【BL】齢1200の龍王と精を吸わないオタ淫魔

三崎こはく

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安らかに眠れ、恐ろしくも美しい緋色の龍よ

帰り支度

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 リジンの私宅で一晩を明かしたレイバックとゼータは、次の日の朝一番でハクジャの郊外へと赴いた。そこで開かれる魔獣市場を訪れるためである。

 2人がハクジャを発つにあたり、達成せねばならない目的は3つ。第1に海を渡る手段の確保、第2に物資の調達、第3に世話になった人々への挨拶だ。このうち物資の調達にはさほどの時間と資金を要しない。ハクジャにおけるゼータの知り合いなどたかだか数人であるのだから、世話になった人々への挨拶もすぐに終わる。
 問題となるのは、第1の目的である海を渡る手段の確保だ。ハクジャでは、一般市民の船の所有が禁じられている。船を造ろうとする行為も処罰の対象だ。最も安全かつ確実な船旅が不可能である以上、次に頼るべきは魔獣。空飛ぶ魔獣あるいは泳ぎが得意な魔獣を購入し、ロマの地まで運んでもらおうという方法である。ゼータがこの案を口にしたとき、ハクジャの住人であるリジンは難色を示した。「ハクジャでは週に3回魔獣市場が開かれている。しかし飛行獣や海獣が売りに出されているのは見たことがない」そう言うのである。とはいえ代替案も浮かばない。ゼータとレイバックは一抹の望みに掛けて、魔獣市場を訪れることを決めたのだ。ちなみに今日一日仕事を休みにしているリジンも、2人の付添として一緒に魔獣市場へと向かっている。

「わぁ…思ったよりもずっと大きな市場ですねぇ」

 市場の入り口に立ち、ゼータは感動の声を上げる。魔獣市場の会場となる場所は、ハクジャの街の南端に位置する土の広場だ。柔らかな土の地面にはあちらこちらに金属の棒が建てられていて、その棒には何本もの太い鎖が結わえ付けられている。そして鎖の先には大小様々な大きさの魔獣が繋がれているのだ。馬に似た魔獣、犬に似た魔獣。猫とうさぎを掛け合わせたような魔獣が檻に入れられていたりもする。どの魔獣も、ドラキス王国近辺に生息する魔獣とは少しずつ色や形が違う。大好きな魔獣を前にきらきらと瞳を輝かせるゼータの横では、レイバックが物憂げな表情だ。

「予想していたことではあるが、やはり飛行獣や海獣は売りに出されていないか…」
「まぁ、普通に考えれば売っているはずもないんですよね。奴隷が脱走に使う危険性を考えれば」
「しかし森があり海があるのだから、ハクジャ近郊には多種の魔獣が生息しているはずだ。市場の者に事情を説明し、海を越えることができる魔獣を捕えてもらうことは出来ないだろうか」
「うーん…どうでしょうね…」

 話し込むレイバックとゼータの真ん中を、ワンピース姿の少女が駆け抜けていく。まだ朝の早い時間であるにも関わらず、広場に人の姿は多い。とはいえ多くの客人の目的は魔獣ではなく、魔獣市場に併設して開かれている食料市場だ。赤、青、緑とカラフルな天幕の下には、肉や野菜、缶詰や軽食など様々な食べ物が売られている。こんな楽しげな場所があるのなら、もっと早くに訪れるべきであった。賑やかな食料市場を横目に眺め、ゼータはそんなことを考えるのである。
 数歩後ろを歩くリジンが、レイバックの質問にこう答えを返す。

「確かにハクジャの近海にはたくさんの海獣が生息する。一日森を歩けば、1度や2度は飛行獣に遭遇するだろう。だがハクジャの民に、それらの魔獣を捕えてもらおうとは考えない方が良い。ハクジャでは一般市民が船を持つことが禁じられている。そのような法が定められた背景には『ハクジャの民はいかなる理由があっても海を越えてはならない』という昔ながらの慣習があるからだ。勿論、国家から任命された奴隷商人は例外となるが」
「なぜ海を越えてはならない?」
「さぁ、なぜだろうな。現在のことだけを考えれば、『一般人がロマから奴隷を連れてくることを防ぐ』という理由が一番だろう。だが昔のことは知らない。元々どのような経緯でその慣習が生まれたのかは分からない」

 一見すれば丁寧な説明とも聞こえるが、リジンの声はどこか冷たい。レイバックもリジンの教えには礼を返さずに、「ふん」と不愛想に鼻を鳴らすだけ。不機嫌全開の2人に囲まれて、ゼータのうきうき気分は穴の空いた風船のようにしぼんでいく。
 レイバックとリジンは、昨晩からずっとこんな調子なのだ。事の発端はリジンがゼータを強引に風呂場に連れ込んだこと、強引に寝所に連れ込んだこと。その2つの出来事が、レイバックの機嫌を最悪と言わしめるまでに悪化させたのだ。勿論ゼータとて、ただ素直にリジンの命令に従ったわけではない。風呂場では、過去最速とも言える速度で洗髪・洗顔・洗体を済ませレイバックの元へと戻った。リジンの浸かる湯船には指先一つ付けていない。さらに寝室ではうっかりを装いベッドから転がり落ち、そのまま冷たい床の上で夜を明かした。このゼータの英断により、結婚相手が同じ家の中にいながら別の人物と一晩を明かすなどという、最悪の状況は免れたわけである。ゼータの肩と腰がばっきばきに凝り固まったのは致し方のない犠牲である。
 しかし悪いことには、そんなゼータの態度がリジンの機嫌を損ねるのである。レイバックの敵対心丸出しの言動もまたリジンの機嫌を悪くする。いらいらを募らせたリジンがゼータに無茶な要望を押し付ければ、またレイバックの機嫌が悪くなる。負のスパイラルに陥っているのだ。早く全ての要件を済ませ、この板挟みの状況から逃げ出したい。ばっきばきの腰回りを摩りながら、ゼータは何度そう考えたことか。

