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4章 心惑わす魔女の妙薬
44話 ハート商会
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寂れた雑貨店を出たアンドレは、老婆に言われたとおり繁華街を北側へと向かった。
繁華街の北端からさらに北へ。15分も歩くと、あたりは繁華街とは正反対の閑静な街並みとなった。建物はどれも綺麗に手入れされていて、軒先に植物の鉢を置いた家屋も目立つ。通り全体の人通りは少なく、歩くだけでのどかな気分にさせてくれる場所だ。
その通りの一角に突然、大きなレンガ造りの建物が現れた。目につく場所に看板はなく、綺麗ではあるが寂しい印象を受ける建物だ。
アンドレが建物の扉をくぐれば、そこはこれといった特徴のない事務所だった。ドアベルの音を聞いて、事務員がカツカツと足音を立ててやってくる。事務服を着た若い女性だ。
「こんにちは。本日はどのようなご用件でしょう?」
女性の質問に、アンドレはすぐに答えた。
「ハート商会に入会したいんです」
「入会のご検討、誠にありがとうございます。奥の部屋で手続きをいたしますので、どうぞお入りください」
あまりにもすんなりと促されるものだから、アンドレは少し焦った。
「手続きって、何か特別なことをします?」
「いいえ。所定の入会金と、希望のサービスに応じた月会費をお支払いいただくだけです。入会と同時に商品の購入を希望される場合は、少々お時間が必要ですが」
つまりハート商会への入会手続きを済ませれば、今日にでも魔女の妙薬を手に入れられるということだ。アンドレは心の中でガッツポーズを作った。
アンドレが通されたのは、建物の奥側にある小さな部屋だ。
簡素な造りの扉をしっかりと閉めて、女性はアンドレに促した。
「どうぞ、おかけくださいませ」
アンドレは部屋の中央に置かれたソファへ腰を下ろした。ローテーブルを挟んだ向かい側には、同じ色合いのソファが置かれており、女性はそのソファの真ん中に静かに腰を下ろす。
「まずは入会にあたり、ハート商会の概要についてお話しします。ハート商会はロジャー・ハート候が立ち上げた商業組織体、設立より今年で7年目を迎えます。組織の構成員は個人商店が57、個人会員様が400名程度となっております」
丁寧な説明をされても、その会員数が多いのか少ないのか、アンドレには検討もつかなかった。
ふむふむと適当な相槌を打つアンドレを前に、女性の説明は続く。
「ハート商会に入会いただくメリットは、個人会員様の例に限定してお話しします。まず1つ目のメリットは商品の優先購入。商品が店舗に並ぶ前に、優先的に購入していただくことが可能です。輸送費や販売手数料が差し引かれますから、価格についても10%程度割安となります」
アンドレは女性の説明をさえぎって質問した。
「優先的に商品を購入したい場合は、こちらの事務所に来ればいいんですか?」
「新商品の予約や、宝飾品など高額な商品の受け渡しにつきましては、こちらの店舗で承っております。ですがその他の商品については、ハート家所有の倉庫を直接お訪ねください。後ほど地図をお渡しいたします」
「あ、そうなんだ。確認なんですけど、魔女の妙薬もその倉庫に行けば買えるんですね?」
アンドレがドキドキしながら尋ねれば、女性はにこりと笑った。
「もちろん、可能です。ただし魔女の妙薬を含むいくつかの商品については、こちらの事務所にも在庫がございます。本日ご入用分につきましては、私の方でご用意することも可能ですが、いかが致しましょう?」
「それなら魔女の妙薬を1瓶、お願いします」
「かしこまりました。ご用意いたします」
――本当にこんな簡単に手に入るんだ
今までにどれだけの人が、魔女の妙薬を求めてハート商会に入会したのか。
魔女の妙薬は、ハート商会の入会者数を増やすために作られた商品なのか。
魔女の妙薬に依存性があることを、事務所で働く人々は知っているのか。
知っているのだとしたら、ハート商会で働くことに罪悪感はないのか。
さまざまな疑問が頭をよぎるが、アンドレはこぶしを握りしめて感情を押し殺した。今ここで女性を問い詰めてもいいことなど1つもない。まずは穏便にハート商会へ入会し、魔女の妙薬を手に入れる。その後のことは、またゆっくりと考えればいい。
アンドレが黙り込んだので、女性は説明を再開した。
「次にハート商会に入会するメリットの2つ目。ハート商会の個人会員様は、ハート家主催の新商品展示会への参加が可能です。販売前の商品を優先的に購入することもできますから、どうぞふるってご参加ください」
