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3章 ドS男と相棒業

22話 裏繁華街

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 ティルミナ王国の王都、その中心部に位置する繁華街。
 老若男女問わず多くの客が集まるその場所は、南北を貫くメイン通りと、その近辺の数本の小道からなる。メイン通りの長さはおよそ800m、石畳の道の両脇には、酒場を主とした数多くの店が軒を連ねている。
 
 さてここで繁華街と一口に言っても、その内部はいくつかのエリアに区別することができる。

 まずはメイン通りの北半分。ここは安価な酒場が軒連ね、繁華街の中で1番多くの人が出入りする場所だ。食事の美味さを売りにした酒場や、貴族の子息子女の受けを狙ったお洒落な酒場、女性専用の酒場なんてものも存在する。
 通りや酒場の治安もよく、アンドレの活動区域は主にこのエリアとなる。

 次にメイン通りの南半分。こちらは北部に比べて少し治安が悪い。性接待ありきの高級酒場に、密造酒を提供する寂れた酒場。店先では、巡察員の目を逃れた強引な客引きが頻繁に行われている。
 繁華街の関係者でも、腕に自信のない者はこの場所には近づかない。

 そしてもう1か所。俗に『裏繁華街』と呼ばれる地区がある。大通りの東側に位置する数本の通りを、まとめてそう呼称するのだ。
 ここは繁華街の中で最も治安が悪い場所。詐欺と暴力、娼館に賭場。およそ思いつく限りの人の欲望が、その土地には渦巻いている。

 その裏繁華街の立ち呑み酒場に、肩を寄せ合う2人の男女がいた。

「俺、裏繁華街の店に入るの初めてなんだわ。結構本気で怖ぇ」

 色付きのサングラスをかけたグレンが、ひそひそ声でそうささやいた。ささやき声を向ける先は、灰色のシャツワンピースを着たアンだ。

「ほんと、怖いよね。あたし、グレンが一緒じゃなかったらとっくにちびってるよ」
「ちびるとか言うんじゃねぇ。アンドレ様は、裏繁華街には出入りしねぇの?」
「しないしない。目を付けられたら嫌だもん。有名になれば贔屓ひいきにしてくれる人は増えるけど、同じくらい敵も増えるんだよ。貴族のご令嬢は、繁華街の商売人にとっていい金づるだからさ。金づるを独り占めするアンドレを快く思わない人は多いと思うよ」
 
 アーサー宅訪問から2週間が経った今日。アンとグレンはイェレナ・ハンス――アーサーの結婚候補者の1人であり、裏繁華街の『地下クラブ』に出入りしているという――の素性調査のために裏繁華街を訪れていた。

 調査員がアンドレとクロエではなく、アンとグレンである理由は、調査場所が危険な裏繁華街であるためだ。アンは喧嘩などできないし、
 しかし裏繁華街に出入りするのに戦闘要員不在はまずい。そこで自称『護身術程度は身に着けている』グレンが、戦闘要員を引き受けることとなったのだ。
 
 色付きサングラスという最低限の変装を施したグレンは、多くの客人でごった返す酒場内を見回し、また小さな声でささやいた。

「アンドレ様の髪は鶏のとさか並みに目立つもんな。お前、つくづく髪色を変えてきてよかったな。治安の悪い土地で目立っても、なぁんにもいいことないぜ」
「んん……そうだねぇ。こればっかりはバーバラに感謝だよ」

 アンはガラス窓に映る自身の姿を眺めた。腰まで伸びた黒髪に、飾り気のない灰色のシャツワンピース。今のアンが繁華街の通りを歩いても、目を留める者は滅多にいないだろう。

 アンの蜜柑色の髪を黒髪へと変えたものは、アーサー邸の使用人であるバーバラの魔法、『変色魔法』と呼ばれる比較的ありふれた魔法である。
 この魔法の性質は、人体を含む物体の色彩を一時的に変化させること。数ある魔法の中でも汎用性が高く、例えば料理人の中には、食材の色彩を自由自在に変えオリジナリティあふれる料理を提供する者もいる。

 ちなみにアンの持ち技である変貌魔法も、訓練を積めば髪や肌の色を変えることは可能であると言われている。しかし性別が変われば十分という理由からアンは会得していない領域だ。
 
 さらに付け加えるのなら、変色魔法を含むどのような魔法を使っても目の色を変えることはできない。だからアンの目の色は、元の蜜柑色のままだ。

 突如、辺りに怒号が響き渡った。アンが恐る恐る振り返ってみれば、酒場の一角で恰幅のよい男たちが胸倉を掴み合っていた。「イカサマしやがって、このクズ野郎」「負けてるからってイチャモン付けんじゃねぇよ、頓馬」などと物騒な台詞を吐き散らかしている。
 
 近くのテーブル上にはトランプが散らばっているから、客人同士で賭け事を楽しんでいたのだろう。その途中でイカサマ行為が明らかになったというところか。

 アンドレが出入りする繁華街北部の酒場では、客人同士の勝手な賭け事は禁止されている。理由は言わずもがな揉め事を避けるためだ。

 護身の覚えがないアンにとって、人の怒号など恐怖の対象でしかなく、グレンのシャツのすそをつんつんと引っ張った。

「グレングレン、なんか不味そうだよ。店を出ようよ」

 アンの必死の訴えに、グレンは渋い表情を返した。

「ここを出たら、また一から見張り場所を探さなきゃなんねぇだろ。酒場も混む時間だし、見晴らしのいい席を確保できる保証もないぜ」
「それは、そうだけど……」

 アンは薄汚れた窓の外に幅広の通りをのぞんだ。夜を迎えたばかりの裏繁華街は、酒と刺激を求める多くの人々でごった返している。寂れた看板を掲げた酒場に、開け放たれた窓から野次が飛び出す賭場。
 
 そしてその雑多な通りの一角に、ぽつりと鉄製の扉がたたずんでいた。看板すら掲げないその扉の向こうが地下クラブと呼ばれる場所だ。アンとグレンはその扉を見張るために、もう1時間も前からこの酒場に張り込んでいる。
 もしも今この酒場を出てしまえば、近くの酒場で見晴らしのいい席を確保できる保証はなかった。
 
 だからといって酒場に響く怒号が恐ろしいことに変わりはなく、アンは懸命な訴えを続けた。

「じゃあういっそ地下クラブに入っちゃおうよ。イェレナ嬢が来るかどうかはさて置き、内部の雰囲気を知れるだけでも上出来じゃない?」
「んー……得体のしれない場所にあまり長居したくねぇんだよな。最低限の変装をしているとはいえ、今日はこっちグレンなわけだし……お?」

 窓の外を眺めていたグレンが声を上げた。アンもつられて窓の外を見やれば、雑多な通りをどこか見覚えのある女性が歩いていた。
 繁華街には不似合いなシルクのワンピースに、凶器のようなピンヒールを履いたその女性は、本日のターゲットであるイェレナ・ハンスだ。

 イェレナは赤髪の長身男性と一緒に、鉄製の扉の向こう側へと消えていく。迷いのない慣れた動きだ。

「本当に地下クラブに入っていったね。イェレナ嬢……」
「ツイてるな。今日という日を無駄にせず済みそうだ。アン、行くぞ。潜入捜査開始だ」

 グレンの音頭に、アンはいつになく気が引き締まる心地だ。
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