見放された家出令嬢は清くたくましく生存中! ※ただし酒場で出会ったドS男子に処女を狙われている

三崎こはく

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5章 パーティ、愉しいパーティ

51話 狂宴の開宴

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 展示会の会場を出たアンドレとクロエは、男性に促されたとおり屋敷の西側へと向かった。そこには確かに地下へと続く階段があって、階段の先には薄暗闇が広がっていた。
 
 廊下はひっそりと静まり返り、薄灰色の絨毯には夕焼けが落ちている。
 間もなく夜がやってくる。一度地下へと続く階段を下ってしまえば、次に見る空はどんな色をしているのだろう。

 アンドレとクロエは会話もなく階段を下った。
 階段を下り切った先には長い廊下があり、廊下の先には木製の扉がぽつりとたたずんでいた。そこがサバトの会場となる部屋だ。
 
 2人はどちらともなく顔を見合わせ、そしてゆっくりと扉を開けた。

 サバトの会場にはすでに30人ほどの人が集まっていた。そのほとんどが20代から30代の若者で、ドレスや燕尾服を身に着けた人の姿も多い。
 円卓には酒と軽食が並べられており、気軽な立食パーティーという雰囲気だ。

 しかし魔女の妙薬に魅せられた若者が集まっている以上、ここが気楽なパーティーの会場であるはずもない。

 隔絶されたハート家の別邸、地下室という閉鎖空間。
 間もなく宴は幕ひらく。

「Ladies and Gentlemen!」

 陽気な声とともに、会場は薄暗闇に包まれた。部屋の灯りが落とされたのだ。

 同時に会場の前方にはスポットライトがあたり、1人の女性が照らし出された。真っ黒なとんがり帽子を頭にのせた女性は、派手なベネチアンアイマスクで目元を覆い隠している。
 表情のわからないアイマスクの下で、真っ赤な紅を引いた唇がわらう。

「今宵はサバトへのご参加、誠に感謝申し上げまァァす。今ここに開宴致しますは、この場所でしか味わうことのできない特別な宴。皆様どうぞ日頃の憂いなど綺麗さっぱり忘れてしまって、たった一晩の饗宴をお愉しみくださいませーェ!」

 特別な道具など何も使っていないはずなのに、女性の声は広い会場にきんきんと響いた。
 同時に会場には数人のスタッフが入場した。小さなとんがり帽子に黒いベネチアンアイマスク。展示会の会場でサバトの誘いをかけていたスタッフたちだ。

 彼らはお盆を片手に、乾杯のグラスを配り歩く。
 中身のわからないクリスタルのショットグラスだ。

 アンドレは小さな声で呼びかけた。

「クロエ」
「……何よ」

 クロエが低い声で答えたので、アンドレはすぐ近くにある円卓を指さした。正確には円卓にかけられた緋色のテーブルクロスを。

「乾杯のグラスを渡される前に、その円卓の下に隠れなよ。2人そろって得体のしれない飲物を口にする必要なんてない」
「そう思うのならあなたが隠れなさいよ」
「そうしたいところだけど、あいにく僕の頭は鶏のとさか並みに目立つんだよ。急にいなくなったら怪しまれちゃうでしょ。ほら、グラスを渡される前に早く早く」

 アンドレがそう急かせば、クロエは少し迷った末、言われたとおりテーブルクロスの下へと潜り込んだ。幸いにも会場内は薄暗く、黒髪に黒ドレスのクロエの姿は目立たない。

 サバトの会場から1人の女性が姿を消したことに気がつく者はいない。

 クロエがテーブルクロスの下に潜り込んだ直後、アンドレの元に魔女帽子のスタッフがやってきた。アンドレとクロエにサバトの開催を伝えた男性スタッフだ。

 彼は乾杯のグラスを片手に不思議そうな顔をした。

「アンドレ様、とおっしゃいましたか。お連れの女性はいかがいたしました?」

 アンドレは何食わぬ顔で答えた。

「展示会で酒を飲みすぎてしまったからと言って、先に帰ってしまいました」
「そうですか……それは残念です」

 男性はアンドレの発言に疑問を抱いた様子はなく、乾杯のグラスを手渡すとすぐにその場を立ち去った。
 すぐに会場には司会の声が響き渡った。

「それでは皆様ッ! グラスのご用意はよろしいでしょうか。今宵の特別な宴にィィ……乾杯!」

 掛け声に合わせて、人々はグラスを宙に掲げた。
 乾杯、乾杯、乾杯。あちらこちらから威勢のいい声が上がる。

 アンドレはためらいながらもグラスに口を付けた。会場にはサバトの開宴を楽しみに待つ人がおり、また魔女帽子のスタッフも目を光らせている。中身のわからないグラスとはいえ、飲まずに済ますことはできそうにもなかった。

