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終章
初体験はいつですか
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突然の質問に、レイバックはゼータの黒髪を撫でまわす手を止めた。
場所は王の間のベッドの上。部屋の灯りはすでに落とされている。1枚の布団に潜り込んだ2人は、本格的な性行為に至らない程度のじゃれ合いを楽しんでいた。そうしてじゃれ合ううちに行為が開始されることもあれば、抱き合ったまま眠りに落ちることもある。愛を確かめ合うための遊戯だ。
「初体験か…いきなりどうした?」
「ふと思いついたので。特に深い意味はないですよ」
レイバックは黙り込む。返事を待つゼータは、レイバックの胴体に両腕を回し、鍛え上げられた背筋を緩やかに撫でた。指先に感じる筋肉の弾力が心地良い。
「いつ、と言われれば12,3歳頃ではないだろうか。正確な年齢はわからんな」
「相手は誰ですか?」
「顔も名前も覚えていない。当時同じ集落に住んでいた者だ」
「恋仲でした?」
「違う。人生初の繁殖期がその頃だったんだ。今のように意識を失くすほどのものではなかったんだが、どうにも耐え難くてな。知り合いに事情を話して、協力を仰いだんだ」
「へぇ。初体験の感想は?」
「…この話はいつまで続くんだ」
「私の探求心が満たされるまでです。止めろと言われれば止めます」
すっかり探求モードに入ったゼータを前に、レイバックは渋い表情だ。
「感想と言われてもな…熱に浮かされていてあまり覚えていない。そうでなくとも、もう1000年以上前の出来事だぞ」
「それもそうですね。その人とは何度かしたんですか?」
「回数で言えばかなりしたな。当時の繁殖期は意識こそ保っていたものの、だらだらと期間が長くてな。日中は普通に生活できたが、夜になると一気に身体が昂るんだ。あれはあれで辛かった」
「へぇ…付き合ったりはしなかったんですか?」
「ない。相手がかなり年上だったからな。向こうとしても『身体の異常に悩まされる知り合いの子どもを助けてやった』程度の気持ちだっただろう」
「じゃあ――」
ゼータはさらに問いを重ねようと口を開く。しかし続く言葉は、レイバックの手のひらによって押し止められた。口周りをすっかり覆われたゼータは、むぐむぐと唸る。
「質問に答えるのは構わんが、先に同じ質問に答えろ。初体験はいつだ」
そう問うや否や、レイバックの手のひらはゼータの口元から離れる。今度はゼータが記憶を辿る番だ。手遊びにレイバックの緋髪を梳きながら、ぽつりぽつりと語り出す。
「…いつだったかな。成人してからだと思いますよ」
「相手は?」
「顔も名前も覚えていませんが、飲み屋で知り合った女性です」
「恋仲だったのか」
「違います。一夜限りの関係でした」
「初体験の感想は?」
「楽しかったですね。探求心が湧き上がっちゃって、一時期結構頻繁にしていました」
「…頻繁に?」
レイバックは胡乱げな表情を浮かべるが、ゼータは涼しげな顔だ。レイバックの問いに淡々と答えを返す。
「どうやったら相手を気持ちよくさせられるのか、自分が気持ちよくなれるのか。奥が深いじゃないですか。色々やってみたくて」
「行為の相手はどうやって見つけたんだ。初体験の相手とは一夜限りだったんだろう」
「飲み屋で意気投合した相手を誘うことが多かったですね。一夜限りの関係が多かったですけど、中には数年身体の関係が続いた人もいましたよ。名前は秘密です」
「…それは付き合っていたんじゃないのか」
「付き合ってはいなかったと思いますよ。会う約束はしなかったし。互いに店の常連だったんで、たまたま会えばする程度の関係でした」
ゼータの腰回りに添えられたレイバックの手に、ぎりぎりと力が籠る。しかし記憶を辿ることに集中したゼータはそれに気が付かない。呑気に緋色の髪を梳く。
「そういった行為の誘いは最近までしていたのか?」
「最近というか…結婚するまではたまにしていましたよ。飲み屋でたまたま魔法に詳しい人に出会うと、盛り上がっちゃって」
痛みを感じるほど強く腰を抱かれ、ゼータはようやく手遊びを止める。レイバックの瞳に、嫉妬の炎が揺らめいていることに初めて気づく。