アンドレははっと目を見開いた。
「ハート家主催の……もしかしてその展示会には、ロジャー・ハート候も参加されます?」
「もちろん。ハート商会の統率者ですから」
それはまたとないチャンスだった。
アンドレがハート商会への入会を決めたのは、第一にドリーのことがあったからだ。魔女の妙薬の現物を手に入れ、ドリーを救わなければならないと思ったから。
そして第二に、ハート商会への入会が素性調査に役立つと思ったから。商会を通じて現当主であるロジャー・ハートと接触の機会を持てば、その縁はやがて娘であるシャルロット・ハートへと繋がっていく。
いち早くロジャー・ハートと接触するためにも、新商品展示会への参加は必須だ。
アンドレは興奮して尋ねた。
「次の新商品展示会はいつですか?」
「ちょうど1週間後、土曜日の午後に開催されます。ですがこの展示会については、すでに参加申し込みを締め切っておりますから、お客様の参加は次々回以降となります」
「次々回って……それ、いつ頃になりますか?」
「正確な日付はまだ確定しておりません。しかし過去の実績から申しますと、新商品展示会の開催頻度はおよそ3か月に1度です」
「3か月……」
つまり1週間後の新商品展示会を逃せば、次にロジャー・ハートと接触できるチャンスは3か月後。それでは遅すぎる、とアンドレは唇を噛んだ。
女性の説明は続く。
「では入会金のお話に移りましょう。ハート商会の入会金は金貨5枚。それとは別に、毎月一定額の月会費をちょうだいします。月会費の金額は、普通会員で金貨1枚、特別会員で金貨5枚。ご自由にお選びいただけますが、いかが致しましょう?」
アンドレは首をひねった。
「ええっと……普通会員と特別会員の違いは?」
「商品の購入だけを希望されるのであれば、普通会員としてご入会ください。新商品展示会への参加を希望されるのであれば、特別会員になる必要があります」
ならば特別会員にならなければならないことは考えるまでもなし。アンドレは10枚の金貨をじゃらじゃらとローテーブルの上に並べた。
「特別会員になります」
「ハート商会へのご入会、誠にありがとうございます」
女性は10枚の金貨を手のひらにのせると、静かに席を立った。「手続きをして参ります」と言葉を残し、部屋を出て行こうとする。
女性が扉をくぐるよりも早く、アンドレもまた席を立った。そして猫さながらの俊敏さで女性の背後へ歩み寄ると、女性の身体を背後から抱きしめた。
「ひっ……」
声にならない悲鳴を漏らした女性に、アンドレは明るい口調で謝罪した。
「あ、驚かせてごめんね。僕の名前はアンドレと言うんだけど、お姉さんのお名前は?」
女性は戸惑いながら答えた。
「リエル、と申しますが……」
「リエルさん、素敵な名前だね。実は僕、リエルさんにお願いがあるんだ。聞いてくれるかな?」
「……耳に入れるだけでよろしいのでしたら」
アンドレの腕の中で、リエルが身動ぎをした。突然の抱擁であるにも関わらず、リエルはアンドレの腕を振りほどこうとはしない。それどころか頬を赤らめ満更でもないといった様子だ。
リエルを抱き締める腕に力を込めて、アンドレは低い声でささやいた。
「僕、どうしても次の新商品展示会に参加したいんだ。何とか融通を利かせてもらうことはできないかな?」
「それは……できません。参加申し込みの期限は過ぎておりますし、招待状の郵送も済んでおりますから……」
「そう。でもさ、物事には例外が付きものだよね。例えば僕が、ハート商会にとってすごぉーく重要な立場の人物だったりしたらどうするの? 多少融通を利かせて、新商品展示会に参加させようとするでしょう?」
少し間をおいて、女性は消え入りそうな声で答えた。
「た、確かに例外的な飛び込み参加を認める場合はありますが……」
「あ、やっぱりそうなんだ。じゃあ僕をその例外にしてもらうことはできないかな? 僕、どうしても次の商品展示会に参加したいんだ。ね、リエルだけが頼りだからさ……」
耳朶に触れるか触れないかの絶妙な場所でささやいてやれば、リエルは首筋まで真っ赤に染めて突き放すように叫んだ。
「……わ、わかりました! 例外として飛び込み参加を認めます。事務所に招待状の在庫がございますから、後でお渡しを――」
「わぁ、本当? 嬉しいな。ありがとう、リエル」
アンドレがリエルの頬に口付ければ、リエルは「ひっ」と悲鳴をあげてアンドレの抱擁を振りほどいた。真っ赤な顔をおおい隠し、大急ぎで部屋を出て行こうとする。
「所定の手続きをして参ります! アンドレ様はこちらの部屋でお待ちくださいませ!」
