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安らかに眠れ、恐ろしくも美しい緋色の龍よ
荷馬車市
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小国ブラキストは、旧バルトリア王国東部地帯に位置する人口が1万人ほどの国家だ。小国と名が付いてはいるが、ブラキストの有する国土は湖畔の国リーニャや中央国セントラルよりも遥かに広い。旧バルトリア王国国土の東方は山岳地帯となっており、小国ブラキストはそれらの山岳地帯を全て包み込む形で建国されたのだ。高低様々な山岳地帯には百を超える小集落が点在し、集落独自の文化を作り上げている。それら独自の文化がブラキストの中心部に一同に集う日、それが荷馬車市だ。
「…想像以上の賑わいですねぇ」
リーニャの大通りに負けず劣らずの人波を眺め、ゼータは感嘆の息を吐いた。今ゼータがいる場所は、小国ブラキストの中心部であるブラキストの街中、基通りと呼ばれる通りの一角だ。ブラキストの街の主要通りは格子状だ。南北に延びる通りが7本、東西に延びる通りが9本。それぞれの通りには通りの特色に見合った名前が付けられ、ブラキストの街に住まう者で、この通りの名を覚えていない者は存在しない。
その中でも基通りと呼ばれる通りは、ブラキストの街を南北に貫く大きな通りだ。通りの左右には商店や飲食店が立ち並び、昼夜問わず人通りの多い場所だ。その基通りのあちらこちらに、たくさんの荷馬車が留まっている。数にすれば50を軽く超える荷馬車が犇めき合い、露店に並べた無数の商品を売り捌いているのだ。商品を手に売り子を務める者は、もれなく子ども。狩猟に農耕にと多忙な集落の大人に代わり、子ども達自らが荷馬車を引き、遠方の集落より遥々ブラキストの街へとやって来るのである。一つの集落につき数人の子どもが売り子を務めているから、基通りにいる子どもだけでも相当な数だ。そこに商品を買い求める街の者が集まり、揃いの革鎧を纏った警備人の姿もちらほらと見える。ポトスの街の賑わいとも、リーニャ大通りの喧騒とも、また違った独特の陽気だ。
「荷馬車市は今回で10回目の開催を迎えます。初開催は今から5か月前、その時は荷馬車の数が5台にも及ばない小さな催しだったんですよ。でも今となっては、回数を重ねるたびに荷馬車の数は増えます。ブラキスト内のどこの集落にも、人に物を売るだけの余裕ができたということです。荷馬車市の賑わいは、ブラキストの活気の指標とも言えますね」
そう語る者は、ゼータの隣に立つ長身の少年だ。彼の名はダミアン、シーラへ「大人の事情」を密告した人物である。一足早く大人の仲間入りをするだけに、彼の話す言葉は大の大人に引けを取らぬ。ゼータは年長者と話しているような錯覚すら覚えるのだ。
「ダミアン達の集落は、荷馬車市には初回から参加しているんですか?」
「はい。我々の集落はブラキストの街から比較的近い場所にありますから、荷馬車市開催の伝令も早かったんです。幸い馬も荷馬車も保有しておりましたからね。記念すべき第1回目の荷馬車市から参加させていただいております」
「ダミアンは毎回荷馬車市の引率を?」
「荷馬車市の引率は私の務めです。平和への道を歩み始めたとはいえ、ブラキストの国内にはまだまだ危険な魔獣が出没します。物を売るだけならシーラとベベルで十分ですが、戦士の引率は不可欠なのですよ。金を稼ぐ催しだけに、帰路で物盗りに襲われる可能性も否定はできません」
