【BL】齢1200の龍王と精を吸わないオタ淫魔

三崎こはく

文字の大きさ
上 下
202 / 318
安らかに眠れ、恐ろしくも美しい緋色の龍よ

湖畔の国リーニャ-1

しおりを挟む
 初日の道中はすこぶる順調。グラニに跨ったゼータは、その日の夕刻には最初の目的地である湖畔の国リーニャへと辿り着いた。
 リーニャはその呼び名の通り、巨大な三日月湖の湖畔に位置する国家だ。水資源に恵まれていることから農畜産物の生産が盛んで、旧バルトリア王国自体から国家随一の繁栄を極めていた土地である。ゼータは湖畔の国リーニャの土地を、過去に2度訪れている。1度はフィビアスの即位式に向かう道中、黒の城に関する情報を集めるために、レイバックと2人リーニャへと立ち寄った。2度目はバルトリア王国崩壊後、湖畔の国リーニャの建国式兼国王の即位式へと参列したときのことだ。メリオンが任命した初代国王の名はベアトラ、かつて北部首長として湖畔の街リーニャを治めていた男である。首長時代から敏腕たる統治を築き、荒れ果てたバルトリア王国の国土の中でリーニャが安寧を築いたには、彼の力によるところが大きい。もう一人、南部首長であったシシカという男は、引き続き首長の座に就きリーニャの南部地域の統治に当たっている。ベアトラとシシカ。2人の有能な統治者がいるお陰で、リーニャが一つの小国に姿を変えた後も、人々は変わらず平穏な暮らしを保っているのだ。最近ではドラキス王国内の道の整備も進み、ポトスの街からの移住者や観光客も多い土地である。

 街の入口でグラニを降り、ゼータは湖畔の国リーニャの大通りへと立ち入った。ベアトラ国王の即位式の折には、日程が詰まっていたことから気ままな街中散策は楽しんでいない。ゼータがリーニャの大通りへと立ち入るのは、フィビアスの即位式に向かう道中以来のことだ。年月で言えばおよそ1年振り。たった1年でリーニャの内政は大きく変わったが、下町の街並みは何ら変化がない。石畳の大通りには飲食店、服飾店、文具店など数々の店が立ち並ぶ。一般の家屋も多い。建物は石造りの物が多く、中には木造も混じり、色も鮮やかに塗られたものから塗装の禿げたものまで様々だ。建物の高さも大きさもばらばらで、赤と白で統一されたポトスの街並みに比べればまるで秩序がない。

 1年前とおよそ変わらぬ街並みであるが、目を凝らして大通りを眺め入れば、いくつかの変化があることに気付く。まず石畳に座り込む浮浪者の姿がないのだ。かつてリーニャの大通りには、襤褸切れを纏った人々が置物のように座り込んでいた。死体が包まっていると思しき布の塊も置かれていた。彼らは元々のリーニャの住人ではなく、どこか別の土地から逃げていた者達である。死を待つだけの集落を捨て、僅かな希望を求めてリーニャへと辿り着き、しかし金と仕事がなければ生きることなどできやしない。そうして喧騒の隅に身を横たえ、やがて訪れる死を待っていた。
 今リーニャの大通りの隅に浮浪者の姿はなく、代わりに真新しい花壇が整備されていた。赤、白、黄色、桃色と鮮やかに咲き誇る花々。花壇傍には道行く人々が捨てたと思われるゴミも多いが、揃いの作業服を纏った掃除人の姿がそこかしこに伺える。今はまだ雑多とした印象の強い街並みであるが、時が経てばポトスの街にも劣らぬ美しい街となることだろう。

 グラニの手綱を引き大通りを歩いていたゼータであるが、ふとした瞬間に歩みを止める。日暮れ時の今、リーニャの中心地である大通りに人通りは多い。旅人や観光客と思しき身なりの者も頻繁に見かける。しかし不思議なことに、騎獣を連れた人は誰一人としていないのだ。ドラキス王国からリーニャを目指すにしても、その他の小国からリーニャを目指すにしても、騎獣に頼らずしてこの地に辿り着くことは不可能だ。ポトスの街中の馬車留まりのように、騎獣を繋いでおくための施設があるのだろうか。ゼータは大通りの片隅に立ち、きょろきょろと辺りを見渡す。