「あの、レイ。色恋沙汰への発展は一切ないですからね。ただの性欲発散…」
「理解している」
魔族は性に寛容な種族だ。例えば街でたまたま知り合った相手と、性欲発散に身体を重ねることなど珍しくもない。即ちゼータの行いは、魔族の一般常識からすればごくごく当たり前のことと言えるのだけれど。
突如として身を起こしたレイバックは、ゼータの腰回りを悠々とまたいだ。夜着のボタンが次々と外され、焦ったゼータはレイバックの指先を握りしめる。
「待って待って!怒っています?」
「怒っていない」
「完全に不機嫌じゃないですか。なんで?レイだって不特定多数の女性と身体を重ねていたのに」
「繁殖期のことを言っているのであれば、あれは不可抗力だ」
「それ以外は?」
「俺は、繁殖期以外で人と身体を重ねた経験はない」
「…嘘ぉ」
「王だと気が付かれたら面倒だろう。これ幸いに『妃にしろ』などと言われてはたまらない。余計な種は蒔かないに限る」
露わになったゼータの胸元を、レイバックの手のひらが撫でる。唐突で一方的な行為開始の合図にゼータは悲鳴にも近い声を上げた。
「嫉妬するなら、初めから聞かないでくださいよ!」
「初めに話題を振ったのはそっちだ」
「そうですけど…」
「俺の探求心が満たされるまで付き合え。夜の遊戯は奥が深いからな」
ちゅう、と首元に吸い付きながら、器用にゼータのズボンを脱がしにかかるレイバック。どうやら嫉妬深い獣に余計な餌を与えてしまったようだ。ゼータはほんの数分前の自身の言動を、ひたすらに悔いるのである。
***
「初体験?」
とメリオンは聞き返す。読書に没頭していたメリオンに、唐突に問いかけた者はクリス。秘密基地に腹ばいとなったメリオンの尻に、ぺったりと頬をのせたクリスは、また同じ質問を繰り返す。
「初体験です。いつですか?」
「人に名を聞くときは、まず自分から名乗れ」
さも当然のようにそう告げて、メリオンは本のページを捲る。
「僕の初体験ですか?ありきたりで面白くもないですよ」
「安心しろ。笑いを求めるほどの興味もない」
メリオンの片尻に頬を埋めたクリスは、不満顔で記憶を辿る。メリオンの初体験を聞き出すつもりが、まさか先に自身の初体験を暴露する羽目になろうとは。
「魔導大学に入学して間もなくだから、19歳の時です。相手は同じ教養講義を受講していた女性で、正式にお付き合いした後の行為でした」
「場所と行為に至った経緯は」
「場所は…当時住んでいた僕の部屋ですね。相手の誕生日だったんですよ。一日街で遊んで、晩御飯を食べて、帰り道で部屋に来るように誘ったんです。後はもうなし崩し的に。相手もそうなる事は予想していたみたいですんなり事は進みました」
「うまくできたのか」
「お互いに初めてだったので、今考えれば拙い行為でした。でも失敗はしていないと思いますよ」
「ほぉ」
メリオンはクリスの話にさほどの興味は抱いていないようで、それ以上問いを重ねることはなかった。部屋の中には本を捲る音だけが響き、クリスは頬をのせていないメリオンの片尻を強めに叩く。
「メリオンさん。名乗ったんだから名前を教えてくださいよ。初体験はいつ?」
「覚えていない」
「え?」
「千何百年と前の出来事だぞ。覚えている訳がないだろう」
「…少しも?どんな状況だったとか、相手は年上とか年下とか」
「年上だろうな。精通と同時に食われているはずだ」
「え?」
不穏な言葉に、クリスの表情は曇る。メリオンは相変わらず、分厚い書物に視線を落としたままだ。
「貧しい吸血族の集落に住んでいたんだ。娯楽といえば人と交わる事くらいのものだった。行為が可能な身体になった男は、年上の女に即座に食われるんだ。記憶に残っていないのは、情事の全てが相手任せだったためだろうな」
「えっと、強姦ではない?」
「娯楽だと言っただろうが。平和惚けした感性で俺の人生を図るな」
「すみません」
想い人の初体験が強姦行為ではないことには安堵しつつも、やはりクリスの表情は不満げだ。自分は相手との関係や行為に至った状況まで語ったというのに、メリオンから聞き出した初体験の情報と言えば「精通直後、年上と」という非常に抽象的なもの。何とかして、もっと具体的な情報を聞き出したいものである。
