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はないちもんめ
ごめんなさいが言いたくて
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時計の針が22時を回った頃。クリスは王宮内の廊下に1人立ち尽くしていた。今、クリスの目の前にはぴったりと閉じられたけやきの扉がある。その扉の向こうはメリオンの私室だ。
「メリオンの魔力が戻るまではそっとしておいてやれ」」レイバックにそう諭されたのは、今日の夕方のこと。目の前の扉を開けようとすることが、レイバックの言葉に背く行為であることは理解している。しかしクリスには、今夜のうちに何としても扉を開けなければならない理由があるのだ。その理由とは――心からの謝罪をしたいから。
言葉巧みにメリオンを騙し、性別転換魔法の施術を受けさせた直後。クリスは強引にメリオンの身体を暴いた。制止の言葉には耳を貸さず、半ば強引に己の血を含ませて。メリオンが行為を拒む理由を、当時のクリスはあまり深くも考えなかった。突然肉体が変化したことへの戸惑い、嘘偽りを吐いたクリスへの怒り。そのような感情からくる拒絶であろう、と呑気に考えていた。
しかし違った。メリオンは怖かったのだ。魔法を使えないことが怖い。クリスの拘束を振り解けないことが怖い。人と近づくことが怖い。クリスの内にある悪意が怖い。身体を繋げる最中に、クリスの手により突然命を断たれるのではないかと真に怯えていたのだ。
「…そりゃ相槌も打ってもらえなくなるわけだ」
溜息を零すクリスは、重い手のひらを持ち上げ扉を叩く。メリオンはクリスと話をすることを望んでいない。顔すら見たくないと思っているだろう。けれども謝罪の機会が遅くなれば遅くなるほど、「ごめんなさい」は言いにくくなってしまう。
部屋には入らず、離れたところから謝罪だけ。そう考えて扉を叩いたクリスであったが、部屋の中から声が返ってくることはない。悪いことだと知りながらも、クリスはそっと扉を開けた。わずかに開けた隙間から、部屋の中を覗き見る。灯りはついている。しかし目に見える範囲にメリオンの姿はない。
クリスは扉の隙間から部屋を覗き込んだまま、しばし思い悩んだ。十二種族長の私室は、居室とそれに併設する寝室の2部屋からなる。クリスが今見ている部屋は居室で、視線の先には寝室へと続く扉が佇んでいた。居室に姿が見えないということは、おそらくメリオンは寝室にいるのだろう。
寝室を覗くのはまずい。頭ではわかっていながらも、クリスは扉の内側へと身体を滑り込ませた。明日になれば、またもだもだと考えこんでしまう。だから今日、思い切って部屋を出てきたのだ。これ以上関係が拗れてしまわないうちに、何としてでも謝罪を済ませたい。その一心で、クリスは寝室へと続く扉を開ける。
「メリオンさん、夜分にすみませ…あれ?」
クリスは首を傾げ、扉の隙間から寝室のあちこちを眺め見た。寝室の中に人の姿はない。灯りを付けたままどこかへ行ってしまったのだろうか。まさかこんな遅い時間に?
