246 / 318
安らかに眠れ、恐ろしくも美しい緋色の龍よ
船の舳先の指す先は
しおりを挟む
ロザリーの魔具屋を出たゼータは、ハクジャの街を東方へと向かった。現在時刻はまだ午前8時半を回った頃であるから、商店街が建ち並ぶ街に人通りはさほど多くはない。奴隷の刻印を持つゼータが一人街を出ようとしても、気に留める者は誰一人として存在しない。ハクジャの街が賑わいを見せ始めるのは、午前10時を回った頃なのだ。
石畳の敷かれた街を抜け、鬱蒼と茂る森林地帯に1歩足を踏み入れたゼータは、懐に仕舞い入れていた片割れ探しの神具を取り出した。すっかり元通りとなった神具を手のひらにのせて見れば、きつつきを乗せた小舟の舳先は、目の前の森林地帯を真っ直ぐに指している。海を渡ったその時から覚悟していたことではあるが、やはりゼータの旅はその密林の向こう側へと続くようだ。
「…どうしましょうかねぇ。できるだけ早く、目的地に辿り着きたいところではありますけれど」
ゼータは神具を手のひらにのせたまま、悩ましげに唸る。
ハクジャの街の近郊には、魔族の住む小集落がいくつかあるのだと聞いた。それらの小集落でレイバックが保護されている可能性もゼロではないが、恐らくその可能性は低いとゼータは踏んでいる。もしもレイバックが生きていて、ドラキス王国へ帰ることを望んでいれば、ハクジャの街に滞在するであろうことが予想されるからだ。海を越えたいと願う者が、密林の中の集落に滞在し続けるとは考えにくい。
ならばこの先ゼータに待ち受ける未来は、次の2つのうちのどちらかだ。
1つ。ハクジャの街を遠く離れ、誰も知らない未開の地へと赴くこと。
2つ。ハクジャの街の近郊で、密林に墜ちた緋色のドラゴンの遺骸を探すこと。
「まぁ結局、今までとやることは変わらないんですよね」
ゼータは呟き、柔らかな土の地面を1歩2歩と歩み出す。今日、ハクジャの街を発つつもりはない。長旅に必要な荷物を何一つ揃えてはいないし、何よりもまだリジンに出発を伝えていない。例え奴隷のようにこき使われようとも、リジンのお陰で安全にハクジャに滞在できたこともまた事実。同居人の口と性格がすこぶる悪いことを除けば、悪い生活ではなかった。ハクジャの街を発つならば、リジンに一言断りを入れるのが礼儀であろう。
正午になったら引き返して来よう。ゼータはまだ上り始めたばかりの太陽を見上げる。神具を頼りに森林地帯を進み、太陽が天頂に差し掛かったところで折り返そう。そこまでの地点で何かしらの痕跡を見つけられればよし、そうでなければ――ゼータは手のひらを握りしめる。
今日何も見つけられなければ、今夜リジンに別れを告げよう。そして明朝朝一でハクジャの街を発つ。
覚悟を決めて歩み出した道は、道というには程遠い。頭の上には緑の葉が幾重にも生い茂り、極太の蔦があちらこちらで絡まり合っている。周囲に生える木の幹は、ゼータの腰回りよりも遥かに太い物ばかり。ざばざばと賑やかな水音は、どこか遠くにある滝の音。ぎゃあぎゃあという人の悲鳴にも似た声は、ゼータの知らない鳥の鳴き声だ。まさに密林という名が相応しい風景であるが、ゼータの行く先にはかろうじて人の歩む道がある。他よりも少し土が踏み均されただけの頼りない道。恐らく、ハクジャに住まう者が狩りや採集に利用する道なのではないかと思う。あるいは、小集落の者がハクジャに赴く際に使う道。何にせよ、多少なりとも均された道があることはありがたかった。
ゼータの進む道が途絶えたのは、歩み始めて1時間が経った頃だ。その頃には太陽は高く昇り、皮膚を焦がす日射が照り付けていた。湿気も酷い。ハクジャの気候にはもう順応したと思っていたが、街の暑さと森林地帯の暑さはまた性質の違うものだ。ゼータは頭部から流れる汗が目に入らないようにと、袖口で何度も額を拭い、そして道なき道を懸命に進む。その先に何があるかは分からない。道が続いていないのだから、人が住む集落がないことは想像がつく。周りには果樹を実らせる木もないから、普段人が立ち入る場所でないことは火を見るよりも明らかだ。
それにしては魔獣の姿を見かけない、とゼータは思う。市場でヒッポグリフの肉を見かけたのだから、ハクジャ近郊にはそれなりに魔獣が出没するはずだ。現にハクジャの街を出発してから30分ほどの間は、頻繁に小型の魔獣と遭遇した。しかし今はどうだ。道なき道を進むゼータの耳に、鳥や獣の鳴き声は聞こえない。騒音のように響いていた虫たちの声もすっかり聞こえなくなってしまった。まるで果てしなく続く密林の中に、たった一人取り残されてしまったかのよう。
旅の途中で聞いた言葉が、ゼータの頭を過る。
――強大な魔力の籠る神獣の死骸は、そこにあるだけで他の生物を遠ざけるんだよ
そうして溺れるほどに深い密林を20分も進んだ頃だ。鬱蒼と茂る木々の真ん中に、藍緑色の泉がぽっかりと姿を現した。