「じゃあ男性との初体験はいつですか?」
「…ああ、それは覚えているな。1200年と少し前、ブルタス旧王が崩御して間もなくの頃だ」
ブルタス旧王は、今より1200年前まで旧バルトリア王国を治めていた王である。恐怖政治を強いていた暴王。彼の崩御の後、王の居ないバルトリア王国は混沌の地と化した。
「相手は誰ですか?」
「初めて会った相手だ。名前など知らん」
「どういう経緯で行為に至ったんですか?娯楽?」
「強姦」
事もなげに吐き出された言葉に、クリスは柔らかな尻肌から頬を離した。冗談ですか。言葉には出さないものの、クリスの表情はそう問うている。
「吸血族の集落に住んでいたと言っただろう。集落が盗賊に襲われた。殺される者がほとんどだったが、見目が良い奴は貞操と引き換えに生き延びた。あの時ほど顔の造りの良さに感謝したことはない」
「…冗談ではない?」
「好きに解釈すれば良い。過去を証明することなどできない」
メリオンの声に目立った感情はない。指先は古びた書物に添えられたまま、メリオンの意識は遠い過去に還る。
「俺は集落内では強者の部類であった。しかし武装した敵に数人がかりで囲まれては勝ち目などない。抵抗すれば間違いなく殺される。行為を受け入れても殺される可能性は高かったが、わずかな生存の可能性に懸けた。結果は俺の勝ちだ。満足した盗賊共は、俺を放置し立ち去った」
「盗賊共って、何人もいたんですか?」
「5人。強烈な記憶だ。忘れることはない。奴らの下劣な笑みは今でも脳裏に焼き付いている」
「…今でも思い出すってことですか」
「忘れてはいないだけだ。頻繁に思い出すわけではない」
淡々と返されるメリオンの答えに、クリスは唇を噛む。1200年前ともなれば、人間のクリスなどこの世に誕生すらしていない。自身の存在しない過去の出来事に怒りを覚えても仕方のないことではあるが、暴漢共に対する殺意を抑えるこちなど出来ようか。それと同時に激しい自責の念が沸き起こる。
「メリオンさん…その、本当にすみませんでした」
「何に対する謝罪だ?」
「性別転換魔法施術直後に、強引な行為に及んだ件です」
「何を今更」
「だって完全に強姦まがいだったじゃないですか。トラウマを抉るような真似をしたなって」
「トラウマではない」
「そうじゃないにしても、メリオンさんの初体験の記憶を塗り替える絶好の機会だったじゃないですか。耳が溶けるくらい甘い言葉を囁いて、どろどろに甘やかせば良かったのに、やっちまったなぁ…。だってあんなに悩殺的な身体になるとは思わなかったんだもん。初めてなのにやたら反応は良いし、口では強がる癖に身体は正直だし、僕の拙い理性など砂城のごとしですよ」
尻元で並べ立てられる恥ずかしい単語の数々に、メリオンは辟易の表情だ。
それからしばらくの間、クリスは黙り込んでいた。しかしやがて「よし」と呟いて、メリオンの傍らに膝立ちとなる。
「名誉挽回します。今日からしばらく、行為の際にはメリオンさんが引くくらい甘やかします」
「はぁ?」
掛け声とともに、クリスはメリオンを抱き上げた。世に言う姫抱きである。傍から見れば格好は良いが、クリスは必死の形相だ。歯を食いしばり、メリオンを抱える腕は小刻みに震えている。かなり重そうである。それも当然だ。メリオンは女性にしては上背があるし、細身であるがつくところに肉は付いている。何よりも筋肉というのは脂肪よりも重いのだ。鍛えられたメリオンの体躯は、見た目よりも相当重い。
「巨大な文鎮を持ち上げた気分です」
「失礼な奴だな。運ぶならとっとと運べ、王子様」
クリスは時折崩れ落ちそうになりながら、機械のような動きで寝室の扉へと向かう。腕の中のメリオンは先ほどまでとは打って変わって上機嫌だ。長い人生だが、姫抱きで運搬されるのは初めての経験である。
亀の歩みで寝室の扉へと辿り着いたクリスは、扉の取っ手に手をかけるべく四苦八苦を繰り返す。しかし巨大文鎮を抱えたままでは叶わない。
「駄目だ、扉が開けられません。メリオンさん開けて開けて」
「いつも最後で締まらんな、お前は」
メリオンの手が扉を開け、笑い声は寝室の暗がりへと消えた。
***
あと3話!
