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安らかに眠れ、恐ろしくも美しい緋色の龍よ
ニシキギの御宿-2
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華やかな柚子色のワンピースを纏うその女性は、ゼータよりも遥かに長身だ。折れそうな程に細い首の上に、小さな頭がのっている。長い黒髪は後頭部で団子状に纏められ、艶やかな項に一筋の髪束が垂れる。まるでカモシカのような女性だ、と咄嗟にゼータは思う。可愛らしいという言葉は似合わない、芸術的な美しさを備えた女性だ。女性は両手には銀色の盆。盆の上には檸檬色の瓶と、青空色の猪口がのっている。カモシカの女性は丸テーブルにへばりつくゼータに目を留めると、にこりと人の好い笑みを浮かべた。
「初めまして、あたしはアリッサ。宜しくね」
「あ、はい。ゼータと言います。宜しく」
「もうすぐ準備ができるから、先に食べ始めていても良いよ。品数はこれ以上増やせないけれど、お代わりは自由だからたくさん食べてね」
アリッサの口からそう告げられるや否や、ゼータは丸テーブル脇の丸椅子へと座り込んだ。白花のテーブルクロスに並ぶ青空色の陶器皿。皿に盛られた料理は右上から時計回りに、シーフードサラダ、野菜たっぷりコンソメスープ、牛フィレ肉の冷製ステーキ、ふわふわ柔らか丸パンだ。剣士の如き素早さでナイフとフォークを手に取ったゼータは、一口大に切り分けた冷製ステーキを口内へと押し込む。絶妙な柔らかさに焼かれたフィレ肉と、酸味のあるソースの絡み具合が堪らない。素人の野戦食とは雲泥の差だ。
銀盆を手にしたアリッサが飲料やら手拭きやらを運び込む間に、ゼータは皿上の料理を綺麗に平らげた。ちょこまかと動き回るアリッサを捕まえて、全品のお代わりを所望する。アリッサは両手を挙げて吃驚仰天だ。そうして2度のお代わりを所望し、大方3人前の料理を腹に収めたところで、ゼータの食欲はようやく落ち着きを見せたのである。
「よく食べたねぇ。お代わり自由とは言ったけどさ、流石のあたしもびっくりだよ」
アリッサは笑いながら、銀盆の上に空皿を積み上げた。今、ゼータは最後に残った丸パンの一つをちびちびと口に運んでいるところである。
「すみません。まともな食事は久し振りなもので。追加料金が必要なら遠慮なく請求してください」
「別に良いよ。今夜は客人が少ないから、厨房で料理を余していたんだよね。廃棄予定の料理が全て捌けたって、料理人が喜んでいたよ」
「そうなんですか?それを聞いて安心しました」
ゼータが蜂蜜浸しの丸パンを楽しむ間に、アリッサはテーブル上の食器をすっかり片付け終えた。残る食器はゼータが抱え込むパン皿と、おひやのグラス、それに最初に運び込まれた檸檬色の瓶と青空色の猪口だけだ。忙しく上げ膳下げ膳作業に当たっていたアリッサは、ここに来てようやく丸テーブル脇の丸椅子に腰を下ろす。蜂蜜の余韻に浸るゼータの目の前で、檸檬色の瓶の蓋が開けられる。青空色の猪口に注がれる酒は、瓶と同じ檸檬色だ。
「これは?お酒ですか?」
「ロマ特産の檸檬酒だよ。他のお酒は別料金が掛かるんだけどね、この檸檬酒だけは食事の一部として提供しているんだ。飲んでみて、美味しいよ」
「へぇ…特産というのなら、頂きます」
酒など嗜むのは一体いつ以来であろうか。懐かしいアルコールの香りを胸いっぱいに吸い込みながら、ゼータは青空色の猪口に口を付ける。途端に、舌に張り付くような強烈な甘みが口内に感じる。檸檬と名が付く酒なのに、まさかの甘口。盛大に顔を顰めるゼータの横で、アリッサがけらけらと楽しげな笑い声を立てている。
「酸っぱいかと思ったでしょ。初めて檸檬酒を飲む人は、皆その顔をするんだ。商品によってはもう少し酸味の強い物もあるんだよ。でもうちは女将が甘党だからさ。仕入れる檸檬酒は激甘の商品ばかりなんだ。明日換金所に行ったあと、近くの酒屋に立ち寄ってみると良いよ。旅行者だって言えば、大体の商品は試飲をさせてもらえるからさ」