話し込むゼータとダミアンの横では、シーラが商品を手に客引きを行っていた。「今朝採れたての大根だよ、瑞々しくて甘みがのっているよ」「こっちは手作りの薬草茶、人気の品だから昼前にはなくなっちゃうよ」等々見事な宣伝である。シーラの他にもう一人、売り子としてベベルという名の少女が同行している。赤茶色の髪を三つ編みに結わえた、愛らしい顔つきの少女だ。先日11歳を迎えたばかりの彼女は、荷馬車市の会計担当だ。シーラの宣伝文句に惹かれ商品を買い求める人々から、慣れた手つきで代金を受け取っている。金勘定は得意なようで、釣銭の計算も早い。銭袋に一定の売り上げが溜まれば、それを管理するのはダミアンの仕事だ。ゼータの頭上を遥かに超える長身に、程良く鍛え上げられた体躯。剣を携えたダミアンが持つ銭袋を、奪い去ろうとする命知らずな輩など存在しない。客引きのシーラに、金勘定のベベル、そして護りのダミアン。完璧な連携である。
「ゼータ様。もし宜しければ、他集落の荷馬車を見ていらしては?」
ダミアンがそう提案したのは、シーラが本日3本目となる大根を売り捌いたときだ。極太の大根を、安価で手に入れたご婦人はほくほくと嬉しそうだ。
「良いんですか?」
「構いませんよ。どのみちこの時間帯は、聞き取りには不向きです。開幕直後の荷馬車市を訪れる客人は、目当ての品物がある者ばかりです。皆買い物に夢中ですから、雑談には応じてくれませんよ。お勧めの時間帯は正午前後ですね。散策目的の客人が多くなりますし、国家の要人方がやってくるのもこの時間です。せっかくの機会ですから、それまではどうぞご自由になさってください」
ダミアンに促され辺りを見渡せば、確かに荷馬車市を訪れる客人は皆買い物に夢中だ。露店に並べられた農畜産物を、真剣な顔つきで物色する人々の姿も多い。ブラキストの街で飲食店を営む者が、安価で新鮮な食材を求めて仕入れにやって来たというところか。いずれにせよ売り子も客人も皆せわしなく、気ままな雑談には応じてくれそうにない。だからといって売り子の手伝いをしようにも、シーラとベベルの抜群の連携を邪魔するのは気が引ける。
「それでは少し辺りを見て回ってきます。昼前には戻りますから」
「わかりました。ではお手数ですが、散策の帰りに日和通りで皆の分の弁当を買って来ていただけないでしょうか」
「日和通り?」
「基通りの1本東側に位置する通りです。日和通りと青柳通りの交差する場所に『ひより屋』という弁当屋があって、美味いと評判なんです。一度食べてみたいと思っているのですが、混雑していて買えた試しがないんです。この時間ならまだ空いていると思いますから」
「日和通りのひより屋ですね。わかりました。希望の弁当はありますか?」
「私とシーラは肉料理の多い弁当を、ベベルは果物が入っていると喜びます。代金は後で払いますから」
「お陰様で宿代も飯代も節約させてもらっています。弁当代くらい負担しますよ」
銭袋を取り出そうとするダミアンを押し止め、ゼータはその場を後にする。「じゃが芋3個で銅貨一枚、今日の夕餉は揚げ芋で決まり!」相変わらず、シーラの客引きは絶好調だ。
自由な時間を手に入れたゼータは、まずダミアンらの荷馬車の一番近くにある荷馬車へと歩み寄った。幼さの残る少女2人が売り子を務める荷馬車だ。荷馬車の荷台にはてんこ盛りのキャベツと、露店に並べたいくらかの山菜。少女の一人は「キャベツ1個銅貨1枚」との紙札を掲げており、お手頃価格なキャベツは飛ぶように売れている。荷馬車の取っ手側には、少女2人を見守るようにして少年が立っている。少年の腰には鞘に納められた長剣。付近の荷馬車を見渡してみると、売り子2人に護衛1人というのが、荷馬車市定番の人選のようだ。
みるみる小さくなっていくキャベツ山をしばし眺めていたゼータは、次にキャベツ山の横に隠れるようにして座り込んでいる少年2人に目を留めた。目立つ農畜産物を目立つ荷馬車が多い中で、少年2人が売る者は小さなボタンだ。路上に広げられた藍色の風呂敷の上に、数百に及ぶボタンが散らばっている。獣の角を削り上げた滑らかな風合いのボタンから、一つ一つ色合いの違う木製ボタンまで様々。今はまだ客人のいないボタン屋だが、服飾店を営む御仁が荷馬車市へとやってくればあっという間に売り切れ騒ぎだ。