バァン、と大きな音を立てて扉は閉まり、部屋の中にはアンドレだけが残された。
反響音の残る部屋を見回し、ぽつりと一言。
「うーん、あれもまた可愛い」
繁華街の北端からさらに北へ。15分も歩くと、あたりは繁華街とは正反対の閑静な街並みとなった。建物はどれも綺麗に手入れされていて、軒先に植物の鉢を置いた家屋も目立つ。通り全体の人通りは少なく、歩くだけでのどかな気分にさせてくれる場所だ。
その通りの一角に突然、大きなレンガ造りの建物が現れた。目につく場所に看板はなく、綺麗ではあるが寂しい印象を受ける建物だ。
アンドレが建物の扉をくぐれば、そこはこれといった特徴のない事務所だった。ドアベルの音を聞いて、事務員がカツカツと足音を立ててやってくる。事務服を着た若い女性だ。
「こんにちは。本日はどのようなご用件でしょう?」
女性の質問に、アンドレはすぐに答えた。
「ハート商会に入会したいんです」
「入会のご検討、誠にありがとうございます。奥の部屋で手続きをいたしますので、どうぞお入りください」
あまりにもすんなりと促されるものだから、アンドレは少し焦った。
「手続きって、何か特別なことをします?」
「いいえ。所定の入会金と、希望のサービスに応じた月会費をお支払いいただくだけです。入会と同時に商品の購入を希望される場合は、少々お時間が必要ですが」
つまりハート商会への入会手続きを済ませれば、今日にでも魔女の妙薬を手に入れられるということだ。アンドレは心の中でガッツポーズを作った。
アンドレが通されたのは、建物の奥側にある小さな部屋だ。
簡素な造りの扉をしっかりと閉めて、女性はアンドレに促した。
「どうぞ、おかけくださいませ」
アンドレは部屋の中央に置かれたソファへ腰を下ろした。ローテーブルを挟んだ向かい側には、同じ色合いのソファが置かれており、女性はそのソファの真ん中に静かに腰を下ろす。
「まずは入会にあたり、ハート商会の概要についてお話しします。ハート商会はロジャー・ハート候が立ち上げた商業組織体、設立より今年で7年目を迎えます。組織の構成員は個人商店が57、個人会員様が400名程度となっております」
丁寧な説明をされても、その会員数が多いのか少ないのか、アンドレには検討もつかなかった。
ふむふむと適当な相槌を打つアンドレを前に、女性の説明は続く。
「ハート商会に入会いただくメリットは、個人会員様の例に限定してお話しします。まず1つ目のメリットは商品の優先購入。商品が店舗に並ぶ前に、優先的に購入していただくことが可能です。輸送費や販売手数料が差し引かれますから、価格についても10%程度割安となります」
アンドレは女性の説明をさえぎって質問した。
「優先的に商品を購入したい場合は、こちらの事務所に来ればいいんですか?」
「新商品の予約や、宝飾品など高額な商品の受け渡しにつきましては、こちらの店舗で承っております。ですがその他の商品については、ハート家所有の倉庫を直接お訪ねください。後ほど地図をお渡しいたします」
「あ、そうなんだ。確認なんですけど、魔女の妙薬もその倉庫に行けば買えるんですね?」
アンドレがドキドキしながら尋ねれば、女性はにこりと笑った。
「もちろん、可能です。ただし魔女の妙薬を含むいくつかの商品については、こちらの事務所にも在庫がございます。本日ご入用分につきましては、私の方でご用意することも可能ですが、いかが致しましょう?」
「それなら魔女の妙薬を1瓶、お願いします」
「かしこまりました。ご用意いたします」
――本当にこんな簡単に手に入るんだ
今までにどれだけの人が、魔女の妙薬を求めてハート商会に入会したのか。
魔女の妙薬は、ハート商会の入会者数を増やすために作られた商品なのか。
魔女の妙薬に依存性があることを、事務所で働く人々は知っているのか。
知っているのだとしたら、ハート商会で働くことに罪悪感はないのか。
さまざまな疑問が頭をよぎるが、アンドレはこぶしを握りしめて感情を押し殺した。今ここで女性を問い詰めてもいいことなど1つもない。まずは穏便にハート商会へ入会し、魔女の妙薬を手に入れる。その後のことは、またゆっくりと考えればいい。
アンドレが黙り込んだので、女性は説明を再開した。
「次にハート商会に入会するメリットの2つ目。ハート商会の個人会員様は、ハート家主催の新商品展示会への参加が可能です。販売前の商品を優先的に購入することもできますから、どうぞふるってご参加ください」
アンドレははっと目を見開いた。
「ハート家主催の……もしかしてその展示会には、ロジャー・ハート候も参加されます?」
