【BL】齢1200の龍王と精を吸わないオタ淫魔

三崎こはく

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安らかに眠れ、恐ろしくも美しい緋色の龍よ

金貨の価値-1

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 アリッサに究極の選択を迫られた、翌日の朝。長旅の疲労を抱えたゼータは、案の定大寝坊をした。
 換金所への同行を控え、身支度を整えたアリッサが客室へとやって来たのは午前9時半を回った頃のこと。客室の扉前に置かれた手つかずの朝食を見たアリッサは、大慌てで客室の中へと飛び込んだ。その時ゼータは布団の中で安らかな寝息を立てており、午前10時の刻限を目前にして焦るアリッサは、客人の身支度手伝いに奮闘する羽目になる。まだ眠いのだと駄々を捏ねるゼータをベッドの上から引きずり下ろし、涎跡の残る顔面を濡れタオルで拭き、衣服を着せ替える。冷めたスープを口内に流し込み、握り飯を右手に握らせ、空いた左手には革鞄から探し当てた銭袋を握らせる。そうして隙あらば布団に潜り込もうとするゼータを半ば引き摺るようにして、刻限ぎりぎりに客室を飛び出したのである。

「すみません、アリッサ。温かな布団の誘惑に打ち勝つことが出来ませんでした」

 そう語るゼータの右手には食べ掛けの握り飯。駆けるようにして御宿を出た2人は、今仲良く並んでロマの街中を歩いているところだ。10時を過ぎ多くの商店が店開きを迎えた今、街中を歩く人の姿は多い。照りつける日射しは容赦なく表皮を焦がし、麦藁の帽子を被り歩く人の姿も目立つ。かく言うアリッサも頭頂に可憐な麦藁の帽子を載せていて、団子状に纏めた黒髪は帽子の中にすっかり隠れてしまっている。惜しみなく晒される、白肌のうなじが目に眩しい。

「食事を食べさせてくれとか、靴を履かせてくれとか、そういう要望を受けることはあるんだけどさ。身支度を丸投げされたのは初めての経験だよ。退室が遅れたら掃除当番の子に迷惑が掛かるんだから、明日からはしっかり起きてよね」
「はい、肝に命じます」

 大変申し訳ないと肩を竦めるゼータは、およそ一国の王妃とは思えぬ姿である。

 ゼータが乾いた握り飯を腹の中へと収めたところで、2人の足は目的地へと辿り着いた。白塗りの外壁に水色の屋根を載せたその建物は、戸口の上部に「換金所」との看板を掲げている。周囲には服飾店や生活雑貨店が軒を連ねているようで、麦藁帽子を頭に買い物を楽しむ人の姿は多い。入店に備え帽子を脱いだアリッサは、建物の扉に声を掛け言う。

「両替所と違って、換金所は結構審査が厳しいんだよ。不審な言動や行動をして盗人疑いが掛かれば、すぐに警隊が駆け付けるんだ」
「警隊?」
「ロマの治安を守る人達のこと。街中の警備を担当する陸警隊、海辺の警備を担当する海警隊、山林の警備を担当する山警隊の3つの部隊にわかれているんだ。制服や制帽はないけれど、武器を所持しているから傍目に見ればすぐわかるよ。ほら、あそこ」

 店の戸口に手のひらを添えたまま、アリッサは通りの先を指さした。麦藁帽の入り乱れる人波の向こうに、明らかに他とは違う風貌の男が1人歩いている。枯葉模様のシャツに包まれた肉体は筋肉隆々。長剣を腰に差し、真っ直ぐに前を見据え歩く姿は気ままな買い物客とは到底見えない。ゼータは昨晩海辺で出会った2人の男を思い出す。武器を携え、不審者同然のゼータに迷うことなく声を掛けた男達。彼らは海警隊の隊員であったのだ。ドラキス王国の中心地であるポトスの街中にも、治安維持を目的として王宮軍の兵士が配置されている。平和の象徴であるポトスの街中でさえそうなのだから、ロマの街中に警隊が配置されることはごくごく自然だ。

