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荒城の夜半に龍が啼く
愚者の末路
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―糞、糞、糞!
儀式棟の最奥で、ユダは血反吐を吐き床にうずくまっていた。白髪を振り乱し、荒い呼吸を繰り返すユダの身体は、右半身が大きく削り取られていた。右腕はもちろんのこと、肩、右胸の一部、脇腹に至るまでが巨大な獣に食い千切られたかのごとく無くなっている。ユダの身体を鮮血に染めたものは、屑だと侮っていたゼータの魔法だ。この苛烈な魔法をユダは知っている。それはユダの敬愛するブルタスが得意とした魔法だ。並外れた魔力を有するブルタスは、他者の使えぬ残虐な魔法を用いて民を恐怖に陥れ、暴政とも言われる治世を敷いた。
「痛い、痛い。あの男、殺してやる」
翡翠の眼を血走らせたユダの叫びは、儀式棟の内部に大きく響く。一昨日即位式とダンスパーティーが行われた儀式棟に、今ユダ以外の人影はなく、壁にぶら下がる燭台は全て灯りが落とされていた。机も椅子も、全ての備品が引き上げられた儀式棟の内部はがらりと広い。細微な装飾が施された天井は目が眩むほどに高く、天頂に備えられた小窓には暗闇が映っていた。
儀式棟の最奥、演台の裏側にユダは身を隠していた。そこはダンスパーティーの折、演奏隊が椅子を並べていた場所。思えばあの夜から少しずつ歯車は狂いだしていた。社交辞令程度のダンスはするだろうと思われたレイバックは、予想に反しフィビアスを誘わない。ユダの嫌味でレイバックにダンスを了承させるも、フィビアスが惑わしの術を掛けるほどの隙を見せることはない。そしてユダは目論見通りゼータに接触するも、サキュバスの王妃に隷属の魔法を掛けることは叶わない。ロコとマギの視界を借りて幾度となくレイバックとゼータの姿を覗き見るも、客間の中でさえも彼らが警戒を怠る事はない。最終手段であったメデューサの魔法を使い、やくようゼータを石にするも、レイバックの支配に十分な時間は確保することはできなかった。果ては官吏として西棟に乗り込んできたゼータの魔法に、ユダは無様に打ち負ける始末だ。
そうだ。あの男がユダの計画を狂わせた。塵屑と侮っていた大国の王妃、狡猾で下賤なサキュバス。ユダですら手ほどきを受けられなかったブルタスの魔法を受け継ぐ、忌まわしき御子。
「ああ、糞。なぜ隷属が上手く行かぬ。奴らを逃がすのはまずい」
ユダはゼータの魔法に敗れ、空き部屋を出た瞬間から、隷属する七指を動かすべく魔法を行使している。しかし隷属する3人の七指が、ユダの命令に従うことはない。強大な力を持つ者を意のままに操るためには、それなりの魔力を使う。半身を削られた今のユダには、強者を動かすだけの力は残されていない。
せめて状況の把握だけでもと動かしたマギの視界で、ユダは恐れていた事実を目にする事になる。フィビアスの支配下に置かれていたはずのレイバックが、ゼータと共に王座を抜け出していたのだ。フィビアスはゼータに敗れた。その身一つで一国を滅ぼすほどの武力を持つ神獣の王は、妃の元へと還った。ユダは手足を拘束したゼータに侮蔑の言葉を吐き掛け、その頬を幾度となく打った。腹部の焼き跡もユダの命令によるものだ。レイバックはユダを許さない。こうしてユダが身を潜めている今は襲撃が叶わずとも、国に帰り態勢を立て直し、必ずやまたユダの元にやって来る。妃の身体に傷を付けた憎き仇を討ち取るために。
レイバックとゼータを国に帰すのはまずい。しかし彼らを足止めするための配下を動かす事ができない。
ユダの足元にひやりとした風が流れ込んだ。同時に絶え間なく鳴り響いていた風音が大きくなる。儀式棟の扉が開かれたのだ。ユダは身体を震わせ、演台の脇から遥か遠くの鉄製の扉を伺い見る。
