【BL】齢1200の龍王と精を吸わないオタ淫魔

三崎こはく

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十字架、銀弾、濡羽のはおり

後日談:死生観

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 ポトス城に存する王宮軍、その総勢は70名。主な仕事は国内に現れた魔獣の盗伐と、ポトスの街の治安維持、国内で起きた種族間紛争の鎮圧などである。他にも国内要所を繋ぐ道の点検や、遠方集落の治安状態を把握するための定期的な訪問も、王宮軍の重要な任務である。魔獣との戦闘を前提にした任務が大半となる王宮軍は、その全員が魔族である。種族は様々だが、身体が丈夫で戦闘に長ける者の多い獣人族、竜族、巨人族の割合が高い。
 しかしその魔族ばかりの王宮軍に、およそ2か月前に2人の人間が配属される事となった。魔法が使えず身体の作りも弱い人間が王宮軍に入隊することは、王宮軍設立以降初めてのことだ。その2人の人間は兄弟で、19歳の兄と17歳の弟である。両名とも剣技に長け、魔法で肉体を強化した魔族の兵士とも互角に打ち合う実力を持つ。時折兵士の訓練場を訪れていたレイバックがこの兄弟に目を留め、自ら技の指南を行うほどの腕前だった。
 そしてこの度は、兄弟の初めての遠征となる。

 均されたばかりの土の道を、10名の王宮軍が歩く。この道は旧バルトリア王国へと続く道だ。バルトリア王国が解体し後にできた小国との国交が開始したために、ほんの1か月ほど前に整備されたばかりの道である。整備された道はまだ国境に届くことはなく、あと1時間も進めば歩く道は獣道となるだろう。
 今回の王宮軍の任務は、道の整備状況の確認と付近に蔓延る魔獣の盗伐だ。バルトリア王国時代にはほとんど人の往来のなかった道、いまだに凶暴な魔獣が数多く生息する。乗ってきた馬を安全な場所に停めた兵士は、こうして均されたばかりの道をゆっくりと歩く。馬で乗っていたのでは魔獣はあまり寄ってはこない。あえて徒歩での移動を選び、寄ってきた魔獣を片端から始末するのだ。とはいえこの道を歩くのは、道の整備前も含めるともう3度目の事。凶暴な魔獣はあらかた始末を終えており、道を歩く兵士の顔にも余裕が浮かぶ。

「道の点検に赴く時には、いつもこれほどの人数なのですか?」

 今回初めて遠征に赴いた、人間の兄弟の兄が聞いた。名はソウジ、腰には鋭く尖れた刀が下がる。

「旧バルトリア王国に続く道の点検で言えば、今回は少人数だ。獣道になる手前で折り返す予定だからな。次回はその先の獣道を進むことになるから、もう少し人数は増えるだろう。20名ほどだろうか」

 答える者は、ソウジの横に並ぶレイバックである。腰にはソウジと同じ長剣が下がる。2人のすぐ後ろには、ソウジの弟であるジーヤが張り付き、会話に耳を澄ませていた。

「でしたら次回は、戦闘の回数はかなり増えますか」
「増えるだろうな。この道を整備前に進んだ時には、1時間に5,6体の魔獣と遭遇した。幸いにも群れとの遭遇はなかったが、時には数十体の魔獣の群れと鉢合わせることもある」
「群れが相手となると、死者が出るものでしょうか」
「死者を出さぬよう隊列を組む。今回は慣れた道だから皆緩み切っているがな。次回の遠征に参加することになるなら、事前に隊列の訓練も行われるはずだ」
「王は、次回の遠征も参加されますか」
「参加することになるだろう。旧バルトリア王国国土に近づけば、飛行獣との遭遇率も高くなる。空飛ぶ相手と戦うことは、訓練された兵士でも易くない」

 国内最高戦力であるレイバックが王宮軍に同行するのは、兵士では手に負えぬ魔獣との遭遇率が高いと判断される時のみである。今回は均された道のみの点検だから、本来なら同行の必要はない。しかし手に掛けた兄弟の初遠征に同行したいと、レイバック自身が同行を願い出たのである。レイバックと気安い関係を築く兵士がこの申し出を断ることなど当然なく、彼を師と崇める兄弟もレイバックの同行を喜んで受け入れた。