 皆が乾杯のグラスを空にした頃、会場には陽気な音楽が響き始めた。次いで会場の前方にぶら下げられた舞台幕がするすると開く。そこに舞台があったのだと、アンドレはそのとき初めて気づいた。

 舞台幕の内側には演奏隊が座り込んでいた。10名の演奏隊員は全員が頭に魔女帽子をのせており、顔には色違いのベネチアンアイマスク。
 フルートにクラリネットにトランペット、ヴァイオリンにティンパニ、奏でられる音楽はかなり本格的だ。

 音楽に導かれるようにして参加者たちは踊り出した。男と女が手と手を取り合い、あちこちに置かれた円卓の間を縫うようにして、衣服のすそをひるがえして踊る。薄暗い会場に鮮やかな花が咲いたよう。

「……これがサバト? 普通のダンスパーティーのようだけど」

 独り言のようにアンドレはつぶやいた。そのつぶやきはクロエに向けたものなのだけれど、当のクロエから返事はない。テーブルクロスの内側で、誰にも気づかれないようにじっと息を潜めているのだろう。

 立ち尽くすアンドレの元に、ドレス姿の女性が歩いてきた。青いドレスを着た若い女性だ。女性はアンドレの前で足を止めると、優雅な動作で手を差し出した。

「ナーシャと申します。1曲、ご一緒にいかが?」

 突然の誘いにアンドレはとまどった。なぜならアンドレ――アンは壊滅的にダンスが苦手だからだ。まごつきながら答えた。

「ええと……大変嬉しいお誘いなんですけれど、あいにくダンスが苦手で……」
「でしたら私がリード致しますわ。ほら、早く」

 そうして強引に手を引かれ、ダンスの輪へと入っていく。

 手を取り合いダンスに興じながら、アンドレはナーシャから色々な話を聞いた。話、といってもその内容は取り留めのないものばかりだ。例えば展示会へと向かう道中で大きな鹿を見ただとか、今着ているドレスはハート商会を通じて買った物だとか、展示会ではどんな商品が気になっただとか、そんな実りもない雑談。

 アンドレは辛抱強くナーシャの語りに耳を澄ませていたが、ダンスの時間が数分にも及んだとき、意を決して口を開いた。

「このサバトは一体何をする場所なの? 魔女帽子のスタッフは『特定の商品を買った客だけが参加できる』と言っていたけど」

 ナーシャは息を弾ませながら答えた。

「あら。あなたは今夜、初めてサバトに参加なさったの? 記念すべき最初のお相手をつとめさせていただいて光栄だわ」
「光栄って……そんなおおげさな」

 アンドレが苦笑いを浮かべれば、ナーシャは声を潜めて言った。

「『サバトは何をする場所か』と訊いたわね。わざわざ尋ねずとも想像はできるでしょう? あなたも魔女の妙薬に魅せられた者なら」
「……ここだけの話なんだけど、実は僕、魔女の妙薬を飲んだことがないんだ。薬を買ったことがあるのは確かだけど、知り合いにあげちゃってさ」

 アンドレのささやき声に、ナーシャは意外そうに答えた。

「あら、そう。そうだったの。でも多分、もうどちらでも同じことよ。こうしてサバトに参加してしまった以上、あなたはもう普通ではいられない。ずぶずぶと魔女の妙薬に溺れていく運命なのよ。――私のように」
「……あなたのように?」

 音楽のリズムが変わった。
 アンドレが慌ててリズムに合わせようとする間にも、ナーシャは楽しそうに踊る。ステップを踏むたびに青色のドレスが花開き、汗粒が宝石のように宙を舞う。美しい。

 ――それにしても暑い
 アンドレは額を流れる汗をぬぐった。

 少し前から身体がほてる。ダンスをしているのだから当然と言えば当然だが、それにしてもこの汗の量は異常だ。身体の内側から湧き上がるような熱気、ほてり。
 そしてふわふわとして心地良い。ナーシャと手を取り踊るうちに、足先は地面を離れ宙へと浮き上がってしまいそう。

「ねぇ、何だか胸がドキドキしてきたでしょう? 身体の中心に火を点けられたみたいに」
 
 熱を帯びる声が聞こえた。アンドレの指先に指先を絡ませて、ナーシャはうっとりと瞳を潤ませていた。
 思わず触れたナーシャの肩はまるで火の玉のように熱い。

 汗ばんだ肌が手のひらに吸い付く。
 どくどくと割れんばかりの胸の鼓動が伝わってくる。
 足がもつれ、呼吸は乱れ、人々の声が遠ざかる。

「あれ……あれぇ?」

 視界がぐにゃりと歪んだ。
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