【BL】齢1200の龍王と精を吸わないオタ淫魔

三崎こはく

文字の大きさ
上 下
231 / 318
安らかに眠れ、恐ろしくも美しい緋色の龍よ

魔族の乗る船

しおりを挟む
 小金に輝く満月が、遠い南の空に光っている。
 時刻は午前0時を回ったところ。月明かりに照らされる砂浜に人影はなく、砂浜の背後に佇む街は闇夜に沈んでいる。人々が寝静まるこの時間、街が暗闇に包まれるのは当然のこと。しかしそうであったとしても、一粒の窓灯りさえ見当たらないのはいささか奇妙だ。奇妙なことはそれだけではない。ぴたりと閉じられた玄関戸に、鉄板を打ち付けた窓。鼠1匹入り込めぬ建物の内側からは、人々が寝返りを打つ微かな音さえ聞こえない。昼間は賑やかであったロマの街は、水を打ったような静けさに包まれている。

 満月に照らされる砂浜に、ゼータはいた。広い砂浜にただ一つある大岩の陰に身を隠し、穏やかに揺れる海原をじっと見据えている。生温い潮風が頬を撫で、生臭さを孕む磯の香りが鼻腔に流れ込んでくる。ふと遠くで海鳥の声を聴き、ゼータは海原から視線を外した。かもめだろうか、海猫だろうか。広い砂浜に海鳥の姿を探すも、暗闇の中にそれらしき生物の姿を見つけることはできない。
 本当に来るだろうか。ゼータは途端に不安に襲われる。砂浜近くの山林で、アリッサに別れを告げたのは今日の夕方のこと。いやもう日が変わっているのだから、正確には昨日の夕方のことだ。御宿の支払いを委託し、金貨の詰まる旅行鞄の隠し場所を教え、そしてさよならと手を振った。砂浜を歩くアリッサの背を見送り、たった2日間の平穏な日々に思い馳せ、山林に身を隠したゼータは一人夜が来るのを待った。「満月の夜には魔族がやってくる」アリッサの言葉を信じるのならば、今夜ロマの砂浜には魔族の乗る船が着岸するはずなのだ。しかし午前0時を大きく回った今もなお、砂浜には船はおろかただ一人の人の姿も見受けられない。満月の夜に魔族は来る。だが絶対ではない。もし今夜のうちに魔族と出会うことができなければ、海を越えるための計画を一から練り直さねばならぬ。呑気に1か月後の満月の日を待っていたのでは、定められた帰国の刻限に間に合わなくなってしまう。

 どうか姿を見せてくれ。ゼータの願いが通じたのは、午前1時を目前にした頃のことであった。静々と押し寄せるさざ波にのり、一隻の船が桟橋の先に着岸する。まるで砂浜に流れ着く木の葉のように、僅かな物音すら立てぬ見事な着岸であった。乗組員の一人が桟橋の脚に縄を括り、小さな船からは次々と人が降りてくる。ゼータのいる岩陰から桟橋まではかなりの距離があり、船を駆け降りる人々の姿は黒い影としか映らない。しかし彼らは間違いなく魔族であった。桟橋を駆ける人の影は、飴のように溶けて四足の獣へと姿を変える。1匹、2匹、3匹、4匹。4匹の四足獣が砂浜を駆け、黒闇に包まれたロマの街へと入り込む。狩りの時間だ。

 ゼータは岩陰から半身を出し、人影のなくなった桟橋の上を見つめた。桟橋の脚に括りつけられた麻縄の先では、木の葉型の木船が揺れている。小舟という程小さな船ではない。しかし決して大きくはない船だ。舵はなく、船の内部には木でできた2本のかいが投げ出されている。帆は張られず、操舵室もなく、ただのっぺりとした甲板があるだけの船。

「…どうしよう」

 ゼータは呟く。願いは通じ、ロマの海岸に魔族の船はやって来た。しかし桟橋の先にある木船は、ゼータの予想よりも大分小ぶりだ。元より人間を装い捕まることは覚悟の上。しかし欲を言えば、魔族の目に触れることなくこっそりと船に忍び込みたかった。獲物として捕まった人間が、その後どのような扱いを受けるのかは想像が付かない。魔法や薬で強制的な眠りに落とし込まれる可能性は十分にあるし、そうでなくとも視界を塞がれてしまえば魔法の行使は困難になる。無事海を渡り切ったのだとしても、後の行動に制限を掛けられたのでは元も子もない。無事海を渡り切った後に自由の身となる。これが「魔族の船を利用して海を越える大作戦」の最低条件であり必要条件だ。