「何が言いたいかっていうとさ。ゼータさんがあまりにも物知らずな言動をすると、不審に思った店主が警隊を呼び寄せる可能性があるってこと。店主との交渉はあたしがするから、ゼータさんは適当に話を合わせていてよね」
「はぁ…わかりました」

 ロマの地においてゼータが無知であることは確かだが、流石に盗人と間違われるような言動はしない。唇を尖らせるゼータであるが、昨晩の一件があった後では説得力は皆無だ。
 アリッサの背に続き、ゼータは換金所の建物内へと立ち入った。空色の屋根を載せた爽やかな外観とは異なり、建物内は混沌とした様子だ。四方の壁は年季の入ったたくさんの絵画で埋め尽くされ、天井には埃を被ったシャンデリアが3つぶら下がっている。秩序無く置かれた5つの木棚には、宝飾品や革製の鞄、ガラスの置物やティーセットなどの雑貨が所狭しと並ぶ。木棚から溢れ、床に直置きにされた置物も多い。換金所と名の付くこの店は、どのような物品も貝通貨へと変えてくれる便利な場所のようだ。不死鳥の置物に心奪われるゼータを置き去りにし、アリッサは店奥のカウンターへと向かう。牡鹿の剥製と女鹿の剥製に挟み込まれたカウンターの向こう側には、カウンター台に埋もれるようにして一人の女性が立っている。アリッサと変わらぬ年頃の、しかしアリッサよりは遥かに小柄な女性だ。

「キリカ、ご無沙汰」
「あれ、アリッサだ。朝一で来るなんて珍しいね。お客様に高価な貢物でも貰ったの?」
「まさか。あたし、高価な貢物をくれる上客なんて付いていないもん」
「またまたぁ。先日良い値の首飾りを持って来たじゃん」
「あれは別の子が貰った物だよ。あたしは買い物ついでに換金を頼まれただけ」
「そうなの?この世の男性はアリッサの魅力をわかってないねぇ。私が男だったら、毎晩アリッサを買いに行くのに」
「そりゃ良いね。キリカが客についてくれれば、あたしの未来は安泰だ」

 キリカと呼ばれた小柄な女性は、アリッサと顔を合わせくすくすと笑い合う。穏やかな時だ。

「それで、今日は何の用事?お茶の誘いなら年百年中受付中だよ」
「残念ながらお茶の誘いではないんだな。金貨を両替して欲しいんだよ」
「金貨?へぇ、アリッサの持ち物?」
「あたしの友達の持ち物だよ。他国から遥々あたしを尋ねて来てくれたんだけど、財布を忘れて手持ちが金貨一枚なんだって。しかも国籍証明も取り忘れてきたの。初めての国外旅行だから勝手がわからなかったみたいでさ。ね、ゼータさん」

 唐突に名を呼ばれ、ゼータは不死鳥の置物から視線を外した。カウンター台のすぐ傍で、アリッサが小さく手招きをしている。「適当に話を合わせろ」とのアリッサの指示を思い出しながら、ゼータはカウンター台へと歩み寄る。

「初めまして。アリッサの友達のゼータといいます。人生初の国外旅行に財布を忘れ、国籍証明も取り忘れるうつけ者です」

 ゼータがそう自己紹介をすると、キリカはにこりと微笑んだ。八重歯の目立つ、愛嬌のある顔つきの女性だ。

「キリカといいます。アリッサとは友達以上恋人未満の間柄です。半年に一度は求婚しているんですけれど、照れ屋のアリッサが中々受け入れてくれなくて」
「ああ、そうなんですか。では今日一日、微力ながらアリッサの説得に助力させていただきます。友の幸せを願うのは、友として当然のことですから」
「ぜひ宜しくお願いします。私、絶対アリッサを幸せにしますから」