「今回は剣隊ばかりでの遠征だが、次回は他の隊からの参加も多くなる。半数は魔法隊からになるのではないか。この辺りは、強力な魔法を使う魔獣が数多く生息するんだ」

 レイバックの説明に、横に並ぶソウジは黙って頷く。
 総勢70名の王宮軍は、さらに細かく5つの隊に分類される。剣技に長ける「剣隊」、魔法に長ける「魔法隊」、対人相手の肉弾戦に長ける「体術隊」、屈強な身体を持ち攻撃の盾となることができる「防御隊」、その他隠密や長距離の移動に長けた「補助隊」である。体術隊はポトスの街中の治安維持にあたる事が多く、それ以外の隊は今回のような国内の遠征に赴く事が多い。遠征の目的や盗伐する魔獣の種類により、どの隊から何名の兵士が派遣されるかはその都度変わる。極力怪我人がや死人が出ぬようにと、団長であるデューゴの判断で隊列が組まれるのだ。

 長い事2人の会話に耳を澄ませていた弟ジーヤが、レイバックの横に躍り出た。まだ幼さの残る17歳の少年、彼の腰にも真新しい長剣が下がる。

「魔族には治癒魔法の使い手もおりますよね。彼らが遠征に同行することはないのですか?」
「ない。治癒魔法の使い手は国内でも貴重だからな。たとえ国のための遠征とは言え、彼らの身を危険に晒す事はできない」
「しかし治癒魔法の使い手が遠征に同行し、近くの安全な地に身を置いてもらうだけでも、兵士の死傷は減りますよね。次回の遠征が危険なものとなるのなら、そうした判断がくだされることはないのでしょうか」

 ジーヤの問いにレイバックは考え込む。少年の疑問は尤もである。危険な遠征と言えども、旅路のすべてが危険というわけではない。治癒魔法の使い手に同行を頼めば、ジーヤの言葉通り兵士の死傷は減るだろう。もちろんそれをしない理由はあるのだが、その理由を言葉にすることは難しい。近くを歩く何名かの兵士も、ジーヤの疑問とそれに対するレイバックの答えに耳を澄ませていた。

「治癒を行う事が必ずしも良いことだとは限らない。傷を負う事への恐れがなくなれば、兵士の気の緩みに繋がる。魔法で傷を癒すことはできても、死者を蘇生することはできないからな。それに魔法とて無限ではない。治癒魔法の存在がいらぬ怪我を増やす事となれば、逆に死者を増やしかねない」
「それは、ごもっともです。しかし魔法があれば助かる命もありましょう」
「魔法がなければ助からぬ命なら、それはもう尽きた命だ」

 毅然と返されるレイバックの答えに、ジーヤの表情に戸惑いが生まれる。ソウジも同様だ。

「死傷者を出さぬよう最善を尽くす。魔法管理部で過去の対魔獣戦績は全て管理し、それを元にどのような魔獣が相手でも対応できるよう隊列を組む。次回は十二種族長兼任の兵士も同行することになるだろう。そこまでしても運が悪ければ数多の死傷者が出る。しかし治癒魔法があれば助かったのに、というのは単なる責任転嫁だ。悔いるべきところは他にあるはずだ」
「しかし最善を尽くすという事で言えば、使える手段を使わぬというのはいかがなものでしょうか」

 間髪入れず繰り返されるジーヤの問いに、近くを歩く兵士の顔が張り詰める。今は兵士のなりをしているとはいえ、ジーヤが無遠慮に言葉を掛ける相手はこの国の王である。治癒魔法は必要ないとする王の判断に、ジーヤは真っ向から反論しているのだ。レイバックの隣を歩く兄のソウジも緊張の面持ちだ。しかし当のレイバックはジーヤの言葉を無礼とは感じていないようで、顎に手を当てて返す言葉を探している。

「…例えば俺が死に至るほどの傷を負ったとする。少し道を戻れば、そこには治癒魔法の使い手がいる。しかし俺は道を戻らないだろう。連れて戻ってくれと他者に懇願することもしない」

 独り言のようにぽつりぽつりと吐き出されるレイバックの言葉に、ソウジとジーヤは首を傾げた。レイバックは歩みを進めながら、次の言葉を探す。

「このまま捨て置けと言うだろう。『傷の治癒などしなくて良い、俺を置いて先に進め』と。そうだろう?」

 レイバックが同意を求める先は、近くを歩く兵士である。3人の兵士が順に頷く。ええ、私もそうします。理解の及ばぬ同意に、ソウジとジーヤは狼狽える。

「助かる命を捨てるのですか?」
「捨てるという表現に違和感はあるが、そうだろうな。そこで途切れる命ならそれで良い」
「なぜ?生き延びようとは思いませんか」
「思わんな。そこまで生に執着する理由もない」