 「ああ、リジンじゃないか」「エルマー、久しぶりだな」背後で短い会話を聞き、ゼータは振り返る。少し後ろを歩いていたはずのリジンが、見知らぬ人物と笑顔で挨拶を交わしている。知り合いに出くわしたようだ。これは2人きりで話をするチャンスだと、ゼータはレイバックの耳元に唇を寄せる。

「レイ、レイ。さっきちょっと考えたんですけれどね…」
「ん、なんだ」
「レイがドラゴンの姿になって、水面にぷかぷか浮かびながら海を渡るという案はいかがでしょう?」

 ゼータがそう言った瞬間のレイバックはと言えば、まるで恐ろしい怪物を見るような顔。

「俺に船代わりになれということか。悪魔のような案だ」
「これでも悪魔族ですからね。悪魔のような考えが頭を過ることもありますよ。それで、船代わりになることは可能ですか?不可能ですか?」
「…不可能ではないと思う。だが一概に可能とも言い難い。片翼でうまくバランスを保てるかどうかが分からんし、水中から凶暴な海獣に攻撃されたのではひとたまりもないし…命がけの海越えとなるぞ。安全を第一に考えるのならば、別の方法を模索すべきだ」

 ゼータはきょろきょろと辺りを見回した。今レイバックとゼータが歩く場所は、魔獣市場と食料市場の境界に位置している。魔獣市場の方からは獣の鳴き声唸り声、食料市場の方からは商品を売り捌く商人の声。思わず耳を塞ぎたくなるほど賑やかな場所であるが、幸いにも会話の届く場所に人の姿はない。同行者であるリジンも、10mほど後ろで雑談の真っ最中だ。ゼータは極力歩む速度を落とし、ひそひそとレイバックに話しかける。

「時間がないんですよ。ザトは、レイの生存を信じる期間を半年と定めました。期限を過ぎればドラキス王国の初代国王は斃れたものと民に告知され、2代目国王が誕生するんですよ」
「ん、そうなのか。2代目国王候補はザトか?」
「いえ、メリオンです。ザト自身がメリオンを推したんですよ。『俺はレイバック王のやり方を模倣することはできても、過去に例のない決断を迫られたときに対応することができない』と言って。クリスの援護もあり、メリオンがレイの後任となることは満場一致で決まりました。メリオンは、現在も代理王として国を守っていますよ」
「ふむ…ザトも適切な判断をしたものだ。ザトは王の器ではないとは、俺も薄々感じていたことではある。補佐としてはとことん優秀であるがな。メリオンがドラキス王国2代目国王…悪くないな。正直、彼の導く国を見てみたくはある」

 レイバックは顎先に指をあて、考え込む。冗談ではなく、本当に「メリオンが王になるのも悪くはない」と思っているようだ。ゼータは眉を顰める。

「…レイ」
「案ずるな。まさかメリオンが導く国を見たいがために、わざわざ帰国を遅らせようとは言うまいよ。王が変われば多少なりとも国は揺れるもの。悪戯に民を不安に陥らせたくはない」
「そう。そう言ってもらえると安心です」
「それで具体的な帰国の期限は?俺が国を離れてから、今日でどれほどの時間が経つ?」

 ゼータはゆっくりと記憶を辿る。レイバックが行方不明になったと聞いてから、ドラキス王国を出発するまでが2か月。湖畔の国リーニャで1泊、山越えに5日、小国ブラキストで3泊。そうして指折り数えれば、思いの他時間が経っているのだということに気付く。元より無事に生きて帰れるとは想像もしなかった旅路。朝が来た回数をまめに数えることなどしなかった。

「4か月と…半月以上は確実に経っています。野宿が続いたもので、私も正確な日数が分からないんですよ。万全を期すのなら、1か月以内には国に帰りたい」
「…帰れるだろうか」
「正直…正直かなり厳しいです。海の向こうにある国はロマと言うんですけれどね。ロマからドラキス王国までは、グラニに脚を借りて1か月半かかりました。」
「…それはどう頑張っても間に合わないんじゃないか?俺は騎獣に乗れないから、徒歩以外に移動手段がない。馬で走れるような道が整備されているのなら話は別だが…」

 あ、とゼータは声を上げる。長旅のうちにすっかり忘れていたことであるが、レイバックは騎獣に乗れないのだ。強大な魔力を内に秘めるレイバックは騎獣に嫌われる。王宮の厩舎にもドラゴンを背に乗せられる果敢な騎獣はおらず、レイバックの移動はもっぱらが馬だ。
 期限までにドラキス王国に帰ろうとするのならば、まず間違いなく騎獣の力を借りる必要がある。それも勇猛でいて脚の速い騎獣の力を。馬では駄目なのだ。ゼータとレイバックの帰り道は山岳地帯、湿地帯、岩石地帯と悪路続き。さらに凶暴な魔獣まで出没するのだから、馬ではかえって足手まといになる可能性がある。
 馬は頼りにならない。神獣の半身が災いし騎獣を使うこともできない。となれば残された移動手段は徒歩のみであるが、グラニの脚を借りて1か月半かかった道のりを徒歩で歩むとなれば、果たしてどれほどの時間がかかるのだろう?正確な所要時間などわかるはずもないが、まず間違いなく帰国期限には間に合わない。

 最後の最後でまさかの万事休す。ここまで頑張ったのに、ゼータは呆然と立ちすくむ。
 ――とその時、2人の背後に歩み寄る赤銅色の男。

「俺が乗せてやろうか」
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