確かに扉は開かれていた。即位式の折に幾多の人を飲み込んだ重い鉄製の扉は、今また左右に開かれ、吹き込む暴風が儀式棟内部の空気をかき乱している。壁掛けの燭台が風に吹かれて落ち、ガラスの破片が石床を這う。身体の奥底から湧き上がる恐怖に、ユダは残された左手で口元を覆った。ユダは配下を呼び寄せるべく魔法を行使しているが、いずれも手応えは感じない。やってきた者はユダの味方ではない。侍女が掃除をするために儀式棟に立ち入る時間でもない。ならばあそこに立ち竦む者は誰だ。開け放たれた鉄扉の正面に立ち、ユダの隠れる演台を見据える者は。左手に剣を携え、肩ほどの髪を暴風になびかせる影は。
ぱきぱきと小枝を折るような音がユダの耳に届いた。音と共に扉に立つ人影は姿を変える。膨張する手足は巨大な鍵爪を備えた四足となり、風になびく髪はたてがみとなる。人を飲み込む程の口蓋には歯牙が立ち並び、強靭な顎は兵士の鎧ですら容易く嚙み砕くだろう。荘厳な儀式棟の壁に届くかという巨大な翼、蜥蜴を思わせる長くしなやかな尾、暗闇に光る金色の眼。いかなる愚鈍でもその姿を知らぬ者はいない。神獣と恐れられ、時に崇拝されるドラゴンである。そして人からドラゴンに姿を変える者など、恐らくこの世界にただ一人しかいない。
「あ、あ、あ」
ユダは頭を抱え、演台の影にうずくまった。儀式棟の入り口から演台までは、ユダの血跡が続いている。足跡を残す血跡を拭う余裕がユダにはなかったのだ。大地を揺るがす雄叫び。空気を切り裂く羽音。一瞬で儀式棟の最奥へと身を移したドラゴンは、強靭な前足でユダを隠す演台を弾き飛ばした。
身を隠す物がなくなったユダは、初めて真正面からドラゴンを直視する。恐怖は脳天を超えて、血濡れの身体からは力が抜けて行く。敵に回すべきではなかった。服従させるなどと安易な発想に至るべきではなかった。番である妃を貶めるべきではなかった。何もかも、ユダは間違えた。
ドラゴンは一声嘶くと、地に伏すユダを咥え上げた。骨を砕き肉を潰し、事切れたユダの肢体を飲み下す。それは一瞬の出来事であった。
これがユダの末路だ。主の愛情が他に移る事を許せず、我儘に剣を振るい、愛し合う2人を引き裂いた。七指を使役し、私利のために城の時を止め、幾多の民の命を顧みなかった。これが愚者の末路。1200年の間に死した民の報復。愚かな裏切者はたった一人、神獣の腹の内へと消えた。髪の1本すら残さずに。
儀式棟の最奥で、ユダは血反吐を吐き床にうずくまっていた。白髪を振り乱し、荒い呼吸を繰り返すユダの身体は、右半身が大きく削り取られていた。右腕はもちろんのこと、肩、右胸の一部、脇腹に至るまでが巨大な獣に食い千切られたかのごとく無くなっている。ユダの身体を鮮血に染めたものは、屑だと侮っていたゼータの魔法だ。この苛烈な魔法をユダは知っている。それはユダの敬愛するブルタスが得意とした魔法だ。並外れた魔力を有するブルタスは、他者の使えぬ残虐な魔法を用いて民を恐怖に陥れ、暴政とも言われる治世を敷いた。
「痛い、痛い。あの男、殺してやる」
翡翠の眼を血走らせたユダの叫びは、儀式棟の内部に大きく響く。一昨日即位式とダンスパーティーが行われた儀式棟に、今ユダ以外の人影はなく、壁にぶら下がる燭台は全て灯りが落とされていた。机も椅子も、全ての備品が引き上げられた儀式棟の内部はがらりと広い。細微な装飾が施された天井は目が眩むほどに高く、天頂に備えられた小窓には暗闇が映っていた。
儀式棟の最奥、演台の裏側にユダは身を隠していた。そこはダンスパーティーの折、演奏隊が椅子を並べていた場所。思えばあの夜から少しずつ歯車は狂いだしていた。社交辞令程度のダンスはするだろうと思われたレイバックは、予想に反しフィビアスを誘わない。ユダの嫌味でレイバックにダンスを了承させるも、フィビアスが惑わしの術を掛けるほどの隙を見せることはない。そしてユダは目論見通りゼータに接触するも、サキュバスの王妃に隷属の魔法を掛けることは叶わない。ロコとマギの視界を借りて幾度となくレイバックとゼータの姿を覗き見るも、客間の中でさえも彼らが警戒を怠る事はない。最終手段であったメデューサの魔法を使い、やくようゼータを石にするも、レイバックの支配に十分な時間は確保することはできなかった。果ては官吏として西棟に乗り込んできたゼータの魔法に、ユダは無様に打ち負ける始末だ。
