【BL】齢1200の龍王と精を吸わないオタ淫魔

三崎こはく

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安らかに眠れ、恐ろしくも美しい緋色の龍よ

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「服屋のご店主が、リジンのことを良い主様だと言っていましたよ」

 こんがりと焼けた鶏肉を頬張りながら、ゼータは言う。時は昼食時。服飾店で一通りの買い物を終えたゼータとリジンは、服飾店街から飲食店街へと歩む通りを変え、店が混みあう前にと早めの昼食にありついたところだ。
 リジンが選んだ店は、広大な石畳みの広場の一角に位置する小洒落た飯屋。客席のほとんどはパラソルをのせたテラス席で、ゼータとリジンが座る席もその一つ。日差しこそパラソルに遮られているものの、肌にまとわりつくような熱気が立ち込める。それでいて出来立てアツアツの料理を食べているのだから、額に大量の汗粒が浮かぶことは避けられない。頻繁に汗の粒を拭うゼータとは対照的に、ハクジャの気候に慣れたリジンは涼しい顔だ。

「どこをどう見たら俺が良い主に見えるんだ」
「私に自由に服を選ばせたじゃないですか。例え縁者が相手でも、大抵の主は奴隷の着る衣服に口を出そうとするものらしいですよ。奴隷が主の所有物であるという点を考慮すれば、当然と言えば当然かもしれませんけれど」
「いちいち口を出すのが面倒だっただけだ。繰り返すが、俺は奴隷を着飾って悦に浸る趣味はない」
「…割と毎晩着飾らされていますけれど」
「あれは仕事上必要だから着飾らせているだけだ。俺の趣味じゃない」

 リジンはアツアツの麺をフォークに絡めながら、じろりとゼータを睨みつける。
 ゼータが初めてリジンの生業について知ったのは、今日から6日前の夜のこと。以降リジンは毎晩のように店の商品を持ち帰り、ゼータを寝室に呼び込んでは着飾らせるのだ。持ち変える衣服は男性用の燕尾服から女性用の水着まで多種多様。昨晩着せられた衣装は、何と男性用のサイズに作られたミニドレスだ。初めこそ着用を拒否したゼータであるが、「仕事のためだ」と言われてしまえば断る術はない。鏡に映る奇妙としか言いようのない己の姿を眺め、「世の中には不可解な性癖があるものだ」と溜息をつくことになったのである。
 悪夢ともいうべき記憶を打ち消すように、ゼータは程よくソースの絡む麺を啜り込む。

「でも実際ね。リジンは私に命令らしい命令をしないじゃないですか。隷者は主の命令に絶対服従なんですよね?残飯を与えられるとか、性奴隷にされるとか、大概のことは覚悟していたんですけれどねぇ。与えられた仕事が終わらなくても、文句を言うだけで折檻はしないし」
「命令らしい命令をしない…ね。そう感じるのは、あんたが単細胞生物並みに鈍感だからだ」

 含みのある言い方である。ゼータはぴたりとフォークを止める。

「どういう意味ですか?」
「そもそもだ。あんたはその奴隷の刻印が何たるかを理解していない」
「ただの刻印じゃないんですか?ハクジャという国において、奴隷であることを示すための」
「違う。ただ奴隷であることを示すだけなら、魔具など使う必要はないんだ。魔具と名の付く物を使用するからには、隷属の儀における奴隷契約は魔法契約に値する。それはただの便宜的な契約にあらず、魔法による拘束力を得ることになる」
「えーと…」
「単細胞生物のあんたにも理解できるように、噛み砕いて説明するとだな。例えば俺があんたに跪けと命令したとしよう。そしてあんたがこの命令に従わなかったとする。するとあんたは魔法契約不履行により罰を受ける。魔具の効力による、避けることのできない罰だ」
「罰…ですか」
「しかしここで一つ不都合があってな。あんたが命令を履行したかどうかは、主である俺が判断するわけではない。あんた自身が判断するんだ。あんたの心の内に俺の命令に反したとの意識がなければ、いかなる状況であっても罰を受けることはない」

