【BL】齢1200の龍王と精を吸わないオタ淫魔

三崎こはく

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安らかに眠れ、恐ろしくも美しい緋色の龍よ

後日談:ある幸せな家族の話

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 時は数か月遡る。ハクジャの街の一角にある、とある小さな酒場での出来事だ。

「アダム、待たせたな」

 背後で聞きなれた声を聞き、アダムは持っていたグラスをテーブルの上に置いた。声の主に挨拶をしようと振り返れば、丁度その人物はアダムの真横をすり抜けたところである。椅子を引き、アダムの目の前にどっしりと腰を据える者は、長年の友人であるリジンだ。癖の強い赤銅色の髪に、同じ色合いの瞳。顔は良いが性格はすこぶる悪いと評判の男である。数週間ぶりに見る友の顔、アダムはにかりと微笑みかける。

「リジン、久しぶり。お前から酒の誘いだなんて珍しいこともあるもんだな」
「ん、ああ。ちょっと話したいことがあったんだ」
「仕事の話か?」
「半分はそうだ。だが本題は後にしてくれ。まずは何か食いたい」
 
 リジンはテーブルの上のメニュー表に視線を走らせると、傍を通りかかった店員に2,3の料理を注文した。飲物はグラスビール、酒場の定番だ。
 今日アダムが酒場を訪れたのは、リジンから呼び出しを受けたためだ。アダムはハクジャの街の工場で建築関係の仕事を営んでいる。従業員が数人ばかりの小さな工場ではあるが、経営は順調だ。給料は高額とは言えないけれど、妻と2人の子どもを養うのに不足はない。その小さなアダムの職場に、白昼突然リジンがやって来たのだ。「18時にいつもの酒場で」リジンはそれだけ伝えると風のように去っていき、アダムは頷き一つ返せなかった。いつもより早めに仕事を上がり、愛妻に夕食の辞退を告げ、こうして約束の場所へと赴いた次第である。

「最近酒場で姿を見かけなかった。ひょっとして恋人でもできたのか?」

 アダムがリジンにそう尋ねたのは、店員がリジンの分のグラスビールを運んできたときだ。黄金色のビールを半分ほど飲み干して、リジンは言う。

「俺が恋人なんぞ作るわけがないだろ。煩わしい」
「そうか?なら酒場に来なくなった理由は?」
「1か月ほど前に奴隷を買ったんだ。奴隷に夕食を作らせているから、酒場に来る必要がなくなった。それだけだ」

 意外な報告に、アダムは「ほぉ」と声を上げる。自由放任人のリジンは他人との同居生活が苦手だ。家事手伝いのための奴隷を買ったものの、馬が合わずに数日と経たずに売り飛ばしてしまったのだとの話を耳にしたことがある。当時のリジンは「もう2度と奴隷は買うまい」との固い決意を口にしていたはず。珍しい心境の変化もあるものだ。

「その奴隷とは良い関係を築けているのか」
「…悪くはないんじゃないか。あんたのところみたいに、仲睦まじくとまではいかないが」
「奴隷は女?」
「お・と・こ」

 ほぉ、とアダムはまた相槌を打つ。
 アダムの妻は人間だ。元々は海の向こうにあるロマという人間の国で暮らしていて、奴隷商人に攫われてこの地へとやって来た。そのときたまたま奴隷市場を訪れていたアダムは、舞台に並ぶその女奴隷に一目惚れをし、有り金をはたいて身元を引き受けたのだ。本当に、思わずうっとりと見惚れてしまうくらい美しい女性であった。立てば芍薬座れば牡丹、歩けば皆が振り返る美貌の持ち主。アダムはその女性を縁者として迎え、現在に至るまで7年の同居生活を送っている。2人の子どもにも恵まれ、夫婦仲は良好だ。
 ここだけの話ではあるが、アダムと女性が良好な関係を築けているのには、女性の特殊な人生に理由がある。女性は生まれ育ったロマの地で、両親から望まぬ結婚を強いられていたのだそうだ。幼い頃から男を虜にする術だけを教え込まれ、子どもらしい遊びは勿論自由な恋愛も許されなかった。だから結婚を1か月後に控えた満月の夜、女性は自ら部屋の窓を開けた。望まぬ結婚を逃れるために、己を道具のように扱う両親から逃げ出すために。魔族に攫われることを選んだのだ。
 そんな気の毒な人生を送って来たからこそ、女性はすぐにハクジャでの生活を受けいれたのだろう。ハクジャには女性を道具のように扱う両親はいない。果たすべき義務もない。女性はハクジャで奴隷となって、初めて自由を手に入れたのだ。

 それから先は、他愛のない話題で場を繋いだ。最近ハクジャの街にできた新しい弁当屋の話、アダムの職場に入った新人の話、リジンの貸衣装店を訪れた珍客の話。話が盛り上がれば酒は進み、気が付けば空にしたグラスは片手の指を軽く超える。料理の皿も大方が空になり、アダムは満を持して口を開く。