ボタン屋の隣には、一変して人目を惹く荷馬車が置かれている。黒塗りの荷馬車に積まれているのは、たくさんの動物の牙と角。「指輪、小刀、置物、食器。ご自由に加工してください」と書かれた紙が、荷馬車の荷台に堂々と張り付けられている。角屋の隣は菓子屋だ。荷馬車の荷台には6つの平たい木箱が置かれ、木箱の中身はそれぞれ違った種類の菓子で満たされている。煎餅、カステラ、マフィンにドーナッツ。「銅貨1枚均一」と書かれた立て札が憎らしい。甘い香りに誘われて、つい1個手に取ってしまいたくなる安価さだ。なるほど、これは中々面白い市場である。
通りを右往左往するゼータは、その内に一つの荷馬車の前で足を止めた。荷台の上には見栄え良く並べられたハンカチや手拭い。布製の鞄や子ども用のシャツもある。全ての商品に共通するのは、布地が品の良い藍色に染められているという点だ。集落の者達自らが、野生の藍を用いて布地を染め上げるのだろう。ポトスの街の職人街にも藍染を得意とする工房はあるが、花模様、星模様、薄雲模様と工夫が施された荷馬車市の藍染は見事だ。ポトスの街に土産店を構えれば、人だかりができること間違いなしだ。
しかしゼータが目を留めたのは、品よく並べられた藍染の商品ではない。藍染の脇にひっそりと並べられた細やかな宝飾品だ。銀細工の指輪、琥珀玉を携えた髪飾り、黒曜石の首飾り等々見るに楽しい。驚くべきはその全てが「銀貨一枚」という安値で販売されているという点だ。銀貨一枚といえばおよそ弁当1個分の価格。宝飾品の値段としてはいささか安すぎる。
「これ、何でこんなに安いんですか?」
「宝石の品質が良くないんです。銀は純度が低いですし、宝石は屑石ばかりです。でも美しく見えるように加工がしてありますから、普段使いには問題ありませんよ」
ゼータの問いには、にこにこと愛想の良い少年店員が答えた。少年の真後ろには、腰に剣を携えた年長の少女。売り子に護衛という構図は健在である。
「この翡翠も?とても綺麗に見えますけれど」
ゼータが摘み上げたのは、小さな翡翠粒をぶら下げた対の耳飾りだ。太陽の光を受けてきらきらと輝く翡翠粒は、とても屑石とは思えない。皆の忘れるところであるが、ゼータの地位はドラキス王国の王妃だ。宝石に対する興味は薄くとも、人並み以上の目利きはできるようカミラに躾けられているのである。
「この翡翠粒、元は一つの大きな石だったんです。加工過程で割れてしまって、泣く泣く2つの翡翠粒に削り上げたんですよ。よく見ると形が歪でしょう。真っ二つに割れてしまったから、綺麗な楕円にはならなくて」
少年に言われて目を凝らしてみれば、確かに耳飾りの翡翠粒は形が歪だ。片方の翡翠は楕円の一部がへこんでいるし、もう片方の翡翠は楕円というよりも半月の形だ。言われてしまえば確かに屑石なのだろうが、これで銀貨1枚とは破格の値段だ。石の形は悪くとも、翡翠の輝きは本物である。しかし行く当てのわからぬゼータの旅路に、綺麗な宝石は必要ない。
ふと、懐かしい顔が頭を過る。小国ブラキストでの情報収集の後、足を運ぶ予定である神国ジュリの王妃の顔だ。黒の城滞在中に仲を深めた麗しの王妃ダイナ。神国ジュリの王宮で数泊の宿泊を請うことになるだろうから、何かしらの手土産を用意したいところではあったのだ。手持ちの銭を考えればあまり高価な土産は用意できないし、かといって日持ちのしない菓子類を持ち歩くのも不安である。見た目は綺麗だが、屑石という理由で安価な耳飾り。土産としては妥当なところだ。荷馬車市の土産話を披露するきっかけにもなる。
「この翡翠の耳飾り、買います」
「まいど、お買い上げありがとうございます」
ゼータが差し出した銀貨を、少年は両手を差し出して受け取った。包装もされぬままの耳飾りを、ゼータは上着のポケットに仕舞いこむ。