場所は王の間のベッドの上。部屋の灯りはすでに落とされている。1枚の布団に潜り込んだ2人は、本格的な性行為に至らない程度のじゃれ合いを楽しんでいた。そうしてじゃれ合ううちに行為が開始されることもあれば、抱き合ったまま眠りに落ちることもある。愛を確かめ合うための遊戯だ。
「初体験か…いきなりどうした?」
「ふと思いついたので。特に深い意味はないですよ」
レイバックは黙り込む。返事を待つゼータは、レイバックの胴体に両腕を回し、鍛え上げられた背筋を緩やかに撫でた。指先に感じる筋肉の弾力が心地良い。
「いつ、と言われれば12,3歳頃ではないだろうか。正確な年齢はわからんな」
「相手は誰ですか?」
「顔も名前も覚えていない。当時同じ集落に住んでいた者だ」
「恋仲でした?」
「違う。人生初の繁殖期がその頃だったんだ。今のように意識を失くすほどのものではなかったんだが、どうにも耐え難くてな。知り合いに事情を話して、協力を仰いだんだ」
「へぇ。初体験の感想は?」
「…この話はいつまで続くんだ」
「私の探求心が満たされるまでです。止めろと言われれば止めます」
すっかり探求モードに入ったゼータを前に、レイバックは渋い表情だ。
「感想と言われてもな…熱に浮かされていてあまり覚えていない。そうでなくとも、もう1000年以上前の出来事だぞ」
「それもそうですね。その人とは何度かしたんですか?」
「回数で言えばかなりしたな。当時の繁殖期は意識こそ保っていたものの、だらだらと期間が長くてな。日中は普通に生活できたが、夜になると一気に身体が昂るんだ。あれはあれで辛かった」
「へぇ…付き合ったりはしなかったんですか?」
「ない。相手がかなり年上だったからな。向こうとしても『身体の異常に悩まされる知り合いの子どもを助けてやった』程度の気持ちだっただろう」
「じゃあ――」
ゼータはさらに問いを重ねようと口を開く。しかし続く言葉は、レイバックの手のひらによって押し止められた。口周りをすっかり覆われたゼータは、むぐむぐと唸る。
「質問に答えるのは構わんが、先に同じ質問に答えろ。初体験はいつだ」
そう問うや否や、レイバックの手のひらはゼータの口元から離れる。今度はゼータが記憶を辿る番だ。手遊びにレイバックの緋髪を梳きながら、ぽつりぽつりと語り出す。
「…いつだったかな。成人してからだと思いますよ」
「相手は?」
「顔も名前も覚えていませんが、飲み屋で知り合った女性です」
「恋仲だったのか」
「違います。一夜限りの関係でした」
「初体験の感想は?」
「楽しかったですね。探求心が湧き上がっちゃって、一時期結構頻繁にしていました」
「…頻繁に?」
レイバックは胡乱げな表情を浮かべるが、ゼータは涼しげな顔だ。レイバックの問いに淡々と答えを返す。
「どうやったら相手を気持ちよくさせられるのか、自分が気持ちよくなれるのか。奥が深いじゃないですか。色々やってみたくて」
「行為の相手はどうやって見つけたんだ。初体験の相手とは一夜限りだったんだろう」
「飲み屋で意気投合した相手を誘うことが多かったですね。一夜限りの関係が多かったですけど、中には数年身体の関係が続いた人もいましたよ。名前は秘密です」
「…それは付き合っていたんじゃないのか」
「付き合ってはいなかったと思いますよ。会う約束はしなかったし。互いに店の常連だったんで、たまたま会えばする程度の関係でした」
ゼータの腰回りに添えられたレイバックの手に、ぎりぎりと力が籠る。しかし記憶を辿ることに集中したゼータはそれに気が付かない。呑気に緋色の髪を梳く。
「そういった行為の誘いは最近までしていたのか?」
「最近というか…結婚するまではたまにしていましたよ。飲み屋でたまたま魔法に詳しい人に出会うと、盛り上がっちゃって」
痛みを感じるほど強く腰を抱かれ、ゼータはようやく手遊びを止める。レイバックの瞳に、嫉妬の炎が揺らめいていることに初めて気づく。
「あの、レイ。色恋沙汰への発展は一切ないですからね。ただの性欲発散…」
「理解している」
魔族は性に寛容な種族だ。例えば街でたまたま知り合った相手と、性欲発散に身体を重ねることなど珍しくもない。即ちゼータの行いは、魔族の一般常識からすればごくごく当たり前のことと言えるのだけれど。
