……メンバーは?」
「あたしと春臣君とりっちゃんと、あと20代の若者何人かに声をかけてるよ」
 
 りっちゃん、とは律希のことだ。総務部には、俺を含めて十数人に及ぶ若手がいる。歓迎会や忘年会を含め、何度か若手だけで飲みにいった経験もあるから、尻込む必要はなさそうだ。
 
「OK。店はどこ?」
「駅前の『鳥八』って居酒屋。先に行ってお座敷確保しておくから、ゆっくり来てね」

 そう言い残すと、真理愛は風のようにその場を立ち去った。
 
 はっきり口には出さずとも、真理愛は真理愛なりに気を遣ってくれているのだろう。
 自宅に帰って1人になれば、ウジウジと考え込んでしまうことは目に見えている。それならば気安い仲間と飲みに出て、愚痴や泣き言を吐き出してしまった方が健全だ。
 
 こうした小さな気遣いができるからこそ、真理愛は人間兵器レベルの毒舌を持ちながらも職場内では好かれている。29歳になっても自己主張すらまともにできず、ポンコツ扱いされる俺とは大違い。
 
 それからのんびりと帰り支度を済ませ、俺は飲み会の会場である鳥八へと向かった。
 俺が座敷に足を踏み入れたときには、すでに他の面々は席についていて、「春臣」「春臣さん」と皆が口々に俺の名前を呼ぶ。
 
「春臣、お疲れ! 仕事も恋も」
「私たちで良ければお話うかがいますよ! ささ、どうぞ座ってください」
 
 どうやら俺が失恋したという話は、真理愛の口からメンバー内に周知されているようである。俺は苦笑いを浮かべながら、座敷に腰を下ろした。
 
「そんなに面白い話はないよ? ただ淡々と別れを告げられただけだし」
「別れの瞬間は淡々としていたって、そこに至るまでには色々と理由があるわけでしょ? 一体どんな理由でフラれたんですか」
 
 そう尋ねる者は、昨年入社したばかりの芳賀はが壮太そうた。5つも年下だというのに、いつも友人同士のように俺に話しかけてくる。
 律希をゴールデンレトリバーと例えるのならば、壮太は愛嬌のあるチワワのような存在だ。
 
「真っ先に責められたのは、俺がいつまで経ってもプロポーズをしなかったこと。『私との将来を一度でも真面目に考えたことある?』って怒られちゃったよ」
「へー……すれ違いの理由としてはあるあるですね。でもそれ、別れる理由になります? 結婚したいのなら、これから2人で話し合っていけばいいじゃないですか」
「俺もそう提案はしたんだけどさ。もう結婚を考えている相手がいるんだって」

 壮太の顔が好奇心に輝いた。
 
「え、彼女さん二股してたってこと?」
「違う違う。最近会った人から、結婚を前提にお付き合いを申し込まれてるんだって。俺とは別れて、その人と付き合いたいみたいよ」
 
 俺と壮太の会話に真理愛が割り込んできた。
 
「話を聞いているとずるい人だね、春臣君の元カノは。ただ『他に好きな人ができたから別れましょう』と言えばいい話なのに。プロポーズをしてくれなかっただの、将来を真面目に考えていなかっただの、適当に理由をつけて春臣君を悪者にしているだけじゃない。自分が悪者になりたくないばかりにさ」
「……そう思う?」
「そう思うよ。だって結婚したいと思うのなら、一言そう言えば済んだ話じゃない。プロポーズは男がしなきゃいけない、なんて法律はないんだからさ」
 
 確かにそうだ。俺との結婚を望んでいるのであれば、美緒の方からそう伝えてくれれば良かっただけの話。

 それをしなかったということは、俺との結婚を強く望んではいなかったということだ。真理愛の言うとおり、破局の理由は美緒に好きな人ができてしまったこと。
 決して俺の決断力のなさが原因ではない。
 
「……真理愛~~!」
 
 一気に心が軽くなった俺は、真理愛に抱き着こうと両手を広げた。
 しかし真理愛は過去最大級いやそうな顔をして、律希にこう命じるのである。
 
「うわっ、ちょっと止めてよ! りっちゃん、この優柔不断男しっかり捕まえといて!」
「はいはい。春臣さん、女性の身体に不用意に触れたらセクハラになりますよ。お酒が入っていても駄目ですよ」
 
 律希はにっこりと微笑んで、俺の身体を背後から抱きすくめた。
 ゴールデンレトリバーよろしく大柄の律希、貧相の代名詞である俺。がっちりと抱きしめられてしまえば逃げる術はなし。たくましい2本の腕の中で、ジタジタと暴れることしかできないのである。
 
「俺、まだ1滴も飲んでねぇよ!」
「じゃあ尚更ダメです」
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