 ゼータはシャツの下に隠された隷者の刻印を指先でなぞる。左胸の上部に押されたその禍々しい刻印を、ゼータは今日までただの飾りだと思っていた。しかしどうやらリジンの話を聞く限り、ゼータの認識は誤りであったようだ。ゼータが押された物は、奴隷の行動を制約する魔法の刻印。本来であればゼータがリジンの命令に逆らうたびに、それ相応の罰が与えられてしかるべきであったのだ。しかし、だ。

「…つまり私が今まで罰を受けなかったのは、リジンの言葉を命令だと認識していないから?」
「その通り。俺は今まであんたに再三命令を下している。三つ指ついて主の起床を迎えろ、食卓にきのこを持ち込むな、与えられた仕事はその日のうちに片付けろ、等々。しかしあんたは俺の命令を命令と思っちゃいない。ただの憎まれ口だと思って聞き流しているだろう」
「…その通りです。口うるさい同居人が今日も元気に吼えている、くらいに考えていました」
「だからあんたは鈍感だと言うんだ。普通の奴隷は主の言葉を聞くたびに、脳が勝手にそれを命令だと判断するもんだ。だがあんたは俺の言葉を命令だと思っちゃいない。ついでに言えば、俺のことを主だとも思っていないだろ。不作法の単細胞生物めが。その辺の床に這いつくばって分裂でもしてろ、馬ー鹿」
「…念のために聞きますけれど、人が分裂する光景を見たいんですか?」

 リジンの毒舌は今日も今日とて絶好調である。銀色のフォークを指先でくるくると回転させながら、リジンの語りは続く。

「以前買った奴隷はあんたと正反対の性格だった。この俺が気の毒と感じるくらい繊細な奴でな。俺がきのこは嫌いだと言うと、店先できのこを手に取っただけで罰が発動するんだ。初めて買った奴隷だし、何とか円滑な関係を築こうとした時期もあったがな。俺の毒舌は呼吸と同じだ。吐き出せずしてはいずれ息絶える」

 確かにリジンの毒舌を逐一まじめに受け取っていたのでは、同居生活は辛かろう。その哀れな奴隷の行く末も気になるところであるが、今のゼータには何にも増して気に掛かることがある。

「リジン。その魔法契約不履行による罰って、どんなものですか?」

 今度はリジンのフォークがぴたりと止まる番だ。赤銅色の瞳はゼータの事を食い入るように見て、それから嫌味たらしくにんまりと笑う。おっと、これは余計な質問をしてしまっただろうか。ゼータが慌てて発言を取り消そうとしたときには既に遅し。リジンは組んでいた脚を地面に下ろし、その足先を人差し指で指す。

「おい奴隷。地面に這いつくばり、俺の足先に口づけろ。これは命令だ」

 突然の、そして横暴としか言いようのない命令に、ゼータはぎょっと肩を強張らせた。今ゼータとリジンがいる場所は、飯屋のテラス席のど真ん中。正午を間近にした今、テラス席の大半は昼食を求める客人で埋まっている。この場所で地面に這いつくばろうものなら、多くの人の眼を集めることは避けられない。ハクジャの街に滞在するために、奴隷の地位を甘んじて受け入れたゼータであるが、人前で奴隷らしい行動をすることは耐えられない。石畳に投げ出されたリジンの両脚を一瞥し、それからふるふると首を横に振る。

「それは流石に嫌で――」

 嫌です、と言い切るよりも先に、ゼータの胸元には激痛が走った。奴隷の刻印を押された場所。人体の急所とも言える左胸の上部に、槍で貫かれたような激しい痛みが走る。前触れのない突然の激痛に、ゼータは悲鳴を上げることすらできずに椅子から転がり落ちる。「あぐ、うう」と引き絞るような悲鳴を零し、胸元の刻印を押さえて石畳をのたうち回る。
 周囲に座る人々が労しげにゼータを見下ろす中、リジンは一人楽しそうだ。

「はははっ。流石の単細胞生物も、『命令だ』と言えば命令だと認識するのか。ほらどうした。早く命令を遂行しろ。俺は痛みにのたうち回るあんたを見かね、命令を取り消したりはしない」