そう言うアリッサの目の前に、ゼータはそろりと青空色の猪口を差し出した。注がれた檸檬酒はまだ一口しか減っていない。甘味は好きなゼータだが、酒ばかりは喉越しの良い辛口を好むのだ。いくら特産とは銘打たれても、砂糖水のような酒を飲み干すことは苦難である。アリッサが檸檬色の酒瓶の蓋を閉めたところで、ゼータは本日の任務を一つ思い出した。換金所への付き添いは、女将の口からアリッサに話が通されているはずだ。しかしその後の街案内についてはゼータの口から約束を取り付けねばならない。
「アリッサさん、お願いがあるんですけれど」
「アリッサで良いよ。何?」
「明日、時間があれば少し街中を案内してもらえませんか?」
「街中を?別にいいけど、急ぎの用事があってロマに来たんじゃないの?」
「用事はあるんですけれどね。訳あって先の行動を決めかねているんです。部屋でじっとしているよりも、あちこち散策した方が活路を見出せるかなって。服や靴も買い換えたいですし」
ゼータは浴室前の床に投げ出された革鞄に視線を送った。今ゼータが纏う部屋着は御宿から借り受けた備品で、行水にあたり脱ぎ散らかした衣類は全て鞄の中に詰め込んである。数着の着替えも然りだ。道中の泉や河川で何度か洗濯はしたが、野宿が続きこびり付いた泥汚れは多い。生地の痛みや解れも目立つ。靴に至っては、靴底が剥がれ歩けばぱかぱかと音がする有様だ。旅の終わりはまだまだ見えない。折角大きな街に立ち寄ったのだから、思い切って全ての装備を一新するのも良いだろう。
「ふぅん。そういう事なら良いよ。夕食の仕込み時間には戻らなきゃならないけど、それまでなら付き合うよ」
「ありがとうございます。助かります」
街歩きの予定を取り付けた後は、気ままな雑談でしばしの時を過ごした。ロマの街で有名な土産菓子の話、御年80歳になる老夫婦が営む靴屋の話、ロマ周辺諸国の大まかな地理等々。女将は「話好きの世話役を宜しく」とのゼータの要望に忠実に答えてくれたようで、アリッサの語りは滑らかだ。ロマ北方にある小国地帯まではどれ程の道程か、周辺諸国の有名な特産品は、ゼータの問いに対する答えも淀みない。何よりも幸いなのは、アリッサがゼータの素性を詮索せぬことだ。ゼータは国籍証明を持たず、ロマ周辺諸国の地理もろくに知らぬ言うなれば不審者。しかしアリッサはゼータの出生国はおろか、旅の目的さえも問い質そうとはしない。「素性を問い質されることもないから、あんたのような人物が利用するにはぴったりだ」海岸で出会った男性の言葉は本当であったのだ。
取り留めのない会話を続けるうちに、ゼータの身体は次第に船漕ぐようになる。長旅の疲れに加え、心地の良い満腹感。貴重な情報収集の時ではあるが、押し寄せる眠気には抗えない。丸テーブルにうつ伏すゼータの肩を、アリッサの指先が叩く。
「寝るならベッドに行きなよ」
「そうですねぇ…もう少し話をしたい気持ちはありますけれど…」
「話なら明日街歩きのときにすれば良いよ。今日はやる事やってさっさと寝よう」
「やる事?」
眠気眼のゼータを丸テーブルに残し、アリッサはベッドの方へと歩いて行った。人一人が寝るためにはいささか広すぎるベッドだ。白花模様の毛布を捲り上げたアリッサは、躊躇うことなくベッドに上る。そしてさも自然な手つきでワンピースの胸元のぼたんを外し始めた。露わになる白肌を前に、ゼータの頭は一気に覚醒へと向かった。
「待、待、待って待って待って、何で脱ぐんですか!?」
「何でって…ああ、もしかして衣服は脱がしたい派?ごめんね。すぐに着るよ」
「いや、違…ええ?脱ぐことは決定?」
「そりゃあ…そうでしょ」
丸椅子を薙ぎ倒し立ち竦むゼータと、ベッド上で半裸のアリッサ。二人はしばし見つめ合う。沈黙ののちに遠慮がちに口を開く者は、滑らかな肢体を惜しみなく晒すアリッサである。
「もしかしてだけどさ。ゼータさん、ニシキギの御宿がどういう場所か知らない?」
「どういう場所って…ただの御宿じゃないんですか?国籍証明無くして泊まれる御宿だって、海岸で会った人に聞いて…」