「お兄さん、騎獣を停めるならあっちだよ」

 甲高い声を聞き、ゼータは振り返る。少年が立っていた。年の頃で言えば10と少し、半袖に短パンといういかにも子供らしげな服装の少年だ。日に焼けた頬に土の付いた膝小僧。衣服から伸びた腕脚は細いが、不健康に痩せているというほどではない。枯草色の髪に、真ん丸の瞳が愛らしい。

「ドラキス王国から来たんでしょう。よく慣らされた騎獣だもの。大通りの北端に馬屋がある。お金を払えば騎獣を預かってもらえるよ。馬屋によってサービスが異なるから、好みの店を探すと良い」

 少年は、大通りの先を指さした。ゼータは首を伸ばして少年の指の先を見やるが、人混みの向こうにそれらしき店は見受けられない。今ゼータの歩く場所は大通りの中腹地点であるはずだから、北端を目指すのならば少し歩かねばならない。

「馬屋はかなりの数があるんですか?」
「小さな馬屋も含めれば、20はあるよ」
「馬屋の選び方は?」
「大きな馬屋は値段が安くてサービスは均一。小さな馬屋は、値段は高いけどサービスは充実しているよ。珍しい騎獣やあまり慣らされていない騎獣を連れているのなら、小さな馬屋がお勧めだね」
「グラニは、この国では珍しい騎獣ですか?」
「あまり見掛けないかなぁ。でも希少というほどではないし、よく慣らされているなら大きな馬屋で十分だと思うよ。大きな馬屋だって、サービスが悪いわけじゃないからね」

 ゼータの問いに対し、少年の答えは淀みない。リーニャを訪れた観光客が、馬屋について尋ねることはよくあるのだろう。先ほどのゼータのように、馬屋の存在を知らず困り果てる観光客も多いのかもしれない。良い情報を得たと、ゼータは少年に向かって軽く頭を下げる。

「ありがとうございます。助かりました」
「情報量、銀貨一枚だよ」

 少年は、小さな手のひらを差し出した。意外な要求に面食らうゼータであるが、少年はあどけない笑みを絶やさない。なるほど、これが彼の商売か。ゼータは上着のポケットをまさぐり、探し当てた銀貨の一枚を少年の手のひらに載せる。

「まいど。良い旅を」

 銀貨を手のひらに握り締め、少年は風のように駆けて行った。ゼータはグラニの手綱を握り締めたまま、少年の行く先を追う。小さな背中が駆け込んだのは、大通りの一角にある食堂だ。「酒・定食」と書かれた藍色ののれんを下げている。まだ夕食を取るには少し早い時間だから、ガラス窓の向こうの店内は閑散としている。厨房と思われる場所では、藍色のエプロンをした女性が火にかけた鍋を掻き回している。夕食時の来客に向けて、仕込みの真っ最中というところか。

 ガラス窓の向こうの店内に、枯草色の少年が現れた。厨房の女性と二言三言言葉を交わし、こんろの傍に置かれた壺の真上に手のひらを翳す。銀色の物体が、少年の手の中から滑り落ちる。それはぜゼータの手渡した銀貨だ。銀貨を手放した少年はまた二言三言厨房の女性と言葉を交わし、格子戸を引き開け大通りと歩み出る。
 慣れた調子で通りのあちこちを見回す少年は、すぐに次の客人を見つけたようだ。観光雑誌を手に立ち止まっていた、2人組の観光客。「お姉さん達、何をお探し?…飲み屋かぁ。この時間だとまだ目ぼしい所は開いていないよ。1時間くらい時間を潰したら良いんじゃない。…そうだね、通りの南側の時計台はどうだろう。白い建物だから、夕陽に映えると評判だよ」少年の高い声が、ゼータの耳に届く。
 程無くして2人組の観光客は大通りの南へと足を向け、少年は藍色ののれんへと駆けこんだ。観光客から受け取った銀貨を、壺の中に収めに行くのだ。ゼータが少年と言葉を交わしてからまだ5分と経っていない。僅か5分足らずの間に、少年は銀貨2枚を稼ぎ出したのだ。大人顔負けの荒稼ぎぶりである。稼ぎをその都度壺に入れに行くのは、大金を持ち歩けば盗人に狙われる危険性があるからだろう。

