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安らかに眠れ、恐ろしくも美しい緋色の龍よ
後日談:あなたがだいすき
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ジンダイ:湖畔の国リーニャの情報屋
バレッタ:猫耳のホステス
参照話:ドラゴン:トーク-1,2
***
湖畔の国リーニャ。
旧バルトリア王国地帯北部に位置するその国の中心部に、よく手入れのされた五角柱の建物がある。その建物は街の者から「時計台」と呼ばれ、リーニャ屈指の観光名所ともなっているのだ。その時計台のある通りから1本西に外れた通りは閑静な住宅街。リーニャが平和への道のりを歩み始めたのはつい最近のことであるから、正確には「閑静」という言葉は似合わない。それでも雑多とした印象を受けるリーニャの街の中で、かなり落ちついた雰囲気の通りであることは間違いない。
その落ち着いた通りの一角。時計台を真東に臨む建物の3階に、ふわふわとした獣耳の女性が暮らしている。真っ白な猫耳と、くりくりとした黒い眼は、愛くるしいペルシャ猫を連想させる。女性の名はバレッタ。夜の酒場で働く、いわゆる夜の蝶である。ただし客人との性的関係は一切ない。健全な職場だ。
柔らかなベッドの淵に腰かけたバレッタは、現在爪切りの真っ最中。ぱちん、ぱちんと不規則な音が響く。持ち手に猫の柄が描かれたその爪切りは、もう1年も前に馴染みの客からプレゼントされた物だ。バレッタの務める店では、通常客から店員へのプレゼントは認められていない。それでも例えばちょっとした土産菓子や、安価な日用品などは黙認される場合も多く、猫の爪切りも安価な日用品の一つとして有り難く頂戴したのである。生活必需品でありながらも、中々こだわり物を買う機会には恵まれない物品。それが爪切りである。プレゼントとしては良い選択だね、当時のバレッタはそう考えた。
――バレッタ
どこか遠くで名前を呼ばれた気がして、バレッタは爪を切る手を止める。部屋の中を見回す。誰もいない。当然だ。この部屋で暮らす者はバレッタしかいない。気のせいだ、そう判断したバレッタは爪切りを再開する。ぱちん、ぱちんと小気味の良い音。
「バレッタ!」
今度は聞き間違いではない。バレッタは勢いよく顔を跳ね上げ、ベッドの上に爪切りを放り投げた。切ったばかりの小さな爪が、シーツの上にばらばらと散らばってしまうけれど、この際そんなことはどうでも良い。
バレッタは部屋にたった一つの窓を開ける。部屋の東側に位置するその窓からは、五角柱の時計台がよく見える。曇り空に映える時計台を一瞥したバレッタは、すぐに真下の通りへと視線を落とす。灰色の石畳が敷き詰められた路面に、恰幅の良い髭面の男性が仁王立ちしている。
「ジンさん!?嘘ぉ、何でそこにいるの!?」
バレッタは声を張り上げそう叫ぶ。今バレッタが見下ろす路上には、店の常連客であるジンダイが立っている。両手のひらをズボンのポケットに突っ込んだジンダイは、バレッタの顔を見ると一瞬はにかんだような笑みを浮かべ、それから申し訳なさそうに肩を竦めた。
「あー…バレッタ。突然押しかけて悪いな。少し下りてこられるか?話したいことがある」
ジンダイは極力小声でそう告げる。バレッタは訳も分からずこくこくと頷くと、大慌てで窓を閉めた。どうしよう、何でジンさんがここにいるの?狼狽えるバレッタは部屋の中央で一回転。部屋着であるワンピースの裾がふわりと広がる。
手櫛で髪を整え、化粧っ気のない顔に紅を引き、ワンピースの上に上着を羽織ったバレッタは、転がるようにして階段を下りた。本当ならばっちりお化粧をして、勝負服に着替えた上で外に出たかった。しかし今はまずジンダイに会うことが最優先。気心の知れた関係を築いているとはいえ、ジンダイとバレッタの関係は店員と客の域を出ない。店の外で会ったことはないし、会おうと誘われたこともない。プレゼントだって安価な土産菓子を貰ったことが1度2度ある程度だ。