その後荷馬車市を一巡りしたゼータは、ダミアンの依頼をこなすべく基通りを離れた。基通りの東側に位置する日和通りへと立ち入り、昼食の弁当を確保すべく「ひより屋」を探す。そうして行き当てたひより屋で4人分の弁当を購入し、足早に荷馬車市へと戻る。ブラキストの街中には時計がない。昼前には戻るとダミアンに言ったが、今が何時なのか見当も付かないのだ。折角の聞き込みの機会を逃しては不味いと、ゼータは駆け足で荷馬車へと戻る。
「…想像以上の賑わいですねぇ」
リーニャの大通りに負けず劣らずの人波を眺め、ゼータは感嘆の息を吐いた。今ゼータがいる場所は、小国ブラキストの中心部であるブラキストの街中、基通りと呼ばれる通りの一角だ。ブラキストの街の主要通りは格子状だ。南北に延びる通りが7本、東西に延びる通りが9本。それぞれの通りには通りの特色に見合った名前が付けられ、ブラキストの街に住まう者で、この通りの名を覚えていない者は存在しない。
その中でも基通りと呼ばれる通りは、ブラキストの街を南北に貫く大きな通りだ。通りの左右には商店や飲食店が立ち並び、昼夜問わず人通りの多い場所だ。その基通りのあちらこちらに、たくさんの荷馬車が留まっている。数にすれば50を軽く超える荷馬車が犇めき合い、露店に並べた無数の商品を売り捌いているのだ。商品を手に売り子を務める者は、もれなく子ども。狩猟に農耕にと多忙な集落の大人に代わり、子ども達自らが荷馬車を引き、遠方の集落より遥々ブラキストの街へとやって来るのである。一つの集落につき数人の子どもが売り子を務めているから、基通りにいる子どもだけでも相当な数だ。そこに商品を買い求める街の者が集まり、揃いの革鎧を纏った警備人の姿もちらほらと見える。ポトスの街の賑わいとも、リーニャ大通りの喧騒とも、また違った独特の陽気だ。
「荷馬車市は今回で10回目の開催を迎えます。初開催は今から5か月前、その時は荷馬車の数が5台にも及ばない小さな催しだったんですよ。でも今となっては、回数を重ねるたびに荷馬車の数は増えます。ブラキスト内のどこの集落にも、人に物を売るだけの余裕ができたということです。荷馬車市の賑わいは、ブラキストの活気の指標とも言えますね」
そう語る者は、ゼータの隣に立つ長身の少年だ。彼の名はダミアン、シーラへ「大人の事情」を密告した人物である。一足早く大人の仲間入りをするだけに、彼の話す言葉は大の大人に引けを取らぬ。ゼータは年長者と話しているような錯覚すら覚えるのだ。
「ダミアン達の集落は、荷馬車市には初回から参加しているんですか?」
「はい。我々の集落はブラキストの街から比較的近い場所にありますから、荷馬車市開催の伝令も早かったんです。幸い馬も荷馬車も保有しておりましたからね。記念すべき第1回目の荷馬車市から参加させていただいております」
「ダミアンは毎回荷馬車市の引率を?」
「荷馬車市の引率は私の務めです。平和への道を歩み始めたとはいえ、ブラキストの国内にはまだまだ危険な魔獣が出没します。物を売るだけならシーラとベベルで十分ですが、戦士の引率は不可欠なのですよ。金を稼ぐ催しだけに、帰路で物盗りに襲われる可能性も否定はできません」
話し込むゼータとダミアンの横では、シーラが商品を手に客引きを行っていた。「今朝採れたての大根だよ、瑞々しくて甘みがのっているよ」「こっちは手作りの薬草茶、人気の品だから昼前にはなくなっちゃうよ」等々見事な宣伝である。シーラの他にもう一人、売り子としてベベルという名の少女が同行している。赤茶色の髪を三つ編みに結わえた、愛らしい顔つきの少女だ。先日11歳を迎えたばかりの彼女は、荷馬車市の会計担当だ。シーラの宣伝文句に惹かれ商品を買い求める人々から、慣れた手つきで代金を受け取っている。金勘定は得意なようで、釣銭の計算も早い。銭袋に一定の売り上げが溜まれば、それを管理するのはダミアンの仕事だ。ゼータの頭上を遥かに超える長身に、程良く鍛え上げられた体躯。剣を携えたダミアンが持つ銭袋を、奪い去ろうとする命知らずな輩など存在しない。客引きのシーラに、金勘定のベベル、そして護りのダミアン。完璧な連携である。
