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5章 パーティ、愉しいパーティ

52話 粛正

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 テーブルクロスの内側に身を潜めたクロエは、物音を立てないようにじっと息を凝らしていた。すぐ近くでアンドレと会場スタッフが話す声が聞こえるが、クロエの不在を必要以上に気にかけた様子はない。
 アンドレの判断は大正解、ということだ。

 乾杯のかけ声の後はすぐに音楽が鳴り始め、同時に不思議そうなアンドレの声が聞こえた。

「……これがサバト? 普通のダンスパーティーのようだけど」

 明らかにクロエを意識した発言であるが、クロエは何も答えなかった。

 その後、アンドレはナーシャと名乗る女性からダンスの誘いを受け、円卓のそばを離れてしまった。
 
 クロエはテーブルクロスの下側を少しだけめくり、会場の様子をうかがい見た。薄暗い会場内には軽快な音楽が響き、30人を超える客人が楽しそうに踊っている。アンドレが言ったとおり、一見普通のダンスパーティーのようだ。

 会場に不穏な空気が立ち込め始めたのは、開宴から数分が経ったときのことだった。ガタンと音を立てて円卓が揺れ、クロエは肩を強張らせた。
 
 次いで聞こえてきたのはどこか舌足らずな男女の会話。

「ねぇねぇ早く触ってよ。身体がうずいて頭がおかしくなりそうなのォ」
「早く下、脱げよ。服はそのままでいいからさァ」

 するすると微かな衣擦れの音が聞こえた。そして次の瞬間には、円卓はギシギシと音を立てて揺れ始めた。淫らな行為を連想させる水音と、そして女の喘ぎ声。

 ――嘘でしょ
 クロエは全身から血液が抜けていく心地だ。

 これが魔女のサバトだ。地下クラブよりもさらに質が悪い。得体の知れない薬の力を借り、快楽に溺れるだけの性の饗宴。救いようのないケダモノたちの狂宴。

 アンドレを助けなければ、と思った。乾杯のグラスに何らかの薬品が入れられていたのだとすれば、アンドレはそれを飲んでいる。完全に薬が回ってしまう前に、それらしい理由をつけてサバトの会場から引きずり出す必要があった。

 クロエは手を伸ばし、テーブルクロスを捲り上げようとした。
 しかしクロエがそうするよりも早く、何者かの手がテーブルクロスを捲り上げた。

「やはり、こんな所に隠れていましたか。お嬢さん、宴に参加せずこそこそと何をしておいでです?」

 そう言ってクロエを見つめる者は、魔女帽子をのせた会場スタッフの1人だった。黒いベネチアンアイマスクの内側で、黒い瞳が声もなくわらう。

 ***

「痛い! やめて、触らないで!」

 円卓の下から引きずり出されたクロエは、数人の男性スタッフの手により小部屋へと連れ込まれた。普段は物置として使用されている部屋なのだろう。部屋全体がほこり臭く、どこか湿っぽい。

 荒々しく床へと叩きつけられたクロエの耳に、男たちの声が流れ込む。

「円卓の下に隠れていたのか? よく気がついたな」
「乾杯のグラスが1つ余ったんだ。それで、念のために人が隠れられそうな場所を確認していた」

 男たちが話す間にも、クロエは拘束から逃れようともがく。しかしクロエの細腕では、数人がかりの拘束を振り解くことなどできはしない。
 
 やがて、男の1人がクロエのあごを掴み上げた。

「目的は何だ? 誰かの指示によりハート商会を探っているのか。一緒にいた男は仲間か?」

 クロエは声を震わせながら答えた。

「違う……誰の指示も受けてはいない。初めはサバトに参加するつもりだったけど、怖くなってしまったの。そうしたら彼が『サバトが終わるまで隠れているといいよ』と言ってくれて――」

 クロエはそれ以上何も言えなかった。黙ってクロエの主張に耳を傾けていた男性の1人が、クロエの頬を打ったからだ。
 突然の殴打に脳が揺れ、クロエの全身からは力が抜けていく。

「……正直に吐くわけもない、か。どうする? ハート候に報告するか?」
「しかしハート候は懇親会の真っ最中だぞ。こんな小娘1匹のことで、大切な懇親会を邪魔するわけには……」
「手足を縛って、空き部屋に閉じ込めておけばいいんじゃないか?」
「懇親会の参加者に見られては面倒だぞ。今夜はこの屋敷に宿泊する商会関係者も多いと聞いている」
「交代で見張りにつくか?」

 答えの出ない会話が続く中、男性の1人が安穏と言った。

「薬を飲ませてサバトの会場に放り込んでおけばいいだろう。こんな極上の餌をケダモノたちが逃すはずもない。あとは懇親会が終わった頃を見計らって、ハート候に指示を仰げばいい」

 そうだそれが良い、と誰ともなくが肯定した。

 ――冗談じゃない
 冷たい床に頬をつけたまま、クロエは身震いをした。

 力の入らない身体で必死に抵抗した。しかし男たちは決してクロエを逃さず、口の中に強引に液体を注ぎ込んだ。吐き出そうと思っても叶わず、液体はのどの奥へと流れ込んでいく。

「……10分もすれば薬が効き始めるだろう。後はサバトの会場に放り込めば、飢えた男どもが好き勝手にしてくれるさ」
「羨ましいもんだな。こんなイイ女にお相手を願えるとは」
「しかし頼まれたとしても、あんな得体の知れない薬を飲みたくはないだろう」
「もっともだ」

 男たちの下卑た笑い声聞きながら、クロエはこぶしを握りしめた。サバトの会場に連れ込まれたらもう逃げ出すことはできない。ハート候に報告されることも避けなければならない。

 短い時間の間で必死に考えをめぐらせ、やがて奮える唇を開いた。

「お、お願い。何でもするからサバトの会場には連れて行かないで……」

 男たちの動きが止まった。欲情をはらむ無数の瞳がクロエを見下ろした。

「……何でも?」

 クロエは碧色の瞳に涙を浮かべ、ふるふると身を震わせながら男たちを見上げた。

「何でもよ。あなたたちの望むことは何でもする。だからサバトの会場には連れて行かないで……怖いのよ……」

 男どもたちの視線はクロエの身体を滑る。汗ばんだ黒髪に触れれば柔らかそうな白肌。黒いドレスから零れ落ちんばかりの乳房にたおやかな腰回り。そして冷たい床の上であらわになった太もも。

 極上の餌を前にして、男たちの理性が瓦解するのは早い。
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