「それでリジン、今日の本題は」
「ん、ああ。実はハクジャを出ようと思っていてな」
「付近の集落に移住するのか?」
「いや、もっと遠くに行く。多分2度とハクジャには帰らないから、あんたにくらいは挨拶をしておこうと思ってな」

 予想外の報告だ。アダムは口元に運びかけていたグラスをテーブルの上に下ろす。

「…遠くって、具体的にはどこなんだ」
「さぁ、俺もよく知らない。海を越えて、ずっとずっと西にある土地だ。国の名前は…ドラキス王国と言ったかな」

 ドラキス王国、その国の名前をアダムは知らない。海の向こうにも大陸が広がっているということは、書物を読めば何となくそうであろうと想像は付く。しかしその大陸のどこかに国があるなどという話は聞いたことがない。ハクジャの民は海を越えることを許されないし、ロマの民以外で海を越えてやってくる者はいないからだ。
 世界は広い。この世界のどこかには名前も知らない国があり、そこの人々はハクジャの民とは全く違った生活を送っている。その考えを否定はしない。しかし今ここにある生活を捨て、どこにあるかも分からない土地を目指すというのはあまりにも無謀ではなかろうか。アダムは真剣な目つきでリジンを見つめる。

「海を越えることはハクジャの禁忌だ。リジン。お前は禁忌を犯して、あるかどうかも分からない幻の土地を目指すというのか?」
「説教は止めてくれ。そんなことのためのあんたを呼び出したんじゃない。要件はこれだ」

 リジンは端から、アダムの説得の言葉に耳を傾けるつもりはないらしい。澄まし顔のリジンは、懐から取り出した1本の鍵をテーブルのど真ん中にのせる。よく使い込まれた鍵だ。

「何の鍵だ」
「貸衣装店の鍵。先にも言ったが、俺はもうハクジャに戻らない。当然貸衣装店も店じまいだ。悪いが店の後始末をしておいてくれ」
「後始末って、具体的には何をすれば良い」
「備品の片付けだ。常連には今日のうちに文を発送してあるし、取引先の縫製店にも挨拶は済んでいる。しかし衣服や宝飾品の始末だけが間に合わなくてな。全て捨ててしまっても良いし、好みの物があれば引き取ってもらっても構わない。古着店を営む知り合いがいれば、そいつに全て売り払ってしまっても構わないさ。好きにしてくれ。あとこれ――」

 リジンは再び懐に手を差し入れると、2本目の鍵を取り出した。先にテーブルに置いた鍵と同じくよく使い込まれた鍵だ。その鍵はアダムの目の前に差し出されることなく、リジンの指先にぶら下げられたまま。

「俺の自宅の鍵だ。ハクジャを発つ前に、こいつをあんたの家の郵便受けに入れておく。悪いがこっちの片付けも頼む」
「…なぜそんなに急なんだ。ハクジャを去るのだとしても、後片付けくらいゆっくりしていけば良いのに」
「そうだな、俺もそう思う」

 リジンは曖昧に笑う。いつも自信たっぷりなリジンにしては珍しく、自分でも自分の考えがよく分からないのだという顔。自宅の鍵を懐に仕舞い入れたリジンは席を立つ。どうやら語らいの時間は終わりだ。数枚の銭がじゃらじゃらとテーブルにのせられる。

「リジン」
「要件はそれだけだ。手間をかけるがよろしく頼む。金目の物も全て残してあるから、売り払えばそこそこの金になるだろうよ。出産祝いだと思って受け取ってくれ。じき3人目が産まれるんだろう?」
「…ああ、予定日はまだ先だが…」

 夕食時の今、小さな酒場の中は大勢の客人でごった返している。友人とともに酒を飲む人、グラス片手にナンパ行為に勤しむ人、一人黙々と料理を口にする人。人混みに紛れる寸前、リジンは不意に振り返る。

「じゃあな、アダム。ベルによろしく」



***
ベル…アリッサの姉

「俺の知り合いにも縁者の奴隷を持つ奴がいる。奴隷市場に並ぶ女の奴隷に一目惚れして、有り金叩いて買い受けたんだと。同居生活は…もう7年近くになるが、中々仲良くやっている。今度3人目の子どもが生まれるはずだ」(赤銅色の男よりリジンの台詞)

 買い物かごを持ち変えるゼータの傍らを、とある家族が通り過ぎていった。橙色の頭髪を有した魔族の青年と、彼と同じ年頃の美しい女性。真っ白なワンピースから伸びる女性の二の腕には、縁者であることを示す白い刻印が焼き付けられている。しかし奴隷であるはずの女性の顔に憂いはなく、太陽のような笑顔が浮かぶ。そして何よりも驚くべきは、彼らが2人の子どもを連れているということ。5歳前後と思われる男児が道を駆け、その後ろをよちよち歩きの女児が追う。「セロ、アリア。あまり先に行かないで。迷子になるわよ」女性の声に2人の幼子は足をとめ、きゃっきゃと笑い声を上げながら引き返してくる。ゼータの見間違えでなければ、女性の腹には微かな膨らみがあるようにも見える。そこには新たな命が宿っているのだろうか。(奴隷生活2日目-2より)
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