【BL】齢1200の龍王と精を吸わないオタ淫魔

三崎こはく

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安らかに眠れ、恐ろしくも美しい緋色の龍よ

湖畔の国リーニャ-2

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 店主の背に続き、立ち入った建物の内部は小綺麗な空間だ。広さは宿屋の一室程度で、余計な調度品が置かれていないためかすっきりと広く見える。待合のための椅子もなく、気分を和ませる花瓶の一つもない。広い部屋の中に、客人が騎獣の預け入れ手続きをするめの木造りのカウンターがある。それだけの空間だ。無垢の壁材には煤一つついてはいないから、相当新しい建物なのだろう。湖畔の国リーニャが観光客で賑わうようになったのは、つい最近のはずだ。大通りの北端にある「馬屋街」という場所自体が、観光客の来訪に合わせ新設された地域なのであろう。石畳の敷かれぬ土の道、真新しい無垢材の建物。味気のない街並みにも納得だ。

 店主はカウンターの内側に立つと、ゼータに向けて真四角のメニュー表を差し出した。鮮やかな色合いの、真新しいメニュー表だ。ゼータはメニュー表の最上部に視線を走らせる。

―基本料金:騎獣一頭につき銀貨10枚(保証料銀貨3枚込み)
―基本料金内サービス内容:獣房(個別、寝藁付き)、餌(朝・夕)、ブラッシング

「基本料金内に、騎獣に不自由がないだけのサービスは含まれているんですよね?」
「もちろんさ。獣房には寝藁をたっぷりと敷いてあるし、餌をけちるような真似はしない。ただ基本料金内で提供できる餌は家畜用の飼料に限られるから、舌の肥えた魔獣であれば追加料金を支払うことをお勧めする。グラニは雑食だから―」

 女性の手が、カウンター台の内側にある紙の資料を忙しく捲る。

「じゃが芋、人参、キャベツ、大根を小さく刻んだ物と、鶏の生肉。一食につき銀貨一枚で、そいつをボウル一杯提供できる。特別に与えて欲しい餌があれば、都度相談には応じるよ」
「そうですか…」

 リーニャを出た後の目的地はまだ定まっていない。行く先によっては数日野宿が続くだろう。ゼータが温かな寝床で身体を休めることはもちろんだが、足となるグラニも食える時に食っておいて損はない。
 ならば基本料金である銀貨7枚に、朝夕の食事を追加し銀貨2枚、合計で銀貨9枚の出費だ。予想外の出費ではあるが、手痛い出費というわけではない。ゼータは笑みを絶やさぬ店主の顔を眺め、それから建物にたった一つある窓の外を眺め見た。建物の裏手側を望む窓だ。磨き上げられたガラス窓の外側には騎獣用の獣房がある。広々とした個別房が、見えるだけで十数。そのほとんど騎獣で埋まっている。丁度夕食時のようで、作業服を着た配膳員が餌入れに餌を流し入れていた。ばけつ一杯の飼料が基本で、騎獣の身体の大きさに合わせて柔軟に量を加減している。追加料金の餌を頼んでいる客人は多いようで、大半の騎獣の餌入れにはボウル一杯の餌が追加されていた。草食獣には瑞々しい青草、肉食獣には新鮮な生肉、雑食獣には細かく刻んだたくさんの野菜、それといくらかの生肉。水入れの水も、配膳の度に入れ替えるようだ。下手をすれば王宮の厩舎以上に、管理が行き届いている。
 ゼータは数度頷き、店主の女性へと視線を戻した。

「ここに決めます。うちの子を宜しくお願いします」
「まいどあり。大切に世話させてもらうよ。悪いが、書類を一枚書いとくれ」

 店主は白い歯を見せて笑い、ゼータの目の前に題名のない一枚の紙を差し出した。名前、居住国名、滞在の目的、滞在宿の名称、預入日数、希望するサービスの内容、その他特筆事項。豪快な筆文字が、白い紙の上に並んでいる。名前の欄にゼータ、居住国名の欄にドラキス王国、滞在の目的欄に観光と書き入れたところで、ゼータははたとペンを止めた。滞在宿はまだ決まっていない。

「すみません。宿泊する御宿をまだ決めていないんですけれど、空欄で良いですか?」
「構わないよ。万が一のための連絡先として、記入してもらっているだけだ」

 滞在宿の名称は空欄のままに、ゼータは記入を続ける。預入日数一拍、希望するサービスの内容は餌の追加が2食分。ペンを置き、書き終えた書類を見直すゼータに向けて、女性店主が顔を寄せる。

「御宿は未定と言ったが、当てはあるのかい」
「いえ。大通りで目についたところに入ろうかと思っています」
「ふぅん、そうかい」

 意味ありげな相槌を打ち、店主はゼータからふいと視線を逸らした。

「これは独り言なんだけどね。大通りの御宿はお勧めしない。サービスの割に値段が割高だ。手頃な値段で泊まろうと思えば、裏通りの御宿がお勧めだね。狙い目は目立つ看板を掲げていながらも、客引きを雇っていない御宿。客引きの人件費も、宿泊料金に含まれるからねぇ」

