上 下
37 / 70
4章 心惑わす魔女の妙薬

37話 恋するあなたにプレゼント

しおりを挟む
 偶然にも『魔女の妙薬』を手に入れたアンドレは、その足で繁華街を北側へと向かった。目指す先は『リトルプラネット』という名前の酒場だ。

 重たい木の扉を押し開ければ、そこには幻想的な空間が広がっていた。広い店内に窓はなく、しかしドーム状の天井は見上げるほど高い。そしてそのドーム状の天井には、数千数万の光の粒が映し出されている。
 
 天井の中央を横切る光の密集帯は天の川。アンドロメダにぺガスス座、五つ星のカシオペヤ。ドーム天井に広がる満天の星空は、思わず息を呑むほど美しい。

 満点の星空に包まれたような店内で、アンドレはすぐに探し人を見つけた。カウンターテーブルで1人酒を楽しむドリーだ。
 アンドレはカウンターテーブルに歩み寄り、ドリーの肩をとんとんと叩いた。

「ドリー、久しぶり。僕のこと覚えてる?」

 振り返ったドリーは、アンドレの顔を見てぱっと表情を明るくした。

「アンドレ様、お久しぶりです」

 朗らかに笑うドリーを見て、アンドレはふと違和感を覚えた。ドリーの見た目から受ける印象が、以前とは全く異なるのだ。
 
 マッドアップルで一緒にパフェを食べたとき、ドリーはすみれ色のワンピースを着ていたし、髪も下ろしていた。
 それが今夜はどうだ。赤茶色の髪はきっちりと結い上げ、服装は貴族の女性としては珍しいパンツスタイル。ダークグレーのパンツスーツが、細身の身体によく似合っている。

 アンドレはドリーの容姿にしばし見惚れ、それから素直な感想を口にした。

「ドリー……何だか以前会ったときと全然印象が違うね。その服、すごく似合っている。ドキッとしちゃった」

 ドリーは照れ臭そうに肩をすぼめた。

「私、小さい頃からパンツスタイルの方が好きなんです。剣の稽古のときには男性と同じ訓練着を着用しますから、それに慣れてしまって」
「そうなんだ。でも以前会ったときにはワンピースを着ていたよね?」
「意識してスカートを穿くようにしていたんです。貴族の社交の場では、女性はドレスかワンピースが一般的ですから。でも私は私らしい恰好をしても構わないかなって。以前アンドレ様とお話しして、そう思えるようになったんです」

 アンドレは驚いて自分の顔を指さした。

「え、僕? そっかぁ、ドリーの考え方を変えるきっかけになったのなら良かったな」

 アンドレが優しく微笑めば、ドリーもまたはにかみ笑いを零した。そしてそれから、思いついたように本題に触れた。

「アンドレ様、今日はどうしたんですか? ひょっとして、私に何か用事でした?」
「そうそう、ドリーに大事な用事だよ。実は僕、ここに来る前にすごい物を手に入れちゃってさ」
「……何をですか?」

 ドリーは興味津々で聞き返すので、アンドレは上着の前身頃を開き、内ポケットから薄桃色の小瓶をのぞかせた。

「これ、何だと思う? ……これさ『魔女の妙薬』」

 もったいぶって伝えれば、ドリーは目を見開いた。

「……本物ですか?」
「さぁどうだろう。真贋の判断はできないな。でも店員の説明を聞く限り、本物っぽい雰囲気は感じたけれど」

 周りに聞こえないようにと声を潜め、アンドレは今日ここに至るまでの経緯をドリーに説明した。

 偶然立ち入った雑貨店で魔女の妙薬に出会ったこと。
 魔女のような風貌の老婆が店員だったこと。
 入荷は不定期で商品に出会えるかどうかは運次第であるということ。

 全てを語り終えたとき、ドリーはかつてなく興奮した様子であった。

「話を聞く限りでは本物のような印象を受けますね。魔女のような外見の女性が売っているから、魔女の妙薬という名前がついているのでしょうか?」
「そうなのかなぁ。それとも薬の効果が、人間の作る物を遥かに超越しているか……。魔法的な効果を感じることができる妙薬、ってことかもね」
「確かにその可能性もありますね」