 さも当然のように返される答えに、やはりソウジとジーヤは納得ができぬという面持ちである。しかしジーヤとの問答を繰り返すうちに、レイバックはこの人間の兄弟の死生観に理解を及ばせた。

「人間は死に際を大事にするな。命の続く限り生きようとする。短い命なのだから当たり前だ」

 人間の寿命は長くても70年ほどだ。その通りだと兄弟は頷く。

「しかし魔族は短くても数百年、長ければ数千年という時を生きる。身体は丈夫だし多少の怪我なら自力での治癒が可能だ。病気にかかる事もほとんどない」
「はい、存じております」
「人間のように命の続く限り生きようとするならば、魔族の中には永遠に近い時を刻む者もいるだろう。しかしどんなに長命の魔族でも、その寿命は三千年程度だと言われている。この理由がわかるか?」
「…まさか自ら命を絶つのですか」
「自死をするわけではないが近しいな。自らの命の引き際を決め、それにふさわしい死に場所を探すんだ」

 死に触れる話題であるにも関わらず、レイバックの口調は穏やかだ。兄弟はレイバックを挟み、顔を見合わせる。

「悪魔族長のザトがわかるか?白髪で強面の男だ」
「ええ。話したことはありませんが、何度か顔を拝見したことはあります」

 答えたのは兄のソウジだ。

「彼は元々、死に場所を求めてこの国に来た。俺が旧アダルフィン王を討った直後の事だ。当時のザトは俺からすれば悪魔のように強かったが、本人は力の衰えを感じていたらしい。やがて戦えなくなり無様な死を迎えるくらいなら、まだ力のあるうちに果てたいと、当時荒国であった旧ジルバード王国まではるばるやって来たんだ」

 レイバックの記憶はおよそ1000年の時を遡る。忘れもしない、あれはレイバックが旧アダルフィン王の首を獲った4日後の夕刻の事であった。当時のジルバード城で城下の有力者達とともに、国の施策の方針を議論していた最中の事である。まだ血の跡の残るジルバード城に、一人の白髪交じりの男がやってきた。旅人の装いの初老の男は、暴虐の王と名高いアダルフィン王が討たれた事に茫然としていた。
 話を聞くうちに、レイバックはその初老の男が自らの力に衰えを感じ、死に場所を求めてジルバード王国までやってきたことを知る。暴王と名高いアダルフィン王に戦いを挑み、派手に散るつもりだったという事も。レイバックはその男の知と力を見込みこう提案する。

-この国に平穏が訪れるまで力を貸してくれ。暴政に疲弊した民を一刻も早く救いたい。無事国が安寧を築いた暁には、俺が貴方にふさわしい死に場所を与えよう

ザトと名乗る男はこの申し出を受け入れ、レイバックの家臣に下る。

それから1029年の時が経ち、ザトはいまだドラキス王国の重鎮として国のために尽力している。死に場所を求めてやってきたはずの男は、レイバックの元で新たな生を見つけたのだ。

「ザトのように力のピークを越えた者が、自らの命に終止符を打つ事は多い。今まで勝てていた相手に勝てなくなった、使えていた魔法が使えなくなった。ふとした拍子に力の衰えを感じ、そして命の終わりを考えるようになる。逆に言えばそのきっかけを逃すと、心安らかな死を逃すことにもなりかねない。力の衰えに絶望を感じながら永遠に近い時を刻む。俺達には、死よりもそちらの方が恐ろしい」

 聡い兄弟は、レイバックの言葉を心の内に落とし込んだようであった。共感はできぬが理解はできる、と。

「長くなったがジーヤの問いに対する答えだな。なぜ助かるはずの命を捨てるのか。それが俺たちにとっては最も安らかな死だからだ。力の及ばぬ魔獣に相対し、壮絶な戦いの果てに命を落とす。これ以上穏やかとも言うべき死に際が他にあるだろうか」
「しかし戦闘で命を落とすという事は、遺体を捨て置かれることもありましょう。そのまま魔獣に喰われることだってある。ともすればまだ生がありながらも、痛みの最中に仲間に見限られることも。それはつらい事ではありませんか?」