 思い惑うゼータの視界の端に、獣の影が現れる。狒々だ。栗色毛並みの巨大な狒々が、身体を揺らして砂浜を歩いている。悠然と歩く狒々の右肩には、ぐったりと力をなくした人の姿。狒々の毛並みに埋もれる華奢な手足に、夜風になびく長い髪。年若の女性と思われるその人は、狒々に攫われた哀れなロマの民だ。
 狒々を筆頭にして、砂浜には次々と四足の獣が戻って来た。三日月型の牙を生やした巨大猪、夜闇に紛れる黒狼、金のたてがみをなびかせる獅子。ある獣は背に男をのせ、ある獣は口に幼子を咥え、狩りを終えた獣達は続々と桟橋を渡る。例外なくぐったりとした様子の獲物を甲板に投げ落とした後、飴細工のごとく身体を溶かしては人の姿へと戻る。どうしよう、再度ゼータは呟く。4匹の獣達は、着岸からものの10分と経たずに狩りを終えた。間もなく麻紐は桟橋の脚から外され、魔族らの乗る船は海原の向こうへと旅立ってしまう。哀れな4人のロマの民をも乗せて。
 ゼータは岩陰に身を隠し、両手のひらで頭部を抱え込む。どうしよう、と何度も呟く。船への潜入が不可能であった以上、残された手段は3つだ。

 一つ。今まさに木船に乗り込もうとしている魔族らに切々と事情を説明し、海の向こうへと運んでもらうこと。しかし岩陰に潜む今のゼータは不審者であるし、桟橋上の彼らは人攫いという名の悪人だ。悪人が不審者を、快く船に乗せてくれることなど有り得るだろうか。諜報員認定で海に沈められるのが関の山だ。
 二つ。人間を装い、獲物として船に乗り込むこと。しかし前述のとおり今のゼータは完全なる不審者。夜の散歩を装い桟橋に近付いたところで、やはり魔法で昏倒させられ海に投げ込まれるのが落ちだ。
 三つ。桟橋上の魔族を悉く倒し、木船を奪い取ること。しかし4人の魔族はいずれも獣の血を引く獣人族、虚を突いたところで全員を打ち倒すことが果たして可能だろうか。いや、全員を倒してはならぬのだ。ゼータは船の操舵ができない。櫂の使い方ですら満足に知らぬ。安全かつ確実に海の向こうに渡るためには、慣れた者に船を動かしてもらう必要がある。ならば最低でも2人の魔族には意識を保っていてもらわねば―

 考え込むゼータの頭上に、影が落ちる。湿った吐息、獣の唸り。ついと視線を上げれば、大岩の傍らには巨大な狒々が立っていた。緋と輝く双眸、口蓋に並ぶ鋭利な歯列、逆立つ銀の毛並み。恐ろしい風貌にゼータが悲鳴を上げるよりも早く、肉厚の手のひらが目の前に翳される。爆ぜる閃光。
しおりを挟む
感想 12

あなたにおすすめの小説

前世が俺の友人で、いまだに俺のことが好きだって本当ですか

Bee
BL
半年前に別れた元恋人だった男の結婚式で、ユウジはそこではじめて二股をかけられていたことを知る。8年も一緒にいた相手に裏切られていたことを知り、ショックを受けたユウジは式場を飛び出してしまう。 無我夢中で車を走らせて、気がつくとユウジは見知らぬ場所にいることに気がつく。そこはまるで天国のようで、そばには7年前に死んだ友人の黒木が。黒木はユウジのことが好きだったと言い出して―― 最初は主人公が別れた男の結婚式に参加しているところから始まります。 死んだ友人との再会と、その友人の生まれ変わりと思われる青年との出会いへと話が続きます。 生まれ変わり(?)21歳大学生×きれいめな48歳おっさんの話です。 ※軽い性的表現あり 短編から長編に変更しています

悩める文官のひとりごと

きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。 そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。 エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。 ムーンライト様にも掲載しております。 