 アンドレとドリーは顔を見合わせ、しばし黙り込んだ。
 
 魔女の妙薬は手に入れた。しかしその得体のしれない妙薬を服用することは簡単ではない。魔女の風貌をした老婆は「この薬を飲めば美しくなれる」と言ったけれど、具体的な効能がまるで不明のままだからだ。

 もし本当に服用者の容姿に変化をもたらす薬なのだとすれば、その効果は一時的なものなのか、それとも永久的なものなのか。効果の程度を服用者自身で操作することができるのか、それとも変化したままの姿を受け入れるしかないのか。
 
 正直なところ、アンドレは魔女の妙薬を服用してみたいとはまるで思わなかった。そこでドリーの表情をうかがいながら遠慮がちに尋ねた。

「……ドリーはさ、この薬を飲んでみたいと思う?」

 沈黙、長考。やがてドリーは意を決したように答えた。

「アンドレ様。私はこの薬を飲んでみたいです」
「そう? 怖くはない?」
「怖くないと言えば嘘になります。でも私にはもうあまり多くの時間は残されておりませんから。自分に自信を持つために、やれることは全てやっておきたいんです」

 アンドレは小首をかしげ、問い返した。

「時間がないって、それどういう意味?」
「縁談が持ち上がっているんです。お相手の男性は、私にはもったいないくらい高貴なお方。縁談が成立するかどうかはまだわからないのですけれど、父は手応えは悪くないと感じているみたいなんです」

 アーサーのことだ、とアンドレは思った。
 しかし何も言わず、ドリーの告白に耳を澄ませた。

「お相手の男性は、とある事情から生活に介助が必要です。私は一般の女性よりも力がありますし、怪我の手当てや救急救命の方法も心得ております。身体が不自由であれば社交の頻度は少なくなりますし、私のような無愛想者でも不都合はないだろうって、父はそう言うんです」
「……そうなんだ。ドリーはその縁談に不満はないの?」

 ドリーは言い淀んだ。
 
「不満は……ないとは言い切れませんけれど。でも私はこの無愛想さが原因で、いい縁談を何度か不意にしているんです。だから私のような変わり者でも、受け入れてくれる人がいると思えば救われる思いです」
「無愛想って言うけどさ……ドリーはそんなに無愛想かなぁ? 僕から見たら、十分表情豊かで可愛いんだけどな」

 ――少なくともドレスフィード家の三女と比べれば、月とスッポン並みの差があるよ。もちろんドリーがお月様だよ
 アンドレの心のつぶやきは、誰にも届くことはないのである。

 ドリーの告白はさらに続く。

「そのお方が私のことを受け入れてくださるのなら、生涯をかけて生活をお支えする覚悟です。ですがそうなる前にどうしても伝えたい想いがあるんです。決して結ばれることのないあの人に、私の想いを伝えたい。一番綺麗な姿で『愛しています』と伝えたいの」

 ドリーの告白は、満天の星空の下で讃美歌のように響く。

 ドリーの恋の相手をアンドレは知らない。どのような出会いをしたのかも知らない。けれども自身なさげであったドリーが、こうして愛を伝える覚悟したのであれば、それは大きな前進だ。
 勇気を出して伝えた言葉は生涯を通して人の心に残る。ドリーの伝える溢れんばかりの愛は、『あの人』の記憶に鮮やかな色を焼き付けることだろう。

 アンドレは内ポケットから取り出した小瓶を、ドリーの目の前に差し出した。

「じゃあ、これはドリーにあげるよ」

 ドリーは目を丸くした。

「……よろしいのですか? せっかく買い求めた物を」
「いいんだ。僕が魔女の妙薬を買ったのはただの好奇心で、僕自身が飲もうと思っていたわけじゃない。それに僕、ドリーのこと好きなんだよ。ドリーが頑張りたいと言うのなら、その頑張りを応援したい」

 ドリーはアンドレの顔と差し出された小瓶を交互に見やり、それからおずおずと小瓶を受け取った。幸運が重なり手に入れた魔女の妙薬を。

「あ、ありがとうございます。これ、代金はおいくらでしょう?」
「代金は要らないよ。僕の激励の気持ち」
「でも……」

 ドリーは申し訳なさそうな様子だが、アンドレはまるで気にしないと手のひらを振った。

「本当にいいんだ。実はそれ、お値段はたった銀貨1枚なんだよ。だからどうぞ遠慮しないで受け取って?」
「……そういうことでしたら遠慮なく頂きます。ありがとうございます、アンドレ様」

