【BL】齢1200の龍王と精を吸わないオタ淫魔

三崎こはく

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荒城の夜半に龍が啼く

祖国を愛した男(終)

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 男は陽光射し込む暖かな部屋に一人佇んでいた。黒い革張りの執務椅子に腰かける男の目の前には、拳大の水晶玉が置かれている。透明な水晶玉の内部には薄桃色の雲煙が揺らめき、軽やかな調子の音楽が流れ出ていた。
 この水晶玉は音を録音するための畜音具と呼ばれる道具だ。元々は祖国の国舞を聞きたいがために大金をはたいて買い求めた物。国舞を録音した畜音具を持つ者を探し出すのも骨が折れたし、譲渡の交渉をするにも苦労した。結局3か月分の給料をはたいて手に入れた畜音具に、男はさらに一つの曲を録音した。
 それは祖国の片隅に在る故郷の曲だ。かつて男が治めた土地で、もう千年近くも前に当時の村人たちが作り上げた曲。貧しい暮らしの中で、せめて皆が心を揃えて歌える曲を作ろうと、手製の笛や太鼓を駆使して作り上げた。初めはただ仕事の合間に口ずさむだけであった曲は、村が豊かになるにつれて村祭りや祝いの儀の折に歌われるようになった。畑が実りを迎えた時にはその歌を歌いながら収穫に当たり、巨大な魔獣を仕留めた時にはその歌を歌いながら村に帰る。子が生まれればその歌を歌いながら沐浴をし、人が逝けばその歌を歌って黄泉へと送るのだ。
 遠く故郷を離れても故郷の曲と共にいたい。そう願う男は自らの記憶を頼りに見様見真似で楽譜を書き、楽器を扱える者に依頼して懐かしい曲を奏でてもらったのだ。そうして録音した曲が、今男のいる部屋に軽やかに流れている。

 部屋の扉を叩く音がした。男は入室を促す。流れる曲を止めるか否か迷い、そのままにする。静かな音を立てて開いた扉の向こうには、男と同じ黒髪の青年が立っていた。青年は部屋に流れる音楽にしばし耳を澄ませ、それから男の元に向かって歩いてきた。黒い眼が男を見ている。

「これは何の曲ですか?」
「俺の故郷の曲だ。祝いの時によく奏でていた」
「今日は祝いの日ですか」
「そうだろう。今日この曲を聞かずして、いつ聞く」

 男の脳裏には千数百年の時の記憶が浮かんでは消える。盗賊に滅ぼされた故郷を包む業火、身一つで逃げ辿り着いた土地で作り上げたもう一つの故郷、自らが守った人々の顔。故郷の外で見た祖国の有様、瘦せ細り道端で息絶える老人、魔獣に喰い殺された母子の遺体、なぜこの国はこうなのだと嘆いた日々。男は祖国に王が立たぬ理由を探るために、国の中心へと赴いた。愚鈍を装って荘厳の城へと忍び込み、国を蝕む7人の愚者の存在を知った。ろくな統治を行わぬ愚者の殲滅を図り、俺が国の王となる。時を止めた陰鬱の城の中で、そう誓ったのはもう150年も前の事だ。しかし目論見は失敗、男は殲滅し損ねた愚者共の魔法に倒れ、命からがら祖国を逃げ出す羽目となった。

 それから150年もの間、立ち入れぬ祖国を想う日が過ぎた。祖国を知る人を探し、小さな情報を掻き集め、せめて祖国が救われる術を必死に探した。そうして長年の思考の末に辿り着いた妙案、故郷に立ち入れぬ事をもどかしく思う日々、ようやく訪れた又とない機会。そうして全てが男の思うままに進んだ。もう男の知る場所に男の知る祖国はない。あるのは自らが立ち上げた13に及ぶ小国。苦難はある。荒れた国土が平穏となるにはまだ長い時間が掛かる。それでも男は成し遂げた。平和へと続く石段は創り上げた。後は祖国の民が、1歩1歩とその階段を上ってくれれば良い。先にあるのは、男も知らぬ明るい未来だ。

 黒髪の青年は部屋を満たす音楽に耳を傾けながら、かつてなく穏やかな男の顔をじっと見つめていた。

「メリオンは、あの国で王になるのだと思っていました」
「あん?」
「みんなそう言っていましたよ。レイもザトも、皆」
「フィビアスとユダを斃したのはお前と王の功績だ。他人が落とした城で王座になど座れるか」
「でも、一度は王になろうとしたのでしょう?」

