【BL】齢1200の龍王と精を吸わないオタ淫魔

三崎こはく

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安らかに眠れ、恐ろしくも美しい緋色の龍よ

すみれ色の少女と空色の青年-1

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 リジンとの朝食を済ませたゼータは、午前中市場で買い物を済ませ、再びドラゴンの遺骸が沈む泉へと向かった。リジンから借り受けた手提げかばんの中には3日分の食料と、それから「外出許可証」と題名のついた紙書類。ゼータは今朝初めて知ったことであるが、奴隷がハクジャの街を出て付近の集落に赴く場合には、この外出許可証を携帯する必要があるらしい。というのもハクジャでは、奴隷としての地位に嫌気がさし集落への逃亡を試みる者が後を絶たないからだ。そのような奴隷が集落で保護された場合には、協定により即座にハクジャの街へ送り返されることが定められている。
 しかし、だ、集落を訪れた奴隷を片端から捕えていたのでは、ハクジャの人々の生活は成り立たない。というのも、奴隷が主に言いつけられて集落を訪れるというのは多々ある出来事だからだ。例えば集落に住む知人に文や荷物を届けるために。例えば集落の周辺で山菜や薪を集めるために。時間のかかる面倒な仕事だからこそ、奴隷が重宝されるのである。
 つまりゼータが携帯する「外出許可証」は、脱走奴隷とそれ以外の奴隷を見分けるための重要な書類だ。もしも密林を歩くうちに集落の者と出くわし、その時に外出許可証を提示することができなければ、ゼータは脱走奴隷として捕えられてしまうのである。昨日のゼータが無事目的地まで辿り着くことができたのは、ただただ運が良かったとしか言いようがない。

 密林の中を3時間も歩き、ゼータは目的地へと辿り着いた。昨日よりも時間を要したのは、密林の中で何度か道に迷ったためだ。道標となる片割れの指輪は、昨日のうちに泉から引き上げてしまっている。今日のゼータは、昨日の記憶を辿りに泉を目指す他なかったのである。結果幾度となく行く道を間違え、泉に辿り着くまでには昨日の倍近い時間を要してしまった。こんなことなら指輪を泉に沈めたままにしておけばよかった。流れる汗を拭いながら、ゼータは何度そう考えたことか。

「さて、どうにか目的地には着いたわけですけれども」

 藍緑色の泉を前にして、独り言。ぜぇぜぇと肩で息をするゼータの目の前には、昨日と違わぬ風景が広がっている。泉の周囲を囲う苔生した大岩、天頂から降り注ぐ霧雨、静かな水面には無数の波紋。枝葉の間から降り注ぐ陽光が、泉の湖面にいくつもの陽だまりを作る。
 昨晩布団の中で行き着いた可能性。絶望の中に残された微かな希望。それは泉に沈んだ骨がレイバックの物ではないという可能性だ。竜体となったレイバックは苔色のドラゴンと交戦し、争ううちにこの地へとやって来た。つまり泉に沈んだ骨は、苔色のドラゴンの物であるという可能性も考えられるのだ。骨と一緒に剣と指輪が沈んでいたのだから、あの骨はレイバックの物である可能性の方が遥かに高い。それでも、それでもだ。泉に沈んだ骨を、レイバックの物と100%断定することはできない。
 ゼータがリジンに数日間の自由を請うた理由は、泉に沈んだ骨が本当にレイバックの物であるかどうかを確かめたかったからだ。ほんの少しでも希望が残されているのであれば、みすみすその希望を捨てる真似はしたくない。その一心でハクジャの街を飛び出してきた。

「……そうは言っても、これからどうしましょうかねぇ」

 やはり独り言。
 こうして再び泉を訪れたところで、できることなど何もないのが現状だ。泉の中の遺骸はすでに大半の肉が腐り落ちており、生前の表皮が何色であったかを判別することは叶わない。ドラゴンに詳しい者であれば、頭骨の形状などから個体の判別が可能かとも思うが、生憎ゼータはドラゴン博士ではない。骨の形からドラゴンの種類を推定することなど出来るはずもなし。