 少年の生業に合点がいったところで、ゼータは大通りの北側へと歩みを向けた。日暮れを間近に控えた今、通りには御宿の客引きが目立つ。一泊二食付きで金貨2枚、残室一部屋お安くしておくよ。飛び交う客引きの声を聞きながら、今夜の宿はどうしよう、とゼータは考える。行く先のわからぬ旅路、4か月丸々野宿は覚悟の上だ。しかし折角賑やかな街に立ち入ったのだから、せめて屋根壁のあるところで眠りたい。そうは思いながらも、客引きの誘いに乗る気は起きぬ。1泊2食で金貨2枚というのは、どう考えても高すぎるのだ。ポトスの街の民宿ならば、金貨1枚で2泊はできる。

 歩くうちに、声高な客引きの声は聞こえなくなった。同時に通りを歩く人の姿も減り、騎獣を連れて歩いても人と肩がぶつかることはない。石畳は途切れ、歩く地面は土の道。道幅はいくらか狭くなり、通りの両側にある建物も平屋ばかりだ。それも色味のない無垢材の平屋ばかりで、整った印象は受けるがどこか味気ない。客引きや呼び込みの姿も見受けられないから、大通りの一角であるはずなのに酷く寂しい印象を受ける。ここが枯草色の少年が言った「大通りの北端」だ。
 賑やかな人の声に代わり、辺りに響くは獣の鳴き声、唸り声だ。独特の獣臭さが肺を満たす。平屋の建物の玄関口には、必ずと言って良いほど「馬屋」の看板が掲げられている。リーニャ最安値、充実のサービスをご提供、御宿までの送迎付き。様々な文句を謡う看板を見ても、どこの馬屋を選べば良いのかはさっぱりわからない。

 人通りの少ない馬屋街を2往復した後に、ゼータは「観光雑誌掲載中」との看板が掲げられた馬屋を選んだ。看板の文句に心惹かれたわけではなく、たまたま馬屋の店主が店先を掃除しているところだったのだ。知らぬ店に立ち入ることは勇気がいるが、店先の店主に話しかけるのならば簡単だ。雑談交じりに料金やサービス内容を聞き出し、好みに合わなければ「さよなら」と立ち去れば良い。姑息な手段である。

「すみません。騎獣を預けたいんですけれど、馬屋に空きはありますか?」

 ゼータが声を掛けると、店主は箒を掛ける手を止めた。背の高い、女性の店主だ。

「空きならあるよ。うちの利用は初めてかい?」

 恐らくは巨人族の血が混じっているのだろう。女性の背丈はゼータの頭上を遥かに超え、店の鴨居に届きそうだ。しかし体格が良いという印象はなく、どちらかと言うと細身の部類。マーメイドラインのドレスを着れば、さぞかし美しく映えることだろう。頭頂で一つに括られた、青銅色の髪が印象的だ。

「初めてです。料金は一泊いくらくらいですか?」
「基本料金は一泊銀貨7枚だ。これとは別に保証料として銀貨3枚を頂くが、騎獣の暴走による物損等がなければ騎獣の引き渡し時に返却する」
「銀貨7枚…というのは、相場ですか?」

 ゼータが尋ねると、女性店主はからからと笑い声を立てた。

「そうだね、相場くらいじゃないかい。安さを求めるのなら、通りを進めば銀貨5枚という馬屋がちらほらある。しかし値段が安ければ当然サービスの質は落ちる。騎獣のことを考えるならあまりお勧めはしないね。大切な騎獣なら尚更だ」