 ゼータがそろりと視線を上げれば、店主はつんとそっぽを向いていた。情報も立派な商品であるとは、枯草色の少年の一件で学んだばかり。しかし独り言と前置きをしたのだから、この情報に対する対価はいらぬということだろう。ゼータも表立っての謝辞は述べず、軽く頭を下げるに留める。ゼータの会釈を見て、店主はまた白い歯を見せて笑う。

「さて、サービス内容の確認だ。お預かりする騎獣はグラニ一頭。食事は朝夕の2回、それぞれに銀貨一枚分の追加付き。明朝のブラッシングは基本料金内のサービスだ。騎獣を引き取りにくる時間は決まっているかい?」
「今日のうちに用が済めば、朝一で引き取りに来る予定です」
「ならブラッシングは一番乗りで済ませておこうか」

 女性の指先が、書類の右端に文字を連ねる。
―早朝引き取り、ブラッシング最優先

「あとは注意事項だ。まず補償金について。お預かりした補償金銀貨3枚は、通常であれば騎獣の引き取り時に返却する。ただし騎獣が暴れて馬屋の備品を壊したとき、作業員に怪我を負わせたときは、損害回復費用としてこちらで頂くことになる。世話側の不手際という可能性もあるから、余程の惨事でなければ保証金以上の追加料金を頂くことはない」

 なるほど。ただの預かり金と安易に考えていたが、中々良心的な仕組みである。

「騎獣の引き取りは正午が刻限だ。刻限を過ぎた場合には、自動的に連泊扱いとさせてもらう。ただし自動更新は3度まで。4度目の更新までに騎獣を引き取りに来なかった場合には、所有権を放棄したものと見なす。大切な騎獣がどうなろうと、文句は言わないこった」
「実際にいるんですか?騎獣を引き取りに来ない人」
「騎獣を預けたまま死んじまう客が、たまにいる。ベアトラ国王の即位後リーニャ周辺の魔獣討伐は進んだが、それでも街に入って来る魔獣は後を絶たない。特に南部地域には田畑や牧草地が多いから、魔獣が住み着いていてもすぐには気付かないんだ。広大なとうもろこし畑を見に行ったまま帰らなかった、なんて観光客もいるね」
「…それは、気の毒です」

 千年の安寧を保つドラキス王国の国土にも、魔獣は出没する。害のない中型以下の魔獣であることがほとんどだが、年に数度は大型の魔獣が出没し、王宮軍に討伐依頼が舞い込むのだ。伝説と言われる強大な魔獣が突如として出現し、王宮軍総出で討伐に赴くという事態も稀にある。海沿いの街に凶暴なクラーケンが出現し、討伐に赴いた王宮軍に多大なる犠牲者を出したのは、ほんの20年前の出来事だ。いつの時代であっても、どこの場所であっても、人は魔獣と共存する他無いのである。

「確認事項は以上だ。質問がなければ代金の支払いに移らせてもらう。基本料金銀貨7枚、保証金銀貨3枚、それに追加の餌代で銀貨2枚。占めて銀貨12枚のお支払だ」
「支払いは、金貨でも良いですか?」
「もちろん」

 ゼータは上着の内ポケットに手を差し入れ、革の小袋を取り出した。革紐を解き、取り出した一枚の金貨をカウンターの真ん中に置く。輝く金貨を摘み上げた店主は、竜の模様が彫り込まれた金貨に眺め入る。流石ドラキス王国産、見事な金貨だ。店主の唇からは感嘆の息が漏れる。
 間もなくして店主はカウンターの内側に金貨を仕舞いこみ、代わりに釣りの銀貨を取り出した。ゼータの差し出した金貨には程遠い、鈍い輝きを放つ銀貨だ。十数の銀貨が、じゃらじゃらと音を立ててカウンターに落ちる。

「旧バルトリア王国産の銀貨は質が悪くてさ。リーニャで使用する分には不都合はないが、ドラキス王国に持ち帰るのはお勧めしないよ。土産でも買って使い切ってくれ」
「わかりました」

 ゼータは転がる銀貨を指先でつまみ、革袋の中に仕舞い入れた。十数の銀貨を仕舞い入れた革袋はずしりと重たい。店主の助言通り、リーニャ滞在中に積極的に使うのが吉だ。すっかり膨らんだ革袋を上着の内ポケットに仕舞い込み、ゼータは店主に向かって頭を下げた。

「じゃあグラニを宜しくお願いします」
「あいよ、任せとくれ。良い旅を」

 良い旅を。店主の言葉を反芻しながら、ゼータは無垢材の建物を出た。
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