 周辺の集落で聞き込みを行ってみるという方法がとれないわけでなはい。「4か月半前に、泉に墜ちたドラゴンの色を知る人はいませんか」と。しかし地道な聞き込みは徒労に終わる可能性が高い。なぜならハクジャの街に滞在する3週間の間に、ゼータは街の住人に幾度となく聞き込み調査を行っているからだ。だが努力の末に得られた成果はなにもない。ハクジャの街に住まう者の中に、ここ数か月の間にドラゴンの姿を見たと証言する者はただの1人もいなかった。
 これはゼータの予想であるが、緋色のドラゴンと苔色のドラゴンがハクジャの上空を通過した時、辺りは夜を迎えていたのだと思う。例え息を呑むような美しい満月が出ていたのだとしても、長時間に渡り夜空を見上げ続ける者などいるはずもない。そうして2頭のドラゴンの戦いは、人知れず終わりを迎えたのだ。1頭のドラゴンは深い泉の底へと沈み、そしてもう1頭のドラゴンは――どこへ行った?

 ゼータはふるふると頭を振る。こうして泉のほとりで頭を捻ったところで、分かることなど何もない。ドラゴンの目撃者がいるかもしれないという僅かな可能性に賭けて、付近の集落で聞き込みを行った方が余程有意義だ。ゼータはかばんを背負い直し、藍緑色の泉に背を向ける。幸いにもハクジャの街からここに至るまでの間には、いくつもの集落の面影があった。集落へと赴き地道に聞き込みを行えば、泉に沈んだドラゴンについて何かしらの情報を得られる可能性はある。その僅かな可能性に賭けるしか方法はない。
 意気込むゼータが泉のほとりを3歩歩んだときだ。かさり、と草を揺らす音がする。かさかさ、かさ。小さな獣が草木を掻き分けるような音は、徐々にゼータの方へと近づいて来る。ゼータは歩みを止め、その音のする方をじっと見据える。泉にドラゴンの遺骸が沈んでいるのだから、この付近に獣や魔獣は生息しないはず。ならば近づいて来る音は人が立てるものか。

 がさり。ゼータの目の前の茂みが揺れ、一人の少女がひょこりと姿を現した。歳の頃は10歳前後、美しいすみれ色の髪を持つ少女だ。髪と同じ色合いの瞳は、ゼータを見て驚いたように見開かれる。続いて小さな唇が開く。

「――――…。――――。」
「…え?」

 すみれ色の少女が話す言葉は、ゼータの知らない言葉であった。ゼータの人生は千年を軽く超えるが、人の姿をした者と言葉が通じないというのは初めての経験である。どこか厳粛な気持ちで、ゼータはその少女の話す言葉を聞く。少女が伝えたいことは何一つ分からないけれど。

「――クク。――――…」

 茂みの中から、また知らない声がした。がさがさと草木を掻き分け歩いて来る者は、少女よりも頭2つ分長身の青年だ。外見の年齢はゼータと同じ頃、澄んだ空色の髪を有している。青年は立ち尽くすゼータの姿を見止めると、途端に眉尻を吊り上げた。

「あんた、ハクジャの奴隷か。外出許可証は」

 幸いにも空色の青年は、ゼータと同じ言葉を話せるようである。ゼータは土の地面にしゃがみ込むと、大急ぎでかばんを開けた。

「持っています。ちょっと待って…」

 リジンに手渡された大切な外出許可証は、タオルに包み込んだ上でかばんの奥底にしまい込んでいる。時間をかけてその外出許可証を探し出し、タオルに包み込んだまま青年の方へと差し出せば、空色の青年はゼータの手元からひょいとそれを取り上げた。右へ左へとタオルが開かれる。

「…ああ、確かに正規の外出許可証だ」

 タオルに包み込まれていた書類をしばし見つめ、青年は言う。脱走奴隷かもしれないという疑いは解けたようである。青年に手渡された外出許可証を再びタオルに包み込みながら、ゼータは目の前に立つ2人組をちらと見る。すみれ色の髪の少女と、空色の髪の青年。

