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2章 捨てられた王子様と見放された令嬢

16話 緊張の茶会

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※ガゼボ…西洋の庭園に置かれる休憩用建築物(お嬢様方がお茶会していそうなアレ)

 アーサーとの面会を終えたアンとローマンは、レオナルドの案内により邸宅の裏手側へと向かった。そこには見渡す限りの草原が広がっていて、草原の真ん中に小さなガゼボが建てられている。無垢材でできた5本の柱の上に、白塗りの屋根をのせただけのシンプルなガゼボだ。

 ガゼボの下にはグレンと、アンの知らない女性使用人がいた。ワゴンカートの上で紅茶を淹れたり、ケーキを切り分けたりと、茶会の準備に大忙しだ。白いエプロンをつけたグレンが、神妙な顔つきでケーキを切り分ける様はどこか微笑ましい。
 
 茶会の準備がおおよそ整ったとき、レオナルドが丁寧な口調で促した。

「どうぞ、おかけください。間もなく茶会の準備が整いますから」

 そして3人そろって茶会の席につく。淹れたての紅茶に口をつけるよりも早く、嬉々として口を開く者はローマンだ。

「バトラー殿。貴殿はリーウのワインをお飲みになった経験がありますかな?」
「1度だけございます。私がまだ騎士団に所属していたときの出来事ですから、もう大分昔の記憶になりますが。あれは確か、王都北側の森をねぐらにしていた山賊の殲滅祝いでね。フィルマン殿下のご厚意により大規模な宴を開催したのですよ。そのときに飲んだ酒の中に、確かリーウのワインがございました」
「当時の手書新聞にも取り上げられていた事案であるな。して、ワインの味は?」

 ローマンは嬉しそうに尋ねるが、レオナルドはゆっくりとかぶりを振った。
 
「残念ながら味や香りは記憶にございません。正直なところ、絶え間なく酒を酌み交わす中で、本当にリーウのワインを口にしたかどうかも定かではありません。ただとても珍しい色合いの瓶でしてね。一体どこで作られた酒だろうと、ラベルを眺めた記憶がございます」
「珍しい色合いの瓶とは、ひょっとしてオレンジワインか?」
「さようです。そのような名であったと記憶しています」

 ローマンの顔が、みるみるうちに満面の笑顔となった。

「いやはや、オレンジワインに目を留めていただけるとは嬉しい限りだ。あれは独自の方法で醸造したリーウの逸品でね。今年の販売分はすでに予約が埋まっておるが、こうしてお会いしたのもひとつの縁。身内分として確保していた分を、後日こちらにお送りしよう。ぜひ皆様でご堪能くだされ」
「それはありがたい。楽しみの少ない生活ですから、美味い酒が届けばみな喜びます」

 レオナルドとローマンが談笑する横で、アンは黙々とチョコレートケーキをつついていた。
 アンとこそ相性の悪いローマンだが、商人としては間違いなく一級人。鬼人レオナルドを相手に臆することなく商品を売り込む様子は、身内の目から見ても見事なものである。

 ――無事ワインの売り込みも終わったことだし、あたしの結婚申込を取り下げてはくれませんかねぇ
 チョコレートケーキをちまちまとつつきながら、アンはそんなことを考えるのだ。

「さて、アン様。いくつかお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 レオナルドに名を呼ばれ、アンははっと顔を上げた。ローマンとの会話を終えたレオナルドが、するどい眼差しでアンを見つめている。
 
 アンはチョコレートケーキを食べることを止め、怖じ怖じと返事をした。

「……何でしょう」
「失礼ながら、私の方でも少々あなたのことを調べさせていただきました。あなたはここ2年ほどの間、全くと言っていいほど社交の場に顔を出しておられないようですね。何か人前に顔を出せない事情がおありでしたか?」
「はい、それは――」

 その質問に対する答えはあらかじめ用意していた。昨晩、ローマンの執務室で入念な打ち合わせを行ったからだ。
 
 アンがこの2年間、社交の場に姿を見せなかった理由は『大病を患っていたため』。人にうつる病であったため、自宅での隔離生活を余儀なくされていたのだ。
 しかしこのたび幸運にも、その大病を治すことのできる治癒師を見つけ出すことができた。アンの病は綺麗さっぱり治り、こうして普通の生活を取り戻した、というストーリーである。

 打ち合わせどおりに嘘のストーリーを語ろうとするアンであるが、それよりも早くローマンがさらりと言い放った。

「アンは家出中だ。私との喧嘩が原因でね。この2年間、ドレスフィードの家には帰っておらなんだ」

 突然の暴露にレオナルドは目を丸くした。レオナルドだけではない。アンはぽかんと口を開けてローマンを見つめ、グレンは疑わしげな表情だ。

「家出中? それは真でございますか。結婚前の娘が、親との不仲を理由に家を出るなどと」

 レオナルドは信じられないという様子だが、ローマンは淡々と話を続けた。

「家出と言っても、家族としての縁が切れたわけではない。私はアンの住まいの場所を把握しているし、所用があれば自宅に呼び出すこともある。今日のようにな」
「いえ、そうは言いましても……」
「恥ずかしながら、私とアンは顔を合わせれば喧嘩をしてしまう仲でね。別々に暮らした方が互いのためだの判断した。うっぷんを溜め込んで影で非行に走られるくらいなら、初めから自由な生活を与えてしまう方がいい。そうは思わんかね?」