「まぁ…それも間違いではないけどさ。ここは風俗宿だよ。風・俗・宿。わかる?お金を払って、好みの女の子と一晩限りの性遊戯を楽しむ場所」
風俗宿、性遊戯。明らかになる驚愕の真実に、ゼータの脳内は激しく混乱状態だ。震える指先が空色の猪口を倒し、檸檬色の液体が丸テーブル上に流れ出す。ぷん、と濃いアルコールが香る。しかし今のゼータに倒れた猪口を気に掛ける余裕はない。
「き、聞いていないですよ!そんなこと」
「そりゃそうだよ。うちの御宿に泊まれば女の子とイイコトができるよなんて、馬鹿正直に言う女将がいると思う?ロマでは性を商品として提供することは違法なんだよ。だからニシキギの御宿はね、表向きは普通の御宿なの。女の子が世話役に付くってだけの、ごくごく普通の御宿」
「いやいや全然普通じゃない」
「うるさいな。ちょっと黙って聞いて。これから行われる行為は商売じゃないの。あたしは世話人としてゼータさんと過ごすうちに、ゼータさんに惚れちゃったんだよ。それでゼータさんはあたしの思いに応えただけ。好き合った者同士が性行為を行うのに、咎められることなんて何もないでしょ?」
並べ立てられる物騒な言葉に、ゼータは顔面蒼白だ。
「私、既婚者ですよ!」
「既婚者だとか恋人がいるだとか、そんなことはどうでも良いんだよ。うちに来るお客様の半数は既婚者だよ。性行為に至すにあたり数時間恋人同士を装うというだけで、本当に恋人同士になるわけじゃないからね」
「そ、そうですか…」
「ゼータさん、惚けているんじゃなくて本当に知らないの?ニシキギの御宿なんて風俗宿の代名詞みたいなものじゃん。観光雑誌に載っているような場所ではないけどさぁ。成人男性ともあろう者が、まさかニシキギの御宿を知らないとはね。今までどんな脱俗的な生活を送ってきたの?」
仕方がないじゃないですか、一か月以上をかけて旅してきたんですよ。頭に浮かぶ文句を口にすることができず、ゼータはただ苦笑いを零すばかりだ。お世辞にも豊かとは言えず、しかし形の良い乳房を外気に晒したままのアリッサは、無知人ゼータに選択を迫る。
「まぁ、ゼータさんが希少種であるという点はこの際どうでも良いよ。問題は今どうするか。先に言っておくけど、あたしに手を出さなくても御宿の料金は値引きされないからね。損をしたくないのなら、つべこべ言わずさっさとベッドに上がることをお勧めするよ。さぁ、どうする。する?しない?」
心地の良い睡眠を目前にして、まさかの究極の選択である。眠気など、とうの昔に海原の向こうに飛んで行ってしまった。
「初めまして、あたしはアリッサ。宜しくね」
「あ、はい。ゼータと言います。宜しく」
「もうすぐ準備ができるから、先に食べ始めていても良いよ。品数はこれ以上増やせないけれど、お代わりは自由だからたくさん食べてね」
アリッサの口からそう告げられるや否や、ゼータは丸テーブル脇の丸椅子へと座り込んだ。白花のテーブルクロスに並ぶ青空色の陶器皿。皿に盛られた料理は右上から時計回りに、シーフードサラダ、野菜たっぷりコンソメスープ、牛フィレ肉の冷製ステーキ、ふわふわ柔らか丸パンだ。剣士の如き素早さでナイフとフォークを手に取ったゼータは、一口大に切り分けた冷製ステーキを口内へと押し込む。絶妙な柔らかさに焼かれたフィレ肉と、酸味のあるソースの絡み具合が堪らない。素人の野戦食とは雲泥の差だ。
銀盆を手にしたアリッサが飲料やら手拭きやらを運び込む間に、ゼータは皿上の料理を綺麗に平らげた。ちょこまかと動き回るアリッサを捕まえて、全品のお代わりを所望する。アリッサは両手を挙げて吃驚仰天だ。そうして2度のお代わりを所望し、大方3人前の料理を腹に収めたところで、ゼータの食欲はようやく落ち着きを見せたのである。
「よく食べたねぇ。お代わり自由とは言ったけどさ、流石のあたしもびっくりだよ」
アリッサは笑いながら、銀盆の上に空皿を積み上げた。今、ゼータは最後に残った丸パンの一つをちびちびと口に運んでいるところである。
「すみません。まともな食事は久し振りなもので。追加料金が必要なら遠慮なく請求してください」