 ジーヤの悲痛の問いにレイバックが答えるよりも先に、先頭を歩く兵士の間から声が上がった。ソウジとジーヤを呼ぶ声だ。3人は会話を切り、短い隊列の先頭に向かう。

 均された道の端に、一人の男が事切れていた。手には剣を持ち、鋭い爪で腹を裂かれた跡がある。遺体の傍には銀色の毛が散らばっているところを見るに、魔獣に襲われ命を落としたのだろう。旅人の装いの男がドラキス王国からやってきた者なのか、旧バルトリア王国の国土からやってきた者なのか、はたまたそれ以外の遠い土地からやってきた者なのかはわからない。死後数日と思われるその遺体からは、鼻をつく異臭が漂い始めていた。

「ソウジ、ジーヤ。死者を弔ったことはあるか」

 腐臭に鼻を覆う兄弟に問うた者は、列の先頭を歩いていた竜族の男である。王宮軍団長のデューゴから、この遠征の頭を託された男だ。

「…家族を看取った事はあります。しかし弔うというのは?」

 答えた者は兄のソウジである。初めて見る腐乱死体に、ソウジの額には汗の粒がにじむ。ポトスの街に暮らしていれば、遺体は死後すぐに土に埋められる。肉が腐、り溶け落ちてゆく様を見る事などまずありえない。恐れおののく兄弟の元に、場を離れていた3人の兵士が戻ってきた。彼らの両手のひらには山盛りの土がのせられている。遺体の傍に膝をついた3人の兵士は、腐りかけた身体のあちこちにその土をかけた。

「これが弔いだ。街や集落以外の場所で遺体を見つけたら、手のひら一杯の土をかける。人間の間では馴染みのない習慣だろうが、魔族であれば子どもでもそうする」
「なぜ土を?花を手向けるならわかりますが」
「花は枯れて終わりだろう。土は死体を喰い荒らす魔獣から遺体を守り、肉と骨が大地に還るのを早めることができる。臭いも抑えられるしな」

 なるほどと頷いたソウジとジーヤは、近くの繁みに入り手のひら一杯の土を持ってきた。遺体の頭から乾いた土をかける。手に付いた土を払い落とすソウジとジーヤに、彼らの挙動を見守っていた竜族の男は言う。

「土をかけたら、銭や武器がないか遺体の懐を探るんだ」

 遺体から物を盗め。王宮軍にあるまじき行為を促され、兄弟の瞳が大きく見開かれる。

「…なぜですか?」
「土に還らない物は弔った者が拾う。これも弔いの一環だ。銭や武器が残っていたら、鳥や動物が飲み込むこともあって危険なんだ。拾った物は自分で使ってもいいし、街に戻って売り払っても良い」

 先に遺体に土を掛けた3人の兵士が、遺体の前身頃をはだけさせていた。内ポケットに入っていた皮の袋を引っ張り出す。じゃらりと重たい音が鳴るそれは、どうやら財布のようだ。財布を探り当てた兵士が、その薄汚れた財布をソウジへと投げた。両手のひらで財布を受け止めたソウジは、小さな皮財布に詰まる命の重みに足元をよろめかせる。

「指輪を付けている。ジーヤ、取らないか?」

 遺体の懐を漁っていた兵士の1人が言った。その顔に浮かぶのは笑みだ。とても死者を前にした表情とは思えない。言葉を向けられたジーヤは、慌てて首を横に振った。死の直後ならまだしも、腐りかけた遺体の指先から指輪を抜き取る事などできるはずがない。ジーヤの次に視線を向けられたソウジも、同じように首を横に振る。
 そうか、と頷いた兵士は、遺体の指先から金の指輪を抜いた。異臭を放つ体液が指先につく事を気にも留めない。引き抜かれた指輪は、ジーヤの胸元に投げられる。
 遺品を手に茫然と佇むソウジとジーヤの前で、兵士が次々と遺体に土を掛けた。兵士の最後にはレイバックが遺体の頭頂に土をかけ、10人分の弔いを受けた遺体は身体の半分が土に隠れる。弔いを終えた兵士は、魔獣討伐の歩みを再開する。彼らの口から零れるものは談笑。腐乱死体に出くわした直後とは思えない、いつも通りの様子だ。立ち尽くすソウジとジーヤの肩を、レイバックの手が叩いた。弾かれるように兄弟は歩き出す。
 
 列の最後尾についた3人は、先ほどと同様レイバックを中心に横並びで歩く。無言のままの時が過ぎたが、やがて口を開いた者はジーヤであった。その手には、土と体液に汚れた金の指輪が握られたままだ。

