【BL】齢1200の龍王と精を吸わないオタ淫魔

三崎こはく

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安らかに眠れ、恐ろしくも美しい緋色の龍よ

旅の終わり

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「…綺麗な泉」

 幻想的な風景を目の前にして、ゼータはぽつりと呟いた。薄暗い密林の一角に、ぽっかりと浮かぶ藍緑色の泉。泉の周囲は苔生した大岩で囲われていて、天頂から降り注ぐ霧雨が静かな水面に無数の波紋を作っている。枝葉の間から降り注ぐ陽光が、泉の湖面にいくつもの陽だまりを作り、思わずうっとりと我を忘れてしまうような光景を作り出している。
 ゼータはしばし幻想的な泉に見惚れ、それから思い出したように歩みを進めた。きつつきを乗せた舳先は、泉の向こう側を真っ直ぐに指している。標に従い先を目指すのならば、湖を迂回する必要がある。幸いにも目の前の泉は、向こう岸の湖畔が見える程度の大きさだ。迂回するのにさほどの時間は要しまい。神具を懐に仕舞い、生い茂る繁みを掻き分け歩く。

 距離にすればほんの100mほどであるが、その泉を迂回するのは楽なことではなかった。足場が悪いのだ。泉を囲う大岩はもれなく大量の苔で覆われていて、足をのせればつるつると滑る。だからと言って岩のさらに外側を迂回しようとすれば、土の地面は酷くぬかるんでいる。泉の周囲に川はない。この泉はどこからか流れてくる川の水が溜まった場所、もしくは川の源流に値するような場所ではないのだ。地下から湧き出す湧水と、それから時たま降り注ぐ雨水が溜まった場所。恐らく大量の雨が降ったときには、泉の水が岩場を超えて溢れ出すのだろう。だからゼータが歩く地面は、水気をたっぷりと含んでいて歩きにくいことこの上ない。

「それにしても、どこかで見た風景なんですよねぇ」

 苔だらけの水溜まりを飛び越えて、ゼータは言う。今ゼータが歩く場所は、泉の周囲を1/4ほど迂回した場所だ。距離にすればたった50mほどであるが、足場が悪いだけに疲労は溜まる。泉を離れて乾いた足場を探せば良いとは思いながらも、なぜか泉の傍を離れられずにいる。泉が綺麗だから、という理由ではない。泉と、泉の周囲の風景にどこか見覚えがあるからだ。そう遠くはない過去に、これと同じ風景を目にした気がする。けれどそれがどこの地点での記憶であるかが分からない。可能性があるとすれば、石造りの街ポンペイを出発して、海岸国家ロマに至るまでの道中だろうか。ポンペイの東側には森林地帯が広がっており、虹魚の住まう巨大湖があった。岩石地帯を超えた後は草原地帯で、草原の終盤は広大な湿原。水場を探しながらの旅であったから、同様の風景を目にした可能性は十分にある。そう思いながらも、背筋に張り付く違和感は消えない。

 10分かけて泉を半周し、ゼータは額に流れる汗を拭う。時刻はまだ正午に遠く及ばないけれど、照り付ける陽射しは強烈だ。生い茂る木々のお陰で長い時間日光を浴び続けることはないが、それ即ち泉の周囲に立ち込める湿気も逃げにくいということ。一見すれば涼しげな風景とも見える泉の周囲には、息が詰まるような湿気が溜まっている。肌にへばりつく衣服の感触が気持ち悪い。
 ゼータは風を通すためにシャツの胸元を広く開け、それから片割れ探しの神具を手のひらにのせた。舳先の指す場所は変わらないと知りながらも、念のため。休憩時には片割れ探しの神具を眺めることが、長旅の癖になっているのだ。船の舳先は変わらず真東を指している。そう信じて疑わなかったわけである、が。

「…あれ?」

 ゼータは手のひらにのせた神具を食い入るように見つめる。ダイナに神具を受け取ってから今日に至るまで、きつつきを乗せた小舟の舳先は常に真東を指していた。船の舳先が指す物は、神具の台座に入れられた指輪の片割れ。レイバックの左手にはまる銀色の指輪。ゼータを東へ東へと導き続けた船の舳先は――今は真っ直ぐに西を指していた。西、つまり今ゼータが歩んできた方向だ。

 ゼータは首を捻り、船の舳先が指す方向を見つめる。泉を迂回する前、舳先は確かに真東を指していた。そして泉を迂回した今、舳先はなぜか西を指している。まるで時が止まってしまったかのように揺らぐことを止めて、真っ直ぐに泉の中心を指しているのだ。
 ダイナの言葉が頭を過る。
――船の舳先が揺らいでいるのは、対象物との距離が遠く離れているからですわ。私の経験上、対象物が神具の半径50mほどに入ったときに、舳先の揺らぎは止まります

 片割れ探しの神具を近くの岩の上に置いたゼータは、汗で張り付く上着を脱いだ。ほんの2週間前にリジンに買ってもらった物。密林を歩くのに皮の上着は暑いことこの上ないが、草かぶれや虫刺されを防ぐためにずっと羽織っていたのだ。汗を吸ってじっとりと重たくなった上着を岩場に置き、次に汗まみれのシャツを脱ぐ。ズボンと靴、靴下も脱ぎ、少し考えた末上下の肌着はそのままにする。肌着程度ならば、水に濡れたところで乾かすのは簡単だろうと考えたからだ。
 そうして上下とも肌着だけという軽装になったゼータは、再び片割れ探しの神具を握りしめ、青く濁る泉の中へと飛び込んだ。ざぶん。静かな湖畔に水音が響く。