「もちろん。ハート商会の統率者ですから」
それはまたとないチャンスだった。
アンドレがハート商会への入会を決めたのは、第一にドリーのことがあったからだ。魔女の妙薬の現物を手に入れ、ドリーを救わなければならないと思ったから。
そして第二に、ハート商会への入会が素性調査に役立つと思ったから。商会を通じて現当主であるロジャー・ハートと接触の機会を持てば、その縁はやがて娘であるシャルロット・ハートへと繋がっていく。
いち早くロジャー・ハートと接触するためにも、新商品展示会への参加は必須だ。
アンドレは興奮して尋ねた。
「次の新商品展示会はいつですか?」
「ちょうど1週間後、土曜日の午後に開催されます。ですがこの展示会については、すでに参加申し込みを締め切っておりますから、お客様の参加は次々回以降となります」
「次々回って……それ、いつ頃になりますか?」
「正確な日付はまだ確定しておりません。しかし過去の実績から申しますと、新商品展示会の開催頻度はおよそ3か月に1度です」
「3か月……」
つまり1週間後の新商品展示会を逃せば、次にロジャー・ハートと接触できるチャンスは3か月後。それでは遅すぎる、とアンドレは唇を噛んだ。
女性の説明は続く。
「では入会金のお話に移りましょう。ハート商会の入会金は金貨5枚。それとは別に、毎月一定額の月会費をちょうだいします。月会費の金額は、普通会員で金貨1枚、特別会員で金貨5枚。ご自由にお選びいただけますが、いかが致しましょう?」
アンドレは首をひねった。
「ええっと……普通会員と特別会員の違いは?」
「商品の購入だけを希望されるのであれば、普通会員としてご入会ください。新商品展示会への参加を希望されるのであれば、特別会員になる必要があります」
ならば特別会員にならなければならないことは考えるまでもなし。アンドレは10枚の金貨をじゃらじゃらとローテーブルの上に並べた。
「特別会員になります」
「ハート商会へのご入会、誠にありがとうございます」
女性は10枚の金貨を手のひらにのせると、静かに席を立った。「手続きをして参ります」と言葉を残し、部屋を出て行こうとする。
女性が扉をくぐるよりも早く、アンドレもまた席を立った。そして猫さながらの俊敏さで女性の背後へ歩み寄ると、女性の身体を背後から抱きしめた。
「ひっ……」
声にならない悲鳴を漏らした女性に、アンドレは明るい口調で謝罪した。
「あ、驚かせてごめんね。僕の名前はアンドレと言うんだけど、お姉さんのお名前は?」
女性は戸惑いながら答えた。
「リエル、と申しますが……」
「リエルさん、素敵な名前だね。実は僕、リエルさんにお願いがあるんだ。聞いてくれるかな?」
「……耳に入れるだけでよろしいのでしたら」
アンドレの腕の中で、リエルが身動ぎをした。突然の抱擁であるにも関わらず、リエルはアンドレの腕を振りほどこうとはしない。それどころか頬を赤らめ満更でもないといった様子だ。
リエルを抱き締める腕に力を込めて、アンドレは低い声でささやいた。
「僕、どうしても次の新商品展示会に参加したいんだ。何とか融通を利かせてもらうことはできないかな?」
「それは……できません。参加申し込みの期限は過ぎておりますし、招待状の郵送も済んでおりますから……」
「そう。でもさ、物事には例外が付きものだよね。例えば僕が、ハート商会にとってすごぉーく重要な立場の人物だったりしたらどうするの? 多少融通を利かせて、新商品展示会に参加させようとするでしょう?」
少し間をおいて、女性は消え入りそうな声で答えた。
「た、確かに例外的な飛び込み参加を認める場合はありますが……」
「あ、やっぱりそうなんだ。じゃあ僕をその例外にしてもらうことはできないかな? 僕、どうしても次の商品展示会に参加したいんだ。ね、リエルだけが頼りだからさ……」
耳朶に触れるか触れないかの絶妙な場所でささやいてやれば、リエルは首筋まで真っ赤に染めて突き放すように叫んだ。
「……わ、わかりました! 例外として飛び込み参加を認めます。事務所に招待状の在庫がございますから、後でお渡しを――」
「わぁ、本当? 嬉しいな。ありがとう、リエル」
アンドレがリエルの頬に口付ければ、リエルは「ひっ」と悲鳴をあげてアンドレの抱擁を振りほどいた。真っ赤な顔をおおい隠し、大急ぎで部屋を出て行こうとする。
「所定の手続きをして参ります! アンドレ様はこちらの部屋でお待ちくださいませ!」
バァン、と大きな音を立てて扉は閉まり、部屋の中にはアンドレだけが残された。
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