あれこれと考えるクリスの頬を、冷たい風が撫でた。寝室の窓が開いている。中途半端に閉められた深紅のカーテンが、夜風を受けて揺らめいている。
ベッド脇に置かれた小さなタンスの上から、数枚の紙が滑り落ちた。その紙は寝室に吹き込む夜風にのって、クリスの足元へとやってくる。クリスはそれの書類を全て拾い上げると、元あった場所に戻すべく寝室内へと立ち入った。人様の寝室に断りなく立ち入るなど、通常では許されない行為だ。しかし現在部屋の主は不在、書類を戻すだけなら問題はあるまい。
書類をタンスの上にのせたクリスは、その足で窓際へと寄った。窓を閉めるためだ。今夜は冷える。メリオンが寝室に戻っていたときに、少しでも部屋が暖かい方が良いだろう。そんなささやかな気遣いである。窓枠に手をかけたクリスは、何気なく開け放たれた窓の外を見下ろす。
「…ん?」
芝生の上に毛布が落ちていた。建物からは少し離れた場所、窓灯りが届くかどうかという絶妙な場所に、王宮の備品である毛布が落ちている。それもただ風に飛ばされてその場所にあるのではなく、まるで中に人がくるまっているかのような形状だ。
どくりと心臓が鳴る。クリスは主不在の寝室を一瞥し、毛布の中身を確かめるべく駆けだした。
「メリオンの魔力が戻るまではそっとしておいてやれ」」レイバックにそう諭されたのは、今日の夕方のこと。目の前の扉を開けようとすることが、レイバックの言葉に背く行為であることは理解している。しかしクリスには、今夜のうちに何としても扉を開けなければならない理由があるのだ。その理由とは――心からの謝罪をしたいから。
言葉巧みにメリオンを騙し、性別転換魔法の施術を受けさせた直後。クリスは強引にメリオンの身体を暴いた。制止の言葉には耳を貸さず、半ば強引に己の血を含ませて。メリオンが行為を拒む理由を、当時のクリスはあまり深くも考えなかった。突然肉体が変化したことへの戸惑い、嘘偽りを吐いたクリスへの怒り。そのような感情からくる拒絶であろう、と呑気に考えていた。
しかし違った。メリオンは怖かったのだ。魔法を使えないことが怖い。クリスの拘束を振り解けないことが怖い。人と近づくことが怖い。クリスの内にある悪意が怖い。身体を繋げる最中に、クリスの手により突然命を断たれるのではないかと真に怯えていたのだ。
「…そりゃ相槌も打ってもらえなくなるわけだ」
溜息を零すクリスは、重い手のひらを持ち上げ扉を叩く。メリオンはクリスと話をすることを望んでいない。顔すら見たくないと思っているだろう。けれども謝罪の機会が遅くなれば遅くなるほど、「ごめんなさい」は言いにくくなってしまう。
部屋には入らず、離れたところから謝罪だけ。そう考えて扉を叩いたクリスであったが、部屋の中から声が返ってくることはない。悪いことだと知りながらも、クリスはそっと扉を開けた。わずかに開けた隙間から、部屋の中を覗き見る。灯りはついている。しかし目に見える範囲にメリオンの姿はない。
クリスは扉の隙間から部屋を覗き込んだまま、しばし思い悩んだ。十二種族長の私室は、居室とそれに併設する寝室の2部屋からなる。クリスが今見ている部屋は居室で、視線の先には寝室へと続く扉が佇んでいた。居室に姿が見えないということは、おそらくメリオンは寝室にいるのだろう。
寝室を覗くのはまずい。頭ではわかっていながらも、クリスは扉の内側へと身体を滑り込ませた。明日になれば、またもだもだと考えこんでしまう。だから今日、思い切って部屋を出てきたのだ。これ以上関係が拗れてしまわないうちに、何としてでも謝罪を済ませたい。その一心で、クリスは寝室へと続く扉を開ける。
「メリオンさん、夜分にすみませ…あれ?」
クリスは首を傾げ、扉の隙間から寝室のあちこちを眺め見た。寝室の中に人の姿はない。灯りを付けたままどこかへ行ってしまったのだろうか。まさかこんな遅い時間に?
あれこれと考えるクリスの頬を、冷たい風が撫でた。寝室の窓が開いている。中途半端に閉められた深紅のカーテンが、夜風を受けて揺らめいている。
ベッド脇に置かれた小さなタンスの上から、数枚の紙が滑り落ちた。その紙は寝室に吹き込む夜風にのって、クリスの足元へとやってくる。クリスはそれの書類を全て拾い上げると、元あった場所に戻すべく寝室内へと立ち入った。人様の寝室に断りなく立ち入るなど、通常では許されない行為だ。しかし現在部屋の主は不在、書類を戻すだけなら問題はあるまい。
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「…ん?」
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