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

僕はお別れしたつもりでした

まと
BL
遠距離恋愛中だった恋人との関係が自然消滅した。どこか心にぽっかりと穴が空いたまま毎日を過ごしていた藍(あい)。大晦日の夜、寂しがり屋の親友と二人で年越しを楽しむことになり、ハメを外して酔いつぶれてしまう。目が覚めたら「ここどこ」状態!! 親友と仲良すぎな主人公と、別れたはずの恋人とのお話。 ⚠️趣味で書いておりますので、誤字脱字のご報告や、世界観に対する批判コメントはご遠慮します。そういったコメントにはお返しできませんので宜しくお願いします。 大晦日あたりに出そうと思ったお話です。

【完結】オーロラ魔法士と第3王子

N2O
BL
全16話 ※2022.2.18 完結しました。ありがとうございました。 ※2023.11.18 文章を整えました。 辺境伯爵家次男のリーシュ・ギデオン(16)が、突然第3王子のラファド・ミファエル(18)の専属魔法士に任命された。 「なんで、僕?」 一人狼第3王子×黒髪美人魔法士 設定はふんわりです。 小説を書くのは初めてなので、何卒ご容赦ください。 嫌な人が出てこない、ふわふわハッピーエンドを書きたくて始めました。 感想聞かせていただけると大変嬉しいです。 表紙絵 ⇨ キラクニ 様 X(@kirakunibl)

今夜のご飯も一緒に食べよう~ある日突然やってきたヒゲの熊男はまさかのスパダリでした~

松本尚生
BL
瞬は失恋して職と住み処を失い、小さなワンルームから弁当屋のバイトに通っている。 ある日瞬が帰ると、「誠~~~!」と背後からヒゲの熊男が襲いかかる。「誠って誰!?」上がりこんだ熊は大量の食材を持っていた。瞬は困り果てながら調理する。瞬が「『誠さん』って恋人?」と尋ねると、彼はふふっと笑って瞬を抱きしめ――。 恋なんてコリゴリの瞬と、正体不明のスパダリ熊男=伸幸のお部屋グルメの顛末。 伸幸の持ちこむ謎の食材と、それらをテキパキとさばいていく瞬のかけ合いもお楽しみください。

死に戻り騎士は、今こそ駆け落ち王子を護ります!

時雨
BL
「駆け落ちの供をしてほしい」 すべては真面目な王子エリアスの、この一言から始まった。 王子に”国を捨てても一緒になりたい人がいる”と打ち明けられた、護衛騎士ランベルト。 発表されたばかりの公爵家令嬢との婚約はなんだったのか!?混乱する騎士の気持ちなど関係ない。 国境へ向かう二人を追う影……騎士ランベルトは追手の剣に倒れた。 後悔と共に途切れた騎士の意識は、死亡した時から三年も前の騎士団の寮で目覚める。 ――二人に追手を放った犯人は、一体誰だったのか? 容疑者が浮かんでは消える。そもそも犯人が三年先まで何もしてこない保証はない。 怪しいのは、王位を争う第一王子?裏切られた公爵令嬢?…正体不明の駆け落ち相手? 今度こそ王子エリアスを護るため、過去の記憶よりも積極的に王子に関わるランベルト。 急に距離を縮める騎士を、はじめは警戒するエリアス。ランベルトの昔と変わらぬ態度に、徐々にその警戒も解けていって…? 過去にない行動で変わっていく事象。動き出す影。 ランベルトは今度こそエリアスを護りきれるのか!? 負けず嫌いで頑固で堅実、第二王子(年下) × 面倒見の良い、気の長い一途騎士(年上)のお話です。 ------------------------------------------------------------------- 主人公は頑な、王子も頑固なので、ゆるい気持ちで見守っていただけると幸いです。

【完】三度目の死に戻りで、アーネスト・ストレリッツは生き残りを図る

112
BL
ダジュール王国の第一王子アーネストは既に二度、処刑されては、その三日前に戻るというのを繰り返している。三度目の今回こそ、処刑を免れたいと、見張りの兵士に声をかけると、その兵士も同じように三度目の人生を歩んでいた。 ★本編で出てこない世界観  男同士でも結婚でき、子供を産めます。その為、血統が重視されています。

処理中です...