「別に良いよ。今夜は客人が少ないから、厨房で料理を余していたんだよね。廃棄予定の料理が全て捌けたって、料理人が喜んでいたよ」
「そうなんですか?それを聞いて安心しました」
ゼータが蜂蜜浸しの丸パンを楽しむ間に、アリッサはテーブル上の食器をすっかり片付け終えた。残る食器はゼータが抱え込むパン皿と、おひやのグラス、それに最初に運び込まれた檸檬色の瓶と青空色の猪口だけだ。忙しく上げ膳下げ膳作業に当たっていたアリッサは、ここに来てようやく丸テーブル脇の丸椅子に腰を下ろす。蜂蜜の余韻に浸るゼータの目の前で、檸檬色の瓶の蓋が開けられる。青空色の猪口に注がれる酒は、瓶と同じ檸檬色だ。
「これは?お酒ですか?」
「ロマ特産の檸檬酒だよ。他のお酒は別料金が掛かるんだけどね、この檸檬酒だけは食事の一部として提供しているんだ。飲んでみて、美味しいよ」
「へぇ…特産というのなら、頂きます」
酒など嗜むのは一体いつ以来であろうか。懐かしいアルコールの香りを胸いっぱいに吸い込みながら、ゼータは青空色の猪口に口を付ける。途端に、舌に張り付くような強烈な甘みが口内に感じる。檸檬と名が付く酒なのに、まさかの甘口。盛大に顔を顰めるゼータの横で、アリッサがけらけらと楽しげな笑い声を立てている。
「酸っぱいかと思ったでしょ。初めて檸檬酒を飲む人は、皆その顔をするんだ。商品によってはもう少し酸味の強い物もあるんだよ。でもうちは女将が甘党だからさ。仕入れる檸檬酒は激甘の商品ばかりなんだ。明日換金所に行ったあと、近くの酒屋に立ち寄ってみると良いよ。旅行者だって言えば、大体の商品は試飲をさせてもらえるからさ」
そう言うアリッサの目の前に、ゼータはそろりと青空色の猪口を差し出した。注がれた檸檬酒はまだ一口しか減っていない。甘味は好きなゼータだが、酒ばかりは喉越しの良い辛口を好むのだ。いくら特産とは銘打たれても、砂糖水のような酒を飲み干すことは苦難である。アリッサが檸檬色の酒瓶の蓋を閉めたところで、ゼータは本日の任務を一つ思い出した。換金所への付き添いは、女将の口からアリッサに話が通されているはずだ。しかしその後の街案内についてはゼータの口から約束を取り付けねばならない。
「アリッサさん、お願いがあるんですけれど」
「アリッサで良いよ。何?」
「明日、時間があれば少し街中を案内してもらえませんか?」
「街中を?別にいいけど、急ぎの用事があってロマに来たんじゃないの?」
「用事はあるんですけれどね。訳あって先の行動を決めかねているんです。部屋でじっとしているよりも、あちこち散策した方が活路を見出せるかなって。服や靴も買い換えたいですし」
ゼータは浴室前の床に投げ出された革鞄に視線を送った。今ゼータが纏う部屋着は御宿から借り受けた備品で、行水にあたり脱ぎ散らかした衣類は全て鞄の中に詰め込んである。数着の着替えも然りだ。道中の泉や河川で何度か洗濯はしたが、野宿が続きこびり付いた泥汚れは多い。生地の痛みや解れも目立つ。靴に至っては、靴底が剥がれ歩けばぱかぱかと音がする有様だ。旅の終わりはまだまだ見えない。折角大きな街に立ち寄ったのだから、思い切って全ての装備を一新するのも良いだろう。
「ふぅん。そういう事なら良いよ。夕食の仕込み時間には戻らなきゃならないけど、それまでなら付き合うよ」
「ありがとうございます。助かります」
街歩きの予定を取り付けた後は、気ままな雑談でしばしの時を過ごした。ロマの街で有名な土産菓子の話、御年80歳になる老夫婦が営む靴屋の話、ロマ周辺諸国の大まかな地理等々。女将は「話好きの世話役を宜しく」とのゼータの要望に忠実に答えてくれたようで、アリッサの語りは滑らかだ。ロマ北方にある小国地帯まではどれ程の道程か、周辺諸国の有名な特産品は、ゼータの問いに対する答えも淀みない。何よりも幸いなのは、アリッサがゼータの素性を詮索せぬことだ。ゼータは国籍証明を持たず、ロマ周辺諸国の地理もろくに知らぬ言うなれば不審者。しかしアリッサはゼータの出生国はおろか、旅の目的さえも問い質そうとはしない。「素性を問い質されることもないから、あんたのような人物が利用するにはぴったりだ」海岸で出会った男性の言葉は本当であったのだ。