ジンダイとバレッタは、気心の知れた関係を築きながらも互いに一線を引いていた。店員と客、情報提供人と情報屋、金を受け取る者と金を払う者。そう必死に割り切っていたからこそ、今まで店の外で会うことはしなかったのに。
「ジンさん!」
ぜぇはぁと息を切らしながら、バレッタはその名前を呼ぶ。たった3階分の階段を駆け下りただけなのに、嫌に呼吸が弾んでいる。心臓もどきどきと高鳴る。軽い興奮状態のバレッタとは対照的に、ジンダイは何となく居心地が悪そうだ。
「バレッタ、休日にすまんな。野暮用だ」
「野暮用?えーと…それ、お店じゃ話せないような話?」
「いや…話せないということはないんだが…」
「…ひょっとしてジンさんのお仕事に関わる話かな?」
「そうだ」
ジンダイの答えに淀みはない。「なぁーんだ」と、バレッタはジンダイに気付かれないように溜息を零す。胸の高まりはみるみる治まっていく。
「そっかそっか。お仕事の話か。どんな話?またアタシから情報を買いたいの?」
「買いたい、という話ではないな。支払いの方だ。以前バレッタから情報を買ったとある人物が、情報料を支払いたいと言ってきてな」
「…情報料の支払い?アタシに?」
バレッタはこくりと首を傾げる。バレッタの本職は夜の蝶。ジンダイには雑談交じりに情報を提供することはあるけれど、その情報に関して客から料金を受け取ったことはない。それはジンダイの営む情報屋には「情報提供者の個人情報を客に漏らさない」というルールがあるからだ。例えバレッタの提供した情報により多大なる利益を得た者がいたとしても、その者が情報提供者であるバレッタに行き着くことは不可能なのである。
そうであるはずなのに、なぜアタシがお金を貰えるの。バレッタの疑問はすぐに解決することになる。
「支払い主はゼータさんだ。覚えているか?もう半年近く前になるが、ドラキス王国からやって来た…」
「ああ、ドラゴン博士のゼータさん!勿論覚えているよ。ゼータさんがアタシに代金の支払いに来たの?」
「直接来たのではなく、代金だけが送られてきたんだ」
そう言うと、ジンダイは上着のポケットから革の袋を取り出した。通りを見渡しそこに通行人の姿がないことを確認すると、バレッタの目の前でそっと革袋の口を開ける。首を伸ばして革袋を覗き込んだバレッタの目に飛び込んできた物は、小金に輝く大量の金貨だ。15枚、いや20枚近くはあるだろうか。
「…多いね」
「俺がゼータさんの分の酒代を立て替えていただろう。あのとき『利子は3日で銀貨1枚』などと言ったんだが、恐らくその利子分が含まれている。ただの冗談だったのに」
「何となくそんな気はしたけど、律儀な人だね。ゼータさん」
バレッタはもう半年近くも前に会ったゼータの顔を思い出す。バレッタとゼータと顔を合わせていたのはほんの2時間程度のことであるから、正直なところ正確な顔は覚えていない。それでも「ドラゴンに関する新情報を披露してよ」と無理難題を押し付けたバレッタに、懇切丁寧な回答をしてくれたことは忘れない。「ポトスの街から湖畔の国リーニャまで、ドラゴンに乗って移動すれば約3時間。15分程度の休憩を2度挟むとすれば、所要時間は3時間半というところでしょう」ドラゴン博士のゼータさん、バレッタは勝手にそう愛称を付けた。
ジンダイは革袋から数枚の金貨を取り出し、上着の内ポケットへと入れた。半分ほどの膨らみとなった革袋が、バレッタの胸の前に差し出される。
「それで…俺の回収分を除いたバレッタの取り分がこれだけだ」
「ありがと。そういうことなら遠慮なくいただくよ」
バレッタは両手を伸ばし、差し出された革袋を受け取ろうとする。ジンダイの指先にぶら下がる革袋の底が、バレッタの手のひらに触れる。
しかし不可解なことにも、ジンダイはいつまでも革袋から指先を離そうとしない。
「この金をバレッタに渡すのは簡単だ。だがもしバレッタがこの金を受け取らなければ、俺はバレッタに金貨10枚分の借りができたことになる」
「…ん?」
「だからその…バレッタをドラキス王国旅行に連れていく分の借りができたわけで…」
ジンダイはもごもごと言葉を紡ぐ。それはゼータがバレッタの店を訪れたその日に、ジンダイとバレッタの間でなされた会話だ。