石畳の敷かれた街を抜け、鬱蒼と茂る森林地帯に1歩足を踏み入れたゼータは、懐に仕舞い入れていた片割れ探しの神具を取り出した。すっかり元通りとなった神具を手のひらにのせて見れば、きつつきを乗せた小舟の舳先は、目の前の森林地帯を真っ直ぐに指している。海を渡ったその時から覚悟していたことではあるが、やはりゼータの旅はその密林の向こう側へと続くようだ。
「…どうしましょうかねぇ。できるだけ早く、目的地に辿り着きたいところではありますけれど」
ゼータは神具を手のひらにのせたまま、悩ましげに唸る。
ハクジャの街の近郊には、魔族の住む小集落がいくつかあるのだと聞いた。それらの小集落でレイバックが保護されている可能性もゼロではないが、恐らくその可能性は低いとゼータは踏んでいる。もしもレイバックが生きていて、ドラキス王国へ帰ることを望んでいれば、ハクジャの街に滞在するであろうことが予想されるからだ。海を越えたいと願う者が、密林の中の集落に滞在し続けるとは考えにくい。
ならばこの先ゼータに待ち受ける未来は、次の2つのうちのどちらかだ。
1つ。ハクジャの街を遠く離れ、誰も知らない未開の地へと赴くこと。
2つ。ハクジャの街の近郊で、密林に墜ちた緋色のドラゴンの遺骸を探すこと。
「まぁ結局、今までとやることは変わらないんですよね」
ゼータは呟き、柔らかな土の地面を1歩2歩と歩み出す。今日、ハクジャの街を発つつもりはない。長旅に必要な荷物を何一つ揃えてはいないし、何よりもまだリジンに出発を伝えていない。例え奴隷のようにこき使われようとも、リジンのお陰で安全にハクジャに滞在できたこともまた事実。同居人の口と性格がすこぶる悪いことを除けば、悪い生活ではなかった。ハクジャの街を発つならば、リジンに一言断りを入れるのが礼儀であろう。
正午になったら引き返して来よう。ゼータはまだ上り始めたばかりの太陽を見上げる。神具を頼りに森林地帯を進み、太陽が天頂に差し掛かったところで折り返そう。そこまでの地点で何かしらの痕跡を見つけられればよし、そうでなければ――ゼータは手のひらを握りしめる。
今日何も見つけられなければ、今夜リジンに別れを告げよう。そして明朝朝一でハクジャの街を発つ。
覚悟を決めて歩み出した道は、道というには程遠い。頭の上には緑の葉が幾重にも生い茂り、極太の蔦があちらこちらで絡まり合っている。周囲に生える木の幹は、ゼータの腰回りよりも遥かに太い物ばかり。ざばざばと賑やかな水音は、どこか遠くにある滝の音。ぎゃあぎゃあという人の悲鳴にも似た声は、ゼータの知らない鳥の鳴き声だ。まさに密林という名が相応しい風景であるが、ゼータの行く先にはかろうじて人の歩む道がある。他よりも少し土が踏み均されただけの頼りない道。恐らく、ハクジャに住まう者が狩りや採集に利用する道なのではないかと思う。あるいは、小集落の者がハクジャに赴く際に使う道。何にせよ、多少なりとも均された道があることはありがたかった。
ゼータの進む道が途絶えたのは、歩み始めて1時間が経った頃だ。その頃には太陽は高く昇り、皮膚を焦がす日射が照り付けていた。湿気も酷い。ハクジャの気候にはもう順応したと思っていたが、街の暑さと森林地帯の暑さはまた性質の違うものだ。ゼータは頭部から流れる汗が目に入らないようにと、袖口で何度も額を拭い、そして道なき道を懸命に進む。その先に何があるかは分からない。道が続いていないのだから、人が住む集落がないことは想像がつく。周りには果樹を実らせる木もないから、普段人が立ち入る場所でないことは火を見るよりも明らかだ。
それにしては魔獣の姿を見かけない、とゼータは思う。市場でヒッポグリフの肉を見かけたのだから、ハクジャ近郊にはそれなりに魔獣が出没するはずだ。現にハクジャの街を出発してから30分ほどの間は、頻繁に小型の魔獣と遭遇した。しかし今はどうだ。道なき道を進むゼータの耳に、鳥や獣の鳴き声は聞こえない。騒音のように響いていた虫たちの声もすっかり聞こえなくなってしまった。まるで果てしなく続く密林の中に、たった一人取り残されてしまったかのよう。
旅の途中で聞いた言葉が、ゼータの頭を過る。
――強大な魔力の籠る神獣の死骸は、そこにあるだけで他の生物を遠ざけるんだよ
そうして溺れるほどに深い密林を20分も進んだ頃だ。鬱蒼と茂る木々の真ん中に、藍緑色の泉がぽっかりと姿を現した。
10
お気に入りに追加
252
あなたにおすすめの小説

前世が俺の友人で、いまだに俺のことが好きだって本当ですか
Bee
BL
半年前に別れた元恋人だった男の結婚式で、ユウジはそこではじめて二股をかけられていたことを知る。8年も一緒にいた相手に裏切られていたことを知り、ショックを受けたユウジは式場を飛び出してしまう。
無我夢中で車を走らせて、気がつくとユウジは見知らぬ場所にいることに気がつく。そこはまるで天国のようで、そばには7年前に死んだ友人の黒木が。黒木はユウジのことが好きだったと言い出して――