 はにかむ笑うドリーを見て、アンドレはとある未来を思い描いた。ドリーがアーサーの妻となった未来だ。

 陽だまりに揺れるロッキングチェア。
 うとうとと寝入るアーサー。
 そのかたわらに椅子を置き、のんびりと読書に耽るドリー。

 その光景はきっと誰しもにとって望ましい未来だ。何よりもドリー自信が、その未来が訪れることを受け入れているのだから。

 ――アーサー、よかったね。いい子がお嫁さんに来てくれそうだよ
 アンドレは遠く離れた王子様へ言葉を贈った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

裏切りの代償

志波 連
恋愛
伯爵令嬢であるキャンディは婚約者ニックの浮気を知り、婚約解消を願い出るが1年間の再教育を施すというニックの父親の言葉に願いを取り下げ、家出を決行した。 家庭教師という職を得て充実した日々を送るキャンディの前に父親が現れた。 連れ帰られ無理やりニックと結婚させられたキャンディだったが、子供もできてこれも人生だと思い直し、ニックの妻として人生を全うしようとする。 しかしある日ニックが浮気をしていることをしり、我慢の限界を迎えたキャンディは、友人の手を借りながら人生を切り開いていくのだった。 他サイトでも掲載しています。 R15を保険で追加しました。 表紙は写真AC様よりダウンロードしました。

私の恋が消えた春

豆狸
恋愛
「愛しているのは、今も昔も君だけだ……」 ──え? 風が運んできた夫の声が耳朶を打ち、私は凍りつきました。 彼の前にいるのは私ではありません。 なろう様でも公開中です。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

私はただ一度の暴言が許せない

ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
厳かな結婚式だった。 花婿が花嫁のベールを上げるまでは。 ベールを上げ、その日初めて花嫁の顔を見た花婿マティアスは暴言を吐いた。 「私の花嫁は花のようなスカーレットだ!お前ではない!」と。 そして花嫁の父に向かって怒鳴った。 「騙したな!スカーレットではなく別人をよこすとは! この婚姻はなしだ!訴えてやるから覚悟しろ!」と。 そこから始まる物語。 作者独自の世界観です。 短編予定。 のちのち、ちょこちょこ続編を書くかもしれません。 話が進むにつれ、ヒロイン・スカーレットの印象が変わっていくと思いますが。 楽しんでいただけると嬉しいです。 ※9/10 13話公開後、ミスに気づいて何度か文を訂正、追加しました。申し訳ありません。 ※9/20 最終回予定でしたが、訂正終わりませんでした!すみません!明日最終です! ※9/21 本編完結いたしました。ヒロインの夢がどうなったか、のところまでです。 ヒロインが誰を選んだのか?は読者の皆様に想像していただく終わり方となっております。 今後、番外編として別視点から見た物語など数話ののち、 ヒロインが誰と、どうしているかまでを書いたエピローグを公開する予定です。 よろしくお願いします。 ※9/27 番外編を公開させていただきました。 ※10/3 お話の一部(暴言部分1話、4話、6話)を訂正させていただきました。 ※10/23 お話の一部(14話、番外編11ー1話)を訂正させていただきました。 ※10/25 完結しました。 ここまでお読みくださった皆様。導いてくださった皆様にお礼申し上げます。 たくさんの方から感想をいただきました。 ありがとうございます。 様々なご意見、真摯に受け止めさせていただきたいと思います。 ただ、皆様に楽しんでいただける場であって欲しいと思いますので、 今後はいただいた感想をを非承認とさせていただく場合がございます。 申し訳ありませんが、どうかご了承くださいませ。 もちろん、私は全て読ませていただきます。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

忌むべき番

藍田ひびき
恋愛
「メルヴィ・ハハリ。お前との婚姻は無効とし、国外追放に処す。その忌まわしい姿を、二度と俺に見せるな」 メルヴィはザブァヒワ皇国の皇太子ヴァルラムの番だと告げられ、強引に彼の後宮へ入れられた。しかしヴァルラムは他の妃のもとへ通うばかり。さらに、真の番が見つかったからとメルヴィへ追放を言い渡す。 彼は知らなかった。それこそがメルヴィの望みだということを――。 ※ 8/4 誤字修正しました。 ※ なろうにも投稿しています。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

処理中です...