突如として身を起こしたレイバックは、ゼータの腰回りを悠々とまたいだ。夜着のボタンが次々と外され、焦ったゼータはレイバックの指先を握りしめる。
「待って待って!怒っています?」
「怒っていない」
「完全に不機嫌じゃないですか。なんで?レイだって不特定多数の女性と身体を重ねていたのに」
「繁殖期のことを言っているのであれば、あれは不可抗力だ」
「それ以外は?」
「俺は、繁殖期以外で人と身体を重ねた経験はない」
「…嘘ぉ」
「王だと気が付かれたら面倒だろう。これ幸いに『妃にしろ』などと言われてはたまらない。余計な種は蒔かないに限る」
露わになったゼータの胸元を、レイバックの手のひらが撫でる。唐突で一方的な行為開始の合図にゼータは悲鳴にも近い声を上げた。
「嫉妬するなら、初めから聞かないでくださいよ!」
「初めに話題を振ったのはそっちだ」
「そうですけど…」
「俺の探求心が満たされるまで付き合え。夜の遊戯は奥が深いからな」
ちゅう、と首元に吸い付きながら、器用にゼータのズボンを脱がしにかかるレイバック。どうやら嫉妬深い獣に余計な餌を与えてしまったようだ。ゼータはほんの数分前の自身の言動を、ひたすらに悔いるのである。
***
「初体験?」
とメリオンは聞き返す。読書に没頭していたメリオンに、唐突に問いかけた者はクリス。秘密基地に腹ばいとなったメリオンの尻に、ぺったりと頬をのせたクリスは、また同じ質問を繰り返す。
「初体験です。いつですか?」
「人に名を聞くときは、まず自分から名乗れ」
さも当然のようにそう告げて、メリオンは本のページを捲る。
「僕の初体験ですか?ありきたりで面白くもないですよ」
「安心しろ。笑いを求めるほどの興味もない」
メリオンの片尻に頬を埋めたクリスは、不満顔で記憶を辿る。メリオンの初体験を聞き出すつもりが、まさか先に自身の初体験を暴露する羽目になろうとは。
「魔導大学に入学して間もなくだから、19歳の時です。相手は同じ教養講義を受講していた女性で、正式にお付き合いした後の行為でした」
「場所と行為に至った経緯は」
「場所は…当時住んでいた僕の部屋ですね。相手の誕生日だったんですよ。一日街で遊んで、晩御飯を食べて、帰り道で部屋に来るように誘ったんです。後はもうなし崩し的に。相手もそうなる事は予想していたみたいですんなり事は進みました」
「うまくできたのか」
「お互いに初めてだったので、今考えれば拙い行為でした。でも失敗はしていないと思いますよ」
「ほぉ」
メリオンはクリスの話にさほどの興味は抱いていないようで、それ以上問いを重ねることはなかった。部屋の中には本を捲る音だけが響き、クリスは頬をのせていないメリオンの片尻を強めに叩く。
「メリオンさん。名乗ったんだから名前を教えてくださいよ。初体験はいつ?」
「覚えていない」
「え?」
「千何百年と前の出来事だぞ。覚えている訳がないだろう」
「…少しも?どんな状況だったとか、相手は年上とか年下とか」
「年上だろうな。精通と同時に食われているはずだ」
「え?」
不穏な言葉に、クリスの表情は曇る。メリオンは相変わらず、分厚い書物に視線を落としたままだ。
「貧しい吸血族の集落に住んでいたんだ。娯楽といえば人と交わる事くらいのものだった。行為が可能な身体になった男は、年上の女に即座に食われるんだ。記憶に残っていないのは、情事の全てが相手任せだったためだろうな」
「えっと、強姦ではない?」
「娯楽だと言っただろうが。平和惚けした感性で俺の人生を図るな」
「すみません」
想い人の初体験が強姦行為ではないことには安堵しつつも、やはりクリスの表情は不満げだ。自分は相手との関係や行為に至った状況まで語ったというのに、メリオンから聞き出した初体験の情報と言えば「精通直後、年上と」という非常に抽象的なもの。何とかして、もっと具体的な情報を聞き出したいものである。
「じゃあ男性との初体験はいつですか?」
「…ああ、それは覚えているな。1200年と少し前、ブルタス旧王が崩御して間もなくの頃だ」
ブルタス旧王は、今より1200年前まで旧バルトリア王国を治めていた王である。恐怖政治を強いていた暴王。彼の崩御の後、王の居ないバルトリア王国は混沌の地と化した。
「相手は誰ですか?」
「初めて会った相手だ。名前など知らん」
「どういう経緯で行為に至ったんですか?娯楽?」