 勇気を出して飛び込んだ泉は、ぬるりと肌に張り付くような生ぬるさだ。湖面にたくさんの木の葉と、それから岩肌から剥がれ落ちた苔が浮いている。お世辞にも衛生的とは言い難い水質だ。裸足の足裏にはあたるぬるぬるとした感触は、水底に生える水草だろうか。ゼータはさわさわと産毛が逆立つのを感じながら、必死で湖面を進む。目指すは神具の指し示す泉の中央部だ。
 湖畔から5mも離れたとき、不意に足裏に触れる物がなくなった。泉が深くなったのだ。ゼータは一瞬頭頂まで水に浸かり、それから慌てて湖面に顔を出す。あわや手のひらから離れるところであった神具を再度強く握りしめ、今度は足をばたばたと動かしながら水中を泳ぎ進む。運動下手のゼータであるが、波のない湖面をゆっくりと進む程度の泳ぎは身に着けているのだ。そうしてえっちらおっちら泉の中央部まで及び、ぷかぷかと湖面に浮かびながら神具を見る。きつつきを乗せた小舟の舳先は――

「下…」

 真っ直ぐに下を指していた。下、つまり泉の水底を。

 ゼータは手のひらで湖面の木の葉をよけてみるが、泉の水は濁り水底を望むことはできない。神具の標に従うのならば、この濁った泉に潜る他なさそうだ。右手には神具、左手で長く伸びた前髪を掻き上げ、それからすぅはぁと数度深呼吸をする。とぷん、とささやかな水音を立てて水に潜る。
 濁った湖面とは裏腹に、泉の内部は澄んでいた。小さな水草や落ち葉の欠片が水中を舞い、お世辞にも綺麗とは言い難い水質であるけれど、周囲の様子を把握するのに十分な視界はある。そうしてゆっくりと周囲を見回し分かったことは、この泉は思いの他深さがあるということ。10m、いや15mはあるだろうか。泉の水底はお椀型で、白樺に似たたくさんの流木が沈んでいる。細い物、太い物、長い物、短い物、不自然に弓なりの形状となった物まである。それらたくさんの流木が、折り重なるようにして水底に沈んでいる。やや青みを帯びた緑色の泉と、そこに沈むたくさんの流木。

――あ

 呟いたはずの声は、ごぼりと大きな泡になって湖面へと浮き上がっていった。どこでその光景を目にしたのかを思い出したのだ。ロザリーの魔具屋だ。神具の修理を依頼するために初めて魔具屋を訪れたとき、ロザリーは泉の湖面に揺り椅子を置き、優雅に読書に耽っていた。この泉は、ロザリーが魔法で作り出したあの風景によく似ている。いや違う。この風景が魔具屋の風景に似ているのではない。ロザリーが、この風景を元にして魔具屋の内装を作り上げたのだ。現にロザリーは魔具屋の内装について「最近見た風景を参考にしたのよ」と言っていたはずだから。
 どくどくと心臓が鳴る。ロザリーが魔法で作り出した幻想的な泉。あの泉に沈んでいた物は流木ではなかった。絶望を思わせるほどに深い泉の底には、たくさんの生物の骨が沈んでいたのだ。幾重にも折り重なる巨大な生物の骨。然して珍しくもない生物の末路が、湖の底にあるだけでこんなにも美しいのだと、あの時ゼータは考えた。魔具屋の風景がこの泉を元にして作られたものであるというのなら、今ゼータの目の前にある白い物体は。片割れ探しの神具が真っ直ぐに指し示す、あの不可思議な物体の正体は一体何なのだ?

 疑問の答えは十数秒と経たずして明らかになる。神具の指し示す正確な場所を探し、水中をゆらゆらと彷徨っていたゼータは、水底に沈んだ巨大な頭骨を見つけたのだ。ゼータの背丈を遥かに超える大きさのその頭骨は、ところどころに腐敗した肉の欠片を残しながら、生前の高潔な面影を残しつつある。ゼータはその面影を憎いほどによく知っている。ドラゴンだ。もう何か月も前に命を失くしたのであろう巨大なドラゴンが、深い泉の奥底にその遺骸を横たえている。そしてそのドラゴンの頭骨には――正確には鋭く尖った牙と牙の間には、苔と錆で見る影もなくなった剣が挟み込まれていた。レイバックの剣だ。いくら苔と錆に覆われていたのだとしても、ゼータがその剣を見間違えるはずがない。

――あっけない

 物事の終わりとはこんなにもあっけない。2か月半にも及ぶ旅の終わりはあまりにも唐突で、そしてあまりにも無情。まさか今日こうして終わりを迎えるとは思っていなかっただけに、あまりのあっけなさに喪失感すら覚える。夢?いや、夢などではない。瞳に映る光景は全てが現実。誤魔化しようのない真実だ。
 ゼータは脱力し、ぽこぽこと息を吐きながら湖面に浮き上がった。右手には片割れ探しの神具、左には錆びだらけの剣。時間をかけて水底を探せば、きっと片割れの指輪も見つかるだろう。それでも泥と水草を掻き分けて、小さな指輪を探すだけの活力が今のゼータには残されていない。いくら足掻いたところで旅の結末は変わらない。

「旅は終わり」

 不思議と涙は出ない。この旅の結末は、旅を始めた当初から予想していたものであるから。予想が現実と名前を変えて、唐突に目の前に現れただけ。ただそれだけのこと。

「ここで全部、終わり」

 目を閉じ、ただ懐かしい日々を思う。他に生きる物のいない死の湖面から。
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