 ゼータの問いかけに、メリオンは一瞬言葉を失くした。

「…王になりたかったわけではない。ただ誰もやらぬのなら俺がやろうと思った。俺以外の誰にもできぬ事ならば、俺がやるしかないと思っただけだ」

 独白に近い言葉をゼータは黙って聞いた。話す内に畜音具から流れ出す音楽は終わりを迎え、部屋の中は沈黙となる。ゼータはメリオンの目の前に立ち竦んだまま、続く言葉を待った。

「しかし俺は王になれなかった。ユダが黒幕である事を見抜けず、無様に打ち負けて国を追われた。俺には王になる素質はなかった」
「…ユダは、1200年の内でメリオンが一番王座に近かったと言っていましたよ。恐ろしい程優秀な奴だったとも」
「お前は阿呆か。敵に言われた事を易々真に受けるな」

 メリオンはそう吐き捨てると、畜音具の上部を撫でた。薄桃色の雲煙が揺れ、部屋の中には再び音楽が流れだす。それはゼータも覚えがある曲であった。下手をすれば100を超える程に聞いた、バルトリア王国の国舞だ。

「おい、踊るぞ」
「え、今ですか?私男の姿ですけれど」
「構わん。付き合え」

 椅子から立ち上がったメリオンは、尻込みするゼータの腕を強く引く。腰を抱き寄せそのまま軽やかに踊り出す。突然の強引な誘いに身体を強張らせていたゼータであるが、国舞は恐怖と共に身体に刷り込まれている踊りだ。意識をせずとも自然と手足は動き出す。執務机や応接用のソファ、衣類掛けと物置台。部屋のあちこちにある家具を避け、ゼータをリードするメリオンは上機嫌だ。その内鼻歌でも聞こえだしそうな程である。

「ダンスパーティーでミスはしなかったんだろうな。俺の教えを無駄にして命があると思うなよ」
「し、していませんよ。ユダ相手に無事踊り切ったんですから」
「ユダぁ?何であいつ相手に踊るんだ」
「…半ば強引に誘われたんです」
「御苦労なことだ。魔法を掛けるための接触ではなかったんだろうな?」
「…えーと」

 黙り込むゼータにメリオンは呆れ顔だ。七指との接触には注意しろと言っただろうがが、呆れ顔はそう告げている。

「お前のような危機意識の薄い奴が、よく無事に帰れたもんだ」
「危機意識って言いますけど、ダンスの時はまだユダが黒幕だって知らなかったんですよ。礼儀知らず扱いをされたら、そりゃお相手をするしかないじゃないですか。それに国舞に関しては見事だと褒められたんですよ」

 吐き掛けられる毒舌に文句を垂れ流しながらも、ゼータは華麗に一回転をする。会話をしながらも国舞はすでにサビを終え、後は緩やかとなって行く曲調と共に最初の動きを繰り返すだけだ。脚を痣だらけにしながら覚えた踊り、会話を楽しみながら踊れるようになったのだから上出来だ。

「褒められたとは、ユダにか」
「そうです。その前は知らない曲だったので下手くそ認定を受けましたけれど」
「他国の重鎮に下手くそ呼ばわりされるとはな。救いようがない」

 笑い声を零すメリオンの顔は、ゼータの知る悪魔の形相とは程遠かった。そこにいるのは祖国への情愛に溢れたただ一人の男だ。メリオンに対する評価を改めねばならない、とゼータは思う。ただの淫猥物だと思っていた男は、150年もの間遥か遠くの祖国を想い続けていた。

 終曲まで残すところ15秒、ここまで来れば踊り切ったも同然と余裕をこいていたゼータの右足が、メリオンの脛を蹴り上げた。痛い、小さな悲鳴とともにメリオンの動きは止まる。次いで「空気を読めん奴だ」とばかりに深い溜息が吐き出され、ゼータは申し訳なさそうに身を竦めた。祝いの舞踏に水を差してしまった。
 しかしメリオンが苦々しげな表情を浮かべていたのは一時の事で、端正な顔は一瞬で悪魔の笑みとなった。薄い唇はいやらしく弧を描き、尖った4本の犬歯が覗く。

「たった一度でもミスをすれば、2時間の居残りを科すと言ったはずだ。居残り場所は俺の寝室。そのふらふらと頼りない足腰を、入念に鍛え直してやろう」
「え、何の話?ああ、国舞の練習の時の…嘘、あんなのもう無効ですよ。ちょっと待って、待…」

 眠りを誘う暖かな日の午後。衣服の襟元を乱し、必死の形相で王宮内を駆け抜ける王妃の姿が目撃された。「やっぱりろくな奴じゃない、やっぱりろくな奴じゃまい」走り去る王妃は、うわ言のようにそう繰り返していたのだという。
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