――ね、ジンさん。馬車移動が解禁したら、一緒にドラキス王国に行こうよ。6泊7日、ドラキス王国観光旅行。アタシの分もお金出してよ
――俺の金で旅行に行きたければ、良い情報を売り込んでくれ。金貨10枚分の借りが溜まったら、ドラキス王国旅行に連れて行ってやるよ
まさかあんな些細な会話を、ジンダイは今の今まで覚えていたというのか。いや、違う。覚えていたのはジンダイだけではない。代金の支払い主であるゼータもまた、その会話を記憶していたのだ。だからわざわざジンダイを通して、バレッタに情報料を支払おうとした。バレッタがその代金を受け取らなければ、それはジンダイがバレッタに抱える「借り」になってしまうから。それで旅行に必要な分の「借り」が溜まるから。
バレッタの夢が叶うから。
「本当に?本当にアタシを旅行に連れて行ってくれるの?ジンさんとの2人旅ってこと?」
「む、無理にとは言わない。むさ苦しいおっさんの顔を四六時中見続けるのも苦痛だろう。男と女の2人旅となれば、間違いがないとは言い切れない。もしも店の大事な店員に手を出してしまったとなれば…いやいやいや。何も積極的に手を出そうというわけじゃない。万が一、そういうことがあっては困るという話だ。一緒に旅をすれば一緒に酒を飲むこともあるだろう。部屋着姿のバレッタを目にする機会があるかもしれない。もしもそんなことになれば、果たして俺は理性を保っていられるのか。いやいやいや…待ってくれ、俺はこんなことを言いたかったんじゃない。少し頭を冷やしてくる。この件に関しては、後ほどもう一度やり直させてくれ」
ジンダイはほとんど聞き取れないほどの早口でそう言い切ると、軍隊のような回れ右でバレッタに背を向けた。金貨の詰まった革袋はジンダイの指先につままれたまま。バレッタは空っぽのままの手のひらを見下ろし、それからそそくさと立ち去ろうとするジンダイの背中を見つめる。
心臓がどきどきと高鳴る。視界がきらきらと輝く。頭の中がふわふわとして、まるで天使みたいに空へと舞い上がってしまいそう。バレッタは力強く地面を蹴ると、ジンダイの背中に飛びついた。逞しい胸板に両腕を回し、煙草の匂いが残る背中に頬を押し付ける。
今ならきっと、隠し続けてきた想いが言える。
「ジンさん、アタシね――」
バレッタ:猫耳のホステス
参照話:ドラゴン:トーク-1,2
***
湖畔の国リーニャ。
旧バルトリア王国地帯北部に位置するその国の中心部に、よく手入れのされた五角柱の建物がある。その建物は街の者から「時計台」と呼ばれ、リーニャ屈指の観光名所ともなっているのだ。その時計台のある通りから1本西に外れた通りは閑静な住宅街。リーニャが平和への道のりを歩み始めたのはつい最近のことであるから、正確には「閑静」という言葉は似合わない。それでも雑多とした印象を受けるリーニャの街の中で、かなり落ちついた雰囲気の通りであることは間違いない。
その落ち着いた通りの一角。時計台を真東に臨む建物の3階に、ふわふわとした獣耳の女性が暮らしている。真っ白な猫耳と、くりくりとした黒い眼は、愛くるしいペルシャ猫を連想させる。女性の名はバレッタ。夜の酒場で働く、いわゆる夜の蝶である。ただし客人との性的関係は一切ない。健全な職場だ。
柔らかなベッドの淵に腰かけたバレッタは、現在爪切りの真っ最中。ぱちん、ぱちんと不規則な音が響く。持ち手に猫の柄が描かれたその爪切りは、もう1年も前に馴染みの客からプレゼントされた物だ。バレッタの務める店では、通常客から店員へのプレゼントは認められていない。それでも例えばちょっとした土産菓子や、安価な日用品などは黙認される場合も多く、猫の爪切りも安価な日用品の一つとして有り難く頂戴したのである。生活必需品でありながらも、中々こだわり物を買う機会には恵まれない物品。それが爪切りである。プレゼントとしては良い選択だね、当時のバレッタはそう考えた。
――バレッタ
どこか遠くで名前を呼ばれた気がして、バレッタは爪を切る手を止める。部屋の中を見回す。誰もいない。当然だ。この部屋で暮らす者はバレッタしかいない。気のせいだ、そう判断したバレッタは爪切りを再開する。ぱちん、ぱちんと小気味の良い音。
「バレッタ!」