 戯れの応酬を続けるゼータとキリカの横では、アリッサが乾いた笑みを浮かべていた。「冗談は他所でやってくれ」とでも言いたげである。
 一通りの自己紹介が終わったところで、ゼータはカウンター台の上に手持ちの金貨を載せた。表面にドラゴンの模様を刻み込んだ、ドラキス王国原産の金貨だ。キリカは手袋を嵌めた手で金貨を掴み上げ、精巧に刻み込まれたドラゴンの模様にしげしげと眺め入る。

「珍しいデザインの金貨ですね。どこで手に入れた物ですか?」
「亡くなった祖父の遺品を整理しているときに見つけたんです。形見として貰い受けて、上着のポケットに入れたままになっていたんですよ。財布を忘れたことに気付き慌てて荷物漁りをしていたら、運良くこの金貨を発見したという経緯です」

 祖父の遺品云々はもちろんゼータのでっち上げだが、金貨に見入るキリカは疑いの素振りすら見せない。

「それは幸運ですね。でも宜しいのですか?お爺様の形見を貝通貨に換えてしまって」
「事情が事情ですからね。致し方ありません」
「では遠慮なく鑑定させていただきます。少しお時間をいただきますから、店内でお待ちください」

 そう言うと、キリカは金貨を手にカウンター奥の扉へと消えていった。かちゃかちゃと器具を動かす音がする。生憎換金所内に鑑定を待つための椅子は設けられておらず、ゼータとアリッサはうろうろと店内を徘徊しながらキリカの帰りを待つ。

 ものの数分と待たずして、キリカはカウンター台へと戻って来た。両手に抱える物は朱漆の菓子盆だ。しかし盆の中に菓子は盛られておらず、十数枚の貝通貨が見え隠れする。敏腕の鑑定師は、数分と経たずに金貨の鑑定を済ませたようだ。

「お待たせしました。こちらが金貨一枚分に相当する貝通貨になります。友人価格で少しおまけしておいたけど、どうかな?」

 キリカはゼータとアリッサの顔を交互に見やる。菓子盆の中の貝通貨は、赤貝が3枚と桃貝が6枚、それと白貝が2枚だ。さらに菓子盆の端には、赤貝よりも少し大きな金塗りの巻貝が6つ盛られている。御宿の女将は、ロマで使用される貝通貨は赤、桃、白の3種類だと言った。ならば金塗りの巻貝は、換金を行った者へ贈呈されるおまけの品というところか。
 菓子盆の中を覗き込み、アリッサは唸る。

「あたし、金貨の換金価格の相場なんてわかんないよ。こんなもん?」
「金は取引単価が明確に定められているから、どこの換金所で換金しても大差はないと思うよ。不安なら、もう1,2か所換金所を回ってくれば?」
「キリカの鑑定の目は確かだからなぁ。ゼータさん、どう?これで確定しちゃって良い?」

 そう問われたところで、ゼータには頷く以外に選択肢はない。アリッサ以上に、ゼータには金貨の換金価格など想像も付かぬのだ。しかし御宿の宿泊料金が桃貝5枚ということを考慮すれば、1枚の金貨の換金価格としては上出来だ。衣服や靴を購入し貝通貨が足りなくなれば、今度は別の換金所で金貨を換金すれば良い。手持ちの金貨はたくさんあるのだからと、ゼータは懐の銭袋に触れる。

「じゃ、取引成立だね。換金者の名前はアリッサにしておくよ。旅行者が換金所を利用するときには、国籍証明の提示が必要になるからね。ゼータさん、次にロマを訪れるときには国籍証明を忘れずにね」
「そうします。キリカさん、ご配慮に感謝します」

 菓子盆の貝通貨を上着のポケットに仕舞いこみ、ゼータはキリカに礼を述べる。

「キリカ、ありがとう。またそのうち来るよ」
「そのうちと言わず明日にでも来てよ。美味しい菓子屋を見つけたからさ、一緒にお茶しに行こう」
「…うーん、気が向いたらね」

 友人以上恋人未満の2人も思い思いの挨拶を交わし、ゼータとアリッサは店を出た。
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