 リジンの言葉は、痛みに朦朧とする意識をじわじわと侵食する。ゼータは激痛を堪えながら上体を起こし、目の前に差し出されたリジンの靴先に唇をつけた。その行動に最早躊躇いや戸惑いはない。身を貫くような激痛から一刻も早く解放されたい。ただそれだけの思いであった。
 石畳に両手両膝をつき、革靴の先に口付けるゼータを、リジンはやはり愉快そうな眼差しで見下ろしている。

「良い眺めだ。単細胞の鈍感奴隷に主従関係を叩き込むために、たまにこうして罰を与えるべきか?俺は人が苦しむ様を見て悦ぶなどという性癖は持ち合わせていないが、奴隷の躾のためと思えば止むを得ない。これから先、俺が『命令だ』と付け加えた言葉には即座に従うように。今と同じ激痛を味わいたくなければな」

 リジンがそう語る間に、ゼータの胸元からは徐々に痛みが引いていく。そうして身を貫くような痛みはすっかり治まった頃、ゼータは石畳に座り込んだままシャツの襟をはだけ胸元を伺い見た。激痛を感じた奴隷の刻印は、姿かたちを変えずその場所にある。傷口もなければ血が流れることもない。一体どのような原理で痛みが引き起こされるのであろうかと、熱心に刻印を撫でるゼータの頭上に、どこまでも憎らしいリジンの声が降り注ぐ。

「ああ、もう一つ。奴隷の刻印というのは、通常二の腕やふくらはぎに押すものだ。何故かと言えば、心臓に近い場所に刻印を押せば、罰が発動した際に心臓が止まる危険性があるからだ。この辺りの説明は、奴隷市場に並べられる前に説明があったはずだがなぁ。おっと失礼、あんたは脱走奴隷だ。最低限の知識もなくハクジャに入り込むから、こんな散々な目に合うんだ。馬鹿な奴」

 まさに泣きっ面に蜂の宣告である。そう言われてみれば、確かに街中で見かける奴隷は腕脚に刻印を押している者がほとんどだ。ゼータのように人体の急所に刻印を持つ者など見たことがない。まるで何事もなかったかのように食事を再開するリジン。ゼータはそんなリジンを見上げ、盛大に顔を顰めるのだ。

「やっぱり全っ然優しくない!」

 ゼータの元に魔具屋からの文が届いたのは、そんなのどかとも言い難い日常が2週間も過ぎた頃である。



***
とある日
ゼータ「リジン、丁度良いところに帰って来ました。今調理台下の戸棚から謎の黒い生物が飛び出して来ましてね。浴室の方へと逃げて行ったんです。あれは何ですか?かぶとむし?」
リジン「家屋内にかぶとむしが生息しているわけないだろ。ゴキブリだ」
ゼータ「ゴ、ゴキブリ。それは人に友好的な生物ですか?」
リジン「友好的ではない。宿敵だ」
ゼータ「宿敵!宿敵とまで言わしめますか。確かにね、あの生物を見た瞬間頭の中に警告音が打ち鳴らされたんです。あれは駄目だ、あれは不味い。どうしましょう、このままでは今夜は風呂に入れません。宿敵を打ち倒す手段は確立されているのですか?」
リジン「叩く」
ゼータ「…叩く?」
リジン「その辺の紙を丸めてな、力の限りに叩き潰す」
ゼータ「そ、そんな原始的な!潰したときの感触が腕に残るじゃないですか!それに先ほど遭遇した限りでは…彼らは飛びますよね?
リジン「飛ぶな。矢の如き速さで」
ゼータ「矢?矢を紙で打ち倒せと?そんな無謀なぁ…」
リジン「やかましいな。仏の御心で夕食の支度は引き受けてやる。とっとと退治して来い」
ゼータ「ちょ、ちょっと待ってリジン。私、あれは嫌です。全身の産毛が遭遇を拒否しております。何か良い対策方法は無いんですか?例えば楓の樹液で屋外に誘き出すとか…」
リジン「かぶとむしじぇねぇ、っつってんだろ。つべこべ言わず早く行け。命令するぞ」
ゼータ「や、やだ…」
リジン「おい奴隷、命令だ。武器を手に速やかに浴室へ入れ。奴を退治するまで出てくるなよ」
ゼータ「ぎゃああああ嫌だぁぁぁぁ」
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