「あの…。つかぬことをお伺いしますが、貴方たちはこの付近の集落にお住まいですか?」
「そうだ。ここから1㎞ほど東にある小さな集落に住んでいる」
「お2人の関係は、ご兄妹?」
「いや、夫婦だ」
「…夫婦?…夫婦!?」

 ゼータは思わず目を剥く。

「なんだ、俺達が夫婦であることに何か問題があるか」
「問題というか…奥様はどう見てもまだ子ども…」

 ゼータは震える手で、すみれ色の髪の少女を指さした。少女はこてりと首を傾げる。ゼータの話す言葉が通じていないのだ。空色の青年が少女の横で腰をかがめ、何やら早口で囁きかける。少女の小さな唇も動く。知らない言語でなされる会話というのは新鮮である。空色の青年の視線がまたゼータへと向く。

「ククは俺よりもずっと年上だ。山の精霊の血を引いているから、身体の成長が極端に遅いんだ」
「ああ、成程…納得しました」

 確かにそういうこともあるものか、とゼータは思う。ゼータの友人である妖精族長のシルフィーも、見た目はまだ精々12歳前後というところ。しかし年齢は800歳を優に超えている。魔族の外見は、年齢とは嚙み合わないことが常なのだ。

「それで、あんたはここで何をしている。この泉の近辺に人の住む集落はないはずだが。ひょっとして道に迷ったのか?」
「いえ、決した迷ったわけでは…この泉に用があって来たんです」
「…こんな泉に何の用がある。ここはもう死んだ泉だ。4か月半前にドラゴンが墜ちたせいで、この泉には生き物が住めなくなってしまった。以前はたくさんの生物が住まう豊かな場所だったのに」

 そう言うと、青年は藍緑色の泉を一望する。ゼータは「え」と声を上げる。

「泉にドラゴンの骨が沈んでいることをご存じなんですか」
「そうだな。知っている」
「ひょっとして、ドラゴンが墜ちた瞬間を見ましたか?」
「いや、墜ちた瞬間は見ていないな。ここは俺とククの秘密の狩場だったんだ。よく魚や水草を獲りに来ていた。水辺を求めてやってきた鳥や小動物を捕えることもあった。それがあるときぱったりと生き物の姿がなくなり、どうしたのかと思って泉に潜ってみたら――」

 青年の言葉に、ゼータの心臓はどくんと跳ねる。

「待って、待って待って。泉に潜ったんですか?貴方が?」
「…そうだ、が。何か問題があったか」
「いえいえ、何の問題もありません。問題はないですけれど、どうか一つ聞かせてください。貴方はこのドラゴンの表皮が何色であったかご存じですか」

 ゼータは恐る恐る尋ねる。青年は「なぜそんなことを尋ねるのだ」とばかりに眉を顰め、しかしそれから記憶を辿るようにじっと黙り込んだ。青年の隣では、ククがすみれ色の目を瞬かせながら会話の行く先を見守っている。見守るといっても、ククにはゼータと青年の話す言葉は理解できないはず。聞き取ることのできない会話を背景音楽に、美しい湖畔の風景を楽しんでいると言った方が正しいのかもしれない。やがて青年は長考から覚める。

「ドラゴンの色…ああ、それは覚えている」
「何色…?」

 どくどくと胸が高鳴る。背筋に首筋に大量の汗が流れ、緊張で手が震える。青年が「緋色」と答えれば、ゼータの旅は今このときを以て真に終わりを迎える。探すべき者も求めるべき物もない。青年が次に口を開くまでのわずか数秒間が、ゼータにとっては永遠とも感じるのだ。そして空色の青年の口から紡がれる言葉は。

「緑だ。苔の生えたような、くすんだ緑色だったよ」





***
本章完結まで隔日更新に変更します。(次章からまた毎日更新に戻す予定です)
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