「強姦」
事もなげに吐き出された言葉に、クリスは柔らかな尻肌から頬を離した。冗談ですか。言葉には出さないものの、クリスの表情はそう問うている。
「吸血族の集落に住んでいたと言っただろう。集落が盗賊に襲われた。殺される者がほとんどだったが、見目が良い奴は貞操と引き換えに生き延びた。あの時ほど顔の造りの良さに感謝したことはない」
「…冗談ではない?」
「好きに解釈すれば良い。過去を証明することなどできない」
メリオンの声に目立った感情はない。指先は古びた書物に添えられたまま、メリオンの意識は遠い過去に還る。
「俺は集落内では強者の部類であった。しかし武装した敵に数人がかりで囲まれては勝ち目などない。抵抗すれば間違いなく殺される。行為を受け入れても殺される可能性は高かったが、わずかな生存の可能性に懸けた。結果は俺の勝ちだ。満足した盗賊共は、俺を放置し立ち去った」
「盗賊共って、何人もいたんですか?」
「5人。強烈な記憶だ。忘れることはない。奴らの下劣な笑みは今でも脳裏に焼き付いている」
「…今でも思い出すってことですか」
「忘れてはいないだけだ。頻繁に思い出すわけではない」
淡々と返されるメリオンの答えに、クリスは唇を噛む。1200年前ともなれば、人間のクリスなどこの世に誕生すらしていない。自身の存在しない過去の出来事に怒りを覚えても仕方のないことではあるが、暴漢共に対する殺意を抑えるこちなど出来ようか。それと同時に激しい自責の念が沸き起こる。
「メリオンさん…その、本当にすみませんでした」
「何に対する謝罪だ?」
「性別転換魔法施術直後に、強引な行為に及んだ件です」
「何を今更」
「だって完全に強姦まがいだったじゃないですか。トラウマを抉るような真似をしたなって」
「トラウマではない」
「そうじゃないにしても、メリオンさんの初体験の記憶を塗り替える絶好の機会だったじゃないですか。耳が溶けるくらい甘い言葉を囁いて、どろどろに甘やかせば良かったのに、やっちまったなぁ…。だってあんなに悩殺的な身体になるとは思わなかったんだもん。初めてなのにやたら反応は良いし、口では強がる癖に身体は正直だし、僕の拙い理性など砂城のごとしですよ」
尻元で並べ立てられる恥ずかしい単語の数々に、メリオンは辟易の表情だ。
それからしばらくの間、クリスは黙り込んでいた。しかしやがて「よし」と呟いて、メリオンの傍らに膝立ちとなる。
「名誉挽回します。今日からしばらく、行為の際にはメリオンさんが引くくらい甘やかします」
「はぁ?」
掛け声とともに、クリスはメリオンを抱き上げた。世に言う姫抱きである。傍から見れば格好は良いが、クリスは必死の形相だ。歯を食いしばり、メリオンを抱える腕は小刻みに震えている。かなり重そうである。それも当然だ。メリオンは女性にしては上背があるし、細身であるがつくところに肉は付いている。何よりも筋肉というのは脂肪よりも重いのだ。鍛えられたメリオンの体躯は、見た目よりも相当重い。
「巨大な文鎮を持ち上げた気分です」
「失礼な奴だな。運ぶならとっとと運べ、王子様」
クリスは時折崩れ落ちそうになりながら、機械のような動きで寝室の扉へと向かう。腕の中のメリオンは先ほどまでとは打って変わって上機嫌だ。長い人生だが、姫抱きで運搬されるのは初めての経験である。
亀の歩みで寝室の扉へと辿り着いたクリスは、扉の取っ手に手をかけるべく四苦八苦を繰り返す。しかし巨大文鎮を抱えたままでは叶わない。
「駄目だ、扉が開けられません。メリオンさん開けて開けて」
「いつも最後で締まらんな、お前は」
メリオンの手が扉を開け、笑い声は寝室の暗がりへと消えた。
***
あと3話!
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ダジュール王国の第一王子アーネストは既に二度、処刑されては、その三日前に戻るというのを繰り返している。三度目の今回こそ、処刑を免れたいと、見張りの兵士に声をかけると、その兵士も同じように三度目の人生を歩んでいた。
★本編で出てこない世界観
男同士でも結婚でき、子供を産めます。その為、血統が重視されています。
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