今度は聞き間違いではない。バレッタは勢いよく顔を跳ね上げ、ベッドの上に爪切りを放り投げた。切ったばかりの小さな爪が、シーツの上にばらばらと散らばってしまうけれど、この際そんなことはどうでも良い。
バレッタは部屋にたった一つの窓を開ける。部屋の東側に位置するその窓からは、五角柱の時計台がよく見える。曇り空に映える時計台を一瞥したバレッタは、すぐに真下の通りへと視線を落とす。灰色の石畳が敷き詰められた路面に、恰幅の良い髭面の男性が仁王立ちしている。
「ジンさん!?嘘ぉ、何でそこにいるの!?」
バレッタは声を張り上げそう叫ぶ。今バレッタが見下ろす路上には、店の常連客であるジンダイが立っている。両手のひらをズボンのポケットに突っ込んだジンダイは、バレッタの顔を見ると一瞬はにかんだような笑みを浮かべ、それから申し訳なさそうに肩を竦めた。
「あー…バレッタ。突然押しかけて悪いな。少し下りてこられるか?話したいことがある」
ジンダイは極力小声でそう告げる。バレッタは訳も分からずこくこくと頷くと、大慌てで窓を閉めた。どうしよう、何でジンさんがここにいるの?狼狽えるバレッタは部屋の中央で一回転。部屋着であるワンピースの裾がふわりと広がる。
手櫛で髪を整え、化粧っ気のない顔に紅を引き、ワンピースの上に上着を羽織ったバレッタは、転がるようにして階段を下りた。本当ならばっちりお化粧をして、勝負服に着替えた上で外に出たかった。しかし今はまずジンダイに会うことが最優先。気心の知れた関係を築いているとはいえ、ジンダイとバレッタの関係は店員と客の域を出ない。店の外で会ったことはないし、会おうと誘われたこともない。プレゼントだって安価な土産菓子を貰ったことが1度2度ある程度だ。
ジンダイとバレッタは、気心の知れた関係を築きながらも互いに一線を引いていた。店員と客、情報提供人と情報屋、金を受け取る者と金を払う者。そう必死に割り切っていたからこそ、今まで店の外で会うことはしなかったのに。
「ジンさん!」
ぜぇはぁと息を切らしながら、バレッタはその名前を呼ぶ。たった3階分の階段を駆け下りただけなのに、嫌に呼吸が弾んでいる。心臓もどきどきと高鳴る。軽い興奮状態のバレッタとは対照的に、ジンダイは何となく居心地が悪そうだ。
「バレッタ、休日にすまんな。野暮用だ」
「野暮用?えーと…それ、お店じゃ話せないような話?」
「いや…話せないということはないんだが…」
「…ひょっとしてジンさんのお仕事に関わる話かな?」
「そうだ」
ジンダイの答えに淀みはない。「なぁーんだ」と、バレッタはジンダイに気付かれないように溜息を零す。胸の高まりはみるみる治まっていく。
「そっかそっか。お仕事の話か。どんな話?またアタシから情報を買いたいの?」
「買いたい、という話ではないな。支払いの方だ。以前バレッタから情報を買ったとある人物が、情報料を支払いたいと言ってきてな」
「…情報料の支払い?アタシに?」
バレッタはこくりと首を傾げる。バレッタの本職は夜の蝶。ジンダイには雑談交じりに情報を提供することはあるけれど、その情報に関して客から料金を受け取ったことはない。それはジンダイの営む情報屋には「情報提供者の個人情報を客に漏らさない」というルールがあるからだ。例えバレッタの提供した情報により多大なる利益を得た者がいたとしても、その者が情報提供者であるバレッタに行き着くことは不可能なのである。
そうであるはずなのに、なぜアタシがお金を貰えるの。バレッタの疑問はすぐに解決することになる。
「支払い主はゼータさんだ。覚えているか?もう半年近く前になるが、ドラキス王国からやって来た…」
「ああ、ドラゴン博士のゼータさん!勿論覚えているよ。ゼータさんがアタシに代金の支払いに来たの?」
「直接来たのではなく、代金だけが送られてきたんだ」
そう言うと、ジンダイは上着のポケットから革の袋を取り出した。通りを見渡しそこに通行人の姿がないことを確認すると、バレッタの目の前でそっと革袋の口を開ける。首を伸ばして革袋を覗き込んだバレッタの目に飛び込んできた物は、小金に輝く大量の金貨だ。15枚、いや20枚近くはあるだろうか。
「…多いね」
