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5章 パーティ、愉しいパーティ
57話 それは夢かうつつか
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陽だまりの中でロッキングチェアが揺れていた。
ああこれは夢なのだとすぐに気が付いた。なぜならその空間には、ロッキングチェア以外の物が存在しないから。
壁もなく天井もなく、茂る木々もなければ澄み渡る青空もない。辺りはぼんやりと白く光っていて、寒さも暑さも感じることのない快適な空間だ。
ロッキングチェアには青年が腰かけていた。煌めく金髪と真っ白な肌、枯れ木のような手足。アーサーだ。陽だまりの中で1人、ロッキングチェアに揺られている。
そのうちに、陽だまりの中にはドリーが現れた。
ドリーはアーサーの肩に手のひらをのせると、金髪におおわれた耳元に唇を寄せ、何かをささやいた。何を言っているかはわからない。ゆったりとした声音からは、愛情だけが伝わってくる。心なしかアーサーも微笑んでいるように見える。
ドリーはアーサーのかたわらに腰を下ろし、本を開いた。ゆらゆらと揺れるロッキングチェアと、ぱさりぱさりと本がめくれる音。和やかなときだ。
誰にも邪魔されることのない、2人だけの幸せなとき。
アーサー、いい子と結婚できてよかったね。
そう言いかけてはたと気付く。これは夢だ、たどり着くことの出来なかった未来を如実に再現した浅ましい夢。
もしもドリーが魔女の妙薬に出会わなければ、彼らはこの温かな未来へとたどり着いていた。誰も不幸になんかならなかった。
しかし未来は失われた。よかれと思って手渡した魔女の妙薬が、理想的な未来をことごとく破壊した。
魔女の妙薬に手を出したドリーが、王族と結婚などできるはずもない。そんなことはもうずっと前からわかっていたのだ。それでも足掻かずにはいられなかった。自分が温かな未来を壊したなどと認めたくはなかった。
償うことのできない過ちを犯したなどと認めたくはなかった。
――ごめんね
つぶやく声は涙の粒となり、アーサーとドリーの頭上に降り注いだ。2人はそれに気付かない。気付くはずもない。これは全て夢なのだから。
罪悪感が見せた身勝手な夢
エゴイスティックにまみれた幻想
もうたどり着くことはできない幸せに満ちた未来
***
虹色の陽射しがアンの横顔を照らしていた。
まぶしさに目を開ければ、そこはどこか見覚えのある廃墟だ。灰色にくすんだ大理石の床に、塗装が剥がれ見る影もなくなった壁。壊れかけた無数の長椅子と、板で塞がれたいくつもの窓。
煤けたステンドグラスから射し込む朝陽が、朽ちかけた廃教会の内部を美しく照らしていた。
アンは猫のように身を丸めたまま、昨晩の出来事を思い出していた。
触れあう肌の温かさに、耳たぶにかかる熱い吐息。身体の内側に触れられるたびに理性は溶けて、ただずぶずぶと快楽に溺れていった。
「ついに一線を超えてしまったか……しかもこんなベッドすらない場所で……」
アンは身体を丸めたまま大きな溜息を吐く。
自分で望んだことなのだから後悔はしていない。しかし明るい気持ちにはなれそうもなかった。その理由は――心をむしばむ罪悪感が消えてなくならないから。
そのとき、背中越しにグレンの声が聞こえた。
「よお、アン。調子はどうだ?」
アンは振り返り、舌足らずで朝の挨拶をした。
「グレン……おはよ。どこ行ってたの?」
「教会の周りを一回りしてきた。水、飲みてぇなと思って」
「飲めた?」
「飲めた飲めた。教会の裏手の森の中にさ、小さな川が流れてんの。水浴びはできないけど、顔と手足くらいなら十分に洗えたぜ。連れてってやろうか」
「今はいいや……すごくだるくてさ……」
本当に、目覚めたときから身体がだるくて堪らなかった。そのせいで余計に気分が沈んでいく。願わくはもう一度目を閉じて、泥のように眠ってしまいたい。
温かな手のひらがひたいに触れた。アンの目の前に座り込んだグレンは、眉根をよせて神妙な面持ちである。
「……熱はねぇな。でも家に帰ったら念のため医者に診てもらえよ。1人暮らしで体調不良をこじらせると辛いぜ」
そうだねぇ、とアンはつぶやいた。
「グレンは元気だね。薬はもう完全に抜けた?」
「抜けた抜けた。後遺症もなさそうだし、たっぷり寝て気分爽快。本当に――……助かったよ。無茶させて悪かった」
グレンはアンの頭を優しく撫でた。
その優しさがアンを惨めにさせた。アンは善意でグレンに身体を差し出したのではない。ただそうすれば己の罪が少しでも軽くなるのではないかと思ったからだ。
「ありがとう」と言われる権利も、「悪かった」と言われる権利も、今のアンにはない。
アンはグレンから視線を外し、朝陽を透かすステンドグラスを見上げた。次いで埃の溜まった大理石の床を、整然と並ぶ長椅子を、壁に刻み込まれた十字架を。
例え朽ち果てていたとしてもここは聖堂、神の御許だ。
アンがもう一度グレンの顔を見たとき、グレンはどこか落ち着かなさげな様子であった。珍しく生真面目な表情を浮かべ、じっとアンのことを見つめていた。
「なぁアン。もしお前さえよければさぁ――……」
その先を聞いてはいけない、と咄嗟に思った。
だからアンは、グレンの言葉をさえぎって話し始めた。