 どうやらローマンは、レオナルド相手に真実を語ることを選んだようだ。
 
 邸宅の玄関口で、レオナルドはローマンを相手に「あなたは私が恐ろしいか」と質問した。あの質問は、言い換えれば「私を相手に嘘偽りを述べるな」との警告である。
 
 ローマンはその隠された忠告をするどく読み取り、アンの売り込みの方針を転換した。不都合な真実を隠すのではなく、アンの置かれた境遇を正当化してしまおうと考えたのだ。
 顧客に対し柔軟な対応が要求される、商売人ならではの判断である。

 そしてローマンの判断は大成功、レオナルドは両腕を組んだままうなずいた。

「おっしゃる通りです。かくいう私も実父との相性が悪く、成人を待たずして騎士団に入団させられた質でして……いえ、私の話はどうでもいい。アン様、お住まいはどちらに?」

 先ほどまでのするどい眼差しはどこへやら、レオナルドはアンの生活に興味津々といった様子だ。
 アンはレオナルドの表情をうかがいながら、慎重に答えた。

「王都の繁華街で暮らしています。正確には繁華街のすぐそばにある住宅街で」
「下宿ではなく、1人暮らしですか?」
「はい。単身者用の賃貸住宅に1人暮らしです」
「では炊事や洗濯は全てご自分でやっておられる?」
「自分でやっています。あまり、その……上出来とは言えませんけれど」

 レオナルドの口からは「ははぁ」感嘆の息が漏れた。

「上出来ではなくとも大したものでしょう。生活力は人生の糧です。騎士団にも貴族出身の者が何名かおりましたが、扱いづらいことこの上なかった。寄宿舎では身の回りの雑務は自分でこなすものなのですが、貴族出身者は肌着の洗い方も知らず……失敬、話が逸れますね。アン様、生活に必要な資金は実家からの仕送りですか?」

 ついにこの質問が来た、とアンは気を引き締めた。

「……いえ、自分で稼いでいます」
「ほう、なおさら大したものですね。仕事は何を?」
「繁華街の酒場で……えっと、客の呼び込みをしています」
「呼び込みで、生活に必要なだけの給料が得られるのですか?」
「贅沢をしなければ十分暮らしていけます。酒場の店主はみんないい人ばかりで、出勤すると夕食をご馳走してくれるんです。不要な家具や日用品を譲ってくださることもありますし……」

 当たり障りのない返答をしながらも、アンの背筋にはだらだらと冷や汗が流れていた。「もうこれ以上は突っ込まないでぇ!」と心の中で阿鼻叫喚だ。

 ローマンの方向転換に文句を言うつもりはなかった。嘘を吐かないで済むのならそれに越したことはないからだ。
 
 しかしここで問題がある。それはアンの仕事がとても人様に言えるような内容ではないということだ。「実はあたし、変貌魔法が使えるんですよ。超絶男前に変身して、貴族のご令嬢をホイホイして金を稼いでるんですよねぇ」貴族の戒律に厳しいローマンがいるこの場で、そんなことを馬鹿正直に述べるわけには絶対にいかないのだ。

 しかし必死の願いも虚しく、ついに恐れていたことが起こった。アンの私生活に興味津々のレオナルドが、軽い調子でこう尋ねたのだ。

「そういえば2か月ほど前、繁華街向けにお触れが出されましたよね。客に不快感を感じさせるような強引な客引きは控えるようにと。アン様の仕事に影響はありませんでしたか?」
「えっ……」

 アンは思わず黙り込んだ。
 
 言われてみれば確かにそんな出来事があった。発端は夜の繁華街で起きた傷害事件だ。店側の強引な客引きが原因で、客との間にいさかいが起きた。ささいな言い争いは数十人を巻き込んだ殴り合いに発展し、最終的には20人を超える重軽傷者が出たと聞いている。
 
 そしてその事件のすぐ後に、宮殿から繁華街宛にお触れが出されたのだ。「客に不快感を感じさせるような、強引な客引きは控えるように」と。

 レオナルドの質問にローマンが便乗した。

「そういえばそんな出来事があったな。アン、どうなんだ。仕事に影響はないのか?」

 レオナルドとローマン、2人分の視線を受けてアンはぱくぱくと口を動かした。

 正直なところを言えば、繁華街宛のお触れはアンの仕事に影響を及ぼしていない。なぜならアンの仕事は「もてなし役ホスト」であり、酒場の外で客を呼び込むわけではないからだ。

 しかしレオナルドとローマンは、アンが酒場の外で客の呼び込みをしているものだと勘違いしている。アン自身が、わざとそう勘違いされるような言い方をしたからだ。
 
 そして勘違いされるように話を誘導した以上、今ここで「仕事には何の影響もない」と言い切ることは不自然だ。思い返してみれば、酒場の店主らは確かに「お触れのせいで仕事がやりにくくなった」と零していた。看板を持って道に立っているだけで巡察員から注意を受けるようになり、客引き要因として雇っていた従業員を解雇した酒場もあるくらいだ。

 アンは何も言えなかった。予想外の質問に考えがまとまらず、次から次へと思いつく言い訳は積み上がるそばからガラガラと崩れていく。まるで幼子が作った積み木の城のように。

 そのとき、硬直するアンの頭上に恵みの雨が降り注いだ。
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