 女性の目は、手綱の先にいるグラニの姿を見据えた。よく手入れされた銀毛並に、使い込まれた革の鞍。誰の目に見ても、大切にされている騎獣であるとわかるだろう。騎獣のためと言われてしまえば、これ以上安値な馬屋を利用することは躊躇われる。だからと言って不必要に高額な馬屋を利用するのは金の無駄だし、他の馬屋を見ずにこの場所に決めてしまうというのも安易だ。いかんせんと唸るゼータに向けて、女性はやはりからからと人の良い笑みを向ける。

「決めかねるなら、話だけでも聞いて行くかい。中に入れば料金表があるから、希望のサービスに合わせた具体的な料金を提示できるよ」
「…そうですね。じゃあ話だけでも」
「はいよ。騎獣は入り口脇の手すりに繋いでおくれ」

 女性の指さす方を見れば、確かに建物の出入り口の脇には鉄製の手すりが備えられていた。ゼータによく懐いているグラニは、手綱を結ばずとも逃げ出すことはない。しかし店主が指示するのならば致し方ないと、ゼータは言われた通り鉄製の手すりに手綱の端を結ぶ。少し待っていてくれ、とグラニの背を軽く叩く。
しおりを挟む
感想 12

あなたにおすすめの小説

前世が俺の友人で、いまだに俺のことが好きだって本当ですか

Bee
BL
半年前に別れた元恋人だった男の結婚式で、ユウジはそこではじめて二股をかけられていたことを知る。8年も一緒にいた相手に裏切られていたことを知り、ショックを受けたユウジは式場を飛び出してしまう。 無我夢中で車を走らせて、気がつくとユウジは見知らぬ場所にいることに気がつく。そこはまるで天国のようで、そばには7年前に死んだ友人の黒木が。黒木はユウジのことが好きだったと言い出して―― 最初は主人公が別れた男の結婚式に参加しているところから始まります。 死んだ友人との再会と、その友人の生まれ変わりと思われる青年との出会いへと話が続きます。 生まれ変わり(?)21歳大学生×きれいめな48歳おっさんの話です。 ※軽い性的表現あり 短編から長編に変更しています

悩める文官のひとりごと

きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。 そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。 エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。 ムーンライト様にも掲載しております。 

【完結】悪役令息の役目は終わりました

谷絵 ちぐり
BL
悪役令息の役目は終わりました。 断罪された令息のその後のお話。 ※全四話+後日談

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

侯爵令息セドリックの憂鬱な日

めちゅう
BL
 第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける——— ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。

僕はお別れしたつもりでした

まと
BL
遠距離恋愛中だった恋人との関係が自然消滅した。どこか心にぽっかりと穴が空いたまま毎日を過ごしていた藍(あい)。大晦日の夜、寂しがり屋の親友と二人で年越しを楽しむことになり、ハメを外して酔いつぶれてしまう。目が覚めたら「ここどこ」状態!! 親友と仲良すぎな主人公と、別れたはずの恋人とのお話。 ⚠️趣味で書いておりますので、誤字脱字のご報告や、世界観に対する批判コメントはご遠慮します。そういったコメントにはお返しできませんので宜しくお願いします。 大晦日あたりに出そうと思ったお話です。

婚約破棄を望みます

みけねこ
BL
幼い頃出会った彼の『婚約者』には姉上がなるはずだったのに。もう諸々と隠せません。

【完結】オーロラ魔法士と第3王子

N2O
BL
全16話 ※2022.2.18 完結しました。ありがとうございました。 ※2023.11.18 文章を整えました。 辺境伯爵家次男のリーシュ・ギデオン(16)が、突然第3王子のラファド・ミファエル(18)の専属魔法士に任命された。 「なんで、僕?」 一人狼第3王子×黒髪美人魔法士 設定はふんわりです。 小説を書くのは初めてなので、何卒ご容赦ください。 嫌な人が出てこない、ふわふわハッピーエンドを書きたくて始めました。 感想聞かせていただけると大変嬉しいです。 表紙絵 ⇨ キラクニ 様 X(@kirakunibl)

処理中です...