取り留めのない会話を続けるうちに、ゼータの身体は次第に船漕ぐようになる。長旅の疲れに加え、心地の良い満腹感。貴重な情報収集の時ではあるが、押し寄せる眠気には抗えない。丸テーブルにうつ伏すゼータの肩を、アリッサの指先が叩く。
「寝るならベッドに行きなよ」
「そうですねぇ…もう少し話をしたい気持ちはありますけれど…」
「話なら明日街歩きのときにすれば良いよ。今日はやる事やってさっさと寝よう」
「やる事?」
眠気眼のゼータを丸テーブルに残し、アリッサはベッドの方へと歩いて行った。人一人が寝るためにはいささか広すぎるベッドだ。白花模様の毛布を捲り上げたアリッサは、躊躇うことなくベッドに上る。そしてさも自然な手つきでワンピースの胸元のぼたんを外し始めた。露わになる白肌を前に、ゼータの頭は一気に覚醒へと向かった。
「待、待、待って待って待って、何で脱ぐんですか!?」
「何でって…ああ、もしかして衣服は脱がしたい派?ごめんね。すぐに着るよ」
「いや、違…ええ?脱ぐことは決定?」
「そりゃあ…そうでしょ」
丸椅子を薙ぎ倒し立ち竦むゼータと、ベッド上で半裸のアリッサ。二人はしばし見つめ合う。沈黙ののちに遠慮がちに口を開く者は、滑らかな肢体を惜しみなく晒すアリッサである。
「もしかしてだけどさ。ゼータさん、ニシキギの御宿がどういう場所か知らない?」
「どういう場所って…ただの御宿じゃないんですか?国籍証明無くして泊まれる御宿だって、海岸で会った人に聞いて…」
「まぁ…それも間違いではないけどさ。ここは風俗宿だよ。風・俗・宿。わかる?お金を払って、好みの女の子と一晩限りの性遊戯を楽しむ場所」
風俗宿、性遊戯。明らかになる驚愕の真実に、ゼータの脳内は激しく混乱状態だ。震える指先が空色の猪口を倒し、檸檬色の液体が丸テーブル上に流れ出す。ぷん、と濃いアルコールが香る。しかし今のゼータに倒れた猪口を気に掛ける余裕はない。
「き、聞いていないですよ!そんなこと」
「そりゃそうだよ。うちの御宿に泊まれば女の子とイイコトができるよなんて、馬鹿正直に言う女将がいると思う?ロマでは性を商品として提供することは違法なんだよ。だからニシキギの御宿はね、表向きは普通の御宿なの。女の子が世話役に付くってだけの、ごくごく普通の御宿」
「いやいや全然普通じゃない」
「うるさいな。ちょっと黙って聞いて。これから行われる行為は商売じゃないの。あたしは世話人としてゼータさんと過ごすうちに、ゼータさんに惚れちゃったんだよ。それでゼータさんはあたしの思いに応えただけ。好き合った者同士が性行為を行うのに、咎められることなんて何もないでしょ?」
並べ立てられる物騒な言葉に、ゼータは顔面蒼白だ。
「私、既婚者ですよ!」
「既婚者だとか恋人がいるだとか、そんなことはどうでも良いんだよ。うちに来るお客様の半数は既婚者だよ。性行為に至すにあたり数時間恋人同士を装うというだけで、本当に恋人同士になるわけじゃないからね」
「そ、そうですか…」
「ゼータさん、惚けているんじゃなくて本当に知らないの?ニシキギの御宿なんて風俗宿の代名詞みたいなものじゃん。観光雑誌に載っているような場所ではないけどさぁ。成人男性ともあろう者が、まさかニシキギの御宿を知らないとはね。今までどんな脱俗的な生活を送ってきたの?」
仕方がないじゃないですか、一か月以上をかけて旅してきたんですよ。頭に浮かぶ文句を口にすることができず、ゼータはただ苦笑いを零すばかりだ。お世辞にも豊かとは言えず、しかし形の良い乳房を外気に晒したままのアリッサは、無知人ゼータに選択を迫る。
「まぁ、ゼータさんが希少種であるという点はこの際どうでも良いよ。問題は今どうするか。先に言っておくけど、あたしに手を出さなくても御宿の料金は値引きされないからね。損をしたくないのなら、つべこべ言わずさっさとベッドに上がることをお勧めするよ。さぁ、どうする。する?しない?」
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