「ゼータ様。もし宜しければ、他集落の荷馬車を見ていらしては?」
ダミアンがそう提案したのは、シーラが本日3本目となる大根を売り捌いたときだ。極太の大根を、安価で手に入れたご婦人はほくほくと嬉しそうだ。
「良いんですか?」
「構いませんよ。どのみちこの時間帯は、聞き取りには不向きです。開幕直後の荷馬車市を訪れる客人は、目当ての品物がある者ばかりです。皆買い物に夢中ですから、雑談には応じてくれませんよ。お勧めの時間帯は正午前後ですね。散策目的の客人が多くなりますし、国家の要人方がやってくるのもこの時間です。せっかくの機会ですから、それまではどうぞご自由になさってください」
ダミアンに促され辺りを見渡せば、確かに荷馬車市を訪れる客人は皆買い物に夢中だ。露店に並べられた農畜産物を、真剣な顔つきで物色する人々の姿も多い。ブラキストの街で飲食店を営む者が、安価で新鮮な食材を求めて仕入れにやって来たというところか。いずれにせよ売り子も客人も皆せわしなく、気ままな雑談には応じてくれそうにない。だからといって売り子の手伝いをしようにも、シーラとベベルの抜群の連携を邪魔するのは気が引ける。
「それでは少し辺りを見て回ってきます。昼前には戻りますから」
「わかりました。ではお手数ですが、散策の帰りに日和通りで皆の分の弁当を買って来ていただけないでしょうか」
「日和通り?」
「基通りの1本東側に位置する通りです。日和通りと青柳通りの交差する場所に『ひより屋』という弁当屋があって、美味いと評判なんです。一度食べてみたいと思っているのですが、混雑していて買えた試しがないんです。この時間ならまだ空いていると思いますから」
「日和通りのひより屋ですね。わかりました。希望の弁当はありますか?」
「私とシーラは肉料理の多い弁当を、ベベルは果物が入っていると喜びます。代金は後で払いますから」
「お陰様で宿代も飯代も節約させてもらっています。弁当代くらい負担しますよ」
銭袋を取り出そうとするダミアンを押し止め、ゼータはその場を後にする。「じゃが芋3個で銅貨一枚、今日の夕餉は揚げ芋で決まり!」相変わらず、シーラの客引きは絶好調だ。
自由な時間を手に入れたゼータは、まずダミアンらの荷馬車の一番近くにある荷馬車へと歩み寄った。幼さの残る少女2人が売り子を務める荷馬車だ。荷馬車の荷台にはてんこ盛りのキャベツと、露店に並べたいくらかの山菜。少女の一人は「キャベツ1個銅貨1枚」との紙札を掲げており、お手頃価格なキャベツは飛ぶように売れている。荷馬車の取っ手側には、少女2人を見守るようにして少年が立っている。少年の腰には鞘に納められた長剣。付近の荷馬車を見渡してみると、売り子2人に護衛1人というのが、荷馬車市定番の人選のようだ。
みるみる小さくなっていくキャベツ山をしばし眺めていたゼータは、次にキャベツ山の横に隠れるようにして座り込んでいる少年2人に目を留めた。目立つ農畜産物を目立つ荷馬車が多い中で、少年2人が売る者は小さなボタンだ。路上に広げられた藍色の風呂敷の上に、数百に及ぶボタンが散らばっている。獣の角を削り上げた滑らかな風合いのボタンから、一つ一つ色合いの違う木製ボタンまで様々。今はまだ客人のいないボタン屋だが、服飾店を営む御仁が荷馬車市へとやってくればあっという間に売り切れ騒ぎだ。
ボタン屋の隣には、一変して人目を惹く荷馬車が置かれている。黒塗りの荷馬車に積まれているのは、たくさんの動物の牙と角。「指輪、小刀、置物、食器。ご自由に加工してください」と書かれた紙が、荷馬車の荷台に堂々と張り付けられている。角屋の隣は菓子屋だ。荷馬車の荷台には6つの平たい木箱が置かれ、木箱の中身はそれぞれ違った種類の菓子で満たされている。煎餅、カステラ、マフィンにドーナッツ。「銅貨1枚均一」と書かれた立て札が憎らしい。甘い香りに誘われて、つい1個手に取ってしまいたくなる安価さだ。なるほど、これは中々面白い市場である。