「あの遺体は、私の目には哀れとしか映りませんでした。魔獣に襲われ、ただ一人朽ち果てた者。しかし魔族の目から見れば彼は幸せなのでしょうか」
「そうだな、望む死に方だ。敵わぬ敵に敗れ命尽きる。遺体は弔われ、遺品は生者に持ち帰られた。老体のようだったから、彼もそうなることを望んであえてこの危険な道を通ったのだろう」

 黙り込むソウジとジーヤに、レイバックはぽつりぽつりと言葉を投げた。
 魔族は看取られることを好まない。死の瞬間は一人であることを望む。長く生きた者とてやはり未知の死は怖い。生へのあさましい執着の言葉を人に聞かれたくはないし、死の瞬間の苦痛に歪む表情を見られたくはない。だから仲間の兵士が助からぬ傷を負った時には、下手な手当などせずに早急にその場から離れるのが礼儀だ。そしてその者が死に絶えた頃を見計らって場に戻り、身体に土をかける。遺体を連れ帰る事はしない。せいぜい遺品を持ち帰る程度だ。死した後の姿を大勢に晒したい者などいない。
 ポトスの街に魔族の墓は少ない。身体が老い死期を感じた者は皆、街を離れるからだ。慣れた街を離れ最後の旅路に異国を巡り、そこで出会った強大な敵に敗れ、ひっそりと命を落とす。見知らぬ数多の他者に土を掛けられ、やがて大地に還る。それが魔族の望む最後だ。
 だから街で隣人が旅に出ると言ったときは、行き先を聞く事はしない。それは死地への旅路やもしれぬ。「良い旅路を」と見送るのが礼儀だ。旅立った者を忍ぶことはせず、すぐに忘れる事もまた礼儀だ。そうでなければ数千の時を生きる魔族の記憶は、死者の記憶で埋まってしまう。基本的に家族関係に頓着しない魔族であるが、たとえ家族を持つ者であっても家に死者の遺品を置く事はしない。定期的に死者を思い出すような催しもない。

 話すうちに道は折り返し地点となる。均された道は終わりを迎え、先へ続くのは鬱蒼と茂る獣道だ。次回の遠征ではこの獣道を進む。兵士は次々と道を折り返し、今来た道を辿ってゆく。頭を務める竜族の男が、開いた手帳に文字を刻む。
―往路、魔獣との接触3体。いずれも小型。道の整備状況、報告と相違なし

 近くで魔獣が嘶いた。声の元は獣道の先だ。兵士の脚が止まる。緊張の時が過ぎるが、しばらく待っても魔獣が姿を現すことはない。

「…どうします。討伐しますか」

 兵士の1人が聞いた。問いを受けた竜族の頭は考え込む。

「いや、獣道に踏み込めばきりがない。予定通り今日はここで折り返す。念のため背後には注意しろ」

 獣道に視線を送りながらも、兵士はそろそろと来た道を辿る。さわさわと揺れる繁みを見据えていたソウジは、隣に佇むレイバックに言葉を向けた。

「王、魔族の死生観を理解は致しました。しかしやはり私は、あの暗い森の中に捨て置かれることは嫌です。たとえ尽きる命だとしても、尽きた命だとしても、帰れるものなら家族の元に帰りたい」

 剣の柄に手をかけたまま、レイバックはわかった、と頷いた。

「団長には話を通す。魔族の兵士にも人間の死生観を理解してもらえるよう、対話の機会は設けよう。状況によっては、必ず連れ帰ると約束もできんだろうが」
「構いません。我々の想いを理解してもらえるだけでも十分です」
「治癒魔法の使い手の同行についても論議にはあげてみる。王宮で贔屓にしている術者はいるからな。突発的な魔獣討伐には厳しいだろうが、今回のような遠征への同行は不可能ではないはずだ。次回の遠征には間に合うかどうかはわからんが」

 レイバックの言葉に、兄弟の顔には安堵の色が浮かぶ。ありがとうございます、謝辞と共に深く頭を下げる。

「せっかく鍛えた弟子が、死生観の違いなどという理由で去ってしまっては困る。期待しているからな。頼むぞ」

 剣の柄から手を離したレイバックは、兄弟の肩を順に叩いた。音のやんだ繁みを一瞥し、距離の空いた兵士の背を追う。身元も知らぬ死者の遺品を握りしめた兄弟は、遠ざかる王の背を追った。
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