「俺がゼータさんの分の酒代を立て替えていただろう。あのとき『利子は3日で銀貨1枚』などと言ったんだが、恐らくその利子分が含まれている。ただの冗談だったのに」
「何となくそんな気はしたけど、律儀な人だね。ゼータさん」
バレッタはもう半年近くも前に会ったゼータの顔を思い出す。バレッタとゼータと顔を合わせていたのはほんの2時間程度のことであるから、正直なところ正確な顔は覚えていない。それでも「ドラゴンに関する新情報を披露してよ」と無理難題を押し付けたバレッタに、懇切丁寧な回答をしてくれたことは忘れない。「ポトスの街から湖畔の国リーニャまで、ドラゴンに乗って移動すれば約3時間。15分程度の休憩を2度挟むとすれば、所要時間は3時間半というところでしょう」ドラゴン博士のゼータさん、バレッタは勝手にそう愛称を付けた。
ジンダイは革袋から数枚の金貨を取り出し、上着の内ポケットへと入れた。半分ほどの膨らみとなった革袋が、バレッタの胸の前に差し出される。
「それで…俺の回収分を除いたバレッタの取り分がこれだけだ」
「ありがと。そういうことなら遠慮なくいただくよ」
バレッタは両手を伸ばし、差し出された革袋を受け取ろうとする。ジンダイの指先にぶら下がる革袋の底が、バレッタの手のひらに触れる。
しかし不可解なことにも、ジンダイはいつまでも革袋から指先を離そうとしない。
「この金をバレッタに渡すのは簡単だ。だがもしバレッタがこの金を受け取らなければ、俺はバレッタに金貨10枚分の借りができたことになる」
「…ん?」
「だからその…バレッタをドラキス王国旅行に連れていく分の借りができたわけで…」
ジンダイはもごもごと言葉を紡ぐ。それはゼータがバレッタの店を訪れたその日に、ジンダイとバレッタの間でなされた会話だ。
――ね、ジンさん。馬車移動が解禁したら、一緒にドラキス王国に行こうよ。6泊7日、ドラキス王国観光旅行。アタシの分もお金出してよ
――俺の金で旅行に行きたければ、良い情報を売り込んでくれ。金貨10枚分の借りが溜まったら、ドラキス王国旅行に連れて行ってやるよ
まさかあんな些細な会話を、ジンダイは今の今まで覚えていたというのか。いや、違う。覚えていたのはジンダイだけではない。代金の支払い主であるゼータもまた、その会話を記憶していたのだ。だからわざわざジンダイを通して、バレッタに情報料を支払おうとした。バレッタがその代金を受け取らなければ、それはジンダイがバレッタに抱える「借り」になってしまうから。それで旅行に必要な分の「借り」が溜まるから。
バレッタの夢が叶うから。
「本当に?本当にアタシを旅行に連れて行ってくれるの?ジンさんとの2人旅ってこと?」
「む、無理にとは言わない。むさ苦しいおっさんの顔を四六時中見続けるのも苦痛だろう。男と女の2人旅となれば、間違いがないとは言い切れない。もしも店の大事な店員に手を出してしまったとなれば…いやいやいや。何も積極的に手を出そうというわけじゃない。万が一、そういうことがあっては困るという話だ。一緒に旅をすれば一緒に酒を飲むこともあるだろう。部屋着姿のバレッタを目にする機会があるかもしれない。もしもそんなことになれば、果たして俺は理性を保っていられるのか。いやいやいや…待ってくれ、俺はこんなことを言いたかったんじゃない。少し頭を冷やしてくる。この件に関しては、後ほどもう一度やり直させてくれ」
ジンダイはほとんど聞き取れないほどの早口でそう言い切ると、軍隊のような回れ右でバレッタに背を向けた。金貨の詰まった革袋はジンダイの指先につままれたまま。バレッタは空っぽのままの手のひらを見下ろし、それからそそくさと立ち去ろうとするジンダイの背中を見つめる。
心臓がどきどきと高鳴る。視界がきらきらと輝く。頭の中がふわふわとして、まるで天使みたいに空へと舞い上がってしまいそう。バレッタは力強く地面を蹴ると、ジンダイの背中に飛びついた。逞しい胸板に両腕を回し、煙草の匂いが残る背中に頬を押し付ける。
今ならきっと、隠し続けてきた想いが言える。
「ジンさん、アタシね――」
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