通りを右往左往するゼータは、その内に一つの荷馬車の前で足を止めた。荷台の上には見栄え良く並べられたハンカチや手拭い。布製の鞄や子ども用のシャツもある。全ての商品に共通するのは、布地が品の良い藍色に染められているという点だ。集落の者達自らが、野生の藍を用いて布地を染め上げるのだろう。ポトスの街の職人街にも藍染を得意とする工房はあるが、花模様、星模様、薄雲模様と工夫が施された荷馬車市の藍染は見事だ。ポトスの街に土産店を構えれば、人だかりができること間違いなしだ。
しかしゼータが目を留めたのは、品よく並べられた藍染の商品ではない。藍染の脇にひっそりと並べられた細やかな宝飾品だ。銀細工の指輪、琥珀玉を携えた髪飾り、黒曜石の首飾り等々見るに楽しい。驚くべきはその全てが「銀貨一枚」という安値で販売されているという点だ。銀貨一枚といえばおよそ弁当1個分の価格。宝飾品の値段としてはいささか安すぎる。
「これ、何でこんなに安いんですか?」
「宝石の品質が良くないんです。銀は純度が低いですし、宝石は屑石ばかりです。でも美しく見えるように加工がしてありますから、普段使いには問題ありませんよ」
ゼータの問いには、にこにこと愛想の良い少年店員が答えた。少年の真後ろには、腰に剣を携えた年長の少女。売り子に護衛という構図は健在である。
「この翡翠も?とても綺麗に見えますけれど」
ゼータが摘み上げたのは、小さな翡翠粒をぶら下げた対の耳飾りだ。太陽の光を受けてきらきらと輝く翡翠粒は、とても屑石とは思えない。皆の忘れるところであるが、ゼータの地位はドラキス王国の王妃だ。宝石に対する興味は薄くとも、人並み以上の目利きはできるようカミラに躾けられているのである。
「この翡翠粒、元は一つの大きな石だったんです。加工過程で割れてしまって、泣く泣く2つの翡翠粒に削り上げたんですよ。よく見ると形が歪でしょう。真っ二つに割れてしまったから、綺麗な楕円にはならなくて」
少年に言われて目を凝らしてみれば、確かに耳飾りの翡翠粒は形が歪だ。片方の翡翠は楕円の一部がへこんでいるし、もう片方の翡翠は楕円というよりも半月の形だ。言われてしまえば確かに屑石なのだろうが、これで銀貨1枚とは破格の値段だ。石の形は悪くとも、翡翠の輝きは本物である。しかし行く当てのわからぬゼータの旅路に、綺麗な宝石は必要ない。
ふと、懐かしい顔が頭を過る。小国ブラキストでの情報収集の後、足を運ぶ予定である神国ジュリの王妃の顔だ。黒の城滞在中に仲を深めた麗しの王妃ダイナ。神国ジュリの王宮で数泊の宿泊を請うことになるだろうから、何かしらの手土産を用意したいところではあったのだ。手持ちの銭を考えればあまり高価な土産は用意できないし、かといって日持ちのしない菓子類を持ち歩くのも不安である。見た目は綺麗だが、屑石という理由で安価な耳飾り。土産としては妥当なところだ。荷馬車市の土産話を披露するきっかけにもなる。
「この翡翠の耳飾り、買います」
「まいど、お買い上げありがとうございます」
ゼータが差し出した銀貨を、少年は両手を差し出して受け取った。包装もされぬままの耳飾りを、ゼータは上着のポケットに仕舞いこむ。
その後荷馬車市を一巡りしたゼータは、ダミアンの依頼をこなすべく基通りを離れた。基通りの東側に位置する日和通りへと立ち入り、昼食の弁当を確保すべく「ひより屋」を探す。そうして行き当てたひより屋で4人分の弁当を購入し、足早に荷馬車市へと戻る。ブラキストの街中には時計がない。昼前には戻るとダミアンに言ったが、今が何時なのか見当も付かないのだ。折角の聞き込みの機会を逃しては不味いと、ゼータは駆け足で荷馬車へと戻る。
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