最初は主人公が別れた男の結婚式に参加しているところから始まります。
死んだ友人との再会と、その友人の生まれ変わりと思われる青年との出会いへと話が続きます。
生まれ変わり(?)21歳大学生×きれいめな48歳おっさんの話です。
※軽い性的表現あり
短編から長編に変更しています
悩める文官のひとりごと
きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。
そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。
エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。
ムーンライト様にも掲載しております。

侯爵令息セドリックの憂鬱な日
めちゅう
BL
第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける———
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。

僕はお別れしたつもりでした
まと
BL
遠距離恋愛中だった恋人との関係が自然消滅した。どこか心にぽっかりと穴が空いたまま毎日を過ごしていた藍(あい)。大晦日の夜、寂しがり屋の親友と二人で年越しを楽しむことになり、ハメを外して酔いつぶれてしまう。目が覚めたら「ここどこ」状態!!
親友と仲良すぎな主人公と、別れたはずの恋人とのお話。
⚠️趣味で書いておりますので、誤字脱字のご報告や、世界観に対する批判コメントはご遠慮します。そういったコメントにはお返しできませんので宜しくお願いします。
大晦日あたりに出そうと思ったお話です。
【完結】オーロラ魔法士と第3王子
N2O
BL
全16話
※2022.2.18 完結しました。ありがとうございました。
※2023.11.18 文章を整えました。
辺境伯爵家次男のリーシュ・ギデオン(16)が、突然第3王子のラファド・ミファエル(18)の専属魔法士に任命された。
「なんで、僕?」
一人狼第3王子×黒髪美人魔法士
設定はふんわりです。
小説を書くのは初めてなので、何卒ご容赦ください。
嫌な人が出てこない、ふわふわハッピーエンドを書きたくて始めました。
感想聞かせていただけると大変嬉しいです。
表紙絵
⇨ キラクニ 様 X(@kirakunibl)

今夜のご飯も一緒に食べよう~ある日突然やってきたヒゲの熊男はまさかのスパダリでした~
松本尚生
BL
瞬は失恋して職と住み処を失い、小さなワンルームから弁当屋のバイトに通っている。
ある日瞬が帰ると、「誠~~~!」と背後からヒゲの熊男が襲いかかる。「誠って誰!?」上がりこんだ熊は大量の食材を持っていた。瞬は困り果てながら調理する。瞬が「『誠さん』って恋人?」と尋ねると、彼はふふっと笑って瞬を抱きしめ――。
恋なんてコリゴリの瞬と、正体不明のスパダリ熊男=伸幸のお部屋グルメの顛末。
伸幸の持ちこむ謎の食材と、それらをテキパキとさばいていく瞬のかけ合いもお楽しみください。
死に戻り騎士は、今こそ駆け落ち王子を護ります!
時雨
BL
「駆け落ちの供をしてほしい」
すべては真面目な王子エリアスの、この一言から始まった。
王子に”国を捨てても一緒になりたい人がいる”と打ち明けられた、護衛騎士ランベルト。
発表されたばかりの公爵家令嬢との婚約はなんだったのか!?混乱する騎士の気持ちなど関係ない。
国境へ向かう二人を追う影……騎士ランベルトは追手の剣に倒れた。
後悔と共に途切れた騎士の意識は、死亡した時から三年も前の騎士団の寮で目覚める。
――二人に追手を放った犯人は、一体誰だったのか?
容疑者が浮かんでは消える。そもそも犯人が三年先まで何もしてこない保証はない。
怪しいのは、王位を争う第一王子?裏切られた公爵令嬢?…正体不明の駆け落ち相手?
今度こそ王子エリアスを護るため、過去の記憶よりも積極的に王子に関わるランベルト。
急に距離を縮める騎士を、はじめは警戒するエリアス。ランベルトの昔と変わらぬ態度に、徐々にその警戒も解けていって…?
過去にない行動で変わっていく事象。動き出す影。
ランベルトは今度こそエリアスを護りきれるのか!?
負けず嫌いで頑固で堅実、第二王子(年下) × 面倒見の良い、気の長い一途騎士(年上)のお話です。
-------------------------------------------------------------------
主人公は頑な、王子も頑固なので、ゆるい気持ちで見守っていただけると幸いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる