【BL】齢1200の龍王と精を吸わないオタ淫魔

三崎こはく

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安らかに眠れ、恐ろしくも美しい緋色の龍よ

奴隷生活1日目-2

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 朝食を終えたゼータは、早速リジンに言いつけられた大量の仕事に取りかかった。まずは朝食の後片付け兼調理台の掃除。2人分の食器を手早く洗い、手近な付近で調理台全体を綺麗に拭き上げる。水場の水垢や調理台の焦げ付きまでピカピカに磨き上げたい衝動に駆られるが、細かな作業は後回しだ。何せ言いつけられた仕事量が膨大である。そのような場合には、まず成果が目に見えやすい仕事から手を付けるのが吉。例えば書物の片付けや洗濯、買い出し、ベランダ掃除などである。買い出しについては「午前中に済ませるべし」との助言をいただいているのだから、尚更優先度は高い。
 さてやりますか、と腕まくりをしたゼータは、まず床に散らばった書物をせっせと拾い上げた。流行雑誌、魔法書、歴史書、ゼータの知らない人物が書いた冒険記。無類の本好きとして名を馳せるゼータであるが、リジンの本好きも中々のようだ。一冊書物を拾い上げるたびに、その内容が知りたいと指先が疼く。しかしここで書物を開いては負け。一日読書に耽り、帰宅したリジンに大目玉を食らうことは目に見えている。数日奴隷生活を送っていれば、仕事にも慣れ多少の自由時間は生まれるだろう。読書はその時に楽しめば良い。ゼータはそう自身に言い聞かせながら、拾い上げた書物を本棚へと押し込んだ。

 その後床の掃き掃除、洗濯、乾いた衣類の片付け、ベランダ掃除と着々と仕事を消化したゼータは、正午を目前にして部屋を出た。夕食の買い出しと昼食を済ませるためである。
 リジンの暮らす部屋は、ハクジャの街の中心部からは少し離れたところにある。閑静な住宅街の一角に佇む共同住宅の一室だ。共同住宅とはいっても、白の街に建ち並ぶただ住宅機能を備えただけの建物とはわけが違う。コの字型の建物の中央部は小さな庭園のようになっており、背の低い樹木が青々とした葉を茂らせ、花壇には色とりどりの花々が咲き誇る。樹木の蔦は建物の外壁にまで及び、赤茶色の煉瓦壁を這うように上る。この建物は、かつては一つの大きな邸宅だったのではないかとゼータは想像する。住まう者のいなくなった豪華な邸宅を、何者かが巨額の資金を投じて共同住宅へと改造した。その物好きな人物は今どうしているのだろう。住人の一人として、何食わぬ顔でこの共同住宅の一室で暮らしているのだろうか。

 財布と鍵を手に住宅を出たゼータは、ハクジャの街の中心部へと向かって歩いた。昨日、ゼータがリジンと昼食を共にした通りだ。すれ違う人々が物珍しげにゼータのことを眺めるけれど、「脱走奴隷だ」と声を荒げることがない。何故なら今のゼータは、左胸の上部に押された奴隷の刻印を晒しているから。大きく開け放ったシャツの胸元から、暖かなハクジャの風が流れ込む。

「人目を集めているのは、やっぱりこれが隷者の刻印だから…ですよねぇ…」

 ゼータは胸元の刻印を指先でなぞる。今のゼータの姿は、ハクジャの街に五万といる人間の奴隷の容姿と相違ない。しかしそうであるにも関わらず、人とすれ違うたびに物珍しげな視線を向けられるのは、ゼータの胸にある刻印が隷者の刻印であるからだ。主に生死すら支配される隷者。その多くは犯罪奴隷か脱走奴隷だ。そして彼らはほとんどが、ハクジャの北方に位置する鉱山地帯に送られるのだという。食事は一日一度で、満足な寝床や風呂もない。本来であればそんな粗末な扱いを受けるはずの隷者が、なぜ何食わぬ顔でハクジャの街を歩いているのだ。道行く人々がゼータに向ける視線には、そのような意味合いが含まれているのだろう。
 ざくざくと顔面に刺さる視線に居心地の悪さを感じながらも、ゼータは致し方なしと溜息を吐く。特別な事情があったとはいえ、ゼータが奴隷船からの脱出を試みた脱走奴隷であることに違いはない。それも下手をすれば人殺しの脱走奴隷だ。ゼータに向けて卑しげな笑みを向けた狒々の男。殺すつもりで魔法を打ったが、あの男は無事だろうか。

 これといった当てもなく通りを歩き、ゼータが目を付けた場所はとある商店だ。店先には野菜から果物までたくさんの商品が並べられており、店内には肉や魚、菓子、調味料に至るまで多種多様な商品が並んでいる。狭い店内には10人に近い客人が滞在しており、店先で野菜を物色する客人も多い。他の商店よりも人気の店であることは明らかだ。ゼータは人の多さに導かれるようにして、その商店の店先へと歩み寄る。

「いらっしゃい。何をお探しだい?」

 どこか聞き覚えのある声を聞き、ゼータは眺めていたトマトと思しき野菜から顔を上げる。商店の店先には、50代ほどの容姿の男性店主が立っている。青灰色の髪に、頭頂には尖った2本の角。ドラキス王国でも多くその姿を見かける鬼族だ。どこか見覚えのある男性の容姿に、ゼータは「んん?」と首を傾げる。

「ああ。あんた、昨日の脱走奴隷じゃないか」

 ゼータが男性との出会いを思い出すよりも先に、男性店主の方がそう声をあげた。その言葉を受けて、ゼータはようやく思い至る。今目の前にいる男性店主は、ゼータが昨日ハクジャの街で一番初めに会話を交わした人物だ。大ぶりの牡蠣を手ににんまり顔の店主に対し、両替屋と飯屋の場所を訪ねたのだ。その後ゼータはすぐに脱走奴隷との認定を受け、まともな会話は叶わなかったのだけれど。
 昨日最悪な初対面を果たした男性店主と、はたしてどのような会話をなすべきか。ゼータは迷いながらも、とりあえず無難な挨拶を試みる。

「こんにちは、昨日はどうも。お騒がせしました」

 そう言ってゼータはぺこりと頭を下げる。

「昨日は随分と頑張っていたみたいじゃないか。騒ぎの声があちこちから聞こえていた」
「…そうですね。大分頑張ったんですけれど。結局捕まってしまいました」
「そりゃそうさ。人間の足で魔族から逃げられるもんか。これに懲りたら2度と脱走など考えないことだ。隷者の刻印を押されたということは、あんたはもう死人も同然。せいぜい主様の機嫌を損ねないよう全力で奉仕することだな」

 店主はゼータの胸元の刻印を指さし、微かに口の端を上げて笑う。店先にいる客人が数人、興味深げにゼータの胸元を覗き込む。日に焼けた皮膚の上で、黒々と輝く隷者の刻印。隷属の儀から一晩が明けたにも関わらず、刻印部分には多少の違和感が残る。疼くような、むず痒いような、不思議な感覚だ。
 ゼータは人々の視線から刻印を隠すようにして身を屈めた。陳列台の上にあるトマトに似た物体を掴み上げる。

「主様の機嫌を損ねないためにも、今夜は美味しい夕飯を作って待っていなければならないんですよ。これ、トマトであっています?」

 ゼータが掴み上げたその物体は、トマトというには少しばかり大きい。そして真っ赤な皮に柔らかさはなく、まるでかぼちゃのように硬いのだ。しかし見た目はトマト。一体この食べ物は何なのだと、手の中の物体をくるくると回転させるゼータ。店主はそんなゼータを眺め、不思議そうな表情を浮かべるのである。

「トマト?何だそれは。そいつはティロロという名前の果実だ」
「ティ、ティロロ?初めて聞く名前です。甘いんですか?酸っぱいんですか?」
「生で食べると苦いが強い。砂糖と一緒に煮込んでジャムにするんだ」
「へぇ…ジャムに。皮が固そうですけれど、包丁で切れるんですか?」
「そりゃあ包丁で切れなきゃ食えねぇだろ。あんた、冗談ではなく本当にティロロを知らないのか?ハクジャにはいつ連れてこられたんだ」
「…昨日です」

 ゼータの言葉に、店主は両眼をまん丸に見開いた。店主の周りでは、数人の客人が商品を物色しながら2人の会話に耳を澄ませている。ハクジャの街では滅多に見かけることにない隷者。その身の上話に、皆が興味津々なのだ。

「昨日!?そりゃ気の毒なこった。まさかとは思うが、奴隷市場から逃げ出したのか?」
「いえ…奴隷市場ではなく奴隷船から…。はっと目を覚ましたら海の上にいて、びっくりして暴れるうちに海に落ちたといいましょうか…」

 ハクジャに辿り着いた経緯を一体どう説明すべきかと、ゼータはもごもごと口ごもる。いくら赤の他人相手とはいえ、まさか馬鹿正直に全ての次第を話すわけにはいくまい。どうやってこの場を切り抜けるべきかと、背中に冷や汗を流すゼータ。しかし幸いにも店主は、ゼータに向けて労しげな視線を向けるのである。

「海に落ちて無事陸地に辿り着けるとは、あんたは余程運が良い。ハクジャ近海にはセイレーンが住んでいる。海に落ちた人間の奴隷は、皆セイレーンに喰われちまうんだ」
「あ、それは聞きました」
「成程ねぇ。海に落っこちたその身で、ハクジャの街に足を運んだということか。つまりあの時のあんたは、ここがどこであるかも知らなかったんだな?脱走奴隷が呑気に道を尋ねてくるなんざ、おかしな事があるもんだとは思ったんだ。事情も聞かず警備兵を呼んじまって悪かったな。知らない街で武装した魔族に追い回されるなんざ、俺でも小便ちびっちまう」

 店主がわざとらしく身震いをして見せるので、ゼータはあはは、と声をあげて笑う。

「あまり気にしないでください。幸いにも鉱山送りは免れましたから」
「鉱山送りは免れても、隷者の刻印を押されていたんじゃ不便も多いだろ?ハクジャの街には、奴隷に対するあたりが強い奴も多い。特に隷者はなぁ、店によっては立ち入りすら禁じられている。なぁに心配するな。うちの店は奴隷にも良心的だ。奴隷の使用人を多く使っているし、店の常連にも奴隷は多い。縁者、従者問わずな。隷者の常連は――あんたが第一号だ。どうぞうちの店を贔屓にしてくれ」

 そう言うと、店主は真っ白な歯を見せて笑うのである。

 思いつく限りの買い物を済ませたゼータは、鬼族の店主にお礼を言って店を出た。右手にはたくさんの食材が詰まった買い物かご、左手にはほかほかと温かな紙包み。植物の蔓から作られた手編み籠は、「今後うちの店を贔屓にしてくれるなら」という条件付きで店主がプレゼントしてくれた物だ。そして数種類の総菜が詰め込まれた紙包みは、「事情も知らず警備兵を呼んでしまった詫び」だという。どこか手近な飲食店で昼食をとるつもりでいたが、これだけの総菜があれば余計な寄り道はせずに済みそうだ。何せゼータは主であるリジンから山のような仕事を言いつけられた身。外出時間は極力短いことが望ましい。

 買い物かごをぶら下げ通りを歩くゼータの目には、遺跡のようなハクジャの街並みが映る。橙や茶を基調として石造りの建物に、ごつごつとした石畳。3、4階建て程度の家屋の屋根を超えて、正体のわからない巨大建造物の屋根が見え隠れする。あの建造物は一体何のために建てられたものなのだろう。買い出しのついでに、そのうち足を運んでみるのも面白いかもしれない。
 そして遺跡の街並みを歩くたくさんの人々。臀部からふさふさの尾を生やした青年に、虹色の瞳を有する少女。2mを超す巨躯の老婆に、岩のような肌を持つ少年。派手な身体的特徴を有する人々の中に、ふっと入り混じる黒髪黒目。身体のどこかに痛々しげな刻印を焼き付けられた彼らは、かつては皆ロマの民であった。奴隷船に揺られハクジャの地へと連れてこられた、哀れな人間。

 買い物かごを持ち変えるゼータの傍らを、とある家族が通り過ぎていった。橙色の頭髪を有した魔族の青年と、彼と同じ年頃の美しい女性。真っ白なワンピースから伸びる女性の二の腕には、縁者であることを示す白い刻印が焼き付けられている。しかし奴隷であるはずの女性の顔に憂いはなく、太陽のような笑顔が浮かぶ。そして何よりも驚くべきは、彼らが2人の子どもを連れているということ。5歳前後と思われる男児が道を駆け、その後ろをよちよち歩きの女児が追う。「セロ、アリア。あまり先に行かないで。迷子になるわよ」女性の声に2人の幼子は足をとめ、きゃっきゃと笑い声を上げながら引き返してくる。ゼータの見間違えでなければ、女性の腹には微かな膨らみがあるようにも見える。そこには新たな命が宿っているのだろうか。

 ハクジャの土地では、人間は奴隷だ。魔族は世闇に紛れてロマの民を攫い、そして奴隷市場で商品として売り捌く。話だけを聞けばひどく陰鬱な印象を受けるけれど、実情は少しばかり違うようだ。少なくともハクジャの民は、人間の奴隷を便利な道具としては扱っていない。奴隷という立場を一つの人格として認め、その生活を支えようとしている印象すら受ける。先ほど訪れた商店の店主はゼータに買い物かごをプレゼントしてくれたし、橙髪の青年は縁者との間に3人もの子を儲けている。あの自称屑野郎のリジンですら、自身の朝食とゼータの朝食に差をつけることはしなかった。人間と魔族が平等であるとは言い難い。しかし異国人であるゼータには想像も及ばないような、複雑で奇妙な関係が両者の間にはある。

「変な国」

 ゼータの呟きは、生温かな風にさらわれて飛んでいく。
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