「あたし、グレンに言わなきゃいけないことがあるんだ。……聞いてくれる?」
懺悔、の2文字が頭に浮かんだ。
ああこれは夢なのだとすぐに気が付いた。なぜならその空間には、ロッキングチェア以外の物が存在しないから。
壁もなく天井もなく、茂る木々もなければ澄み渡る青空もない。辺りはぼんやりと白く光っていて、寒さも暑さも感じることのない快適な空間だ。
ロッキングチェアには青年が腰かけていた。煌めく金髪と真っ白な肌、枯れ木のような手足。アーサーだ。陽だまりの中で1人、ロッキングチェアに揺られている。
そのうちに、陽だまりの中にはドリーが現れた。
ドリーはアーサーの肩に手のひらをのせると、金髪におおわれた耳元に唇を寄せ、何かをささやいた。何を言っているかはわからない。ゆったりとした声音からは、愛情だけが伝わってくる。心なしかアーサーも微笑んでいるように見える。
ドリーはアーサーのかたわらに腰を下ろし、本を開いた。ゆらゆらと揺れるロッキングチェアと、ぱさりぱさりと本がめくれる音。和やかなときだ。
誰にも邪魔されることのない、2人だけの幸せなとき。
アーサー、いい子と結婚できてよかったね。
そう言いかけてはたと気付く。これは夢だ、たどり着くことの出来なかった未来を如実に再現した浅ましい夢。
もしもドリーが魔女の妙薬に出会わなければ、彼らはこの温かな未来へとたどり着いていた。誰も不幸になんかならなかった。
しかし未来は失われた。よかれと思って手渡した魔女の妙薬が、理想的な未来をことごとく破壊した。
魔女の妙薬に手を出したドリーが、王族と結婚などできるはずもない。そんなことはもうずっと前からわかっていたのだ。それでも足掻かずにはいられなかった。自分が温かな未来を壊したなどと認めたくはなかった。
償うことのできない過ちを犯したなどと認めたくはなかった。
――ごめんね
つぶやく声は涙の粒となり、アーサーとドリーの頭上に降り注いだ。2人はそれに気付かない。気付くはずもない。これは全て夢なのだから。
罪悪感が見せた身勝手な夢
エゴイスティックにまみれた幻想
もうたどり着くことはできない幸せに満ちた未来
***
虹色の陽射しがアンの横顔を照らしていた。
まぶしさに目を開ければ、そこはどこか見覚えのある廃墟だ。灰色にくすんだ大理石の床に、塗装が剥がれ見る影もなくなった壁。壊れかけた無数の長椅子と、板で塞がれたいくつもの窓。
煤けたステンドグラスから射し込む朝陽が、朽ちかけた廃教会の内部を美しく照らしていた。
アンは猫のように身を丸めたまま、昨晩の出来事を思い出していた。
触れあう肌の温かさに、耳たぶにかかる熱い吐息。身体の内側に触れられるたびに理性は溶けて、ただずぶずぶと快楽に溺れていった。
「ついに一線を超えてしまったか……しかもこんなベッドすらない場所で……」
アンは身体を丸めたまま大きな溜息を吐く。
自分で望んだことなのだから後悔はしていない。しかし明るい気持ちにはなれそうもなかった。その理由は――心をむしばむ罪悪感が消えてなくならないから。
そのとき、背中越しにグレンの声が聞こえた。
「よお、アン。調子はどうだ?」
アンは振り返り、舌足らずで朝の挨拶をした。
「グレン……おはよ。どこ行ってたの?」
「教会の周りを一回りしてきた。水、飲みてぇなと思って」
「飲めた?」
「飲めた飲めた。教会の裏手の森の中にさ、小さな川が流れてんの。水浴びはできないけど、顔と手足くらいなら十分に洗えたぜ。連れてってやろうか」
「今はいいや……すごくだるくてさ……」
本当に、目覚めたときから身体がだるくて堪らなかった。そのせいで余計に気分が沈んでいく。願わくはもう一度目を閉じて、泥のように眠ってしまいたい。
温かな手のひらがひたいに触れた。アンの目の前に座り込んだグレンは、眉根をよせて神妙な面持ちである。
「……熱はねぇな。でも家に帰ったら念のため医者に診てもらえよ。1人暮らしで体調不良をこじらせると辛いぜ」
そうだねぇ、とアンはつぶやいた。
「グレンは元気だね。薬はもう完全に抜けた?」
「抜けた抜けた。後遺症もなさそうだし、たっぷり寝て気分爽快。本当に――……助かったよ。無茶させて悪かった」
グレンはアンの頭を優しく撫でた。
その優しさがアンを惨めにさせた。アンは善意でグレンに身体を差し出したのではない。ただそうすれば己の罪が少しでも軽くなるのではないかと思ったからだ。
「ありがとう」と言われる権利も、「悪かった」と言われる権利も、今のアンにはない。
アンはグレンから視線を外し、朝陽を透かすステンドグラスを見上げた。次いで埃の溜まった大理石の床を、整然と並ぶ長椅子を、壁に刻み込まれた十字架を。
例え朽ち果てていたとしてもここは聖堂、神の御許だ。
アンがもう一度グレンの顔を見たとき、グレンはどこか落ち着かなさげな様子であった。珍しく生真面目な表情を浮かべ、じっとアンのことを見つめていた。
「なぁアン。もしお前さえよければさぁ――……」
その先を聞いてはいけない、と咄嗟に思った。
だからアンは、グレンの言葉をさえぎって話し始めた。
「あたし、グレンに言わなきゃいけないことがあるんだ。……聞いてくれる?」
懺悔、の2文字が頭に浮かんだ。
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