そうだ。あの男がユダの計画を狂わせた。塵屑と侮っていた大国の王妃、狡猾で下賤なサキュバス。ユダですら手ほどきを受けられなかったブルタスの魔法を受け継ぐ、忌まわしき御子。
「ああ、糞。なぜ隷属が上手く行かぬ。奴らを逃がすのはまずい」
ユダはゼータの魔法に敗れ、空き部屋を出た瞬間から、隷属する七指を動かすべく魔法を行使している。しかし隷属する3人の七指が、ユダの命令に従うことはない。強大な力を持つ者を意のままに操るためには、それなりの魔力を使う。半身を削られた今のユダには、強者を動かすだけの力は残されていない。
せめて状況の把握だけでもと動かしたマギの視界で、ユダは恐れていた事実を目にする事になる。フィビアスの支配下に置かれていたはずのレイバックが、ゼータと共に王座を抜け出していたのだ。フィビアスはゼータに敗れた。その身一つで一国を滅ぼすほどの武力を持つ神獣の王は、妃の元へと還った。ユダは手足を拘束したゼータに侮蔑の言葉を吐き掛け、その頬を幾度となく打った。腹部の焼き跡もユダの命令によるものだ。レイバックはユダを許さない。こうしてユダが身を潜めている今は襲撃が叶わずとも、国に帰り態勢を立て直し、必ずやまたユダの元にやって来る。妃の身体に傷を付けた憎き仇を討ち取るために。
レイバックとゼータを国に帰すのはまずい。しかし彼らを足止めするための配下を動かす事ができない。
ユダの足元にひやりとした風が流れ込んだ。同時に絶え間なく鳴り響いていた風音が大きくなる。儀式棟の扉が開かれたのだ。ユダは身体を震わせ、演台の脇から遥か遠くの鉄製の扉を伺い見る。
確かに扉は開かれていた。即位式の折に幾多の人を飲み込んだ重い鉄製の扉は、今また左右に開かれ、吹き込む暴風が儀式棟内部の空気をかき乱している。壁掛けの燭台が風に吹かれて落ち、ガラスの破片が石床を這う。身体の奥底から湧き上がる恐怖に、ユダは残された左手で口元を覆った。ユダは配下を呼び寄せるべく魔法を行使しているが、いずれも手応えは感じない。やってきた者はユダの味方ではない。侍女が掃除をするために儀式棟に立ち入る時間でもない。ならばあそこに立ち竦む者は誰だ。開け放たれた鉄扉の正面に立ち、ユダの隠れる演台を見据える者は。左手に剣を携え、肩ほどの髪を暴風になびかせる影は。
ぱきぱきと小枝を折るような音がユダの耳に届いた。音と共に扉に立つ人影は姿を変える。膨張する手足は巨大な鍵爪を備えた四足となり、風になびく髪はたてがみとなる。人を飲み込む程の口蓋には歯牙が立ち並び、強靭な顎は兵士の鎧ですら容易く嚙み砕くだろう。荘厳な儀式棟の壁に届くかという巨大な翼、蜥蜴を思わせる長くしなやかな尾、暗闇に光る金色の眼。いかなる愚鈍でもその姿を知らぬ者はいない。神獣と恐れられ、時に崇拝されるドラゴンである。そして人からドラゴンに姿を変える者など、恐らくこの世界にただ一人しかいない。
「あ、あ、あ」
ユダは頭を抱え、演台の影にうずくまった。儀式棟の入り口から演台までは、ユダの血跡が続いている。足跡を残す血跡を拭う余裕がユダにはなかったのだ。大地を揺るがす雄叫び。空気を切り裂く羽音。一瞬で儀式棟の最奥へと身を移したドラゴンは、強靭な前足でユダを隠す演台を弾き飛ばした。
身を隠す物がなくなったユダは、初めて真正面からドラゴンを直視する。恐怖は脳天を超えて、血濡れの身体からは力が抜けて行く。敵に回すべきではなかった。服従させるなどと安易な発想に至るべきではなかった。番である妃を貶めるべきではなかった。何もかも、ユダは間違えた。
ドラゴンは一声嘶くと、地に伏すユダを咥え上げた。骨を砕き肉を潰し、事切れたユダの肢体を飲み下す。それは一瞬の出来事であった。
これがユダの末路だ。主の愛情が他に移る事を許せず、我儘に剣を振るい、愛し合う2人を引き裂いた。七指を使役し、私利のために城の時を止め、幾多の民の命を顧みなかった。これが愚者の末路。1200年の間に死した民の報復。愚かな裏切者はたった一人、神獣の腹の内へと消えた。髪の1本すら残さずに。
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